第52話 洪水

「突然、呼び出してすみません。どうしても、話しておきたいことがあったので」


 キティラに会う予定は根本から頓挫。一旦は宿に帰ったのだが、シュテリアに「二人で話したい」と呼ばれたわたしは、ギルドハウスへと来ていた。

 上級探索者にチームごとに貸し与えられる共同の小部屋、通称ギルドハウス。まだ使い始めたばかりなので、インテリアも備え付けのものしかない。


「……これを見てもらえますか」


 簡素な部屋にとある動画の音声が流れた。

 アリーチェのことを紹介する、と見せかけて憶測で中傷を重ねる悪質な映像。そこにはキティラが自殺していたという情報も載っていた。


「……隠すわけではないですが、さすがにアリーチェにこの動画を見せるのはどうかと思ったので。一応、エイシャにだけ来てもらいました」

「あー、ね。正解だと思う」

「それと、ひとつ聞いておきたいことがありまして――」


 シュテリアの言葉がわずかに詰まった。

 さっきの動画以上に切り出しにくいことのようだ。


「――今のボクたちの探索者としての活動を、エイシャはどう思いますか?」

「どうっていうのは」

「それは……」


 いまいち意図のつかめない質問に、つい質問で返してしまった。

 シュテリアは大きな単眼をゆっくり閉じると、暗闇の中を歩くかのように、慎重に言葉を選んでいった。


「……このまま活動を続けていいのか。未踏圏『不気味の谷』に今のまま挑んで大丈夫なのか、という意味です。ボクは……少し休むことも視野に入れるべきだと思っています」

「……休む」


 その言葉が、よりにもよってシュテリアの口から出るとは。

 アリーチェも、ヒナヤも、シュテリアも、三人とも探索者の活動に積極的だ。成り行きでここまで来てしまったわたしとは違う。特にシュテリアは動画の編集もしている。口にはあまり出さなくても、再生数や知名度を人一倍気にしているのも感じる。

 それなのに、竜血樹の件で良くも悪くも注目されているこの時期に一度立ち止まるなんて、シュテリアが一番嫌がりそうなことだ。


「勢いを削ぐとか、チャンスを逃すとか……思ったりしない?」

「思いますよ」

「嫌じゃないの?」

「もちろん、嫌ですよ。でも、無理をして再起不能になる方が嫌ですから。それに――」


 シュテリアは口籠った。

 しかし、それも一瞬のことで、すぐに続きを口にした。


「――これは竜血樹との件で実感したんですけど。アリーチェやヒナヤと違って、ボク、迷宮探索それ自体にはあまり興味がなかったみたいです」

「え、あー、そう。なんだ……そうは、見えなかったけど」


 少なくともわたしには、アリーチェやヒナヤに負けず劣らずやる気に溢れているように見えた。

 それを告げると。


「そりゃ、承認欲求は溢れんばかりにあるので。でも……これは前にも少し話したと思うんですけど、ボク、元々は音楽やってたんですよ」

「バーチャルシンガーのこと?」

「まあ、それも含めた色々です。どれも全然ダメでしたけどね、あはは」


 シュテリアは乾いた笑みを小さく浮かべた。


「でも、今にして思うんですよ。生まれてから今日までの間で、一番好きなことを好きなようにしていたのは、あの時だったんだなって」

「……」

「もちろん、みんなとの迷宮探索も楽しいですよ。楽しいですけど……でも、それってみんなと一緒に出来て、さらに多くの人に注目されるから楽しいんですよ。もしも、ボクが一人だけで、仲間もなく、配信も動画もなくて、誰にも注目されなかったとしたら……探索者にはならないでしょうね」

「……そっか」


 わたしの囁くような相槌を聞いて、シュテリアは慌てて手をわたわたと振った。


「あ、勘違いしないでくださいよ! これ、ボクが探索者を辞めたいって話じゃないですからね! やる気はすっごくありますから!」

「ほんとに?」

「本当ですよ!」

「じゃあ、わたしと仕事どっちが大事?」

「そういうのはアリーチェに聞いたらどうですか」

「……」


 想定外のカウンターにわたしが言葉に詰まっていると、シュテリアはにやりと微笑んだ。


「まぁ、ようするに迷宮探索そのものに憧れはなくてもやる気はあるということで……エイシャと似てますね」

「わたしと同じ?」

「そうですよ。だってエイシャはボク以上に探索に興味ないですけど、好きな人のためにやる気はあるじゃないですか」

「ちょ!?」

「ボクは承認欲求を満たすため、エイシャはラブを満たすため。同志ですね」

「ッく! …………か、帰る!」


 がたりと椅子を引いて立ち上がったわたしだったが、シュテリアが「すいません、ふざけ過ぎました」と引き留めてきたので、しぶしぶ席に戻った。ったく、なーにが同志じゃ。

 わたしは大きくため息をつくと、本題から逸れに逸れた話を元に戻した。


「はぁぁ。あー、で、このまま活動を続けていいのか、だっけ」

「そうです」

「まあ、たしかに今のアリーチェの状況は――」


 ――察して余りある。

 キティラの自殺はかなりショックだろう。しかし、だからといって活動を休止するべきかは悩みどころだ。こういう時こそ普段どおりにした方がいいという考え方だってある。


「いえ、アリーチェのこともありますけど、どちらかというとボクが心配しているとはエイシャですよ」

「わたし?」

「縁切神ピグナータの件、何も解決してないですよね。あれから何か変わったことはないですか」

「あー、それね」


 たしかに竜血樹との戦いでわたしは縁切神に全てを捧げてしまった。幸いあれから何も起きていないが、対抗策も解決策も何一つ目処がついていない。

 シュテリアに指摘を受けるまで頭から抜けていた。


「それが、何も起きてないんだよね」

「そんなことあります?」

「おかしいのはわかってるけど、現に何も起きてないからなぁ」


 今まで縁切神から体を操られたことは二度。

 一般試験で猫に遭遇した時と『砂漠の薔薇城デザート・ローズキャッスル』の最奥にたどり着いた時だ。あれらの時は左手が勝手に動いたが、似た経験は意外なことに全く発生していない。


「次は左手だけではすまないですよ」

「……まぁ、だろうね」


 これでも一応、色々と調べはした。

 粘態スライムの間では、縁切り池に自らの身体の一部を投げ入れ、ピグナータに願いごとをするという慣習がそれなりに知られている。しかし、わたしのような特殊な状況は見つからなかった。

 多少なりとも似ているケースを上げるなら。


「今のわたしに参考になるかは怪しいけど。昔は人身御供が盛んだったんだって」

「人身御供。神への生贄ですか」

「そう。ピグナータは怒りによって雨を降らせる雨神でもあるから。昔は建てた橋が嵐や洪水で破壊されないように、生きたまま埋められた人がいたらしいよ。いわゆる人柱ってやつ」

「なるほど、どうりで」


 シュテリアは得心がいったようにうなずいた。


「どうして、ピグナータが縁結びではなく縁切りの神なのか、納得しました。ピグナータは水災の象徴でもあるんですね」

「そうだね」

「エイシャはそんな相手に全てを捧げたんですよね。やっぱり、まずくないですか?」

「……あー、ね」


 まずいとは思う。

 しかし、過ぎた話だ。今さら無かったことにはできないし、探索者の活動をやめたところで事態が改善するわけでもない。そして何より、今のところ問題は起きてないのだ。


 たしかに突然、わたしの体がピグナータに乗っ取られる時は来るかもしれない。いや、間違いなくいつかは来るだろう。そして、それは探索をしていても、していなくても同じことだ。


「結局のところ、ダメな時はダメだからね」


 現状、こちらから出来ることは特にない。

 わたしは、そう言おうとして言葉に詰まった。


 ――はたして、本当にそうだろうか。


 全てを捧げたにもかかわらず、今、わたしはこうして無事に過ごしている。

 つまり、縁切神は手を出せない、もしくは手を出すつもりがないと言える。


「……いや『手を出せない』はないか」


 一般試験でも、砂漠の薔薇城デザート・ローズキャッスルでも、左手に明確な干渉があった。手が出せないとは考えにくい。

 それなら、縁切神はわたしに『手を出すつもりがない』と考えた方が妥当だ。


「…………」

「あの、エイシャ? 急に考えこんでどうしました」


 神と人では視座が違う。神の思惑など人に推察できるものではないだろう。考えるだけ無駄だ。

 しかし、そうとわかっていても、一度回り始めた思考は止まらない。


「……神の目的は? ……ピグナータは、わたしに何をさせようとしている?」


 今までの干渉から推察すると、縁切神はわたしたちの探索を支援しているように思える。

 一般試験で猫に捕食されずにすんだのは言わずもがな。砂漠の薔薇城デザート・ローズキャッスルでは、縁切神の干渉で迷宮の主と強制的に戦う羽目になったが、そのおかげで未踏圏への挑戦資格が手に入った。

 今だからこそわかるけど、あれは迷宮の主と戦う最初で最後の機会だった。『砂漠の薔薇城デザート・ローズキャッスル』という迷宮は、竜血樹との戦いで破壊されもう存在していない。あの機会を逃していれば、わたしたちは今頃、迷宮の主を倒すために他の迷宮へと向かっていたはずだ。


 つまり、縁切神の干渉がなければ、わたしたちはまだ未踏圏に挑むことはできなかった。


「……未踏圏…………『不気味の谷』」


 縁切神ピグナータの一連の干渉は、まるでわたしたちを『不気味の谷』へ連れ――…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………


「あ、あの、エイシャ」

「ん、なに?」

「大丈夫ですか?」

「あー、平気平気、ちょっと考えごとしてただけだから」


……………………………………………………………………………………………………………………………………


「そう、ですか」

「まぁ、気にしないで、別にたいしたことじゃないから」


…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………


「……そうですか」


……………………………………………………………………………………………………………………………………


「そうだ、シュテリア。さっきの一度、探索は休むべきじゃないかって話だけどさ」

「はい」


……………………………………………………………………………………………………………………………………


「わたしはこのまま活動するべきだと思う。せっかく注目されている時期なのに、ここで止めるのはもったいないでしょ。シュテリアもそう思わない?」

「……たしかに、そうですね」

「……」

「……」


………………………………………………………………………………


「あー、シュテリア?」

「どうしました」


………………………………………………………………………………


「気づいてるでしょ」

「……えっと、何のことですか」

「気づいてるでしょ」

「……いや」

「気づいてるでしょ」

「…………あなた、エイシャじゃないですよね」

「やっぱり、気づいてたんだ」

「急に感情が……見えなくなったので」

「あー、ね」


 わたしは納得した。

 見えていたものが急に見えなくなれば、知能あるものは違和感を抱く。当然の帰結である。

 わたしはこれからは気をつけようと思った。


「あの、あなたが縁切神ですか」

「うん」


 わたしは縁切神ピグナータと呼ばれている。


「何が目的ですか」

「ちょっと、修正しにきた。探索を止めようっていうこの流れはよくない。だから、今あったことは一旦全部、忘れようか」


 わたしはシュテリアの顔へ手を伸ばした。

 シュテリアは驚いていた。


「……っ、なにを」

「それじゃあ、またね」


 わたしは笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る