第46話 旅人、もしくは死にたがり

 生物は生きるために生きる。ただ生まれたから、そこに命があるから、生きる。

 しかし、ルクナッツたちは違う。この世に生まれ落ちた瞬間から死に場所を探している。

 彼らは死ぬために生きている。


 ルクナッツは植物の種子と似ていると言われるが、それは見た目だけの話ではない。

 ルクナッツは命を落とすと、死体から樹が発芽する。その樹に知能はなく、ルクナッツの意識が受け継がれることもない。当然、エントやアルラウネのように会話も意思疎通もできず、自力で移動することもない。適応力の高さを除けばいたって普通の植物だ。


 ルクナッツたちは死ぬことを「樹に生まれ直す」といい、やがて自らが成る樹を『生命の樹ライフ』と呼ぶ。

 その特異性は、ただ思想が違うだけと言い切ってしまえるほど単純なものではない。

 食欲、性欲、睡眠欲。そういった生理的欲求と同じレベルで、ルクナッツは肥沃な土地を前にすると、強烈な自殺衝動を抱く。


 彼らの人生は死ぬことで始まる。


 ルクナッツたちは自身の在り方を安住の地を探し求める「旅人」にたとえたが、人は彼らを「死にたがり」と呼んだ。


 シーフォ・ヘルボルトは、自らの旅が迷宮で終わることを願っていた。

 それもできることなら、未踏圏の最奥。まだ誰もたどり着いたことがない場所がいい。そこで生まれ直し、やがて訪れる次の探索者たちが少し休んでいけるような、そんな大樹になりたかった。


 なのに――


「――なんでこんなことしてんだか」


 今さらアリーチェを助けに行ってもムダだと言ったのも、それでも向かおうとするエイシャを眠らさせてまで止めたのも、他ならぬシーフォ自身だ。

 にもかかわらず、シーフォは眠ったエイシャをヒナヤに押しつけて塔に向かっていた。そして、そこで竜を相手に戦うアリーチェの姿を見て。


 気づけば参戦していた。


 あまりにも勝ち目がない。リスクばかり大きい行動。これでは「死にたがり」と呼ばれても言い訳できない。シーフォは自嘲した。


「接近戦は得意じゃねーんだよ」


 隠し持った粘土のような爆発物――可塑性プラスチック爆弾。それこそがシーフォの武器だ。

 かつてのパーティにおいて、シーフォの役割は偵察哨戒、トラップの解除、爆弾による遊撃などであり、正面切って戦うのはアリーチェやリグサキサスーバの役目だった。


 しかし、不意打ちならばお手のものだ。その相手がたとえ竜だとしても。


 気配を隠して爆弾を設置。

 起爆。

 その動作は昔も今も変わらない。


 砂ぼこりの中から現れた三体のハタラドゥールはいずれも身体がズタズタに裂けていた。翼や関節など脆そうな部位を狙った爆弾は多少なりとも戦果があったようだ。


「見覚えのないルクナッツだな。貴様も猫の協力者か」


 どう見ても致命傷にもかかわらず、痛みも焦りも感じとれない落ち着いた声音。ハタラドゥールの分体がゆっくりと再生していく。

 それでも、警戒心を煽る程度ではあったのか、これ以上の闖入者と逃走を拒むように、塔の入口はツルに封鎖された。

 後戻りはもうできない。


「シーフォ、残念ながらあの三体はどれも竜の本体じゃないわ。倒しても無意味よ」

「知ってる、本体はこの城そのものだろ」


 アリーチェに言われるまでもなく理解していた。

 竜血樹は倒せない。

 それどころか塔の中では勝負にすらならないだろう。


「アリーチェ、行くぞ」


 ハタラドゥールの分体が元に戻ってしまう前に、アリーチェを塔の外に逃す。

 ただそれだけを目指してシーフォは動き始めた。腰にくくりつけた多次元ポーチからプラスチック爆弾をひと握りつかみ、自らの綿毛かみのけを突き刺す。爆薬に点火するための雷管のようなものだ。


 一度接触したものは離れても相互に作用し続ける。感染呪術の原則。

 髪は感染呪術に適している。シーフォは自身の綿毛かみのけを媒介に起爆信号を送ることで、爆弾を遠隔操作していた。


 小分けにした爆弾を投擲。起爆を繰り返す。

 不意の一撃に比べれば量は少なく、指向性も甘い。威力は雲泥の差。

 それでも、閃光と衝撃音が目眩しになる。


 足元から湧く攻撃を反射的に避けられるのなどアリーチェくらいのものであり、ハタラドゥールにこちらの正確な位置をつかませないのは重要だ。


「姿を隠しても無駄だ。ここは竜の城、仕留める方法などいくらでもある」


 居場所がわからないなら空間全てを攻撃すれば良いとばかりに、ハタラドゥールが無数の葉と枝を放った。圧倒的な物量の攻撃が、点ではなく面で迫る。


 しかし、密度の低い弾幕ならば爆弾ボムで一掃できる。迫り来る敵弾をなぎ払い、空白地帯が生まれた。


「おい、アリーチェ! コアが無事なら死なねーんだよな!」

「そうだけど、何を――」

「飛べってことだよ!」


 シーフォはアリーチェの返答を待たずに、爆弾を起爆した。


「ちょ、バッ!」


 迫り来る敵弾をなぎ払い生まれた空白地帯。そのど真ん中を赤紫の粘態スライムが流星すらも置き去りにする勢いで吹き飛んでいく。

 シーフォは強引すぎる移動手段でアリーチェだけ送り出した。


「アリーチェ・トスカーニ。貴様だけは逃すわけにはいかんな」


 ツルに覆われた出入り口。その前に衛兵のように立ち塞がる一人の分体が、流星を迎え撃った。腕から伸ばしたツルが、鞭のようにしなる。

 回避しようがない。

 しかし、アリーチェは体をひねりながら刀を払うと、襲いくるツルを事もなく跳ね飛ばし、無事着地した。

 目をみはるハタラドゥールと対照的に、シーフォの口元に笑みが浮かぶ。


「行けっ、そのまま壁をぶち抜け!」

「だから、それができたら苦労は――」

「できるだろ!」


 シーフォは叫んでいた。


「オレの爆弾でも効いたんだ! お前にできないわけがねぇ!」

「そんな無茶なこと――」

「無茶を通すのが、探索者だ!」


 かつてそう言ったのは他でもない、お前だと、シーフォはボロボロになった身体で叫んだ。

 弾幕をなぎ払い、アリーチェを塔の入口まで送る、その代償としてシーフォの身体は半壊していた。幾度となく爆風の煽りを受けたのだ。

 こうなることくらい、シーフォはわかっていた。

 だから、シーフォは叫ぶ。

 自分の体には目もくれず、ハタラドゥールに囲まれるアリーチェだけを見据えて叫ぶ。


「探索者に! なったんだろ!」


 あの日、二人は探索者になれなかった。

 しかし、止まったままのシーフォと違い、アリーチェは今日まで進み続け、新たな仲間と共に探索者になった。

 その歩みを、その未来を、竜ごときに止められるはずがない。


 それはシーフォにとっては願いでも、祈りでもない。

 ただの確信だった。


「――そうね」


 うなずくアリーチェ。視線はもうシーフォに向いていない。眼前に立ち塞がる竜を見ていた。

 アリーチェが刀を鞘に戻し、居合の構えをとる。

 魔法と呪術の理論において、居合術は単に物理的な現象に止まらない。刀という最も美しい武器。流麗な所作。居合術は一種の芸術であり、芸術には神秘が宿る。


 赤紫の粘態スライムの少女。その後ろ姿が、シーフォの瞳の中で、かつて何度も動画を見せられた稀代の探索者、屠兎トトの剣士ヴォーパルの構えに重なる。

 英雄の形態模写。伝説の再演。

 かの探索者は、折れた刀で竜を両断して見せた。

 ならば、アリーチェも。


「――抜刀」


 一閃。

 音を、光を、願いさえをも置き去りにして、鋼の牙が閃く。


「……き、さま」


 その神秘は、竜の鱗をも超えた。


 ハタラドゥールの分体の一つが倒れる。それと同時に、塔の入口を覆っていたツルもまたばらばらと崩れ落ちた。

 残った二体の分体の瞳に驚愕が宿る。

 恐るるに足らなかったはずのなまくらが、自らの鱗に傷をつけた。その事実は、ハタラドゥールにとって到底無視できるものではなかった。


「これ以上の消耗は避けたかったが、やむを得まい」


 今までのような嘲りとは明確に違う、心胆を寒からしめる声が塔に響き渡る。ハタラドゥールの分体、その一人の周囲に緑の光が収束を始めた。


「最後の吐息ブレスで片をつける」

「させるかよ」


 その時にはすでにシーフォは多次元ポーチへと両手を突っ込んでいた。大量のプラスチック爆弾に突き刺さる雷管代わりの綿毛。

 塔の入口でアリーチェが何か叫んでいる。

 シーフォはただ首を横に振った。


 こうなることは決まっていたのだと、シーフォは思った。

 アリーチェを塔の入口に向けて飛ばした時から。

 ハタラドゥールとアリーチェの戦闘に割り込んだ時から。

 エイシャを眠らせておきながら自分だけ塔に向かって走っていった時から。

 もしくは、それよりもっと前――あの日、アリーチェを裏切った時から。


「後は頑張れよ」

「『     咲き乱れよ』」


 竜血樹の吐息ブレスに一手先んじて、シーフォが多元ポーチを投げ捨てる。

 収縮していた緑の光が放たれるよりも早く、オレンジ色の閃光が世界を塗り潰した。

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