第11話 渋沢副社長の解任

 夕方近くになって、臨時取締役会から戻ってきた山瀬は、門脇を小会議室に呼んだ。

「社長が、概ね役員の変更はないと言った意味が分かったぞ。渋沢副社長が事実上解任され、その他の変更はないということだった」

 山瀬は荒い息を吐きながら告げた。

 山瀬は取締役員ではないが、取締役会事務局の一員だった。取締役会を開催するのには、その準備や議事録の作成などを行うことが必要なので事務局が置かれている。事務局は経営企画部が担当していたが、株主総会との関係から総務部長もその一員になっていた。その他に、役員秘書室長や事業本部の副本部長も事務局員に名を連ねている。

 山瀬は臨時取締役会で何が起きたのかを語った。

 会議の終わり間際になって、社長の中目黒が何の前触れもなく緊急解任動議を持ち出したという。解任の理由は、渋沢副社長が独断で総合薬品メーカーであるY社と将来の合併に繋がる技術協力体制を作ろうとしたというものだった。Y社の規模はD化学よりもかなり大きく、吸収合併になりかねないものだった。他の取締役たちにとっては初耳で、皆、相互に顔を見合わせた。社長が解任の理由を述べ終わると、渋沢福社長が薄笑いを浮かべて「証拠もないのに、何を馬鹿なことを」と社長の動議を一蹴しようとしたという。すると突然社長が立ち上がり、渋沢の目の前に数枚の紙を突きつけたというのだ。

 紙には何かこと細かく印刷されていた。社長はそれが何だか説明しなかったが、渋面をつくりながらページをめくっていた渋沢は、次第に青ざめた表情に変わっていった。山瀬には渋沢の手が小刻みに震えていたのが見えたという。渋沢が他の役員には内密に行った行為の証拠に違いなかった。

 渋沢は、暫く社長の中目黒を睨みつけ、言葉を失ったかのように一言も発しなかった。他の役員たちも黙ったまま渋沢を凝視していたが、菅崎専務が真っ先に渋沢を非難し、解任動議に賛成と言葉を発した。それを機に他の役員たちも次々に追随し、賛成の意思を示したというのだ。

 その後すぐに、菅崎が「解任でなく辞任ということでいかがでしょうか?」と提案した。すると、中目黒はにやりと笑い、「それでどうだ? 渋沢くん」と促すと、渋沢は首を立てに振ったという。

 不適切な行為による解任と自発的な辞任には大きな違いがあった。解任ならば、役員報酬も慰労金も大幅に減額されるが、辞任ならば、億単位になるそれらの金額を満額受け取ることが可能になる。対外的にも健康上の理由で退任と発表すれば、マスメディアにつつかれることはない。何より、株主総会での退任理由の説明も健康上の理由で押し通せば問題にされることはない。

「社長の思いどおりにことが運んだ、という感じですね、それで、社長が副社長に突きつけた紙には何が書かれていたか、分かったんですか?」

 門脇にはそれが気になっていた。

「それが、結局分からんのだよ。渋沢福社長が辞任を認めると、社長はその紙をすぐに回収した。会議後に菅崎専務と話したのだが、副社長とY社の交渉記録のようなものだろうと言っていた。専務にも何が記されていたかは、やはり見えなかったそうだ」

「副社長の動きを社長は以前から見抜いていたんですね?」

「そういうことになるな」

「他の役員が知らないことを社長だけが知っていたということは、社長はそういう情報網を持っているということになりますね」

「そこなんだ。専務も驚いていたのは、まさにそこなんだ」山瀬は、門脇にぐっと顔を近づけて言った。「おれも長年会社にいるから、誰と誰とが近い関係にあるのか、あるいは対立する関係にあるのか、およそ把握しているつもりだ。そうじゃないと、総務部長は務まらん。おれの見方では、中目黒社長に一番近いのが菅崎専務だ。だから、社長が得ている重要な情報は、菅崎専務も把握しているはずなんだ。専務もそう認識していたと思う。ところが、渋沢副社長の隠密行動という重大な情報を専務は知らず、社長だけが把握していた」

「やはり、直接の部下にあたる役員秘書室長に情報収集をさせているんでしょうか?」

 門脇は単なる思いつきで訊いた。

「室長の大塚は、以前おれの部下だった男だからよく知っているが、そんなことができる奴じゃない。決められたことをきちんとこなす、それだけの男だ。それに、秘書室長は、社長だけに仕えているわけじゃない。むしろ、菅崎専務の方が日頃から大塚をこまごまとした仕事に使っているから、変な動きをしたら専務が気づくはずだ」

 山瀬はそういう人を見る目は確かな方だから、間違いなさそうだ。

「そうすると、やはり情報に関係する部署の人物にさせていると考えられますね」

「情報を扱う部署か……。んっ、ということは、あいつだ。情報統括の鳥井だ。専務と社長室に入ろうとしたら、鳥井の奴が出てきた」

 山瀬は目を剥き、声を荒げた。

「そうか。鳥井の奴か」

「情報統括なら、外部からのハッキングや情報漏洩の監視をやっているので、渋沢副社長に関する情報に接することもあり得ますね。そこで知り得た情報を社長に提供しているということでしょうか」

「そういうことだろうな」

「しかし、情報統括室はコーポレートガバナンス部門に所属し、組織上、室長の直属の上司は菅崎専務ということになりますよね。これでは、専務の監督外で動いていることになりますね」

「そうだ。お前の言うとおりだ。お前の言うとおりで、それ自体はけしからんことだが、社長からの特命で動いているとなれば、文句を言うわけにもいかんな」

「スパイ網みたいな話しですね」

「おおげさに言えば、そんなところだな……」

 山瀬は大きなため息をついた。

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