1.自己紹介の二乗です


準備をしている間はまだ梅雨だった季節も


私、水待コトのデビュー当日にはすっかり夏になっており


部屋の温度計は35を示していました


キタキツネ系なのか、ユキウサギ系なのかは分かりませんが


どうやらあまり暑さに強くない種が混ざっているらしく


この暑さにへばってしまいそうになっていました。




暑くて動く気力が湧かないので涼しくなるまで活動延期


とでも言ったらよかったのかもしれませんが


それだけ間を空けてしまうと今のモチベーションの維持も難しく


バーチャルライバーとして電脳世界へ飛び込もうと言う熱も冷めてしまうのではないか


そんな考えがよぎってしまうので


夏の暑い日の、それでも少しでも涼しい時間を求めて夜になってから


私のデビュー配信が始まろうとしていました。






早めにお風呂に入って無駄な緊張を洗い落とし


各種機材やソフトの最終動作チェックに移ります


ヘッドセットは片耳が折れていたり、端子の接触が甘くなっている部分があるものの


どちらも意識してセッティングすれば直接的な影響は出ないものです。




それよりも厄介なのがカメラでした


人間社会でうさきつね族が混じって働くのはまだまだ難しい環境であり


優しい人間さんの好意で家には住まわせてもらっているものの


あまり大きな金額を使わせてもらいたくはないと言った状態になっています


そのため安くて人気の機種を調べ


実際に自らの足で何軒かの店をはしごし


その結果辿り着いたのが


通販で買った量販店の半額ぐらいの値段の小さなカメラでした。




現実世界と電脳世界を繋ぐのに


多機能性だったり画像の鮮明さだったりは余り影響しないと聞いていたので


多少性能が低くても安いものにしようと思った結果


画像認証能力が著しく低いと言う事が判明


つまり、カメラの画面の真ん中に私の顔を映しても


それを顔だと判断する能力が低かったのです。




顔を認証さえしてくれれば


後はパソコンの中に入れたソフトが勝手に私の顔の動きと電脳世界の私の顔の動きを同期させてくれるので


特に何か難しい設定が必要と言ったこともないのですが


肝心の認証部分が弱ければ手の打ちようがありません


まだ1回も使ってないのに買い替えるのは資金的に厳しいし


何とかしてこいつを使おうと


私の顔の形を認識しやすいようにカメラの設置位置や角度を変え


私も映る時の距離に角度、目線と言ったものを何度も何度も調整し直して


やっとの事で同期を開始


1度同期状態が途切れると再接続に数分は調整がいるでしょうから


ここからは気が抜けません。




後は配信画面の処理ソフトに


背景、オープニングとエンディング用のちょっとした画像、私の姿などを


次々と取り込んで電脳の舞台を作り上げます。




「あーあーあー、マイクテスです。」


マイクを通した声に背後で控えめの音量で流すBGM


音響関連のセッティングも一通り問題なく聞こえている事を確認しておきます。




ここまで終わった時には既に予告した時間の5分前


さぁ、もう後に引くことは出来ません


意を決してオープニングのロゴを大きく表示しながら


大規模動画配信サイトへと接続


「うさきつね族による同族を探すための0から独力でバーチャルライバーを生み出す計画」


略して「うさきつねプロジェクト」


ここに、実行開始です!






こうして始まった私の生まれて初めての


電脳世界でのライブ放送


上手く行ったのかと聞かれると


答えは、断然ノーでした。




まず、配信を行うためのソフトの使い方すらまともに知りませんでした


事前にリハーサルでもやっていればよかったのでしょうが


その時は勢い任せだったためにそこまで頭も回らず


画面に表示されたのは無情にも


「サーバーから切断されました」


の一言でした。




私は慌ててインターネットを開き配信のやり方を再確認


それと同時に「呟き」を使って不手際により配信が遅れる事の謝罪しゃざい文を発信


15分ほど時間を浪費し


やっとの事で配信がスタート出来たのでした。




私が思い立ってから1ヵ月程度の時間でデビュー配信まで辿り着けたように


その気になれば電脳世界への参入ハードルはとても低いのです


つまりは、私のようにぽっと出て来る方が毎日何人もいる状況で


有名、無名を問わなければ数万もの人口が活動してると言われています。




そんな中で、多少は人間関係を作ったとは言え無名のモノが


それも特別な技術等も持たず、人目をけるほどの外見もしておらず


誰かの目に留まるような要素のないモノが初配信だと騒いだところで


それを見たいと考える人はどれぐらいいるのでしょうか?


正直、0からのスタートでも良いと思っていました


2桁も行けば奇跡とすら思っていました


少し遅れての配信が始まり、接続者数を確認してみると


そこに表示されていた数は「1」だったのです。




1人しかいないと言う現実への落胆と


1人でもいるならちゃんとやらないととの使命感が


せめぎ合いつつも声を出します


まずは当たり障りなく自分の名前や種族と言った基本情報


それから今後やって行きたい活動について少々触れて……。




自己紹介ぐらいアドリブでもある程度何とかなるだろうと言う慢心がありました


ただ、実際に誰かが見ていて


それでいてその相手からの反応が一切ないとなると


自分がちゃんと喋れているのか、話は伝わっているのか


どんどん不安が駆け上って来ます。




「えっ……あの……。」


自信がなく詰まる回数が少しずつ増えて行きます


あの時、頭が真っ白になって何を喋ったのか覚えていません


ただ、ろくに聞けた内容ではなかったのは確かです。




そんな感じで5分ほどが経過し


せっかく来てくれた上に、15分も待たせてしまったのに


ここで咄嗟とっさの話題が出ないからと打ち切っては


その1人の方に失礼ではないかと思い


無理矢理苦し紛れの話題で場を繋げます。



こう言う時のために念のために配置しておいた


匿名のメッセージボックスへの投稿は0件


これも話題には使えません。




結局は10分ほどだったでしょうか


空気に耐え切れず逃げるように配信終了の挨拶をして逃走


それが、悲しい事に私のデビュー光景となったのです。




意識的に消そうと思えば後からこの配信を見る事が出来ないように


インターネット上から完全に抹消する事は出来ます


でも、失敗したからと言って、自分に都合が悪いからと言って


安易に自分の足跡を消すのは良くないと思いとどまり


いつかもっと上手に喋れるようになった時に


最初はこうだったと笑って喋るためにも


この記録を保存、公開する事にしたのです。






その2日後


まだショックが抜け切らない私は


あの訳の分からない自己紹介もどきではなくて


せめて自分の事ぐらいは知って貰えるようにと


ライブ配信ではなく個人的に自己紹介メッセージを作成する事にしたのです。




背景などは前回のライブ配信の時のままで


今回は失敗のないように短い台本に台詞をまとめておいて


それからのスタートです。




「うさきつねチャンネル。」


自分のふわふわしてると評された声が題字を読み上げます


そこから2つ目のセリフで噛み、3つ目のセリフでは読み間違え


やり直すと次は活舌が悪く言葉が聞き取りにくく


さらに次は開幕から目が泳いでいて絵面として使えるものではなく


気が付けばたった3分ほどの台本を読み上げるのに


10回を超えるリトライが行われていました。




「はぁ、私ってこれだけ能力がなかったんですね。」


思わずため息がこぼれます


たかだか3分程度の動画1つ満足に作れない


それが知識も技術も0で電脳世界に飛び込んだ新人に見合った実力だったのです。




いつしか自分も名前を聞いた事があるぐらいの有名バーチャルライバーさんと同じ舞台に立ってみたいとか


そんなお花畑を通り過ぎたレベルの妄想も抱けないぐらいの体たらくっぷりでした


このままでは、明日も、明後日も、どんどん新しくデビューして行く同期の皆様にも


埋もれてしまって消滅してしまうのではないか


そんな危機感が生まれるほどでした。




何はともあれ1つでもバーチャルライバーとしての活動を


インターネット上に上げてしまったのです


既に「バーチャルライバー準備中」ではなく「新人バーチャルライバー」の肩書名乗れるようになったのです


それに見合った実力が無くても


始まってしまったのものをわずか数日で撤回てっかいするわけにはいきません


不安と恐怖しか道の先には転がっていませんが


とにかくここに「水待みずまちコト」と言う名の「バーチャルライバー」が生まれてしまったのです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る