第24話 妃と宴の始まり

 ほとんど一方的に話しかけられた形になったとは言え、なんとか最初の方々は乗り切った。二人一緒に来るとは想定していなかった。なんとなく彼女らは皆難しい関係からあまり仲が良くないだろうと思い込んでしまっていたのかもしれない。

 まだ四人が残っている。辛い。

 四夫人には表向き序列がない。輿入れの順番でしかないと侠舜から聞いていた。故に皆等しく扱われる。ただし、四人の中で何某かの取り決めがなされていてもおかしくはない。

 僕は次に誰が来るのか分からない緊張で落ち着かなかった。

 見ていると三人の侍女を従えて一人の女性が登場した。堂々とした立居振る舞いと衣装の煌びやかさに目を奪われる。

 宝石をいくつもあしらった小さな鈿子を頭に乗せ、鮮やかな空色と薄紫の襦裙に羽飾りの付いた扇で口元を隠しながらやってくる。

 近づくにつれその顔がはっきり見えた。他者を睥睨するような視線の力強さと意志の強そうな眉が印象的な妙齢の美女だった。背は高くないし線の細い体つきであったが、その与える印象は本人を大きく見せるようだった。

 こちらから顔が分かるということは、相手からも分かるということだ。僕はすぐに手をついて顔を伏せた。先の御二方も面を伏せるのがわかった。

 僕の目の前まできて足を止める。

 誰何の声を受けて僕は顔を上げた。生き物を観察するような無感動な顔が予期せず目に飛び込んできた。しかしすぐにその表情は驚きに塗り替えられる。微かではあったが。そうしてすぐに今度は怒りのような表情が現れた。何に怒っているのか僕には分からない。

 強く睨まれ一瞬挨拶が遅れた。

 声が震えそうになるのを取り繕って口上を述べたが、無言という返答が返ってきただけであった。

 目の前の女性は、僕から無理やり視線を逸らすと、黄昭容、墨昭儀の挨拶にそれぞれ一言返して通り過ぎた。

 彼女は右二番目に座った。李淑妃。座った後もこちらを気にする風に時々視線を寄越しては、後ろの侍女と囁き交わしていた。侍女たちの目も厳しいものだった。

 しばらくして次の方が現れた。

 淡い黄色と紺の衣装であったが、金糸銀糸で刺繍が施されている。裳裾には銀糸で美しい花々が描き出され、今宵の宴に準えた衣装であることがわかる。身につけている装身具もどれも緻密な細工が施され高価なものであることが一目でわかった。

 その口は堅く引き結ばれ、厳しい表情を浮かべていた。それがもともとなのか作られたものか判別がつかなかった。ただ、彫像のような美しさだけがあった。

 その鋭い目が僕の上を滑り、僕の喉元を見た目が驚いたように見開かれ、そして再び僕を見た。

「祥賢英と申します。この度は主上より申し仕りまして参上いたしました。地上の月と見紛うばかりの美しき方と陪席させていただくこと、畏れ多くも嬉しく思います。目が霞むほどの美しさに、天も春が来たと思い出して今宵は雪のことなど忘れてくれるでしょう。」

「衣装も口上も月並みですこと。少しは勉強されたようですけれど、生まれついての素養は偽れません。ここはあなたのような者が来る場所ではございませんのに、なぜいらしたのです。宮の奥深くに隠れていればよかったものを。さもなければ、主上からいただいたそれを持ってすぐに宮から出て行ったらよかったのに。愛されていると勘違いをして、のこのことこんな場所にでてくるなんて、浅はかにもほどがあります。」

 声は大きくないのに、言葉の一つ一つが降り注ぐ玻璃の破片のように僕の心を傷つけた。歯を食いしばって笑みを崩さないように口角に力を込める。

 冷たい目で僕の首元を見ながら続ける。

「子供の浅知恵で生き残れるような世界ではありません。今一度身の程を振り返るがよろしいでしょう。水面に映る月は、手を差し込めば形を崩し決して掬うことは叶いません。」

 そう言うと、呆然とする僕を横目に席についた。左の二番目。徐賢妃。

 体を支えていられない。人に知られぬよう深く息を吐く。まだ二人も残っているのに。

 入口の方から今までと違う気配がした。甲高い声が落ち着いた声に混じって響いてくる。楽し気な会話が、内容まではうかがいしれないが、小さく聞こえてきた。

 そうして、次に現れた方はおっとりと表現するにふさわしい柔和な顔付きをした佳人だった。ふっくらとした頬は血色がよく、目鼻立ちのはっきりした異国風の美しさがあった。しかし、その妃よりも目が行くのは、一緒に入ってきた小さな男の子の方だった。

 僕は混乱した。男子禁制という話ではなかっただろうか。僕がいるのは主上からの許可があったからで、今まで皇子が出席したという話は誰からも聞いていなかった。

 見ると他の妃たちも言葉を失っているようで、これが当たり前のことでないことが分かった。

 その場にいる皆が凝視する中、その女性は一人皆の視線に気づかないようにこちらへやってきた。

 そうして、口元を扇子に隠しながら、芝居がかった仕草で、僕を今初めて見つけたという風に驚く。

 その芝居がかった仕草すら可愛らしい。

「男子禁制の場に何故男が紛れ込んでいるのかしら。もしかして男の形をしているがあなたは女なのかしら?誰か、この者を早々につまみ出しなさい。主上に媚び諂って取り入った卑しい者の顔など、この子に良くない影響しかないわ。」

 僕は挨拶の機会をうかがっていたが、その言葉に絶句する。

「延徳妃、控えなさい。主上の許しを得てその方はここへいらしているのです。あなたの命でどうこうできることではありません。そんなことよりもまず自らの行いを顧みなさい。なぜこの場に琉偉皇子を連れてきたのです。ここは男子禁制ですよ。それに聞くところによると、皇子は先ごろまでご病気で臥せっていらっしゃったとか。このような場に連れてくるなど。」

 徐賢妃が鋭い声を上げて立ち上がった。

「何をおっしゃいます。この者が同席を許されるのならば、私の可愛い息子も許されて当然でしょう。それに私の子はもうすっかりよくなりました。自分の子が風邪で連れてこられないからと、僻むのはおやめなさい。みっともない。」

 矛盾している。発言が支離滅裂なのに、しかし本人には気にした様子がない。


「何を騒いでいるのです。」

 張り詰めた空気を裂くように、高い声が響いた。

 振り返るといつのまにか、最後の妃、玲貴妃が立っていた。

 最も印象的なのはその髪だった。異国の姫であることがすぐに察せられる美しい金の髪をしている。大柄な体躯ではあるが、線が細く優美で、輝くような美しさがあった。

 その立ち姿は堂々として、威厳に満ちながらたおやかな女性らしさを少しも失っていない。けれど、両の目が細められ、周囲を抜かりなく窺うような、抜け目のない印象を与えた。口の端が僅かに持ち上がり、状況を面白がっているのがわかる。もしかしたら、嘲りも含まれていたのかもしれない。

 辺りを見回して僕に気付いて一瞬目を止めにやりと笑ったように見えた。けれど、すぐに延淑妃が皇子を連れていることに気付いたようで、驚きが顔に浮かんだ。

 そして、彼女は興味深そうになぜ男子禁制の場に自らの皇子を勝手に連れて来たのかと問いただしたが、延淑妃は先ほどと変わらぬ理由を述べるだけだった。

 彼女は本当に自分に非があるとは考えていないようだ。

「毎年退屈な行事だと思っていたけれど、今年は楽しくなりそうね。今少しこの茶番を見ていたいけれど、もう時間がありません。延淑妃、申し開きは主上に直接なさってください。もうまもなくいらっしゃるでしょう。さぁ、皆も席についてください。」

 そう言って両の手を叩く。

 それが鶴の一声のように、各々がそれぞれの席へ移動し始めた。

 延徳妃と皇子が左側の一番目、玲貴妃が右側の一番目の席についた。予想外の展開が続いたけれど、なんとか乗り切った。どっと疲れが押し寄せてきた。まだ始まってもいないのに。

 予想外の出来事で、その場の雰囲気に飲まれお二方に挨拶もできなかった。

 僕は事前に妃たちとは挨拶のためにいくつかの口上を考えていたし、一言二言当たり障りのない会話も事前に想定していた。実際それらが役に立つかはわからなかったけれど、まさか挨拶もできない事態になるとは思わなかった。

 この後が本当に思い遣られる。大丈夫だろうか……。

 そっと振り返ると雲嵐が慰めるように頷いてくれた。それに励まされて、折れそうな気持に喝を入れる。


 剣呑な空気が収まらないまま、主上がやってきた。主上は何かを察したように片眉を上げたのが見えた。瞬間、妃達は皆姿勢を正し主上の方へ向き直り頭を下げる。僕もそれに見習った。

 主上は何も言わずに席に着いて、頭を上げる許可をだす。そして、座を見渡すように視線を巡らせ、延徳妃が皇子を連れていることに気付いて驚いたように目を見張った。

「紅花、なぜ私の許しもなく琉偉を連れている。ここは男子禁制のはずだが。」

「主上、将来はこの子が天子になるのですもの。今から参加してもおかしなことはないでしょう?もうすっかり健康になって、こうして宮の外も出歩けるようになりましたの。主上ともたくさん話をして、絆を深める機会を作らなくては。」

 主上が絶句している。

「それはならん。」

「何故ですの。私の子がこの場にいるのを禁ずるのなら、あそこにいる卑しい子供も追い出してくださらなくては。いえ、この子はここに残ってもおかしなことはございませんわね。だって主上の御子なんですもの。」

「賢英は私の寵を受け、私が特別に許可をだしたのだ。立場はそなたら妃となんら変わるところはない。故に、この宴にでることも許される。しかし皇子は違う。本来ならば皇子がここに参列することは叶わぬ。此度は見逃すが、次回からはないと心得よ。宮へ琉偉を連れていけ。」

 有無を言わせぬ厳しさを持った言葉が辺りに響いた。

「……畏まりました。」

 そういって延淑妃が頭をたれた。即座に延徳妃の侍女の一人が皇子を伴って退場していく。それによって場の緊張が和らいだ。

 暮六つの鐘が鳴った。

 主上が一つ咳ばらいをして宴の始まりを宣言した。

 すぐに女官たちが現れ、各席にお茶を用意していく。席が整うと、主上が一つ柏手を打ち、余興が始まった。



 庭園の炎の数が増やされたのだろう、外は昼間のように明るくなった。闇に溶けていた櫓に篝火が高く低く燃えて見える。

 暁明を始め幾人かの男が並んだ。聞いていた通り暁明は弓の実演を行った。雪の庭に下り立ち弓を構える姿は美しかった。

 三本の矢を連続で飛ばし的に全て当てる速射や陶器の皿を飛ばしそれを全て射貫く射的が行われた。どの人も素晴らしい技術を披露してくれた。僕の習う弓は儀礼用なので、このような弓は習っていない。

 僕は拍手を惜しまなかった。

 弓の奉納が終わると、火鉢が持ち込まれ、場が整えられた。次に現れたのは侠舜だった。

 侠舜はなんと歌を披露するのだそうだ。手ぶらで僕たちの前に現れ、僕がいぶかしげにみていると、その周囲に楽器を持った人々が集まって曲を奏でだした。神代の時代に活躍した男とその男が救い出した女性の恋の曲だった。

 朗々とした声が響く。甘く低く鋭く高く穏やかに猛々しく、侠舜の歌声が響いていく。

 僕は感動して夢心地で侠舜が一礼して退出するのを見ていた。

 他にも楽器の演奏や女性の優美な舞、男性の勇壮な剣舞も行われた。どれも僕には目新しく心躍る催しだった。

 主上をはじめ、皆にこやかな笑みを浮かべて宴は進んでいった。

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