第49話 デイジー・ベル

 歌う機械、デイジー・ベル。

 それは猫の国の音声合成技術を基盤に作られた人工の紀人である。


 デイジー・ベルには心も、人格も、性別も、物理的な肉体も、固有の声すらも存在しない。代わりに無数の顔を持つ。


 ある時は、緑の髪をなびかせる歌姫。

 ある時は、コーラスを唱える楽器。

 ある時は、童話を読み聞かせる母親。

 ある時は、バックダンサーを従え軽快なステップを披露する男性アイドル。

 そしてまたある時は、星辰の海をまたにかけるアストラルネットアイドル。


 ありとあらゆる音声合成呪術アプリがデイジー・ベルのもつ顔だ。

 そして、人々の祈りと呪いが、デイジー・ベルの人格である。


 今、竜の荒ぶる戦場に、シュテリアの祈りを宿した『人造の紀人』が『バーチャルシンガー・スピカ』として降り立った。

 半透明なホログラムの歌姫を前に、ハタラドゥールの目が歪む。エイシャの演じるアリーチェも、ヒナヤも、バーチャルシンガーの登場に驚いていた。


 シュテリアの存在に気づいている者は誰もいない。しかし、この場の誰もが間違いなくスピカを見ていた。


「スピカ! 歌ってください!」


 シュテリアの声が合図となり、歌が響き始める。

 正弦波を組み合わせて作られた、中の人のいない電子の歌声が、ハタラドゥールの奏でる『わたしだけの殺害予告』の旋律を乗っとり、曲の雰囲気を殺していく。


「これなら、体が動くわ!」


 アリーチェ、またはエイシャの白いナイロンジャケットがはためく。

 彼女はハタラドゥールの視線を目にも止まらぬ速さでかいくぐり、折れた刀を再び拾った。


「そんな折れた刀で何が出来る。魔除けにもならぬぞ」

「だとしても、あんたを斬るには充分よ」


 アリーチェが足を止めることなくハタラドゥールに迫るのを見て、シュテリアはスピカに歌の速度を上げるよう指示した。

 人ではとても歌えない高速詠唱が、アリーチェの動きを、拍動を、限界を越えてさらに加速させていく。


「チッ!」


 慌ててハタラドゥールが旋律を意図的に崩したが、すでに遅い。

 その間にもスピカの言葉はマシンガンの如く放たれる。バーチャルシンガーにとって一秒間に十音でも二十音でも容易いことだ。


 アリーチェの刀は、演奏が変化するよりも早く、文字通り音速を超える勢いで、天使のトランペットを切り裂いた。


「貴様!」


 ハタラドゥールが邪視を向けようとするが、その行動すら読んでいたと言わんばかりに、アリーチェは何かを投擲。

 竜眼に刀の破片が突き刺さった。


「ぐぁ!」

「あんた、攻撃が一辺倒なのよ」


 鋭利な物は邪視の天敵だ。

 さすがのハタラドゥールも苦痛の悲鳴を抑えきれないようだった。


「うぐぁ! き、貴様ァ! 必ず殺す! いや、生き返ることもできないよう、吐息ブレスで書き換えてやる!」

「まだ、撃てるの!? これで何回目よ!」


 緑の光が収束していく。

 ハタラドゥールもさすがに疲弊しているのだろう。その速度は今までより明らかに遅い。しかし、集まっていく光の量もまた、今までと比べ物にならないほど多かった。

 アリーチェはハタラドゥールに切りかかったが、折れた刀では鱗に傷をつけることはできても、その奥深くには届かない。


「ま、さすがに、ムリよね」

「アリーチェちゃん! ど、どうしよう!」

「今、考えてる! ッてか、エイシャは? エイシャなら何か!」

「え、いや、でも、その、エイシャちゃんは」


 ヒナヤの困惑気味の視線は、目の前の粘態スライムに注がれていた。

 結局、彼女はアリーチェなのか、それともエイシャなのか。

 いずれにせよ――今、エイシャには頼れないだろう。この場に居るものだけで何とかしなくては。横から見ていたシュテリアは、それを理解しており、すでにスピカに別の歌を歌わせていた。


 神聖なる七色の響き。

 複雑にゆらぎ、多層にわたる音色はとても人の口では紡げない。

 しかし、歌姫スピカはそのゆらぎでさえも精密に再現し、高らかに歌い上げる。


 砂漠の薔薇城デザート・ローズキャッスルの最深部、迷宮の主を前に命を落としたあの日、シュテリアは間違いなく死後の世界にいた。

 そこで聞いたあの歌を、シュテリアはずっと忘れられずにいた。一度聞いただけの歌を完璧に再現できるような才能はシュテリアにはない。にもかかわらずだ。

 だから、この歌はきっと。


「――戦神さまがお貸しくださったのですよね」


 万能の隻眼をもつ戦女神シャルマキヒュの思し召しなのだろう。

 竜殺しの歌アーヴァスキュアレ。七色の旋律は重なり合って形を成し、竜殺しの武器となる。

 聖剣にして聖槍。

 シュテリアが思い浮かべスピカに歌わせたアーヴァスキュアレの形、それは槍ではなく、剣であった。


「アリーチェ! この剣を使ってください!」


 声は届いていない。それでも、粘態スライムは、目の前に現れた聖剣を、何かに導かれるように迷わず引き抜いた。

 最大級の吐息ブレスを放とうとするハタラドゥールに向けて、竜殺しの剣を振りかぶる。


 まるで伝説の一幕のようだ、とシュテリアは思った。

 同時に、それを見ているだけの自分に想いを馳せる。


 借りものの声で、借りものの歌を歌い、ようやく呼び出した借りものの剣ですら、自分ではない他の誰かに握らせる。

 ボクには歌う力もなければ、槍を振るう才もない。

 シュテリア・ポストロスの名前はどこにもない。

 それでも、この引き金を引いたのは他でもない自分自身だ。

 たとえ誰からも見えずとも。振るう力のすべてが借りものだったとしても。その狭間にたしかに自分は存在している。

 今、ボクはここにいる。


「行けッ! アリーチェ! 行けえェッ!」


 シュテリアの祈りが、スピカの歌となる。アリーチェの手の中で聖剣が輝きを増していく。

 幾度も芽吹いては顧みられることもなく枯れていった無数の祈りと空想が、その切実さをもってして現実を切り裂かんと輝く。


「『     咲き乱れよ』」

「いい加減、くたばって!」


 閃光と閃刃、二つの閃きが真正面から激突した。

 世界を書き換える力と、世界を切り裂く祈り。

 二つの膨大な呪力がぶつかり、衝撃波を生む。爆風が戦場を駆け抜ける。

 立っていたのは、青緑の粘態スライムだった。


「……はぁはぁ、どうよ」


 その手には竜の吐息ブレスを切り捨てた聖剣アーヴァスキュアレ。

 さしもの聖剣といえど、吐息ブレスに触れた以上、その影響は免れない。刀身は緑の生命に包まれ蠢いていた。

 しかし、アーヴァスキュアレは聖剣であると同時に歌でもある。

 スピカが声を止めると、聖剣は刀身から生える植物と共に消え去った。そして、スピカが再び歌い始めると、傷ひとつないまっさらで新しい聖剣があらわれた。


 一方、ハタラドゥールは口の右端がざっくりと裂けていた。それまではいかなる傷もただちに修復していたが、今はその素振りすらない。

 癒えない傷。不治の病。止まることのない精霊の囁き声。

 アーヴァスキュアレに伝わる竜殺しの逸話が、竜血樹の回復を妨げ、屠らんとしていた。


「これで終わりよ」


 聖剣を構えアリーチェが地面を蹴った。

 ハタラドゥールは力をふり絞るように爪を振り上げたが、届かない。

 竜血樹は、竜殺しの剣を前になす術なく崩れ落ちた。血飛沫があがる。

 巨躯がぶるりと震え、瞳から光が消えていく。


「……この、聖剣、だし、たのは貴様、だ、な」


 最期の瞬間、ハタラドゥールの瞳が見つめていたのは、アリーチェでも、アーヴァスキュアレでも、スピカでもない。

 その狭間で佇むシュテリアを見つめていた。

 ハタラドゥールの纏う感情の色が、言葉より雄弁に語る。

 驚愕の緑。嫌悪の紫。そして、賞賛の黄金色。


「そ、うか……きさ、ま、こそを、さき、に」


 それを最期にハタラドゥールの瞳から光が消えた。竜の分体は完全に動かなくなった。

 ハタラドゥールの視線の先をたどり、ヒナヤとアリーチェが振り向いた。


「……え、しゅ、シュテリア!?」

「うわぁ! シュテリアちゃんだ!」

「今までどこにいたのよ! みんな必死に捜したのよ!」

「うぅ、よかった〜、生きててほんとによかったよ!」


 シュテリアの単眼には、安堵と喜びの黄色が二人を満たしていくのがはっきりと見えた。


「みんな、ボクが見えるんですね」

「え、何、そりゃ見えるわよ」

「えーっと? ヒナヤも見えてるよ」

「いえ、何でもないです。また後で落ち着いた時に話しますよ」


 二人の感情に困惑が混じっていくのを見ながら、シュテリアはくすりと笑った。

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