第46話 茶会
※書いても書いてもつまらない文章にしかならなくて、ものすごく時間がかかりました。
※ふるぼっこにされる主上の図
夏の陽光が降り注ぐ季節の花々が咲く庭を眺めながら、5人の妙齢の麗しい美女たちと一人の偉丈夫が、円卓を囲んで座っている。誰もが顔に微笑を張り付けているけれど、その場の空気は少しも楽しげな気配を孕んではいなかった。
後宮にある白磁宮は、奇しくも子潤の茶会と時を同じくして、六人の茶会が催されていた。建物の入口という入口、窓という窓が開け放たれ、午後の風が室内を通り抜けていく。床に落ちる濃い影を夏の白い光が矩形に切り取っていた。
部屋の中央に鎮座する大きな円卓の上には最上級の茶、色とりどりの菓子、瑞々しく美しい花々。
けれど誰かが趣向を凝らしたであろう卓の上では、香りたつ茶はすでに冷たくなっており、美しい菓子はその大半が手つかずのままで取り残され、生けられた花は最初に一瞥が投げられただけで、もはやしげしげと見つめる者もない。給仕する侍女たちが、手持無沙汰のように指示が出されるのを側に控えながら待っている。
意味を持たない世間話が卓の上を行き来していた。乾いた笑いと熱のこもらない視線。
夏以降の後宮での催し事に関する相談のための茶会は、開始から一刻が経過しすでにその役割を終えていた。退室する時期を見計らいながら、その場にたった一人椅子に腰かけている男はそつなく均等に女たちと会話をする。あたかも楽しいというように。それもまた彼の仕事だった。慎重に耳を傾ける者がいれば、良く吟味された言葉が、心地よく女の耳朶をくすぐるように発せられているのが分かったかもしれない。現実的でつまらない、あるいは夢から醒めるような表現は注意深く排除され、甘い砂糖で言葉の表面を覆い、その実彼の言葉にはなんの中身もないことが巧妙に隠されていた。
けれど。
静寂は破られるためにあり、砂の城は崩されるためにあった。丁度、男が頃合いを見計らって立ち上がろうとした時だった。
「そういえば、あの方、主上がご自身の宮に囲っていらっしゃるあの方が、あなたの部屋に移ったと聞きました。昨日、でしたかしら」
残りの五人の視線が一人の女の上に集まり、座は一瞬で静まりかえった。わずかに腰を浮かせていた男はそのまま腰を落とした。話題を急に変えたのは李淑妃だった。
後宮の女が知るはずのないことを当然のように口に出したという、その意味が分からない男ではなかった。男はすぐに側に控える侍女たちに退室を促した。すると、無言で一礼をして各々が無音で退室していく。
その様子を見送ると、彼は動揺を表情に出すこともなく、しかしさも驚いたという芝居がかった調子で答えた。
「麗君は耳が早いな」
延徳妃が即座に反応する。
「まあ。否定なさらないと言うことは、本当ですの?主上と同じお部屋ですって?あの女が後宮から出て行ってやっと落ち着いたと思ったばかりですのに」
「それがどういう意味をもつことなのかを少しでも考えましたか?主上」
続けて徐賢妃。
「宮に私室を与えるだけならいざ知らず、同室だなんて。私たちの立場を少しでも考えた上での行いでしょうか?」
さらに延徳妃が鋭い声を上げた。
「相手は男だ。何の問題もないと判断した」
「なお悪いでしょう。私たちを侮辱なさるおつもりですか?」
「最近は後宮へいらっしゃる頻度も、滞在する時間も減っております。宮の女たちだけでなく官たちもそのことに気付き始めております。女を差し置いて男にうつつを抜かしている、と陰口もささやかれています」
「お前たちをはじめとしてか?」
けれど男の揶揄は黙殺された。
「主上は国の政治だけでなく、後宮の秩序の維持とお世継ぎを作ることも仕事ですのに、夜のお渡りは最近めっきりですのよ?あの子供の相手をする以前に、ご自身の仕事を全うすることを考えたほうがよろしいのではないでしょうか?」
「そうですわ。私や玲梨子さまにはまだ男の御子がございません。人数も十分とは言えませんわ。あの過去の黒死病によって皇族の血が断たれる寸前までいったことをお忘れですか?主上はお勤めを果たすべきです。十分な数の皇子が生まれたあとでしたら、そうしたらお好きになさっていただいても何の問題もございませんのに」
ここぞとばかりに息巻いて、李淑妃が意地の悪い笑みを浮かべながら言い放った。
「あら、私は、別に男児がどうしても欲しいというわけではないわ。私には娘一人いれば十分。もちろん男の子ができれば私の家にとってさらに益があるとは思うけれど、辺境にあってかつ主上にとっては私の家は異民の一族。それに、私自身も、皇族の血が流れているとは言え混血にすぎません。そして、歴史的に見てただの属州でしかない。そんな州の諸侯に男児ができるのは、益よりも害のほうが場合によっては大きいかもしれないもの」
意味ありげに玲貴妃が言葉を区切った。
「私は、主上が私を大切にしてくだされば、現状で十分満足いたしますわ」
そう言って彼女はにっこりとほほ笑んだ。
「最近の主上は冷たくいらっしゃるわ。全然私を愛してくださいませんもの」
「私はみなを公平に扱っている」
「公平に、誰のところも訪れない?子供の数に偏りがありますのはどういうわけかしら」
それを聞いた男が眉を軽く上げて彼女に向き直った。
「子ができるかどうかは、ましてやその子が男かどうかなどは、天のみぞ知ること。私たちにはどうすることもできないではないか。事実、父上はあれだけ妻がいながら子は四人しかもうけられなかった」
「それ以前の問題だと申し上げますわ。ここ最近、主上の私どもの宮への渡りが減っておりますことはどうご説明なさいますの?」
「仕事が忙しいのだ。目が回るほどにな」
「本当かしら?」
「本当だとも。お前たちが私から取り上げた権限の数々をこちらへ戻して、つまらぬことで仕事が差し戻される事態が減ればすぐにでも、以前のように後宮へ顔を出すことも可能になるだろうに」
「それは宮中を掌握する主上の監督不行き届きなだけではありませんの?」
女たちが笑みを崩さずに言う。
「そうですわ。主上から直接その不届き者へお伝えくださいませ。それに、我が一族は主上のお仕事をお助けこそすれ、邪魔などしようと考えたこともございませんわ。他の家の者が……、どうかは存じませんが」
延徳妃が周囲を意味ありげに睥睨した。
「お仕事に関しては私は関与いたしません。主上がどうお思いになられても私ではどうにもできないのです」
徐賢妃が控えめに答えた。
「ええ、本当ですわ。もし執政が滞りなく進むことをお望みでしたら、父上に直接お頼みくださればよろしいかと。父はいつでも主上のお力になりたいともうしておりますのよ。逆に何故李家をもっと頼っていただけないのかと、日々嘆いているくらいですわ」
「うちもですのよ。それに、お仕事が忙しいことと、あの子を囲うことは別の問題です。あまりあの者にばかり目をかけて私どもを蔑ろにすることは、今現在の朝廷内の均衡を崩してしまいかねません」
「ええ、これ以上主上ご自身の立場を弱くすることは、あまり褒められたことではないかと思いますわ」
「そうだわ。いっそあの者に手切れ金でも何でも渡して、宮中から追い出してしまえばよいのではないです?それで全てが丸くおさまるでしょう。どうせ主上の寵愛を得て贅沢をしたいだけの下賤な輩。お金が欲しいだけでしょう」
ええ、本当に、と言って女たちが口々に笑い合う。
「やめろ」
男が小さく言葉を発した。けれど、女たちには届かなかった。
「まぁ、そうなの?」
「かもしれないというだけですわ。ですが、賢い方ならうすうす感じてはいらっしゃるでしょう。下賤な者とはそういうものですもの。それなのに、主上ははっきりと決断を下すことのできないお方。ですから、これは私からの提案ですわ。穏便に事を納めるための」
くすくすと笑う二人の女の声が響いた。一人は静かに微笑み、二人は無言を貫いた。
「それだけは同意できない」
男がここにきて初めて感情のこもった鋭い声を、たった一言はなった。
場が再び一瞬の沈黙に支配された。
五人の女たちの目が驚きに見開かれていた。
「そんなことが許されるとお思いですか?」
「もちろん主上は主上ですもの。おすきになさっていただいて何の不都合がございましょう。ですが、私たちよりもあの者を優先して、今後の主上のお仕事を滞りなく進めることが難しい、なんてことにならないと良いのですけれど……。ねぇ皆さま?」
そう言って同意を求めるように李淑妃が頭を巡らせる。
「勘違いをしているようだが、私はお前たちと対立することを望んではいないしするつもりもない。そしてお前たちの利益を優先することにも変わりはない。あの者がいようといまいと私のお前たちへの愛は変わらない」
「みなさま、あまり主上をいじめてはだめよ。主上は心優しいお方。そう簡単に一度迎え入れた者を追い出すなど、心情的にできないのでしょう」
玲貴妃が微笑みを絶やさずに言う。
「ですが主上、あまりあのような者に入れ込むことのないようにお気を付けください。私自身は可愛いあの子を気に入っているのですけれど、そのためにご自身がお立場を失うということになっては元も子もございません」
悲しそうに玲貴妃が零した。
ここで、今まで一言も言葉を発さなかった墨昭儀が口を開いた。
「私自身はあの方に対して悪い感情は持ち合わせてはおりません。主上はあの方がきてから変わりました。けれど、あの方に情けをかけすぎることは、後宮の秩序を乱します。あまり身勝手が過ぎますと、どこかの家が黙ってはいませんでしょう。そうなって困ったことになるのは主上と賢英さまの方です。どうかそこだけはお忘れにならないでください」
「お前たちが理性的でいてくれれば何も問題は起こらない」
「ええ、ええ、そうですわ。私たちはいつだって冷静です。ですから、私たちに道を譲らせるような愚かな行いは謹んでいただきたいと申し上げております。私たちは、私は主上の味方ですもの」
「ああ、分かっている。私はお前たちみなに対して常に公平に、そして優先して接することにかわりはない」
「それを聞いて安心いたしました」
「ただの火遊びであれば私たちはなにも申しませんわ。現に今までそうでしたでしょう?ですが……本気であるなら、話は別。花に蝶や蜂が群がるのは道理。そして、それは問題にすらされません。けれど、それ以外が、例えば蝿が群がるようでしたら、対処するというのもまた道理でございましょう」
「つい最近、あんなことがありましたでしょう?辛うじて生きながらえたと聞き及んでおります。それなのに、また恨みを買うようなことをなさって、誰がやったのかは存じ上げませんが、次は助からない、なんてことにならないと良いですわね」
「……何を言いたい?」
「可能性の話ですわ」
「主上は跡継ぎを作ることもまた仕事です。私たちはそのために集められましたのよ?それをお忘れなきよう」
李淑妃が感情的に言った。
「あの方がお亡くなりになってから、皇后位がずっと空白なのです。主上がどのようなお考えをお持ちなのかは存じ上げませんが、今後宮がこのように不安定になっているのは、全てあなたの責任であることをお忘れにならないでください」
「……ああ、分かっている。自分の尻拭いは自分でするつもりだ」
徐賢妃に向かって男が頷いた。
「問題はございません。私たちには瑠偉がおりますから。あの子を皇太子に指名していただければ、全ての憂いが解消しますわ」
延徳妃が得意げに話す。
「一言、琉偉に位を譲るとおっしゃっていただければ、延一族がその後の貴方をお守りいたします。他の家がどうかは存じませんが、私たちは位を失った後のあなたを蔑ろにしたりなどいたしません。それに、そうすることですぐにでも後宮の秩序は回復され、貴方のお仕事は全て滞りなく進むようになりますわ」
男が小さく息を吸い込んだ。
「……以前も言ったように、子供らがみな成人するまでは誰も皇后の座に就けるつもりはない」
「ええ。ですがいつかその時はやってきます」
徐賢妃が静かに言った。
「どんなに結論を先延ばしにしても、いつか決断する時はやってきます」
「そして、この中のだれかが皇后となる」
玲貴妃が言った。
「私かそこにいる徐雪華が、です。皇子がいるのは私たちだけなのだから」
「でも、先のことは分からないでしょう?もしかしたら主上がお心を翻すかもしれない。あるいは李麗君さまに男の御子がうまれるかもしれない。未来は誰にも分かりませんわ。ねえ、李麗君さま?」
「え、ええ。その通りですわ」
「ふん。馬鹿馬鹿しい。次の皇太子は私の息子です。私の家の力を理解していればそれ以外に選択肢のないことは主上もよくご存知のはずですわ。いつか主上のお名前をお呼びするときが楽しみですこと」
延徳妃の言葉に誰も賛同しなかった。場に白けた空気が漂ったが、当の本人は気にしたようすもない。
それから、扉が叩かれ、侠舜が時間ですと告げた。
その言葉を合図に、男は茶会の終わりを告げると席を立って部屋を出た。女たちから見えないその顔は酷く疲れ切っていた。
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