第2話
「おはよう!瑠璃」
一人暮らしの高校生活、すっかり口を動かさない日々に慣れたのも束の間、少しのお節介で日常は変わってしまった。
開口一番、私の名を呼ぶのは
学校で唯一、私がまともに話す相手だ。
「おはよ。朝から元気だな」
朝から元気な葉山は笑顔で隣の席に座り。鞄を机に掛けると体をこちらへ向けておしゃべり体制に入る。
「昨日送った曲聴いてくれた?瑠璃が好きそうなの送ったんだ」
「結構良かったよ」
「瑠璃、ロック好きだもんね」
「好きというか聴いててテンション上がるのがいい」
「うん。じゃあ見つけたらまた送るね」
「うい」
五月の陽気と少し冷たい風が頬を撫でる。
普段なら航海へ向かってしまう過ごしやすさだが、葉山はそんなこと許してはくれない。
だが、ダメもとで口を開いてみる。
「寝ていい?」
「だめ」
「わかった。頑張るよ」
葉山は沈黙が嫌いらしい。いや、嫌いになった、と言ったほうが正しいのかもしれない。
メルヘン王国の住人から現実に戻され、残ったのは私と晒される不躾な視線。
隣に座っていた私のことを認識できていないぐらいには人に興味がなく、興味を持った人間に対して突き進んでいく、そんな彼女は怖くなってしまったらしい。
だから常に私と喋って、気を紛らわせようとする。
他人に興味がない彼女は、興味のない他人を極度に恐れていた。
でも少し疑問が残る。
葉山は確かに頭ぽわぽわのメルヘン王国の住人だ。だが少し過剰にも思えてしまう。それは彼女ではなく周囲の反応だ。
葉山を見てクスクスと笑う女生徒を横目に、面倒なことになる予感をひしひしと感じていた。
そしてそんな予感は的中してしまった。
何故かついてきた葉山と一緒にトイレに行き、先に出た私が手を洗ってると見覚えのある生徒が中に入ってくる。
一人は名前も覚えていないクラスメイト、もう一人は見たことがないから別のクラスだろうか。
「あ、四月一日さんじゃん」
「噂の?」
「そうそう、葉山の新しい
「あん?」
首を傾げると、知らない生徒の肩がビクリと跳ねる。どうやら怖がられてしまったらしい。そんな反応は男女問わず慣れっこではあるが、会話をままならない状態になりそうで、なんと弁明しようか、頭を悩ませる。
すると知っている方がけらけらと笑いながら知らない方に声をかける。
「四月一日さんめちゃめちゃ不良っぽいけどまともな人だから安心していいよ。体育でよく一緒になるけど雰囲気と違って普通に良い人だから」
「すげぇ言われよう」
「あはは。ごめんね?」
それで、寄生って?と流石に葉山がいるから聞けはしない。地獄みたいな状況だ。
「えと、四月一日さんだっけ?葉山さんのこと大丈夫?」
「……大丈夫とは?」
空気なんて読まないでいいから葉山は早く出てきてくれ。この場から去りたい。
「単刀直入すぎるでしょ。うちら葉山と一緒の中学なんだけど、あいつ直ぐ人に依存する癖があるの。それで疎まれてたんだけど、中学3年生ぐらいの時に男子に助けられてそいつにめちゃくちゃ依存しちゃってね。まあ、この前、やっと縁を切ったらしいんだけどそっから直ぐに四月一日さんに乗り換えたもんだからめちゃくちゃ大変なんじゃないかって話してたんだ」
「四月一日さんも早く逃げたほうがいいよ。どんどんしんどくなるから」
「こいつ、葉山と幼馴染みたいなもんなんだけど昔から付き纏われてたらしいよ」
「あいつ……頭おかしいから。ほんっと気をつけてね?まじで。ほんとに。」
「あ、良かったら四月一日さん連絡先交換しない?愚痴ぐらいなら聞くよ!」
あいつ、めちゃくちゃ問題児じゃん。幼馴染にここまで言われるって何したんだ。
怖いもの見たさで聞いてみたくはあるが、わざに藪をつつくことはないだろう。
さてどうやって断ろうか、携帯が爆発したことにしようか、なんて考えているとトイレの扉が強く開けられた。
顔が驚きに染まった二人の視線がそこに集中する。
タイミングとしてはもっと早いタイミングで出てきて欲しかったが、それはあまりにも酷だろう。
葉山は何も喋らず、無表情で私の手を引く。
「ちょ、」
手ぐらい洗えと口を開く暇もなく、私は葉山に連れられて、人の視線を浴びせられながら廊下を歩く。
やがて校舎の外まで引っ張り出されてしまった私は、校舎裏、園芸部の花壇の前で蹲る葉山にウェットティッシュで手を拭きながら、なんと声を掛けようか迷っていた。
「……ほんとのことだから」
「ん?」
「私が人に依存するのも頭がおかしいのもほんとのことだから」
「頭がおかしいかは置いといて、そういうところはあるだろうなとは思ってたよ」
顔を上げた葉山が私を見る。
その表情は涙が虚勢の笑顔によって彩られている。
「うん。だからね。無理になるまででいいから、私の側にいてほしいの」
「無理になったらどこかへ行っていいのか?」
「うん、いいよ。慣れてるから」
人間というものはここまでめんどくさくなるものなんだろうか。
決して針の穴に通ることのないぐにゃぐにゃになった糸のようにめんどくさい人間がここに生成されている。
担当の者はここまでこじれる前に何とかするべきだったし、こいつはこいつで何とかなるべきだった。
気がつけば私の無口な口が勝手に開いていた。
「葉山って好きなものとかことある?」
「……急になに?」
「今朝、話してた曲だってお前が好きだからじゃなくて私が好きだから送られてきたものだったし、お前と話してても私の好きなものの話ばっかで自分の好きなものとか話さないから知りたい」
「……わかんない。いつも話を合わせるために人が好きなもの好きになってきたから」
「本当に心から好きなものはないのか?」
「……うん」
好きなものがない。
つまりこいつは依存先が非常に狭い範囲に限られているのだろう。
人は普通依存先を複数持つ。
それは人でもいいしアニメでもスポーツでもゲームでもなんでもいい。
こいつにはそれがないのだ。
だから人に対して過剰に依存してしまうのではないのだろうか。
もちろん私に専門的な知識があるわけではない、保険の授業で心理学を専攻していた教師の雑談を右から左に聞き流したその残りカスみたいな知識だ。
だけど試してみる価値はあるかもしれない。
葉山の依存先を増やす。彼女に心から好きなものが増えれば、彼女はもっとのんびりと生きることができるかもしれない。
「……決めた」
「なにを……?」
おそるおそる問いかけてくる葉山に私は指をさして自信満々に宣言してやる。
「私がお前を嫌いになる前に、お前に私を嫌わせてやる」
おおよその人間の人生において私は必要ない。好きなものが増えた葉山はきっと私から離れていくことになる。それは願望ではなくて今までの傾向と対策から導き出した答えでしかない。
「無理だよ。もう私は瑠璃のこと好きになっちゃったんだもん」
「だったら私が、私よりも好きなものを探してやる。一つを好きから五個十個好きになればすぐに私のことなんて忘れるさ」
「……やっぱ瑠璃は変わってるね」
自信満々に胸を張ってそう言う私に、葉山は何を思ったのか、笑い出す。
虚勢ではなく心の底からの笑み。
やっぱりこいつは無駄に顔が良いから笑った顔がムカつくぐらい似合う。
「分かった。じゃあ私の好きなもの、一緒に探してよ。やっぱ止めるとか無しだからね」
「途中でほっぽり出したりしないから安心しろ」
_____こうしてこの奇妙な関係は始まってしまった。
これは彼女という人間を私が殺すまでの物語だ。
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