第25話 宴と詩作

 宴はつつがなく進み、小休止の食事となった。

 これも緊張するから僕にとっては全く休憩にならない。これで半分。


 全く食べた気がしない食事が下げられ、宴が再開される。時々主上から声を掛けられたが曖昧に返した。

 次は八人で歌合を行う。と言っても主上が皇帝の位にお就きになってから後宮は縮小され詠人が足りないとのことで、主上も詩作の側へと回ることも度々あり、判者もなく、そのうちただ歌を詠み合うだけの気楽な遊びとなったそうだ。

 詩作自体は貴人としての必須の教養であるため、歌合そのものは無くならなかったらしい。

 お題は宴。主上が、僕のために比較的簡単なものを提案してくれた。

 僕は悩んだ末、宴の素晴らしさと初めてのことで緊張しているというような内容を、能う限りの婉曲表現でもって認めようと考えた。小賢しい表現技法はまだ上手く組み込む技術がないので、少しでもそれらしく見えたら満足だった。僕はほどほどで十分なのだ。

 一人一人歌を披露していく。それぞれの歌に感想が述べられた。僕は雲嵐とこっそり相談しながら助言をもらいつつ素晴らしいというようなことを手を替え品を替えて告げた。雲嵐がいなければ僕は同じ言葉を繰り返していただろう。

 自分の番になった。変な汗をかきながら詠んだ。どうにでもなれ、だ。

 主上の主催する宴に初めて参加し、そのすばらしさにただただ感動するも、緊張のしすぎで憂鬱な気持ちとなったため、心を落ち着けるようにそっとため息をついた、というような歌だ。

 そうしたら予想外のことに、いく人かが感嘆のため息を零した。主上を見ると、主上も満更ではないような表情をしている。

 なんだろうと思っていると、黄昭容から素晴らしい恋の歌だと褒められて僕はぎょっとした。あの徐賢妃も頷いている。なぜ。

 月階の節会はもともと人と女神の悲恋にまつわる神話から来ており、どうもその文脈で解釈すると、初めて主上の催す宴に参加するという言葉が主上への初恋を、緊張して憂鬱だという言葉が恋の悩みになり、そっとついたため息が言葉にできぬ愛となっているらしい。とんでもない想像力だ。

 隣を見ると雲嵐が虚な目で虚空をみていた。そりゃあそうだよ。一緒に授業を受けているのだ。普段の僕の詩を知っている彼からしてみれば噴飯物の解釈だ。

 言ってはなんだが、僕はあるがままをあるがままに写しとることしかできない。よく言えば純粋素朴、有り体に言えば何の捻りもない凡歌。

 恋の歌と解釈したのか、主上がしきりにこっちを見てくる。居た堪れない。しかも初恋だ。これは良くない。後が恐ろしい。


 けれど、一つ乗り越えて気持ちに余裕が生まれたのだろう。僕はここに来てやっとこの宴を落ち着いて眺め渡すことができた。雅な雰囲気に慣れたせいもあるのだろう。もう終わりが近いというのに。そう思うと不意に笑いが込み上げてきて、さらに気持ちが落ち着いた。遅すぎる。

 僕は歌のことなど忘れて、まるで今初めて見るような新鮮な気持ちで主上や妃たちを見た。

 皆信じられないほど素晴らしく着飾っている。自分を見る。まるで不釣り合いなほどに地味であることにやっと気づいた。侠舜や主上の言ったことにやっと納得がいった。

 けれど居心地の悪い気持ちはしなかった。なぜだろうと思う。自分がこの場に相応しくない人間だと、それが普通のことだから、自分が目立たないのはかえって良いことだと思ったからだろうか。

 次の題が出された。月。

 先ほど皆から注意を向けられとても居心地の悪い思いをしたから、目立たないでいることは好ましいことだと思えた。けど。

 主上を見る。宴の間中ずっと柔かな笑みをたやさず、皆と話を楽しんでいた。けれど今は、難しい顔をして自らの持つ短冊を見詰めながら詩作に没頭している。歪められた美しい眉。詩作が苦手だとおっしゃっていた。

 僕と同じだ。

 お召し物の色も。

 だからか、と僕は気づいた。居心地が悪いと感じなかったのは。

 僕は唐突に理解する。前から知っていたことを今更のように。

 手ずから着けてもらった首環を思い出す。


 視線を上げてもう一度ゆっくりと巡らせた。

 庭のいくつもあった篝火が消えていることに気付いた。赤く燃えていた火が消え、庭は青白く浮き上がって見える。

 人のいない白い庭に、木々の重なり合う影が落ちている。

 さらさらと青褪めた月の光が屋内に差し込んでいる。

 月はいつの間にか傾き、もうすぐ沈んでしまうところだった。

 知らぬ間に、初めは僕のすぐそばまで延びてきていた矩形の光が、斜めに伸び僕から遠ざかっていた。

 屋内に目を転じる。

 衣摺れの微かな音。

 四隅で燃える篝火の赤い火。

 人々の足元に幾重にも複雑に現れ形を変え蠢く影。 

 囁き交わす女たちの声。

 楽し気な笑い声。

 微かに吹き込む風の音。

 白く燃え残る火鉢の炭の小さく爆ぜる音。


 愛とは何だろうという疑問が降って湧いたように脳裏に浮かぶ。

 先ほどの僕の歌を幾人かが褒めそやした。そんなつもりはなかったのに。意図したことではない風に読み解かれ理解されてしまった。

 僕が愛を歌に詠む日が来るだろうか。きちんと理解して。

 この場にいる皆が主上の妃なのだ。皆主上を愛している。不思議だ。

 こうして集まり、美しく着飾って主上を喜ばせ、鈴を転がすような声音で笑う。

 幾人かがしきりに主上の歓心を買おうと話しかける。美しい服や宝石の話をする。

 何かがおかしい。薄絹一枚で隔てられた反対側で催される宴。僕は薄布のこちら側でそれをただ見ているような錯覚を覚える。

 僕は思い出す。この広間に足を踏み入れた時に感じた印象を。

 寒々しい。

 このなにもかもが豪華でこんなにも煌びやかな人々が集まっているのに、ここが空の御堂と同じ空虚なもののように感じられる。

 さっきまではあんなにすごいと感嘆し、贅を凝らし粋を集めた夢の宴のように思っていたのに。

 今、詩作に悩み表情を崩している主上の顔は僕の知っている顔だ。

 先程までの穏やかな笑みを湛えた顔を僕は知らない。

 見たことのない主上だと思った。僕の知らない一面。

 貴妃から話しかけられ、にこやかに答え、笑う。

 呵々と声をたてて。

 知らない。

 皆笑っている。

 墨昭儀。黄昭容。李淑妃。徐賢妃。延徳妃。玲貴妃。

 主上。

 伯母夫婦を思い出す。

 急に寂しさが込み上げてきて、主上から目が離せない。

 この寂しさは誰のものだろう。

 風の音がしてつと外を見ると、濡れるのを免れた色紙が幾枚か風に舞った。

 天の園を模した庭。

 寒風に揺れる花を見た。



 ぼんやりと物思いにふけっていたために、僕の詩は全く進んでいなかった。心配そうな目で雲嵐が僕を見ている。

 僕は詩に意識を集中する。早く完成させなければ。

 外が気になる。どうしてだろう。

 月が気になる。どうしてだろう。

 姦しい女たちの喧騒が僕の耳に他人事のように届いている。僕とは関係ない世界の音として、僕の上を通り過ぎていく。

 歌が順繰りに読み始められる。主上から、妃へ。そして次の妃へ。

 一つ読み上げられるごとに感想が飛び交う。感嘆のため息、称賛の声。

 早く作らねば。

 月の光が薄れていく。

 沈んでしまう。


 僕の番が来た。雲嵐がぼんやりしている僕に教えてくれた。

 僕はただ手元の何も書かれていない真っ新な短冊を見ている。

 そうしてふっと外を見る。開け放たれた壁の向こうに月が一つ。

 外はきっと寒いだろう。凍えるほどに。

 先生が言っていた。詩は自由に心のうちを読みなさいと。


 僕は思いついた言葉を読む。もうどうにでもなれ。詩は自由なのよと先生は言ったのだから。自分も苦手なのだと主上が言ったのだから。


月が独り空に懸かり、白々とした光が内に入り込んでいる。

宴では人々が歌い笑い手を叩きさも楽しい風に振る舞っている。

室内は赤々として暖かい。

外の月は青白く冷たい。

月の宴なのに、誰も月を見ていない。

天の庭なのに、誰も花を見ていない。

月が山に沈んでいく。花が陰に沈んでいく。

宴を抜け出してあの月を探しに行きたいのに。



 場がしんと静まり返った。誰も何も言わない。

 僕ははっとして、深々と頭を下げた。

「詩作に慣れず時間に間に合わせることもできず、ただ思うままに口に出だしてしまいました。忸怩たる思いで、言い訳の言葉もございません。どうぞご容赦ください。」

「場を盛り上げることもできないなんて、自分の役割も果たせないとは嘆かわしい。」

 延淑妃の声が響いた。僕は顔を上げられない。

 少し遅れて主上がよいと言い、一応場は収まった。

 そのまま主上が次の余興へと移るよう指示を出した。女官たちが控えの間から、めいめいの楽器を持って届けてくれた。

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