第23話 妃

※女性の美しさ、衣服を表現する語彙が足りない。けどそれよりも人物の作中での呼称。おかしなところに最初からお気づきだとは思いますが色々お許しください。もう直せません。頭おかしくなる。中国ドラマを見ようと思いましたね……


 開始の時刻まで三人で卓を囲んでお茶を飲んでいた。

 今日は二人も盛装をしている。侠舜など素が美しいだけに、普段と違う装いをするとそれだけで場が華やぐ。紺の上下に銀糸の刺繍が素晴らしい。松と鶴の意匠に雲や亀甲などの幾何学模様があしらわれている。

 彼が宴で何を披露するのか訊いてみたけれど、秘密ですと言われてしまった。憂鬱さと緊張で気持ちが沈みがちだったが、主上以外の楽しみができて少しだけ前向きな気持ちになる。

 それに雲嵐もいる。緊張した面持ちだがそれでも彼は平素と大きく変わらない。それに今日は雲嵐も僕と同じに着飾っている。僕の服が服なので、それに合わせて彼が着ているものも一見すると色味の落ち着いた、言うなれば地味な装いだった。けれどちゃんと見れば細部まで拘られた刺繍が美しい。

 今日は侠舜は宴を盛り上げる立場なので、珊瑚宮まで同行するだけで、一緒にはいられない。先ほどから宴の注意点や問題が起きた時の対応方法などを雲嵐と話し合っている。控えの間には主上の世話をする従僕が待機しているので、雲嵐で対応できない時は指示を仰ぐよう、侠舜が繰り返し話していた。

 そうだ、今日は二人に直接頼ることができないのだ。

 けれど雲嵐と二人なら大丈夫だと思えた。そばに居てくれるだけで心強かった。


 そろそろお時間ですと侠舜に声を掛けられ、心の中で自分に喝を入れて僕が立ち上がると、扉が叩かれ主上が顔を見せた。

 僕らは驚くと同時に一礼する。すぐに面を上げる許可がおりて僕らは主上を見上げた。

 以前の装いも素晴らしかったけれど今日のお召し物も素晴らしかった。濃い赤地を黒が引き締めている。刺繍の意匠は僕よりも大きい竜だった。小ぶりの冠を頭に乗せ手に象牙の笏を持っている。なんとなく僕の服に似ている。

 突如現れた主上に三者の視線が集まった。

 しかし主上はそんな視線など気づかないようで、顔を上げた僕を真っ直ぐに見て少し驚いた顔をするとすぐに破顔した。とてもよく似合っていると、ためつすがめつするようにひとしきり眺めて頷いた。似合うと言われて僕は照れながらも嬉しくなった。

 すぐに近寄ってくる気配。

「主上、いけません。今日私は化粧を施されておりますので、口紅が付きます。」

 そういってすかさず近づいてきた顔を押し留めると、今度は両手を広げる。

「それも駄目です。白粉が主上のお召し物に移ります。」

 行き場を失った手のひらが持ち上げられる。

「女官たちが一生懸命結い上げてくれたのです。始まる前から髪が乱れてしまっては申し訳が立ちません。」

 今度こそ主上は憮然とした顔をした。恨みがましい視線を寄越してくる。

 仕方ないでしょう……。

 僕に見せつけるように大仰にため息をつくと、主上が自身の装身具に触れる。

「これを着けていけ。その服はお前によく似合っているが些か地味だ。女たちはもっと華やかだぞ。それでは埋もれてしまう。そのまま。」

 そう言って主上が身につけていた首飾りを外すと、主上が手ずから僕に着けてくれた。満足そうに頷く。これでも指や腕や耳にそれぞれ小さくはあるが立派なものをつけている。女官に勧められるままに着けたのだがまだ足りないらしい。いくつかは重くて断ってしまったけれど。

 さすがに主上の希望は断れない。

 ありがとうございますと一礼し、侠舜に促されながら僕たちは部屋を出た。


 月階の節会は日の入り後暮六つの鐘から始まり、二刻から三刻程度の宴だそうだ。

 最初は主上の挨拶から始まり、舞や弓、楽器などの名手がそれぞれ奉納し、食事を挟んで後半は八人の遊びとなる。遊びといっても庶民の指す遊びではなく、詩歌や楽器の風流なものである。

 歓談を交えながら進行していき、最後に主上からこの日一番場を沸かせた者に、前半と後半でそれぞれ一人褒美を取らせるのだ。

 褒美は基本的に主上が身に着けている装身具であり、それは家臣として最も誉れ高い褒美と言われているそうだ。


 僕は雲嵐をつれて一番に会場に足を踏み入れた。

 宴の行われる雪見の間は、広く天上が高かった。柱や梁には暗くてよくは見えないが、緻密な彫刻が施されているようだった。その広間中央には八つの席が設けられている。席と席の間隔は大きくとられているが、それでも床面に対して使用する部分が小さく、解放部から吹き込む風と白々しい月明かりと合わせて寒々とした印象を与えた。

 広間の壁三面にはそれぞれ東面に春、北面に夏、西面に秋の壮麗な絵画が描かれている。それぞれの面にはいくつかの窓があったが、複雑な窓枠とその中に浮彫で作られた樹木や花や鳥が嵌め込まれ、周りの絵画と調和している。はめ込まれた玻璃から外の光が漏れ入って来て、床に美しい影絵を落としている。あまりのすばらしさに目を見張った。

 北面は開け放たれた雪の庭となっていた。その庭には今篝火がそこかしこに焚かれ庭を朱く照らしている。無数に散らされた色紙が、雪の上で美しい色彩を見せていた。庭の向こうには丸い月が浮かび、松の影が景色をさらに趣深いものにしている。

 板の間に半円を描くように用意された八つの席の中で、一段高く一番豪華に設えられている席が目に入った。主上の席だとすぐにわかる。天蓋が吊り下げられ、その下には幾重にも重ねられた敷物や毛皮が広がり零れ、ひじ掛け、大きく厚い座褥がいくつもあつらえられている。

 そこを中心にして左右に半円上に席が広がる。序列の高い女性が主上の側に座る。僕は一番末席の主上から見て左側四番目の席だと、案内してくれた女官から聞いていた。

 全ての妃の席には肘掛や敷物座褥など基本的なものは全て用意されていた。

 座の中央とそれぞれの席に一つずつ火鉢が置かれ、広間の四隅には篝火がたかれていた。

 僕はしばらく茫然と眺めた後で雲嵐に促されて自分の席に着いた。雲嵐が僕の斜め後ろに控える。雲嵐と感想を交換したかったけれど、恐らくそう時間もかからずに後宮から妃たちがやってくる。雲嵐と話をしているところを見咎められでもしたらと思うと会話もままならなかった。


 じっと他の参加者たちが会場入りするのを待った。思った通り、さほど時間の経たぬ間に廊下から衣擦れと履物の音がした。振り返ると、広間左手の入り口からちょうど女性が幾人か連れ立って入室してくるところだった。

 華やかな衣装の裾を引き摺っている。

 一番に目に入ってきたのは、背が低く黒目勝ちで好奇心の強そうな目が人を引き付ける女性だ。鈴をころがすような声が艶やかな唇から紡がれる。薔薇色の頬に小さいえくぼがかわいらしい。薄桃色と萌黄色の祷裙に白や赤の小花の簪がいくつもちらちらと頭の上で揺れている。侍女を二人従えているのを見て、彼女が妃の一人だろうと思った。

 一緒に入ってきたもう一人の女性は、すらりと背が高く秀でた額と理知的な目が印象的な美女だった。無表情が幾分冷たい印象を与えるが、一人目の女性とは対照的な美しさだ。衣裳も薄黄色と翠色の祷裙。梅の花を模した簪が髪に刺さっている。こちらは年嵩の侍女を一人しか連れていなかった。

 どちらも寒いのだろう肩掛けを抱きしめながら歩いている。おしゃべりする小さな声が空ろな空間に沁み込んでいった。入ったときから僕に気付いていたのだろう。裳をなびかせながらまっすぐ僕の方へやってくるのが見えた。緊張する。

 二人は侍女を引き連れてまっすぐやってくると、少し離れたところで立ち止まり、わずかに目を見張って僕を凝視した。一瞬時が止まったような錯覚がして、すぐに意識を取り戻した背の高い女性がもう一人の女性の腕に軽く触れた。それに気づいて、背の低い女性が扇で口元を隠しながら、表情を取り繕って僕の前まで進み出る。

 僕は座ったまま床に両手を突いて礼を取り名乗った。

「お初にお目にかかります。祥賢英と申します。此度は月の女神もかくやという美しい女性ばかりの宴に、幸運にも主上より参加を許され、こうして参上いたしました。高貴なる方々にこのように拝謁する栄を賜り、また参加をお許しいただきました皆様には感謝の念も堪えません。本日はこの月光の宴を盛り上げる一助となればと思います。どうか、この良き月夜の出会いが、私たちの間に橋を架けんことを。どうぞ、以後お見知りおきください。」

「そう、あなたが。噂は後宮まで届いております。あなたに会えるのを楽しみにしていました。本日お会いできて嬉しく思います。丁寧なご挨拶ありがとうございます。私は黄家が娘、黄茉莉と申します。雪の庭で遊ぶ天女が月の糸で織る領巾に、今宵新たな横糸が通されるでしょう。以後お見知りおきくださいませ。」

 そう言って女の子らしいかわいさで一礼をする。この人が黄昭容。僕は必死に顔と名前を一致させる。

「私は墨瑞芳と申します。橋を架けたくとも、月は今宵を境に欠けてゆきましょう。」

 そして、墨昭儀。

「ですが、月はまためぐっていきます。」

「良き出会いに。以後お見知りおきください。」

 小さく一礼された。

 ほっとしている側で黄昭容が話始める。

「後宮ではあなたの話でもちきりなの。主上の心を射止めた殿方はどんな方かしらって。侍女たちからも、今日この場にあなたがいらっしゃるという話を聞いて、連れて行って欲しいってみんなにせがまれたのよ。すごく若いとは聞いていたのだけれど、噂はあまりあてにならないのね。女の子みたいなかわいらしい子を想像していたの。主上はあなたのこと全然お話してくださらないから。」

 そう言って上目遣いで隣を窺う。

「でも実際会ってみたらびっくりしたわ。全然予想していたお姿と違うんですもの。背も年の割には高いし、顔つきも思ったより男らしいのね。でもどこか子供っぽいところが可愛いわ。主上はこういう方が好みなのかしら。」

 僕を見つめながら小首を傾げる仕草が信じられないほどに似合っている。けれど僕に聞かれても困る。

「どう?もうこちらでの暮らしには慣れました?あなたが女性だったら後宮でおしゃべりもできたのに。何せあそこはいつも同じ人しかいないでしょう?あなたが来てくれたら、新しい話相手になってもらえたかもしれないのに。残念。主上が新しい妻を迎え入れてくれないかしら。ね、瑞芳、あなたもそう思わない?」

「私はこれ以上人間関係が複雑になるのは好みません。」

 墨昭儀は口数が少ない方なのだろう。

「あら連れないわ。ねぇ、あなた普段は主上とどういうお話をなさるの?私たち、最近は滅多に主上のお渡りがないから、主上の普段のご様子や後宮の外でのご様子、お仕事振りなどあまり知る機会がないの。もう何年も前に婚姻を結んだのに知らないことだらけ。まぁ私の至らなさのせいなのだから仕方がないのだけれど。」

 墨昭儀が再び、悩まし気な表情の黄昭容の腕に軽く触れる。

「そうね、ごめんなさい。それでね、他の方たちはどう思っていらっしゃるか存じ上げないけれど、私はあなたに興味があるわ。できたら仲良くなりたいけれど、もう時間がないの。残念。あなたのおかげで後宮は。」

 そこまで捲し立てたところで、再び通路のほうから人の来る気配があり、黄昭容は口を鎖した。

 すぐに墨昭儀と一礼して僕の前から立ち去り、それぞれの席についた。墨昭儀は僕の隣、黄昭容は僕の向かいに座った。

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