第54話 不気味の谷、瓦礫の海
シュテリアは、わたしを「探索に興味がない」と評したけれど、迷宮に伝わる逸話などは聞いてみると意外とおもしろいもので、最近は未踏圏のことを調べたりもしている。
多くの探索者が挑み、それでも最奥までたどり着けない迷宮、未踏圏。数ある迷宮の中でも長い年月の間、未踏圏であり続けるような領域は総じて何かしら逸脱している。
例えば、『
海底へと繋がる螺旋の迷宮は、かつては足を踏み入れた者は誰一人として帰ることのない死の迷宮と呼ばれていた。数多の迷宮を踏破した熟練の探索者も、浅い層にしか立ち入らないと明言していた探索者も、どちらも帰ってこなかった。人外じみた力を誇る強者を打ち破り、石橋を叩いて渡るような慎重者ですら逃さない。はたして、この迷宮にはどれほどの怪物が巣食っているのか。人々は想像し、恐れたという。
しかし、意外なことにも真相は『
長年、未踏圏とされていた『
未踏圏はこれほどにまで常識が通用しない。
そして、そういう話を調べるのは結構楽しかったりする。
もっとも、実際に自分が挑むとなると話は変わってくるのだけど。
「『不気味の谷』は、地下五層から先に進んだものは誰も帰ってきていない――だったっけ」
ドワーフの技術者であっても容易には造れないであろう近未来的な機械仕掛けの迷宮。出てくるモンスターも冷たく無機質で機械的なものばかりだ。その脅威も『
しかし、熟練の探索者たちを全て下し、何十年も守り続けるほどかというと、さすがにそこまでではないだろう。わたしたち『
実際、ここを越えたら後戻りできないといわれる地点はまだまだ先で、地下五層の最奥にある真っ白なトンネル『帰らずの
高速で動き回る三脚のような小型ロボットの集団を何とか倒したわたしたちは、見慣れない基盤や部品の散乱する小部屋で休憩していた。
位置としては、地下二層に入ってすぐのところである。
「い、今、地下二階だよね。うぅ、こんなに大変なのがまだ四つもつづくの?」
ヒナヤはすでに疲労困憊で、壁にもたれながらぜぇぜぇと息を荒げている。放った矢がことごとく敵に当たらず、なにくそと攻撃し続けた結果だ。
ヒナヤの腕が落ちたのではない。単に『不気味の谷』に出てくる敵が手強いのだ。極端に素早いわけではないけれど、精密な動きで回避してくる。まるでこちらの動きを完全に見切っているかのようだった。
結局、敵に命中したヒナヤの攻撃といえば、不可視の矢『
「どうしよう、当たりそうな矢がもうほとんど残ってないよ。うぅ、またたくさん買わなくちゃ」
エルフ特製の矢を放ち続けるのはかなり負担が大きいみたいだ。体力的にも。そして、金銭的に。
「……今日はこのあたりで引き上げませんか」
「あー、わたしも賛成」
見かねたシュテリアが提案し、わたしも頷いた。
ヒナヤほどではないとはいえ、わたしもかなり消耗している。竜血樹との戦いの件でウーズ型端末を失ったのが正直、かなり痛手だ。
一方、シュテリアはまだ余裕がありそうに見える。
竜血樹との戦い以降、シュテリアは、日音器ささらな―による
そして、余裕があるどころか、全く疲れていないように見えるのがアリーチェだ。
「うーん、物足りない気もするけど……まあ、そうよね、これくらいが丁度いいか」
未踏圏への挑戦を始めてからというもの、アリーチェの頭一つ抜けた実力を思い知ることが増えた。わかっていたこととはいえ、やはり選抜組と一般組には明確な差がある。
こちらの攻撃を見切ってくるロボットたちにわたしたちが苦戦する中、アリーチェはどういう理屈かわからないが、事もなげに切り捨てていった。
どうやっているのか聞いてみたところ――
『ここのロボットって受け止めたり、いなしたりはせずに、回避しかしてこないでしょ。だから、逆に行動が簡単に読めるのよね。一手で仕留めようとするんじゃなくて、何度もあえて避けさせて最終的にどう足掻いても避けられない状況に追い込むことを考えればけっこう簡単よ』
なお、当の本人は途中から「慣れた」と一太刀で斬り伏せるようになっていた。
『一手で仕留めようとするんじゃなくて』とはなんだったのか。
そんなことを考えながら、転移軸をとおって
そして、迷宮都市フェゼルバーリへ帰る頃、わたしは足を止め、みんなに声をかけた。
「あー、わたし、ちょっと残っていくから、みんなは先に帰ってて」
「どうしたのよ。何か落とした?」
「ううん。ただ『不気味の谷』の周りを一度見て回りたいなと思ってて」
これは迷宮について色々調べて知ったことだけど、『不気味の谷』の周辺に存在するいくつもの廃墟たちは、
製造プラント。それは
例えば、
かつては製造プラントであったいわれる廃墟がどんな場所なのか。純粋に見てみたい。
「あっ、それなら、ヒナヤも一緒に行く!」
嬉々として名乗りをあげるヒナヤとは違い、シュテリアやアリーチェは悩ましげに眉間に皺をよせた。
「うーん、そっか、用事がなかったらアタシたちも着いていけたんだけど」
「用事?」
「ちょっとね。あの探偵に任せっぱなしじゃ安心できないから、少しシュテリアと調べるつもりなのよ」
「そうなんだ」
初耳だ。
アリーチェとは長い付き合いだ。だから、わたしが知らない人に会うのが好きじゃないってことも、アリーチェはよく知っている。まあ、配慮してくれたのだろう。
……とはいえ、別に人に会うのが、何がなんでも嫌だってわけじゃない。言ってくれたら協力くらいするのに。
なんて思っていると、アリーチェがわたしの肩を軽く叩いた。
「そっちはエイシャたちに任せるわね」
探偵からの報告では、キティラは亡くなる前に『不気味の谷』周辺に来ていたという。
アリーチェのいう「任せる」とはそのあたりを調べることだろう。
しかし、わたしは捜索の心得があるわけでもなければ、そもそもキティラとの面識すらない。せっかくその道の専門家が動いているのだ。任せておけばいいというのが、わたしの包み隠さぬ正直な気持ちだ。
しかし。
「……うん、わかった」
「ヒナヤたちに任せといて!」
いつものように安請け合いするヒナヤと共に、わたしは
ザラついた灰色の世界に、風の音とわたしたちの足音だけが淡々と響く。周囲の建造物はどこもかしこもすっかり色褪せている。それどころか、建物とすら呼べないほどに崩れた廃墟がほとんどで、製造プラントの成れの果てがわたしたちを遠巻きに見つめていた。
風にあおられ砂埃が舞う。
『不気味の谷』内部で感じた無機質さとは違い、この廃墟群からは物悲しい匂いがした。
「すごく静かだね。『
「あー、ね」
言われてみればたしかにそうだ。目に見える景色そのものではなく、肌や心で感じる雰囲気が、あの打ち捨てられた聖花とよく似ている。
「ねえ、中には入らないの?」
「うーん、入りたいけど、なるべく原型が残ってそうなところにしたいなって」
しかし、どうにも良さそうな場所が見当たらない。どれもこれも屋根は無く、壁は崩れ、建物の体すら成していないものばかりだ。
「とはいえ、このまま歩き続けても仕方ないか」
次に壁だけでも残っている廃墟を見つけたら、そこに入ろう。
そう決めてすぐのことだ。
廃墟の中でも一際、大きく崩れた、もはや瓦礫の山としか言いようのない場所に出た。
そして、その側に一人。両手を胸の前で握りしめ、うなだれる少女がいた。何かに祈りを捧げるような、あるいは神に懺悔するかのような。
その姿があまりにも静かなものだから、わたしもヒナヤもなんとなく声をかけるのも躊躇われて、呆然と後ろ姿を見ていた。
ふと、強い風が吹いた。
小さな瓦礫がカラカラと音を立てて転がる。
少女の前に突き刺さっていた鉄の棒がわずかに
墓標だと思った。
この瓦礫の山は、死んだ街を弔うための墓標で、少女は今まさに悼んでいるのだ、と。
実際はそんなことはないのだろう。けれども、そう思ってしまうほどに、その少女は静かだった。
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