第44話 輪廻転生
はるか昔、黒薔薇は竜血樹の
紅薔薇も、かつて白薔薇であった
「おいっ! ここはやべー! 逃げるぞ!」
呆然と空を見つめていたわたしとヒナヤは、ヘルボルトの言葉で我に返った。
全速力で走り出す。
直後、竜血樹が城壁のような尻尾を聖花だったものに叩きつけた。寄生植物に蝕まれた薔薇たちは、さっきまでわたしたちがオルニャンローデと戦っていた場所へと倒れた。
逃げるのが遅れていたら今頃下敷きになっていただろう。
あの場にいた猫たちはどうなったのか。そう考えた途端、倒れた薔薇から火の手が上がった。
炎の勢いは尋常ではなく、瞬く間に薔薇が炎に包まれていく。遠目にも燃え盛る炎が猫の形をとっていくのが見えた。
猫の逸話がいくつかよぎる。
五徳猫は火を自在に操るが、その消し方を忘れてしまった。
猫を弔う炎は、それ自身も猫である。
悪人の亡骸を奪い火付けを繰り返す真っ赤な猫を人は火車と呼んだ。
炎に関わる猫の言い伝えは多い。
もしかしたらあの場にも炎と関わりのある猫がいるのかもしれない。
わたしの隣で、ヒナヤがチラチラと後ろを見ながら走っている。やがて不安そうにつぶやいた。
「ねぇ、アリーチェちゃんたちは今も竜の首の中にいるんだよね」
「それがどうかした?」
「さっきの
「……」
「エイシャちゃん?」
思わず足が止まった。
改めて竜血樹を振り返る。
たしかに
もしもあの塔が、
最悪の想像が駆け巡る。
「え、エイシャちゃん!」
「おい! 落ちつけ!」
気づけば走り出していた。
ヒナヤとヘルボルトの声を置き去りに竜血樹の首へと向かう。
何ができるか? 何の意味があるか?
そんなのは知らない。けれども、思いついてからでは遅いのだ。非の打ち所がない完璧な行動。最適解。そんなものは考えているうちに、何もかも手遅れになってしまう。
猫の形をした炎は、聖花だったものを燃やし尽くすと、その矛先を竜血樹へと変えたようだった。
炎それ自体が生きているかのように竜血樹の首に噛みつく。
アリーチェの居る塔が炎に飲まれていく。
「落ちつけって言ってんだろ!」
強い叱咤と共に、ヘルボルトに腕をつかまれた。
「離して! 急がないと!」
「冷静になれよ! 今からオレたちが向かったところで何ができるってんだ!」
「でも、その場にいなきゃ何もできな……い……」
わたしは強引に腕を振り払おうとしたが、足に力が入らず崩れ落ちた。
足だけではない。口も上手く動かず、視界が揺れる。
「――落ち着くまで少し眠ってろ」
暗くなっていく視界の中、最後に見えたのは、
◆
「炎の虎マッカメラダビーか。あれがいるということは、どうやら彼女たちは上手いことやってくれたようだ」
アラ・ラテラントは燃える竜血樹の首を見つめながらつぶやいた。
彼は竜の居城の中心にある広場にいた。多くの
ここはもはや戦場だ。
「私たちの目的は達成した。君たちは逃げるといい」
アラ・ラテラントが声をかけたのは、
彼女らは演奏会に呼ばれた音楽家であると同時に、探索者でもあった。
パーティ名は『セイレーネスの魔女』。選抜試験の合格者である。彼女たちもまた、エイシャたちと同じく、その場の成り行きで猫に協力していたのだ。
パーティの中で最も身なりの綺麗な
「よろしいのですか?」
「あれだけ多くの猫がいる以上、時間の問題だよ。気にしなくていい」
「さようでございますか」
「皆さん、聞いていらしたわね? 私たちはここで撤退いたします!」
『セイレーネスの魔女』の面々は口々に「了解!」とつぶやき、戦場から離脱を始めた。
「竜に喧嘩を売って無事帰れると思うな。『
対峙するは竜血樹ハタラドゥール。
もちろん、本体の城ではない。そこから分離した分体とでも呼ぶべき存在だ。演奏会の時と同じく、白と黒のツートンカラーの翼を広げた
竜血樹の本体が聖花と争っている間、竜血樹の分体と斑猫リフテンたちは、ずっと中庭を舞台に戦いつづけていたのだ。
ハタラドゥールの分体が大地を踏みしめた。
「させないニャ」
リフテンが飛び出し、少女たちを
巨大な木の根が迫るが、宙を自由に舞う
――ハタラドゥールの想定通りに。
戦場から遥か遠く。竜血樹の本体は、炎の虎マッカメラダビーから顔を背けていた。
その視線の先は、中庭。『セイレーネスの魔女』たちへと。
「ッ! まずいッ! 避けろッ!」
アラ・ラテラントが気づいたのは、すでに竜血樹の本体から緑の閃光が放たれた後だった。
警告と共に糸を伸ばすが、とても間に合わない。
しかし、『セイレーネスの魔女』へと迫る閃光は、空中で見えない壁にぶつかったかのように止まった。
「なっ!?」
困惑するハタラドゥール。
声を上げたのは本体か分体か、はたまたそのどちらもか。
その視線の先に、
高速で飛行していた鋼鉄の翼猫トムが、偶然斜線上に重なったのだ。
トムは体を覆うおびただしい量の緑を振り払うと、竜血樹に向けて抗議と警告の射撃を残し、そのままどこかへと飛んでいった。
「ふざッけるなっ、これだから猫はっ!」
猫とは
『セイレーネスの魔女』たちはその隙に姿を消していた。
「……まぁいい。いずれまた会う時がくる」
猫が
「それより、まずは貴様らだな」
「まだやるのかい? どうせ勝負はつかないんだ。これくらいにしておこう」
「はっ、戯言をぬかしおる。我が猫に勝ち逃げを許すと思うか」
『セイレーネスの魔女』は無事逃げおおせた。しかし、それは彼女らの戦線離脱により戦力が低下するということでもある。
事実、リフテンとアラ・ラテラントは劣勢に追い込まれていった。
「にゃぁ、なかなかのつらニャ」
「これは……想像以上に厳しいな」
アラ・ラテラントとしては、リフテンと自分のどちらかがハタラドゥールを足止めし、もう片方はヒナヤたちの逃げる手助けに向かうつもりだったが、二人による足止めで精一杯だった。
「とはいえ、ジリ貧はあちらも同じだ」
アラ・ラテラントが無限に蘇生を繰り返せる以上、粘り強さでは彼らが上。一方、ハタラドゥールはすでに何度も
この状況が続けばいずれ勝つのは自分たちだ。そう分析するアラ・ラテラントを、ハタラドゥールは嘲笑った。
「このまま戦っていればいずれは勝てる――とでも思ったか?」
「ッ!?」
「愚かよな」
ハタラドゥールがあたりに大量の花弁を撒き散らした。その一枚一枚が非常に大きい。しかし、リフテンたちに向かって飛んでくることもなく、ただヒラヒラと宙を舞い続けている。
攻撃ではなく撹乱目的。
気づいた時にはすでに遅く、アラ・ラテラントとリフテンの脚はツタに拘束されていた。
リフテンはまるで液体のようにスルリと拘束から抜け出すと、地面に穴をつくり飛び込んだ。花吹雪の撹乱を逆に利用し、奇襲をかけるつもりだ。
一方、アラ・ラテラントは自らの背中に手を突き入れ、心臓をひきずりだした。そのまま勢いで槍のように投擲。空中を飛びながら心臓から復活していく。落ちる頃にはすっかり元に戻っていた。蘇生にかかる時間が長くなるどころか、明らかに短くなっている。本人にたずねたなら、おそらく慣れだと答えるだろう。猫の使い魔である以上、彼もまた理不尽そのものだ。
しかし、人を使うのは何も猫だけに限らない。竜には
花吹雪の本当の目的は、戦場に高速で近づくとある存在を隠すこと。
「踏み荒らされ散っていった花車たちの恨み! 食いやがれェ!」
「うにゃ!? だいじょぶかニャ!」
何か感じ取ったのだろう。リフテンは慌てて地面から飛び出し、アラ・ラテラントに駆け寄った。肉球のついた手で体を揺さぶるが、ピクリとも動かない。
「は、はやく起きるニャ!」
「くくく、無駄だ。諦めろ。貴様も理解しているだろう? 此奴はもう生き返らぬよ」
「そんニャ」
落ちこむ猫を見下ろしながら、ハタラドゥールは愉しげに笑った。
「やはり、こういう輩は転生させてしまうに限るな」
花車に限らず、ありとあらゆる車には『車輪の女王ヘリステラ』の加護が与えられる。
その力は輪廻転生。
ゆえに、車に轢かれ命を落とした者は、別の存在として生まれ変わる。
転生したアラ・ラテラントの魂は死後の世界にはなく、これでは生き返りようがない。
「さぁ、斑猫リフテンよ。その半身を失った状態で我といかにして戦う。せいぜい愉しませてく――」
「待ってろニャ! 今見つけに行くニャ!」
リフテンは肉球で地面に大穴を穿つと、ハタラドゥールには目もくれず、飛び込んだ。
繋がる先は、全ての猫たちの故郷『
リフテンはハタラドゥールとの戦いを放棄し、転生したアラ・ラテラントを捜すことを選んだ。
「ふん、ここで退くとはやはり猫はわからん」
大穴はすでに跡形もなく塞がっていた。
ハタラドゥールは、この戦いの功労者である花車の運転手に「よくやった」と労いの言葉をかけた。
聖花を倒し、斑猫を退けた。一つ一つ障害を取り除き、事態は確実に終息へと近づいている。あとは解放された猫たちを鎮めればいい。
ハタラドゥールはマタタビを持ち出すために、宝物庫の中へと分体を生成した。
度重なる大規模な争いとゴーレムの爆発で
また、意識を外に向け続けていたため、城内の様子も軽く見ておきたくもあった。竜血樹とて、自らの中で何が起きているか全て把握しているわけではない。健康診断をしなければ自分の体の状態が細かくわからないのと同じようなものだ。
「……なんだこれは」
護衛の
しかし、荒らされているというにはこの部屋はあまりにも綺麗すぎる。高価な楽器たちは手もつけられず残されていない。代わりにこの状況を見透かしたかのように、マタタビだけがひとつ残らずなくなっていた。
ハタラドゥールは、本体から
幾度となく
喉の内側に感じた小さなしこり。
塔の中で誰かが
「猫の協力者か」
違和感を確信へと変えながら、ハタラドゥールは分体を首の内部へと発生させた。
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