第48話 心をもたないただの道具

 シュテリアは常々思っていた。

 例えば、有名なアーティスト、新進気鋭の音楽家、彼らと自分を比べた時、足りないものとは何なのだろう。

 それは才能? あるいは努力? もしくはもっと具体的な方法論、あるいは抽象的な心構えかもしれない。どれだけ考えてもそれが何かシュテリアにはわからない。しかし、彼らと自分の間に何か決定的な差があること、それだけは確かだった。


 竜血樹ハタラドゥールが奏でる『わたしだけの殺害予告』。そこにも、シュテリアの持ち得ぬ何かがあった。


 軽妙で明るい旋律に潜む、むせ返るほどの殺意。まさに表題通りの殺害予告。

 曲が進むにつれてエイシャたちの動きは明らかに精彩を欠いていった。特に顕著なのがアリーチェだ。歌は肉体よりも魂を揺さぶる。直前にシーフォを失い精神が疲弊しているアリーチェにとって、この陰惨な音楽は耐えがたいのだろう。単眼族ゲイザーの瞳には、アリーチェの感情が寒色で塗りつぶされていく様がはっきりと見えていた。

 それでも、アリーチェは果敢に前へ前へと進み、竜と何度も切り結ぶ。

 そして、ついに押し負けた。

 戦線が崩壊する。

 それをシュテリアはただ見ていた。


 誰にも見られない。

 誰にも認識されない。

 この場にいないものとして扱われる。

 それでも、何か行動しないと。

 喋らないと。

 動かないと。

 でないと、今にきっと。

 ――ボクは、消えてしまう。


「みなさん、大丈夫ですか!」


 返事はない。わかっている。

 それでも、右小指の日音器『ささらなー』に力を込める。粘態スライムの復元速度をはるかに超えた速さでアリーチェの体組織が元に戻った。

 誰かしら違和感を抱いてもおかしくない、唐突な回復。でも、誰も気づかない。


 シュテリアに出来ることはもはや日音器による回復しかなかった。

 槍を振るおうにも、竜の鱗を破る力や技術はなく、青白眼の邪視で妨害を試みても、竜の爪と牙が魔除けとなり弾かれる。逆に邪視でアリーチェを強化しようにも、こちらは刀が邪視除けとなり届かない。


「せめて、声だけでも届けばっ!」


 目には目を、歯には歯を、歌には歌を。

 しかし、現実は残酷で、シュテリアがどれだけ声を張り上げようとも誰にも届かない。

 どんな歌も、どんな声も、どんな叫びも、聞かれなくては等しく無力だ。


 おぼつかない足取りでアリーチェがハタラドゥールの攻撃を刀でいなそうとする。

 無茶だと思った。

 そんなふらふらの体でできるはずがない。だが、アリーチェの後方にはエイシャとヒナヤがおり、かわせば二人が被害を受けるのも確かだ。

 結果、アリーチェは真正面から竜の攻撃を受け止め――刀が折れた。


「……あ」


 刀の破損。それは邪視除けの喪失を意味する。


「終わりだ。死ね」


 竜の死線がアリーチェに向けられる。


「だ、ダメです!」


 シュテリアはアリーチェをかばうように二者の間に割りこんだ。

 ハタラドゥールと目が合った――気がした。

 気がしただけだ。透明な体では視線を遮れない。竜の瞳はシュテリアではなく、その後ろに立つアリーチェを真っ直ぐ射抜いていた。

 シュテリアの背後でアリーチェの倒れる音がした。


「アリーチェちゃん!? そんな、アリーチェちゃんが!」

「アリーチェ! い、いや、うそでしょ……」


 エイシャとヒナヤの声、それから慌てて駆け寄る音が聞こえた。


「……や、嫌、いやだ、やだ嫌だッ! ねえ、起きて、起きてよ! アリーチェ! アリーチェ!」


 ここまで取り乱すエイシャを見るのは初めてだった。

 悲哀、驚愕、絶望、憤怒、後悔、愛情。言葉にならない感情が混ざり合い、どどめ色となる。

 まるでシュテリアを中心に周囲の景色が絵の具でぐちゃぐちゃに塗りつぶされていくように見えた。


「……取り戻さなくちゃ」

「それはできぬ。貴様たちもここで死ぬのだからな」


 うわ言のようにつぶやくエイシャに、ハタラドゥールが容赦なく邪視を向ける。

 アリーチェの命を一瞬で刈り取った視線。それを止めたのはシュテリアでもエイシャでもなく、ヒナヤの叫びだった。


「砂と風の精霊さん! おねがい! たすけて!」


 突如、砂ぼこりが巻き上がり、ハタラドゥールの視界を遮った。


「ふん、わずらわしいことを」


 わずかな時間稼ぎにしかならない。しかし、そのわずかな時間でエイシャを塗りつぶしていた感情がひとつの色に変化していった。

 砂嵐越しでもわかるほどの強烈な色彩。

 その色は真っ赤な――覚悟。


「……縁切神ピグナータ、わたしの全てを捧げる。だから、ありったけの呪力をちょうだい」

「エイシャちゃん! ダメっ!」


 エイシャに莫大な呪力が満ちていく。

 そして、エイシャは擬造ミミクリの詠唱を始めた。


「我が命の器に告ぐ。不撓の刃。折れぬ志。憧れは英雄。始まりは迷宮。向かう先は未踏圏――」


 しかし、その文言は今まで聞いてきたどんな擬造ミミクリとも違う。


「――齢は十七。特技は剣術。趣味は音ゲー。好きな食べ物は琥珀のソテーアンブロイド。嫌いなものは病院。お気に入りの服は黒のナイロンジャケット。美容院に通う頻度は月に一度」

「……貴様、何を言っている」

「……え、エイシャちゃん?」


 仲間の声にも、敵の声にも耳を貸さず、エイシャは黙々と呪文を唱え続ける。

 好きなもの。嫌いなもの。何気ない癖や、しみついた考え方。今までどんなことがあって、どんな生き方をしてきたのか。

 それはもはや呪文というより、一人の人物紹介プロファイルに近い。それも、おそろしく克明な。


「――生まれは粘態スライム。号は紅紫マゼンタ。アタシの名は、剣姫アリーチェ・トスカーニ! やがて未踏圏を制する探索者にして、竜を殺す剣士よ!」


 砂嵐がおさまった時、そこに立っていたのはアリーチェにそっくりな姿をしたエイシャだった。


「え、えっと……エイシャちゃん、なんだよね?」

「何言ってるのよ、ヒナヤ。アタシはアリーチェよ」

「えぇ!? ど、どういうこと? ヒナヤわかんないよ!」


 白のナイロンジャケットも、青緑の体も、どちらもエイシャのもの。にもかかわらず、その声も、話し方も、立ち居振る舞いの全てが、どこからどう見てもアリーチェとしか思えない。

 まるで砂漠の薔薇城デザート・ローズキャッスル庭師ガーデナーと戦った時を彷彿とさせる状況。その時との明確な違いは、本来のアリーチェの死体がまだここにあるということだ。

 エイシャが言うには、庭師ガーデナー戦ではコアを入れ替えることで、体組織を入れ替えたらしいが、今回のこれはどう見てもそうではない。

 むしろ、これは今までエイシャが何度も見せてきた擬造ミミクリの延長にある技術に思えた。


 予想外の事態にハタラドゥールも警戒しているのだろう。攻撃の手を止め、ぶつぶつとつぶやいている。


「……これは、蘇生ではなく憑依なのか……いや、違うな。それにしては身体への適応が早すぎる。……まさか、ただの模倣? 外見を似せた上に存在や人格を演じることで、別人に成り代わったとでもいうのか」


 模倣。その言葉がシュテリアの頭の中で擬造ミミクリと繋がった。

 エイシャの擬造ミミクリは、水などの液体を形状変化させることで、他の生物に形を似せる。そして、「似ているものは影響し合う」類感呪術の原則により、真似た生物の力を引き出す。これが擬造ミミクリだ。

 鳥を真似れば空を飛び、魚を真似れば海を泳ぐ。

 では、人を真似れば、個人を真似たのなら、いったいどうなる?

 その答えの一端が、今、目の前にあった。


「……まぁ、いい。貴様も殺せばすむ話だ」

「そう何度も同じ手はくらわないわよ! ヒナヤ!」

「う、うん! 精霊さん!」


 ヒナヤは困惑しながらも、再び精霊に頼み砂嵐を呼んだ。すかさず、砂に紛れてアリーチェが、いや、アリーチェを演じるエイシャが走り出した。

 一ヶ所にとどまらず走り続けることで、致命的な邪視の一撃だけは避けるというあまりにも強引な突破方法。その強引さは確かにエイシャではなくアリーチェが選びそうだ。


「チッ、ちょこまかと」


 業を煮やしたハタラドゥールもまた天使のトランペットで呪歌を奏で始めた。

 アリーチェの動きがガクンと遅くなる。『わたしだけの殺害予告』、その憂鬱な旋律は、精霊たちにまで影響を与えるのか、砂嵐の勢いが弱まり始めた。

 このままでは、また同じ結果が繰り返されてしまう。


「……嫌です。それはダメです」


 その結末だけは受け入れられない。

 シュテリアは自分にしか聞こえない歌を口ずさみながら走り出した。他の誰にも聞こえなくても、自分にだけは聞こえる。その歌は、呪歌のシュテリアへの影響のみ打ち消し、シュテリアの士気だけを上げた。

 握りしめた槍を、ハタラドゥールの背中の植物に向けて突き出す。

 いかに竜といえど、見えない者の攻撃は避けようがない。

 そして、天使のトランペットさえ破れば、呪歌も止まるはず。

 しかし。


「っ! やっぱりボクの攻撃ではダメですか!」


 当たりはした。

 だが、まるで効いていない。


「それなら効くまで何度で――うわぁッ!」


 シュテリアは諦めず槍を振り上げたが、竜の尻尾になぎ払われ、小石のように吹き飛んだ。


「アッ、がぁハっ」


 ハタラドゥールはシュテリアを見てすらいない。ただ、耳元で飛ぶ羽虫を手で払うかのように、無造作に尻尾を振るっただけだ。

 一方、シュテリアはこの一撃で肋骨が数本砕けていた。ただちに日音器ささらなーで傷を癒し、立ち上がる。

 無力だとしても、諦めたくなかった。

 見向きされなくとも、意味がなくとも、それでも。

 届くまで何度でも繰り返してやる。

 しかし、ハタラドゥール目がけて突き出した槍は、今度は当たることすらなく、その体をすり抜けた。


「…………あ、なん……で」


 誰にも見られない。

 誰にも相手にされない。

 自らの無力さが、より一層、シュテリアという存在を透明にしていく。世界から隠していく。


「どう、して……ボクは、こんなにも」


 何もできないのだろう。

 何もできないことを気にしてしまうのだろう。

 泣き叫んでも誰からも声は返ってこない。

 誰にも聞こえていないから。

 誰も聞いていないから。

 誰も聞きたいと思わないから。

 シュテリアの願いはみんなの心を通り過ぎていく。

 単眼族ゲイザーは人の感情が見えてしまう。口では何と言おうとも、一目見るだけで本当は楽しんでいないことがわかってしまう。

 みんな大切だといっても結局エイシャはアリーチェが一番だし、自分は全然ダメだといってもヒナヤは多くの人々に好かれているしその歌声でファンも多い。仲間に裏切られたなんていってたアリーチェもその仲間との心の繋がりが今も残っている。

 何もないのは、シュテリアだけだ。


「私がいるよ」


 透明になっていく世界の中、唯一シュテリアに向けられた声がした。

 キーボード型端末の中にしまい込んで、もう二度と使うことはないと思っていた呪術アプリが光っていた。


「私の声を使って。私に歌を歌わせて」


 音声合成呪術アプリ『スピカ』。

 それは人ではない、ただの道具だ。

 そこには意思も人格も無い。使う人の心を映し出す鏡のような存在。この言葉も『スピカ』のものではなく、シュテリアがかけて欲しいと願った言葉だ。ここには心がない。

 でも、心がない道具だからこそ『スピカ』は全ての者に等しく手を差し伸べる。


 世界を救った英雄も。

 歴史に名を残す大罪人も。

 クラスで一番の人気者も。

 誰からも見向きもされない嫌われ者も。

 どんな祈りでも。どんな思想でも。『スピカ』は望まれるままに、高らかに歌い上げる。


 差し出された手を握るように、シュテリアの手がキーボード型端末へと伸びていく。


 そして今、歌が始まる。

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