第10話 勉強

 本格的に授業が始まるとあっというまに暇な時間がなくなった。

 毎日が本当に辛い。授業が始まるまでは、本当のところ甘く考えていたと思う。基礎の部分から僕はもの知らずだったのだと思い知らされた。

 書道はそもそも文字の書き順から間違って覚えていた、というよりは書き順に意義を見出していなかったために、美しい文字を書く段になって、それが必要であることが突如判明したのだった。ただ生活していくだけならば、文字は読めさえすれば良かった。けれど、貴族社会では読めることはそもそも前提でしかなく、その先に文字の美しさが求められた。それが教養なのよと先生は言った。

 法律の授業では、法律書が古い時代に書かれた書物であるためにまず古語の知識が要求された。さらに、日常的に使わない単語と表現が多く、読むだけで大変な労力が要求された。教師にも言われたのだが、さらに論理的な思考が必要で、書かれ方ひとつで細かい部分の意味合いに差が生じ、それが最終的に大きな解釈の違いへとつながるのだ。日常、一つ一つの言葉を適当に使うことが、思慮に欠けた行いであったのだと思い知らされた。

 言葉遣いも、話す相手の立場や役職で使うべき敬語が違い、ただの挨拶でも季節や時間で工夫が求められ、詩や歌の引用、果ては古文からの引用と連想などを組み込むことが求められた。さらにそれを応用した修辞表現は多岐にわたった。状況によっても簡易な挨拶から、正式な規則に則った長ったらしい挨拶を使い分ける。そしてそれを可能とするのが、宮殿にやってくる者たちの顔と名前と役職を一致させることだった。

 勉強が始まる前は、ただ習ったことを暗記すればいいと思っていたけれど、そうではなかった。その言葉の語源、その作法の意味と歴史、貴族特有の考え方など、基盤となる部分をきちんと理解しないと、似たような事柄同士の区別がつけられなかった。それは引いては、臨機応変な対応ができるかどうかに関わってくると、どの教師からも耳が痛くなるほどに言われ続けた。僕には貴族の常識がないために一から学ばなくてはならず、本当に大変だった。

 体を動かす稽古事もやはり頭で考えることが求められた。弓は特に儀礼的な場で披露される技術であるために、的に当てるのと同じくらいに儀礼的動作が重要であった。

 舞にも時代ごとの分類があり、その派生としての型、地方に特有の型、各種の曲の理解などが求められた。

 僕は徐々に精彩を欠いていった。やってもやってもわからないことがでてきて、絶望的な気持ちにしかならなかった。唯一分かったことは自分が物覚えの悪い人間だったという事実だけだった。

 侠舜を始め教師の多くは厳しく、そんなこともわからないのかと叱咤され、その程度もできないようでは主上に顔向けできないと言われ、そんなこともできなくて恥ずかしくないのかと責められた。

 そういわれるたびに、自分が幼く無知な子供のような気がして自分が何一つできない人間のようだと思った。


 最近主上がよく僕の部屋へ来る。暇なのだろうか。先触れを出せ。

 僕は頭も体も疲れ果てて、食事の合間の会話に適当に相槌をうつだけの人間になり果てていた。できることなら顔を見たくないと思っていた。自分が責められる原因が主上だったからだ。

 ことあるごとに主上に恥ずかしくないのかとみなに言われ続ければ、馬鹿な自分が情けなくて会いたくなかったのだ。

 それなのに、主上はそんな僕の気持ちを理解せず、僕をまるで本当の子供の用に扱うせいでますます落ち込んでしまうのだ。夜の勉強中に、無理やり膝の上に抱えあげられて終わるまで下ろしてくれない。覚えが悪いのを見られるのが苦痛だった。

 ただ、疲れているのを察してか寝台の中で僕をからかうことはなくなった。



 主上からの希望により僕が怪我する可能性のある乗馬と剣舞の授業だけは、全ての勉強の中で最も指導が優しく、かつ求められる到達点も易しかった。その上先生も親切だった。

 特に最も歳が近い乗馬の教師である劉暁明には、何度かの指導を通じて一種の憧れのような気持ちを抱くようになった。彼は自然とこの宮殿の中で僕の一番親しい人間になっていった。

 何度目かの授業のときに、馬の世話をしながら話をしてみると暁明先生も平民の出身であることがわかった。馬術と弓の才能があり先の戦争で功績を挙げて出世したという。特に馬の扱いが上手くどんなに気性の荒い馬や繊細な馬でも乗りこなすことができるということで、僕の馬術の指導教師として選ばれたという。その若さで皇帝の覚えもめでたいのは、心から称賛に値することだと思った。

 すごいと誉めそやすと、先生は照れたように、本当は候補にはもう一人いたのだけれど、その人が怪我でしばらく休養を必要とする状態となったために自分が選ばれただけだと告白してきた。けれど、僕は選ばれたのが暁明先生でよかったと思った。その驕らず、事実を語る正直さも好ましいと感じた。

 しかも出身が、幼いころの僕が両親と一緒に暮らしていた場所からそう遠くないということが判明して、親近感が否応なく増していった。

 人生経験の豊富な先生は僕の悩みや愚痴を嫌な顔一つせずに聞いてくれる。こんな兄が居たらよかったのにと思うようになっていった。

 いつしか僕は馬術の授業を待ち遠しいと思うようになった。

 だから僕は主上に馬術が最近楽しいこと、もっと上手くなりたいから馬術の授業を増やして欲しい旨を無邪気に話した。快く受け入れてもらえると信じて疑わなかったけれど、一言の内に却下された。

 僕はその日の食事の席を機嫌悪く中座した。幼い振る舞いだったと後で反省した。


 その日から僕は主上とは必要以上に会話をしなくなった。主上は苛立っているように見えたが、僕は大人としてその態度は間違っていると非難の視線を向けた。

 辛い授業は変わらず辛いままだった。主上は部屋に来なくなった。僕は授業が取り消されて、家に帰される日は意外と遠くないかもしれないと考えた。ただ、暁明先生と会えなくなるのは嫌だなと思った。あの穏やかな笑顔は僕の心のよりどころだった。

 

 ある日、侠舜が授業の終わりに、馬術の授業について僕に聞いてきた。彼は二つの授業を受け持ち、かつすべての授業の監督者でもあった。だから、定期的に授業についての感想を聞いてくるので、少しもおかしいと思わなかった。彼は僕の授業の感想という名の愚痴をきいても頑張りましょうとしか言わないのだ。

 僕は正直に馬術の授業が楽しいと告白した。暁明先生が優しくて、相談にも乗ってくれるのでとても助かっていること、まるで兄のように感じていることをつらつら話した。

 それから、侠舜からも馬術の授業を増やしてもらえるよう主上に頼んでくれないかと言ってみた。

 彼は考えておきますと言って、部屋から出ていった。

 僕はただ希望が叶ったらいいなと思いながら、次の授業の準備をした。


 翌日、暁明先生が僕の教師の任を解かれたと知った。理由は、本来の教師役の人の怪我が治り復帰したからということだった。

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