第45話 前途遼遠なれど
「立て続けに
炎の中を駆け抜けながらアリーチェはぼやいた。
竜の
次に
「壁に穴をぶち開けたりできねェのかよ」
ジッペルは金魚の糞のように後ろをついてきながら、相変わらず無茶な要求をしてくる。
「できたらやってるわよ!」
一応、試しはしたが、当然できなかった。
そもそも、壁に穴を開けるという時点で無茶だが、よりにもよってこの塔は竜の体そのものだ。竜の鱗は世界で最も硬い物質の一つであり、アリーチェの攻撃では穴どころか傷ひとつつかなかった。
そんな塔をへし折った聖花はいかに凄まじい存在だったのか、アリーチェは身に染みて感じていた。
「あともう少しで外に出られるんだから、文句言わずに走りなさい!」
背後のジッペルを叱咤してアリーチェは階段を駆け降りた。
目と鼻の先に出口が迫る。あとは炎に焼かれる前にアーチ状のゲートに飛び込むだけ、というその時、それは現れた。
「これ以上、好き勝手はさせぬ。ここは我の城だ」
竜血樹ハタラドゥールの分体とでも呼ぶべき存在が、アリーチェとジッペルの前に立ち塞がっていた。
その羽ばたきひとつで塔内の炎がかき消える。
「……逃げて」
たった一言。
アリーチェはそれだけジッペルに残すと、刀を抜き放った。一切の躊躇なくハタラドゥールに斬りかかる。
対するハタラドゥールは避ける素振りすら見せない。刀の通り道を遮るようにただ片手を突きだすだけである。これで充分だと言わんばかりの態度。
その侮りに目に物見せてやろうと、アリーチェは腕に力を込めた。
ハタラドゥールに当たる直前で斬撃の軌道を変える。刃は突きだされた片手を素通りし、無防備な胸元を斬りつけた――はずだった。
「チッ!」
「技術も悪くない。速さも力も充分。が、いかんせん得物の質が良くないな。その程度の粗末な刃では、我の鱗は破れぬぞ」
塔の内側だけではなく、分体もまた竜の鱗に覆われている。アリーチェの剣撃を受けてなお、ハタラドゥールには傷ひとつなかった。
アリーチェは唇を噛んだ。
「剣豪太刀を選ばずっていうでしょ」
「では、貴様は剣豪からほど遠いわけだな」
「言ってくれるわね」
事実、アリーチェの憧れる『
理解していたつもりだったが、実際に竜に相対し、自慢の剣撃が全く歯が立たないことで、その理解が実感となって降りそそぐ。
それならば、せめてジッペルだけでもこの場から逃そう。アリーチェはハタラドゥールの視線を遮るように刀を構えた。
「おい、そこのエント、どこに行くつもりだ? 移動を許可した覚えはないぞ」
視界の端に木の枝のような何かが舞う。
それが枝ではなくジッペルの腕であると気づくまでに数秒を要した。
「ぁぐァッ!」
「宝物庫に忍び込み、マタタビを盗んだのは貴様だな」
「あァ? なんの、こッだよ。知らねェよ」
「そうか。ならば死ね」
怯えるどころか噛みつくジッペル目がけて、ハタラドゥールは鋭利な葉を振るった。
「あんたの相手は、アタシよ!」
アリーチェは二人の間に割り込み、葉の真横に一撃を叩き込んだ。竜の斬撃は軌道が逸れ、ジッペルの残った右腕をかすめるにとどまった。
アリーチェはようやく一矢報いた心地になったが、成果を見届けることなく、その場から飛び退った。瞬間、床から放たれた木の枝が、直前までアリーチェの居た空間を貫いた。
避けられたことがよほど意外だったのか、ハタラドゥールは軽く目をみはった。
「……ほう、未来視でもできるのか?」
心中で「そんなことできたら苦労しないわよ!」とぼやく。
さっきのはただの勘だ。
竜血樹の本体はこの城自身。ゆえに、城の中であればどこからでも攻撃が飛んでくる。それを知っていたアリーチェは、筋道立てた思考ではなく、並外れた直観をもってして回避行動を取ってみせた。
「では、これはどうだ」
前後上下左右、無数の枝と葉の飽和攻撃。回避しきれないほどの大量の攻撃がアリーチェに迫る。視界を塗りつぶすほどの弾幕を前に、さしものアリーチェもなす術なく全身を刺し貫かれた。
これくらい
「終わりだな」
少しでもアリーチェに動く気配があれば、ハタラドゥールは躊躇なく
「くっ」
詰みだった。
誰の目から見ても勝敗は明らか。それどころか勝負にすらなっていない。それほどまでに圧倒的な竜と人の生物としての差。
諦めたアリーチェが刀から手を離そうとしたその時、ハタラドゥールの動きが不自然にピタリと停止した。
見覚えがあった。
これは邪視だ。
勝負が決した時、特有の一瞬の気の緩みをついた完全な奇襲が、今、目の前で成立していた。
――シュテリア?
アリーチェはここにいないはずの人物を思い浮かべながら、自らとジッペルの拘束を刀で薙ぎ払った。
最大のチャンス。逃げるなら今しかない。
「おい、見ろよこれ! 俺の腕がいつの間にか元に戻ってやがるぜ!」
こんな状況でも構わず話しかけてくるジッペルに呆れながら、アリーチェは枯れ木のような彼の手をつかんだ。握るなんて生やさしいものではなく、両手でがっちりと鷲掴みにする。
「おい、てめえ、なにををを」
「黙って、さっさと――」
そのまま走り出すのではなく、手から腕、腕から肩へと、全身をしならせながら力を込めていく。遠心力で浮かび上がるエントの身体。
「――逃げなさいっての!」
アリーチェはジッペルを強引に放り投げた。走るよりも早く、ジッペルの体が塔の外へと吹き飛んでいく。塔の外に出てしまえば、逃げることは一気に容易になるだろう。これでジッペルは逃がせた。後はアリーチェ自身が逃げるだけだ。
しかし、最大のチャンスはそこまで待ってはくれなかった。
落とした刀を拾い上げるアリーチェに、邪視を祓ったハタラドゥールの感心した声が届く。
「驚いたぞ。まさか、
「……まあね」
おそらくはこの戦いをどこかから見ているシュテリアの仕業だろうけど、わざわざ教えてやる意味はない。
アリーチェは曖昧に返すと、ハタラドゥール
「分身も出せるなんて、城の中ならホント何でもアリなのね」
「見た目ほど楽ではないぞ。数人分の視点を並列処理するのはなかなか骨が折れる。まぁ、それも猫どものせいでもう慣れたがな」
斑猫リフテンたちが仕掛けた内と外からの同時攻撃。それによりハタラドゥールは、本体で聖花と争いながら、分体で猫とも戦うと過酷な状況を強いられたが、結果として、分体を複数同時に扱うことに慣れ始めていた。
「さて、無駄話もこれくらいにしよう。ここまでの戦いで確信した。貴様は危険だ。今ここで死んでもらう」
万事休す。
アリーチェが覚悟を決めたその時、辺りが爆音に包まれた。塔の内側を爆風が駆け抜けていく。しかし、アリーチェが爆発の衝撃に巻き込まれることはなかった。
まるで爆風の通り道が管理されているかのように、自分の周囲だけ避けていく。この感覚には覚えがあった。
「……シーフォ?」
「よう。お前にしては珍しく苦戦してんのな、アリーチェ」
かつてアリーチェのパーティにおいて偵察や遊撃を担っていたルクナッツの
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます