第12話 コンピュータシステムの中に……

 その後、一週間が経過した。その間に渋沢副社長の辞任が発表されたが、山瀬の言ったとおり、渋沢は持病が悪化したためこれ以上の業務には耐えられないので自ら退任を申し出たというものだった。当然、いくつかの事業本部長という役職も退いた。社内では、渋沢の六十代半ばという年齢から、持病の悪化という説明は自然に受け止められたようだ。門脇のように取締役会出席者から真相を直接聞いた者はごく一部で、それを吹聴して歩く者はいなかったようだ。

 渋沢が退いたいくつかの事業本部長は、当面、副本部長が代理で担当することになった。同時に、渋沢の直属の部下である部長とその下のチームリーダーが二人、地方の支店に転出になったが、この三人は渋沢に付き従って、Y社との連絡係をしていたと想像される。気の毒だが、付いていった相手が悪かったということか。

 門脇は労働安全に関係する日常業務で忙しく、一連の不可解な出来事など無かったかのように時間が過ぎた。総務部長も差し迫った株主総会の準備の陣頭指揮を執っており、顔を合わせてもそのことには一切触れなかった。

 通年この時期は、役員の人事異動に伴い、七月一日付けの一般社員の定期異動があることから人事異動の噂が飛び交うのだが、今年はまったく聞こえてこない。例年では、誰それが今度は何々部長になりそうだとか、あいつは上の受けが悪いから地方へ飛ばされるとか、そのような話がもっともらしく噂される。

 今年は突然に渋沢副社長以外は役員が据え置きと決まったことから、それに伴って動く一般社員の人事は予想が立たなくなったということなのだろうか。

 門脇が一息入れようと自席で缶コーヒーを飲んでいると、携帯が鳴った。鈴木瑪瑠理伊からだった。彼女には、監物の自殺の当日にセキュリティシステムの異常があったことを詳しく聞いて以来会っていなかった。一連の不可解な出来事の結末を彼女も知りたがっているだろうが、まったく不可解なままで、何も明らかになっていない。

「元気してるー? そう、良かった。あのね。コンピュータシステムからとっても変なものが出てきたの。今、センターには他に誰もいないから、ちょっと来てみない?」

 何が見つかったのか分からないが、とにかく行って聞いてみようと門脇は思った。

 セキュリティセンターに行くと、鈴木瑪瑠理伊は「今はちょうど、他に誰もいない時間なの」と、すぐに二階の中央管理室に案内した。門脇が、「あれ以来、何も分かっていないんだけど……」と言いいかけると、瑪瑠理伊はそれを無視してコンピュータの前に座り、勢いよくキーボードをたたき始めた。

「見て欲しいものがあるんだけど」

 画面には膨大な記号と数字、アルファベットの羅列が一面に拡がっていた。そしてすぐに瑪瑠理伊はその画面を閉じると見たことのないないファイル名が表れ、それを開くとまた記号、数字、アルファベットの羅列が拡がった。どうやら、システムプログラムファイルらしい。瑪瑠理伊は「おかしいな」と呟きながら、ファイルを開け、また閉じるという作業を繰り返した。何かを探しているらしい。

「おかしいな。昨日までここにあったんだけど、消えちゃってる」

 瑪瑠理伊は困った表情を浮かべたが、すぐににっこり笑った。

「でも大丈夫。ここにある。コピーしたから」

 瑪瑠理伊は胸のポケットからUSBメモリーを取り出し、コンピュータの小さな外部入力口に挿しこんだ。画面にファイルが表れると、あちらこちら何回かクリックをした後、「この画像を見て」と言った。

「何? はああっ?……」

 門脇は思わず身を乗り出した。そこに写っていたのは、菅崎専務と楢沢響子の二人だった。二人は仄暗い明かりの下の丸テーブルに向かい合って座り、グラスを傾けていた。それは二十秒ほどの動画だった。二人は、撮られていることに気づいていないようだ。そこはレストランの屋外テラス席のようで、手前にはピントの合っていない植え込みが写っている。どうやら、隠し撮りしたもののようだ。撮影した者も動揺しているのか、画像が何度が大きく揺れるている。表情はよく分からないが、二人は何か語らい、ときおり手を重ねていた。

「菅崎専務とどっかの美人。奥さんじゃなさそうな感じ……」

「楢沢響子、わが社の社員だよ。海外営業本部に所属している」

「ふーん。専務の不倫相手かな?」

「そういうことかもしれない」

 菅崎専務には妻子がいる。だから、瑪瑠理伊の言うとおり不倫、というか浮気相手には違いない。しかしそれが、楢沢響子とは驚いた。先日、出入りが禁止されている屋上に上がり、パラボラアンテナの台座に座るという異常な行動をしたのが彼女だ。その時、彼女の部下の新入社員の二人がやって来て、彼女は最近失恋したのではないかと言っていた。そうか、その相手が菅崎専務だったのだ。専務にとっては単なる浮気かもしれないが、楢沢響子にとっては恋愛だったのだ。それなら情緒不安定になり、異常な行動をしでかしたのも理解できる。失恋ということは、最近になって二人の関係は終わったということなのだろうか?

「こんなものがプログラムファイルの中にあったの?」

「そう。隙間に紛れて置いてあった。一応、ファイルのパスワードが数字四桁で設定してあったけど、アスタリックの伏字になっているから、すぐに分かってしまう」

「何で?」

「何でって、自分で作ったパスワードが分からなくなった時、困るでしょ? そんな時のために伏字を解読するソフトがあるのよ。それも、無料で公開されている。パスワードが暗号化されていなければ、伏字を元の数字に表示できるようになってるの」

「そんなものなのか……。でもよく、こんなものを見つけたね」

「プログラムファイルは何十というホルダーの層になってるから、その底のホルダーの隣に置いてあっても、プログラムをチェックする仕事の人じゃないと見ないよ。私は、何というか、チェックしてたわけじゃないけど、プログラム眺めるのが趣味みたいなところがあるから、偶然見つけちゃった。プログラムって結構美的なところがあると思わない?」

「いやあ、そう言われても美的かどうか分からないけど、とにかく偶然見つけたんだね。でも、こんなものがあって、プログラムには差し障りはないの?」

「ホルダーに格納されている形になっているから、プログラムには影響しない」

「そういうものか。しかし、なぜそんなところにあんなものがあったんだろう?」

「間違って画像ファイルをこんな場所に保管するとは考えられないから、誰かが意図的にやったことだと思うよ」

「誰かが?」

「これを撮った人か、これを何かの方法で手に入れた人が、何かの目的でこんな場所に保管したんだよ」

「不倫現場というか浮気現場というか、それを撮った奴がいて、それに憤慨しての嫌がらせか?」

「それより、専務に対する脅迫かもね。不倫現場を押さえたから、金を寄越せ。さもないと、奥さんにばらすぞ。会社中に写真をばらまくぞ、の方がいいかな。テレビでよくあるやつ」

 瑪瑠理伊は笑いながら言ったが、門脇が固い表情を崩さなかったので、すぐに真顔に戻った。

「金目当ての脅迫か。ないとは言えないな。でも、なぜコンピュータシステムの中に保管したんだろう? 脅迫するなら、動画があることだけを相手に示せば、充分な筈だ」

「そうねえ。考えられるのは、ある意味、安全な保管場所だからかな」

「安全?」

「画像ファイルを電子データとして、USBメモリーとか自分のパソコン内ハードディスクとかに、とにかく自分で持っていると、何かの時に見つかったら、持っている本人が特定される。どこかにしまっていても、しまった本人は特定することができる。でも、会社のシステムの中なら、誰が保管したのかは通常分からない。もし調べるとしたら、システム全体で、どこの端末を使って誰のパスワードを使って操作したのか、記録を追えば分かるけど、実際にはそれは不可能。だから、誰のものだか特定できない。そういう意味で安全な保管場所じゃないかな」

「うーん、そういうことも考えられるか」

「それに、脅迫する方には安全でも、される方は常に不安に襲われるんじゃないかな。画像ファイルを保管してあるって言われて、不倫の証拠が会社のコンピュータシステムの中にあるなんて、考えただけでも寝られなくなっちゃう」

「削除すればいいじゃないか」

「どこにあるか、正確に知っていればできるけど、脅迫する人は教えないから無理だよ。システム内を検索しようにも、画像ファイルの正確な名前か、拡張子を知らないとできない」

「拡張子?」

「データファイル名の後ろに付いているやつ。動画にも色々な拡張子があるからね」

「なるほどね……」

 門脇は、コンピュータの用語についてはよく分からなかったが、瑪瑠理伊の言うことは理にかなっていると思った。たまたま、彼女が画像ファイルを発見したが、システムのプログラムファイルなど、このシステムをつくったF電機のエンジニア以外は開けることはない。もし見つかっても誰の仕業かは分からないので、保管場所としては非常に安全だと言えるだろう。また、脅迫される方にとっては心理的な効果はかなりのものだ。勿論、脅迫だと今は断定できないが。

「それが、きょうは無かったんだよね」

「そう。ということは、脅迫の目的が達成されて、犯人が削除したということじゃない?」

「そういうことかな」

「そうよ。お金だとして、高給取りの専務さんなら払えるでしょ」

「金か……」

「お金は、人生、二番目に大事なもの」

「二番目?」

「そう。一番は、愛だったり、健康だったり、人によって違うんじゃない? 二番目だから、さっさと払って終わりにできる。犯人の方もこれでめでたしめでたしでおしまい」

 瑪瑠理伊はあっさりと言ってのけた。

門脇は瑪瑠理伊の話を聞きながら、あることに気がついていた。

「めでたしめでたしでおしまい、という訳にはいかないな」

 門脇がムッとした顔で言うと、瑪瑠理伊は目を細めて悲しそうな表情を浮かべた。

「そっとしておいてあげた方がいいよ。きっとね、二人とも辛いはずだよ。特に、女性にとっては辛いことだよ。好きになった人に奥さんがいた。大抵は結ばれないのに、それでも好きになったということを否定することはできないんだよ。そんなの周りはそっとしておいてあげればいいんだ」

 瑪瑠理伊は、門脇が二人のそういう関係は道徳的に許されないので、告発するような手段を考えているとでも思ったらしい。しかし、門脇が思いついたのはそういうことではなかった。専務の浮気の善悪は、今はさておき、門脇はこのことと、霧久保のノートパソコンの件が類似していることに気がついたのだ。動画は社内コンピュータシステムから、監物の遺書の文面は霧久保のノートパソコンから発見されたのだが、両方とも、プログラムファイルに通常あり得ないファイルが発見さたという共通性がる。こんなことは偶然ではないだろう。これは、同じ人物が仕組んだことではないのか? 

 霧久保は結果的に役員入りを逃した。つまり、人事が絡んでいる。同じように、動画を落としこんだのも人事絡みなのではないか。菅崎専務の職掌には人事があり、役員を除いた人事の最高責任者だ。専務を脅迫することで、犯人は自分の昇進を狙った。そう考えることもできる。

 しかし、犯人が霧久保の追い落としを狙ったとして、その理由が分からない。犯人は、宮崎専務に昇進を強要する立場だとすると、役員ではなく一般社員である。役員の人事は取締役会で決まることで、宮崎専務でも単独で決めることはできないからだ。一般社員が、霧久保の役員入りを阻止したところで、何の利益にもならないだろう。犯人は霧久保に個人的怨みがるあるのだろうか。その理由以外には考えられない。

 門脇は、霧久保の件については瑪瑠理伊には話さないことにした。会社内部の一件でもあり、霧久保という個人名を出したくなかったからだ。霧久保には、ある種の親しみのようなものを感じていたのかもしれない。

「もう一度、見直してみたいな。撮影された場所や日時が分かれば、知っておきたい」

 瑪瑠理伊は仕方ないという顔をして、キーボードを押した。

「撮影された日時は画像の詳細データから分かるよ。二〇××年だから去年。その九月十六日十七時三十二分二十六秒から四十七秒。もし、海外で撮影されたとしても、カメラが日本で初期設定されていれば、時刻は日本時間ということになる。場所の方は、ええと、位置情報は削除されているか。そうすると……」

 動画は少し離れた所から撮影されたもので、真ん中に二人の様子を捉え、周りには同じようにテーブルを囲んだ客や動き回るウェイターが映し出されていた。画像をじっと見つめていると、二人の背景の後ろの方に、薄ぼんやりと小さく輝いた、何やら文字らしきものが見えた。それはネオンサインでできた漢字に違いなかったが、日本のものではなかった。このレストラン風の店の店名かもしれない。

「中国みたいだね」

「いや、中国といっても本土じゃない。同じ漢字でも複雑で旧字体みたいなやつ。繁体字と言ったかな。台湾や香港で使っているものだ。でも読めないな」

 門脇は目を凝らした。繁体字であることは分かるが、ぼやけていて判読できない。

「読めそうな字はあるかな。あっ、どっかで見たことのある字がある。何と読むんだっけ? この字」

 瑪瑠理伊は十いくつ並んでいる漢字の後ろの方を指差した。目がいいせいなのか、頭の構造が違うのか分からないが、瑪瑠理伊には読めるらしい。門脇が「ぼやけていて、見えない」と言うと、紙を取り出し大きく書いてみせた。澳門という文字だった。

「これは確か、マカオと読むんじゃなかったかな?」

 門脇の頭の隅に微かに記憶があった。

「そう、思い出した。マカオって読むんだ。子供の頃、両親に連れられて旅行したことがある」

 二人は昨年の九月、マカオで会っていた。それを、偶然かどうか分からないが、二人を知るものが撮影した。そして、それが恐らくは脅迫に使われた。

「昨年の九月十六日、マカオで撮影されいる。これは突破口になりそうだな」

 もし、これを撮影した者がわが社の社員ならば、勤務記録を見れば疑わしい者が分かるかもしれない。

「このことを誰かに話していないよね?」

「勿論。専務のためではなく、この女性のために、誰にも話さないよ。そのことより、ミスターK,この前の監物さんのことを訊きにきた時みたいに、また刑事さんみたいな怖い顔になってるよ。専務は仕方がないけど、この女の人が傷つくようなことはしないでね」

 瑪瑠理伊は懇願するように言った。

「ああ、それには気をつけるよ。ひょっとしたら、監物の自殺と何か関係があるのかもしれない」

「あのことと?」

「そう。今のところはそんな気がするっていう程度だけど。兎に角、戻って調べてみる。分かったら、知らせるよ」

「そう。じゃあ、頑張ってね。門脇刑事殿」

 瑪瑠理伊は、いたずらっぽい笑顔を見せて敬礼のまねをした。

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