第14話 思わぬ展開

 その後3日間は通常業務に追われた。その間、早坂が動画を撮影し、菅崎専務を脅迫しているのでないかという推測以上の進展はなかった。午後になって、総務部の自席で解雇の違法性を訴えた裁判の判例に目を通していると、新人の文書配達係から門脇宛の封書を手渡された。門脇の名は丁寧にも墨で書かれていた。裏を見ると、監物の母親からだった。

《拝啓 このたびは過分な弔慰金をいただきありがとうございました。会社の皆さまに、愚息秀明が多大なご迷惑をおかけしたにもかかわらず、このような大金をいただき、何とお礼を申し上げていいやら、言葉もございません。》で始まる手紙は、会社側の窓口として遺族である母親に、何かと手を尽くした門脇への礼状だった。

 監物の死に関しては、会社側は過労状態にあったと完全に非を認め、労災であることも争わない姿勢でいたが、それとは別に、監物の会社に対する貢献をも認め、特別に慰労金を支払うことにしていた。額は二千万と聞いている。それに、会社の給与規定よる死亡退職金が八百万ほどあるはずだ。それが、配偶者も子もいない監物の場合には遺族として母親に支払われたのだ。勿論、手続き上遅くなるが、労災の方でも、遺族補償年金が支払われることになっている。これらを申請する煩雑な手続きを、すべて手伝ったのが門脇だった。また、監物の葬儀にあたって、親類も少なく栃木でひとり暮らしをしている母親の代わりに、葬儀社との打ち合わせから始まって、さまざまな手配を取り仕切ったのも門脇だった。

 門脇としては、当たり前の本来業務だと思っていたので、特別に力を入れてやったという認識はない。むしろ、ひとり息子をなくし心細い気持が顔に溢れていた母親に接すれば、誰でもそのぐらいのことはするのが人間として当然だという思いだった。礼状をもらったのは嬉しいが、ことに、二千万の特別慰労金の額を決めたのは総務担当役員である菅崎専務なので、何とも気恥ずかしい気さえした。

《おかげをもちまして墓も決まり、近々、納骨の予定でおりますが、さぞ、秀明の霊もこころ安らかに成仏できるものと思っております。》

 礼状はこのような文面で続き、門脇が面倒をみた葬儀や労災の手続きに対する感謝の気持もこと細かく綴られていた。終わりの方になって、会社の上司や同僚に対し、自死によって仕事を中断したことをまことに申し訳ないと詫びる言葉が述べられていたが、その後に続く文面が門脇の眼を見開かせた。

《ひとつだけ、こころ残りのことがございます。秀明には、社内でお付き合いをしていた女性がいたらしいのです。生前、自分としては結婚してもいいと思っていると申しておりましたが、名前を尋ねても、相手様のお気持が判然としないらしく、教えてはもらいませんでした。わたくしとしては、是非その方にお会いして、ご迷惑をおかけしたであろう息子の非礼をお詫びしたいのです。もし、息子の死に責任をお感じになっていらっしゃるなら、そんな必要はないとお伝えしたいのです。しかし、お名前を存じ上げないので、それもかないません。門脇様がその方をご存知でしたら、どうかお詫びの言葉をお伝えいただけないでしょうか。切にお願い申し上げます。

右、お願いかたがた伏して御礼申し上げます。敬具》

 監物には、社内で交際していた女性がいたという。監物は結婚してもいいと言っていたのだから、かなり親密な交際をしていたように思える。しかし、相手の気持が判然としないというのは、監物の一方的な思い込みということもないとはいえないので、男女の仲ばかりは、どういう交際をしていたのか、一方の話しから断定することはできない。勿論、お詫びの言葉を伝えてくれと言われても、誰だか分からないのでそれもできない。

 そう言えば、研究開発部の同僚である睦月三郎も「ひょっとしたら、女ができたんじゃねえか」と言っていた。睦月は、だからこそ自殺するような精神状態とは思えないという言うのだった。

 どういうことなのだろうか? 監物の自殺の原因は過労によるものだけだと思っていた。本当に、それだけなのだろうか? 自殺に至る負の精神的な状態への要因はひとつだけとは限らないのかもしれない。

 恋愛は人を楽しませることも悲しませることもある。睦月の言っているのは、恋愛がうまくいっていれば、という条件つきに過ぎない。うまくいっていれば自殺は考えにくい。だが、うまくいっていなければ逆にいっそ死んでしまった方が楽だという悪魔の囁きにもなるだろう。

 監物の恋愛はうまく進まなかったのではないか? 過労で鬱状態になっていた上に、交際相手ともめるようなことがあった。それが自殺への引きがねになってしまったのではないか?

 しかし、監物は母親と同僚宛に遺書を残したのに、交際相手には書き残さなかったのか? それは不自然な感じがする。監物にとって大事な人間は母親なのは分かるが、交際相手も母親同様に大事な人のはずだ。同僚にまで書き残しているのだから、交際相手宛ての遺書がないのはおかしい。

 門脇はふとあることを思いつき、携帯電話を手にし、鈴木瑪瑠理伊の番号を押した。瑪瑠理伊は一時間後にセキュリティセンターに来て欲しいと答えた。



 セキュリティセンターの休憩室では瑪瑠理伊が待ち構えていた。

「何か新しいことが分かった?」

「二人の密会の映像を撮った人物の目星がついたよ」

 菅崎専務と楢沢響子のマカオでの密会の映像を、瑪瑠理伊がコンピュータシステムの中から偶然見つけた。それを撮影した人物が、どうやらポリエチレン事業部長の早坂らしいことが分かったと門脇は告げた。

「何の目的で、システムの中に落とし込んだかまでは分からないけどね」

「そっか、本人に直接訊くってわけにはいかないしね……」

「そのこととは別なんだけど、自殺した監物には交際していた女性、それもわが社の社員なんだけど、それがいたことが分かったんだよ」

「えっ、どういうこと?」

「監物のお母さんからお礼の手紙が来て、それに付き合っていた女性がいたって書いてあった」

「そうなの。監物さん、恋愛してたんだ……」

「それが誰だか、母親に名前も言わなかったらしく、分からないんだけど」

「監物さんはお母さんと会社の同僚に遺書を残していたけど、その人にも何か伝えたいことを残さなかったのかなあ?」

「そうだよね。きみもそう思うよね」

 やはり、瑪瑠理伊も門脇と同じ考えに行き着いたようだ。

「その人宛の遺書があってもよさそうな感じがする」

「それが見つかってないんだから、郵送したのかもしれないな」

「監物さんは、夜中にひとりで仕事をしていて鬱な気分になって、それで飛び降りた。飛び降りる前には、ちゃんと遺書を書き残した。そうよね?」

「そんなところだと思う」

「そうすると、そんな時に封筒と切手は手元にはない。だから、おかあさんに宛てたものも自分で持っていた。ということは、監物さんは好きな人に宛てたものも書いて持っていたんじゃない?」

「でも、発見されていない。遺体を初めに見つけたのは、菊池主任と警備員だけど、菊池主任はすぐに一一〇番通報して警察を呼んだ。駆けつけた制服の警察官は刑事課に連絡。数分後に刑事と鑑識が来て、遺体を調べて上着のポケットから二通の遺書を発見する。そこには、女性宛ての遺書はなかった。第三の遺書はどこに行ったのか?」

「菊池主任が上着から抜き取った? でも、日頃から規則に厳格な主任がそんなことをするなんて考えられないよー。警備員と二人で遺体を見つけたんだし、警察が来るまで、二人でそばにいたって言ってた。そもそもそんなことをする理由がないもの」

「そうだな。あの人柄から考えて菊池主任が抜き取ることは考えられないな。ということは、別の誰かが抜き取ったことになるけど……。うーん、いずれにしても、今はその辺のことは分からない」

「あのね、今思いついたんだけど、見つかっている二通の遺書はパソコンで作られているから、三通目もデータとして残っているかもしれない。業務に関係するデータは、会社のシステムサーバに記録されるけど、個人的なものは、使っているパソコン端末のローカルハードディスクを使っているはず」

 と瑪瑠理伊は声を弾ませて言った。

「ひょっとして、監物の個人データは全部消去したけど、復元できるかもしれないということ?」

「そういうこと。やってみる価値はある」

「よし、分かった。これから研究開発部に行って、坂本リーダーにパソコンを見せてもらうように頼む。オーケーが出たら連絡するから、すぐに来て」

 門脇は、沸き立つような気分だった。ここに来て、突然疑問の解明が前進したのだ。

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