第3話
_______髪を切った。
これは自主的に切りに行ったわけではなく、サロンモデルとして強引に拉致された結果だ。
「本当にお似合いです!」
二十代前半ぐらいの女が笑顔でお世辞を言う。どうやらここは親子で経営しているヘアサロンらしく、今日、長女である彼女のサロンモデルとして拉致された。
親の仇かってぐらい写真を撮られ、疲れ果てた私は彼女の言葉に愛想笑いを返す。
だいぶ毛量が減ってしまった。
髪型はショートボブでいいのだろうか?目元がはっきりするから前と印象がかなり変わっていて少し気恥ずかしい。
「お客様はスラッとしていて身長もあるのでショートボブすごくお似合いです。アレンジとしては」
セットがどうの、と難しい話に意識が宇宙に行き、時間が経過する。
話し終えたのか帰る雰囲気になったことを機敏に感じ取った私は椅子から立ち上がって小さく伸びをした。
やっと帰れる。そう思った矢先、何やら見知った顔が奥から出てくる。
「えっ、瑠璃!?どうしたの!?」
「……なんでお前がここにいる」
私を見つけると同時に距離を一瞬で詰めてくるのは、葉山だ。
「だって私の家だもん!」
……たしかにこのヘアサロンは住居と一体型になっている。
たしかにヘアサロンの名前がリーフだった。
たしかに私の髪を切る彼女が誰かに似ているなとは思っていた。
「偶然にしても酷すぎるだろ」
「なになに、有紗の友だち……にしては嫌われてそうだけど」
「あっ、お姉ちゃん、瑠璃の髪、お姉ちゃんが切ったの?」
「うん」
「すっごいかわいい!」
一人で大はしゃぎをする葉山。
そんな葉山を横目に、彼女の姉がこっそり耳打ちをしてくる。
「ごめんね。嫌なら嫌だってしっかり言えば有紗も分かってくれると思うから」
……それは。
どういう意味かは直ぐに分かった。
私が彼女を嫌っている、迷惑がっているとそう感じたのだろう。
いや、めんどくさいと思っているのはそうだけど。
てか家族にもこういう扱いされてんのかこいつ。
「案外好きですよ。あいつのこと」
別に隠すことではないが、聞かれてしまうと鼓膜の寿命が急速に減っていくので、声を小さくしてそう言うと、葉山姉は嬉しそうに笑みを浮かべた。
血の繋がりをはっきりと意識させる笑顔に、なんだか気恥ずかしくなる。
「ねえ瑠璃」
逸らした先にいた葉山にギュッと腕を掴まれる。
「前、お昼の埋め合わせするって言ってたでしょ?今からいかない?用事ある?」
「……特に用事はないな」
「じゃあ行こう!」
「はいはい」
差し出された手を握らずに隣を通りすぎる。
葉山は特に気にする様子もなく、私に追いついて一緒に歩き出した。
「どこ行くんだ?」
「うーん、じゃあ瑠璃に任せようかな〜」
「なんで」
「だって探してくれるんでしょ?私の好きなもの」
茶目っ気たっぷりにウインクをしてみせる葉山。
これからその言葉が面倒ごとを押しつけられるために使われる回数を考えると気が重くなる。
「……はぁ。お前、食の好みは?」
「ない、基本ママの作ったものしか食べないから」
「じゃあ家庭で作らなさそうなもの食べに行くか。気になった店があったら教えてくれ」
「分かった!」
元気よく頷いて周りを見ながら歩く葉山。
明らかに注意散漫になっている。
そして前から歩いてくる若者の集団。
分かりきった未来を回避するために私は苦渋の決断として、葉山の肩を掴んで、こちらに寄せた。
「きゃっ」
「流石に前は見て歩け」
葉山は隣を通り過ぎる集団を見て、キラキラした顔で私を見た。
眩しすぎる笑顔に、胃が痛くなる。ラブコメ主人公は顔の良い人間にこんなキラキラした顔を向けられてよく精神が持つものだ。
「ありがとっ!」
「はいはい」
投げやりな返事をして、歩いていると葉山が「あっ」と声を上げる。
「ねえ、あそことかどう?」
腕が引かれ、葉山の指がとある店を指す。
有名も有名なハンバーガーチェーン店だ。
「無難なの選んだな」
「私、食べたことないんだよね」
「……どこのお嬢様だよ」
「どういうこと?」
「あー、なんでもない。今時、ハンバーガー食べたことないって珍しいな」
「家族もだけど外食そんなしないのよね。ママが栄養士の資格持ってて料理研究家してるから外食より家の方が美味しいこと多くって」
「なら尚更普段食べれないからここでいいかもな」
「うん!」
わくわくを隠すことなく、店に入っていく葉山は、幼い子どもを彷彿とさせる。
デカイ子どもだ。きょろきょろと店内を見回し、そのままだと邪魔になりそうだったからしょうがなく葉山の腕を引く。
列に並ぶと隣に立てかけられたメニュー表を目が釘付けだ。
「どれが一番美味しい?」
「何個か買って、そんなかから一番好きなの決めれば?」
「んー、じゃあプレーンのとチーズのとテリヤキ頼もうかな」
「どんだけ食べるんだ」
「瑠璃も手伝ってよ」
「……別にいいけど」
自分のバニラシェイクとポテトと葉山のドリンクを頼んで待つ。
やがて呼ばれて「はーい」と向かう葉山は三つのハンバーガーを持ってやってくる。
「おお、意外と小さいね」
「声がデカい」
「じゃあまずはプレーンの食べるね」
はむり、と本気で口を開けてるのかどうかわからないほどの小さめの一口がハンバーガーに刻まれ、葉山の笑みが濃くなる。
「おいしい!」
「ポテトもあるぞ」
ポテトを一つ取って食べ、また美味しいと笑う葉山。そんな無垢な姿が幼児のようで笑ってしまう。
ハンバーガーでここまで幸せになれるやつっているんだ。
だがそんなほんわりとした優しい時間も長くは続かないようで、やっと溶けてきたバニラシェイクをのんでいるとふと見知った顔と目が合った。
名前は分からない。ただ分かっているのは、そいつが葉山と幼馴染だということ。
その隣にいるのは知らない男子生徒で、そちらは私ではなく私の前にいる葉山の背中を見てギョッとしている。
嫌なエンカウントをしてしまった。
できれば葉山には気づかせたくはない。別に会ったからなんだって話ではあるかもしれないけどせっかくの幸せそうな顔を曇らせる必要はないだろう。
私は目を逸らして、シェイクを飲む。
あっちも男の手を引いて離れた席に移動してくれた。
にしても男の方は誰だったのだろう。随分と葉山が苦手そうだったが。
「瑠璃っ!テリヤキすごく美味しい」
「あー、テリヤキ好きな人はめちゃくちゃ好きだよな」
「ソースがすごく美味しい!これ好きかも」
「良かったじゃん」
「うん!」
元気の良いやつだ。一気にバーガーを食べ切った葉山の機嫌はすこぶる良さそうだ。
「ちょっとお手洗い行ってくる」
「わかった〜」
流石についてはこなかったみたいだ。
ついてこられたらそちら側にいるやつらと確実に会うことになるからどうしようかと思ったけど杞憂に終わったみたいで安心する。
お手洗いを済ませて、トイレから出ると奥の席に座っている葉山が見える。
だが視線はこちらに向かっていて、その先にいるのは……
最悪だ。
仲睦まじそうに話す2人の男女。視線はそこに固定されている。
幸い、葉山の視線に気づいていない2人の隣を通り過ぎて葉山の前に座る。
「瑠璃、知ってたでしょ?」
「何が?」
「あの2人がいるってこと。出てきた時に私が見てるのに気づいて、まずいって顔してた」
「途中で入ってきたのは知ってたし片方がお前の幼馴染ってことも知ってたけどそれだけだよ。言う必要もないだろ?」
「……そうだね」
あからさまに不機嫌になってしまった葉山。
本来は機嫌を取るべきだろうけど無言の時間も嫌いなわけじゃない。私は残っていたポテトを口に放り込み、片付けに入る。
そんな私を無表情で見ていた葉山も同じように後片付けをし始める。
ゴミ箱に包み紙等を捨てて、トレイを重ねて、綺麗になった机に満足しながら、店を出ようと一歩前に出て、後ろを振り返る。
葉山の視線の先にいるのはあの2人で、慣れている、そう語った過去の彼女にどこがだよと悪態をついてみた。
「出るぞ」
「うん」
店の外に出ると先ほどまでの雰囲気がどこか晴れたような気がするが、気がするだけで気のせいだ。
暗い顔の葉山に対して、めんどくさいと突き放しそうになる私の存在を抑えながら顎に手を当てて考える。
脳内に巡るのは、こういうときどうすればいいかが描かれた漫画やら小説やらの創作物の台詞。
「うん。めんどくさい」
だが、考えた結果がこれだった。めんどくさいものはめんどくさいことに変わりない。
紆余曲折あっての紆余曲折が嫌いなタイプの人類としては察せとか他人の気持ちとかを慮るのが苦手だ。
私の言葉にビクリッと肩を跳ねさせ、後退ろうとする葉山の腕を引いて近くの公園に入る。
休日の昼間だというのに散歩している老人しかいない公園のベンチに葉山を座らせて、その前に仁王立ちする。
「めんどくさいから全部吐き出せ。で、今の精神状態で私に何をしてほしいか言葉で伝えてくれ。じゃないとわからない」
人間関係の察し察せとかめんどくさいにも程がある。私はその場で最適解を選べる人間じゃない。選べない人間ができるのは無言を貫くことと自分がそういうのが苦手だと手札を公開することだけだ。
葉山は少しだけ目を見開いた後、「ここ座って」と隣を軽く叩く。
おとなしく座った私に葉山はぽつりぽつりと話し始めた。
「私ね。直ぐ人に依存しちゃうの」
「らしいな」
「それでね、常に近くに居たいんだけど、相手はそうじゃないの。本当はね、ご飯もトイレもお風呂も寝る時だって一緒にいたい。一緒にいない時間が苦痛で苦痛で仕方なくて、でもそんなこと言えなくて、でもわがまま言っちゃったり態度には出ちゃって……それで嫌われる。めんどくさいでしょ?」
こくり、と頷く。
自己中心的で、他者のことなんてほとんど考えない私には葉山の考え方はよく分からない。
でもそんな自分に苦しんでいるということはその歪められた表情から痛いほど伝わってきた。
だから……
「……正直、私にはよくわからない。ジコチューだからな。でも、まあ、その、なんだ……少しぐらいなら受け止めてやるよ」
人の許容量よりはだいぶ劣ると思うけど少しのわがままぐらいなら受け止めることはできる。
友達なんてほとんど出来たことないから、この答えが正しいのかなんてわからない。人の目には歪んで気持ちの悪いものに見えてしまうのかもしれない。
だけど今の私にできる精一杯がこれで、中途半端より精一杯頑張るほうが好きだ。
葉山は、ぽかんと口を開けて固まった後に破顔する。目尻に涙を浮かべた顔のまま、両手を開き、隣の私を抱きしめてくる。
「そんなこと言われたらもっと好きになっちゃうじゃん……」
「それは知らん」
「えへへ、ねえ、瑠璃」
「何?」
「毎日、寝る前に電話掛けていい?」
「三日に一回ぐらいで妥協してくれ」
「わかった。じゃあ手繋いで一緒に登下校するのは」
「一緒に登下校だけ許可してやる」
「いけずだなぁ……、休み時間はずっと一緒にいたい」
「……予定がなかったらな」
「じゃあ最後にこれだけいい?」
「なんだ?」
「私のこと名前で呼んで」
「……はぁ。分かったよ。有紗」
抱きつかれたままで何の話をしているんだか。嬉しそうに笑う声が耳元で聞こえる。
少しばかりそんな時間が続き、葉山……いや、有紗は体を離すと伸びをして立ち上がる。
その顔は晴れやかだ。きっと今日見た顔で一番。
「ねえ、瑠璃」
「なに?」
「私を嫌わせるって前言ったでしょ?」
「……言った気がする」
有紗の気の強そうな瞳が私の顔を映す。
「ありえないから」
そう言って笑う有紗にはどうやっても勝てなさそうで、返答に困った私は視線を逸らし、ため息を吐くことしかできなかった。
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