第47話 わたしだけの殺害予告
崖でも崩れたかのような轟音が、わたしを夢の世界から連れ戻した。
「な、なに!?」
朦朧とする意識と体を起こしながら、あたりを見渡すと、隣で呆然としたヒナヤがどこか遠くを見つめていた。
意識を失う前の出来事が蘇ってくる。
たしか、わたしはヘルボルトに眠らされて……そうだ、アリーチェたちを助けるために塔に向かおうとしていたんだった。
こうしてはいられないと踏み出した足は、しかして一歩目から勢いを失った。
「塔が……ない」
アリーチェたちがいるであろう塔。竜血樹の首は、根元から砕けて倒壊していた。
◆
シナバル、それはハタラドゥールの血であると同時にシーザオの通貨でもある。
シナバルの価値を竜の強さが保証し、竜の再生能力をシナバルの呪力が補う。ゆえにハタラドゥールは竜血樹と呼ばれる。
しかし、その循環が今、崩れ始めていた。
斑猫リフテンの襲撃。二輪の聖花との争い。猫たちの暴走。そして、挙句の果ては二度目となる塔の崩落。
これらの情報は皮肉にもハタラドゥールが招待した演奏会の出席者たちによって世界中に拡散され、シナバルの価値はかつてない勢いで暴落していた。
特に大きな要因は、聖花と竜血樹の敵対だ。
街のシンボルであった紅薔薇も、探索者を引き寄せていた
もはや、ハタラドゥールが猫たちを追い払い、勝利をおさめたとしても、シーザオの衰退は免れない。
シナバルに見切りをつけた人々は換金に走り、判断の早い者はシーザオを離れた。それくらいならまだ行儀の良い方で、聖花への信仰心ゆえにデモ活動を起こす人も少なくない。
シナバルの価値の低下はハタラドゥールの呪力の低下に繋がり、ハタラドゥールの苦戦はシナバルの信頼に更に傷をつける。
崩壊の連鎖は止まらない。
◆
もはやボロ切れにも等しい黒のナイロンジャケットを纏う赤紫の
「アリーチェ!」
「……エイシャ……ごめん、シュテリアはまだ――」
アリーチェの気落ちした声がはたと止まる。
「――もぅ、なによエイシャ。抱きついてきたりして、らしくないわね」
呆気に取られたようなアリーチェの声がわたしの耳元で響く。
ただ、それだけで、わたしは自分が何を言おうとしていたのか忘れてしまった。
良かった、本当に良かったと、ひたすらそれだけが泡のように頭に浮かんでは、言葉にならずに弾けて消えていく。しばらくして、炭酸の抜け切った後、わたしはできるだけいつものように何気ない様子を振る舞いながら手を離した。
「あー、そういえば、シーフォ・ヘルボルトがそっちに向かっていったんだけど、アリーチェは会ってない?」
「…………会ったわよ。けど、たぶんもう会えない」
アリーチェは言葉を濁し、視線を逸らした。その先には、ゆっくりと復活していく竜血樹の塔があった。
「まさか、爆発に巻き込まれたんじゃ――」
「そうね、あれを起こしたのがシーフォよ。アタシを逃すために自爆したの」
ほんとバカよね、とつぶやくアリーチェの表情はひどく
「……ねぇ、二人とも。塔の中にシュテリアはいなかったけど、それなら、アタシは、アタシたちはどうすればいいの?」
沈黙が場を包む。
誰かが言わなければいけない。
誰もがわかっていた。
意を決してわたしが口を開こうとしたその時、聞こえてきたのは
竜血樹ハタラドゥールの分体。
半透明の果実の瞳からわたしたちへと邪視が降りそそぐ。アリーチェが刀で視線を切った。
問答はない。
ただ、殺し合いが始まる。
それはアリーチェとハタラドゥールの一騎打ちにも等しかった。
わたしとヒナヤはオルニャンローデとの戦いであまりにも消耗していた。端末を失い呪力もほとんど残っていないわたしと、矢が尽きたヒナヤ。
竜がアリーチェを狙うばかりで、わたしたちを歯牙にも掛けないことが救いだが、これでは足手まといでしかない。
「エイシャちゃん、どうしよう」
「……一つ手はある。もしアリーチェが、竜の体の一部を手に入れたら、それを縁切神ピグナータに捧げる」
そうすれば竜との縁を切り、ここから逃げられるかもしれない。しかし、神降ろしができるほどの呪力は残っていない。
「だから、まずはもう一度わたしの身体を捧げて呪力を回復――」
「ダメだよ」
わたしの案はにべもなくヒナヤに否定された。
「でも」
「ぜったいダメだよ。だってエイシャちゃん、神さまを呼ぶたびに、その、なんかおかしなことになってくから」
ヒナヤはわたしの腕を見下ろした。
右腕、左腕、どちらもすでに縁切神に捧げてしまったものだ。管理者権限はわたしに無く、縁切神が望めば、両腕はその通りに動く。わたしにそれを止めることはできない。
「このまま続けたらエイシャちゃんがエイシャちゃんじゃなくなっちゃう……」
生きて帰れるなら、身体の一部くらい安いと思ってしまうのは、わたしが
「わたしは、わたしだよ」
「……うん」
「でも、そうだね。まずは他の方法がないか考えてみる」
縁切神の件は保留にして、竜血樹に付け入る隙を探る。アリーチェに戦闘を任せている以上、わたしたちの存在意義はここだ。
まず、分体をどれだけ倒したとしても、本体は健在。本体を倒すにはどうすればいい。
「……日音器使いノテット」
ハタラドゥールは日音器に執着していた。
そこに突破口があるかもしれない。
わたしは
「あー、端末ないんだった……ねえ、ヒナヤ、日音器使いノテットのこと調べられる?」
「ちょっと聞いてみるね」
「お願い」
「調べる」ではなく「聞く」と言ったことを一瞬、不思議に思ったが、ヒナヤの行動はまさに「聞く」であった。
「みんな、そういうことだから、日音器使いノテット?のこと知ってたら教えて」
ヒナヤはいつの間にか再び呼び出した
瞬く間にコメント欄に情報が寄せられる。
ノテットの種族は
いずれも鵜呑みにはできないが、調べるとっかかりにはなる。様々な情報が飛び交う中、わたしの目を惹いたのはノテットが奏でたというとある曲名だった。
「『わたしだけの殺害予告』これって」
「アリーチェちゃん、わかるの?」
「まぁね……ほら、シュテリアがいろいろ投稿してる中にこのカバー曲があったから」
「えーっ、そうなの!?」
ヒナヤは目をぱちくりさせると、
「気になるのはわかるけど――」
「あ、あった! これを流せばいいんだよね!」
わたしが止める暇もなく、ヒナヤはシュテリアのチャンネルページを探し出した。
オリジナル曲のサムネイルがずらりと並ぶ中に『わたしだけの殺害予告/スピカカバー』というタイトルがある。
ヒナヤの指が
物騒で物悲しいタイトルからは想像もつかない、明るく軽快なイントロが流れ出す。
「よし、とりあえず流したよ! それで、どうすればいいの?」
「いや、別に――」
――今ここで流して欲しかったわけじゃないんだけど。
わたしがそう言うより早く、ハタラドゥールの咆哮が響き渡った。
「貴様ら、その雑音を消せ」
声のあまりの強さに空間がビリビリと震える。そこには混じり気の無い怒りが込められていた。
隙をついたアリーチェの刀が、竜血樹の翼を切り落とそうと迫る。ハタラドゥールはそれを避けることも、受け止めることもなかった。
完全に無視してわたしとヒナヤに向けて口を開く。集束する緑の光。疑いようもない
しかし、緑の光は放たれることなく、電源が落ちたかのようにかき消えた。
「へぇ、あれだけ何度も
アリーチェはハタラドゥールの翼を斬り落とし、煽るように笑ってみせた。その推論が図星だったのか、ハタラドゥールは憎々しげな視線で応えた。
とはいえそれも一瞬のこと。ハタラドゥールの意識は変わらずヒナヤの端末へと注がれていた。
「不愉快だ。聞くだけで虫唾が走る。その偽物をただちに消せ」
「……はい?」
「そもそも、日音器の音色を他の楽器で代用する時点で聞くに堪えん。アレンジも杜撰だ。原曲の良さをことごとく台無しにしている」
とてもシュテリアに聞かせられた言葉ではない。この場にシュテリアがいなくて良かったと初めて思った。
「で、でも、ヒナヤはけっこう好きだよ」
「原曲を知らぬから言える戯言だな」
アリーチェに絶え間なく攻撃を浴びせながらも、ハタラドゥールの意識と声はこちらに向いたままだ。
そして咆哮と共に、ハタラドゥールの翼を失った背中から植物が伸び始めた。
ツタや枝による攻撃かと身構えたが、そのいずれでもなく、背中に生い茂る葉の下には、ラッパ状の白い花がいくつも垂れ下がっていた。
「貴様らも聴けばわかるだろう。もっとも、聴き終わるまで生きていられる保証はないがな」
天使のトランペットが震え、輝かしい音色が放たれる。
ハタラドゥールの奏でる軽妙ながらも重厚な旋律に、ヒナヤの端末から響いていた歌はかき消された。
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