第15話
梅雨が明けると、「新入生」という言い訳は自分の中でも通じなくなっていた。
作品講評。クラスの皆が描いた絵が教室の白い壁に貼られている。鉄の細い棒を握りしめた先生が、優秀な作品からどんどん講評をしていく。正確に言えば、しっかり講評されるのは、ほんの一握りの天才だけで、大体の絵は批評という名の罵倒をされる。鉄の棒を他人に向けて、鋭い指摘を一言二言、吐き捨てる。
正直、「論ずる価値もなし」と罵倒されれば相当出来のいいほう。凡人の作品は悪口すら言ってもらえない。厳しい美大入試を乗り越えたエリートだとしても、ここで批評をされないようではただの凡人。ここで称されるようでなければ、世間でも称され、ましては食っていけるわけもない。
もちろんそんなことを言っている自分は凡人だ。優秀な作品は真ん中の方に貼られる。前回より真ん中らへんに配置されていたとはいえ、もっと真ん中にある優秀な作品に先生は飛びついた。私の作品を背にして、眼鏡の曇った先生は話し始めた。
「これ、だれの? 」
鉄の棒が指し示したのは普通の女性の、禍々しい絵画だった。女性が普通にパイプ椅子に座っている。女性が普通にリクルートスーツを着ている。女性が普通にマスクを着けている。女性が普通に髪を一つにまとめて、前髪にはワックスを塗っている。女性が普通に少しこちらより上を見ている。まっすぐすぎて、直視できない、禍々しい普通の目をしていた。
どうやら、普通の就活の、普通の面接の場面を切り取ったものだ。普通の事をしているのに、ここまで狂気を、狂気という名の凶器を備えているなと思う。上手い。
「はい、十日の作品でございます」
隣に座っている人が立ち上がる。十日はハルカの苗字だ。私とずっと一緒に昼食を食べ、座学を受け、絵を描いてきた友達。お金がない私に、特別清掃のバイトをヘラヘラした顔で勧めてきた、あのハルカだ。前回の作品講評の時には、「スタバで癒そう」と一緒に傷を舐め合っていた仲間なのに。
「十日さん、これは結構いいね。普通のことを描いているのに狂気を感じる。今後はこの方向の凶器を見せてくれたまへ」
さん付けだ。先生がここまでベタ褒めするのは、初めて見たかもしれない。
どこで彼女と差がついた? 座学の授業も、実学の授業も、二人一緒に美大生らしい真剣さで受けていた。一般的に言うと、絵は時間をかければ、もっというと、自分と向き合えば向き合うほどうまくなるものだ。アイデアのスパイスも同等に必要だけど、やっぱり根本的な実力が出てしまう。
少なくとも、前回の作品講評はここまで上手な絵じゃなかった。
「ありがとうございます。次はもっといいもの見せます」
ハルカの顔は、描いた絵とは全く反対に、普通に喜ぶ少女の明るい顔だった。
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