第43話 探索者になれない
シーフォ・ヘルボルト。彼に助けられるのはこれで二度目になる。
『
「……その、助けてくれてありがとう」
「そういや、あの時、助けた礼をもらってなかったな」
「お礼をしようにも、呼び止める間もなく居なくなっちゃったから」
アリーチェの顔を見るなり、すぐさま逃げ出したあたり、選抜試験での裏切りも少しは負い目を感じているのだろうか。
「エイシャちゃん、知り合いなの?」
「まぁ、一応。アリーチェの元仲間で、迷宮の中でヒナヤも一回は顔を見てるはずだけど」
「うぅん、そういえば、そんなことがあったような」
ヒナヤは眉間にシワをよせながら、絞り出すようにつぶやいた。
迷宮の中で助けられたのはわたしとシュテリアだ。ヒナヤが顔を見たのは本当に一瞬なので、思い出せなくても無理はない。
「ねぇ、ヘルボルト。どうしてあなたがここに――」
「今、そんなこと話してる場合か? 早いとこ、こっから離れようぜ。大量の猫が自由になったんだ。もう何が起きてもおかしくねーよ」
ヘルボルトに忠告され、改めて周囲を見渡す。
崩れたオルニャンローデから出てきた猫たち。マタタビを追っていった猫たちと違い、残った猫たちはのんびりとひなたぼっこをしているものが多い。
可愛くてついつい撫でたくなる気持ちを抑えながらわたしたちはその場を離れた。
「おい、どこに向かってんだ。そっちはハタラドゥールの首、危険だぞ」
「そうかもしれないけど、シュテリアを探さないと。あー、シュテリアっていうのは、迷宮で会った時、わたしと一緒にいた――」
「それくらい覚えてる」
ヘルボルトが苛立たしげにわたしの言葉を遮った。
「だがよ、こんな状況ではぐれた奴を探すとか本気か? とっくに死んでてもおかしくねえぞ」
「死んでないよ!」
声を上げたのはヒナヤだった。
「シュテリアちゃんは死んでないよ! ほら、これ見て!」
そう言ってヒナヤが突き出したのは五角形の木板――待機画面に馬のイラストが表示されることから絵馬と呼ばれている木板型端末だ。
木目が変化し、念話アプリの画面を表示していた。
そこには見覚えのある名前が一つ。
「今、気づいたんだけどね、ちょっと前にシュテリアちゃんから連絡があったみたい!」
「よかった」
シュテリアが生きていたとわかり、わたしは胸を撫で下ろした。
ヒナヤが「もっかい連絡してみるね」と絵馬をなぞる。
「あ、出てくれた」
絵馬の木目がゆっくりと変化していく。
後ろからわたしと一緒に覗き込んでいたヘルボルトが、画面を見て呆れた声を上げる。
「オイオイ、今時この画質でさらにモノクロってどんだけ古いモデルだよ。しかも、表示速度もおっせーし」
「えっ、でもまだ二十年くらいしか使ってないよ」
「まだ二十年って……これだからエルフは」
ようやく、木目が完全に切り替わり、絵馬に映像が表示された。
しかし、そこにシュテリアの姿はない。
竜血樹の内部らしき風景が映し出されるだけで、誰の姿も見えない。
「んん? あれれ?」
「壊れたんじゃねーの」
興味なさげなヘルボルトのつぶやきに、わたしは首を横に振った。
「いや、あっちの景色が映ってるんだから、それはないと思う。壊れたらそもそも映像自体映らないし、それよりは――」
単純にあちらが自分の姿を映さないようにしていると考えた方がまだありえる。シュテリアが自分の姿を映したくない理由はわからないけど。
「あー……怪我をしてるから、あまり見せたくないとか」
自分で言いながらもしっくりこない。
発言者のわたしがそうなのだから、他の二人はなおのことだろう。
ヘルボルトが痺れを切らした。
「ま、なんにせよ、このままつけててもしょうがねーだろ」
「うん、そうだよね」
ヒナヤは念話を切り、端末をしまった。
「で、オマエらはどうするつもりだ。竜血樹の首に向かうなら、手伝ってやってもいーぜ」
「それは助かるけど、どうして」
ヘルボルトに進んで人を助けるイメージがなかったので、感謝よりも驚きが先に来てしまった。しかし、よくよく考えてみれば彼には何度も窮地を助けられている。
「連れとはぐれたのが、ちょうどそこなんだよ」
「あー、ね。それなら、先行してるアリーチェと中で会ってるかも」
「……あいつもいんのかよ。いや、オマエらがいるんだから、そりゃそうか」
ヘルボルトの表情が曇った。
「そんなにアリーチェと会いたくない?」
「……何だ、もしかして聞いてないのか」
「選抜試験のことなら、一応聞いてる」
「はっ、じゃあわかるだろ。今さら会えるわけねーよ」
顔を背けるヘルボルト。
わずかな逡巡の後、わたしは口を開いた。
「……アリーチェは、あなたが誰かに脅迫されてたんじゃないかって心配してる」
「で?」
「だから、そんなに避けなくてもいいんじゃない」
「ハッ、余計なお世話だ」
わたしの口をついた柄にもない言葉を、ヘルボルトは迷わず切って捨てた。
「まぁ、たしかに脅迫は来たぜ。選抜試験を辞退しろ、さもなくばお前が盗みをしてきた事実を公表するって頭の悪い脅迫がな」
「盗みって……それ、わたしたちに言っていいの?」
「べつに今さら構いやしねーよ。だいたいその脅迫も、半分無視したしな」
「どういうこと?」
「試験には出てなくても、会場には行ってんだよ」
アリーチェが選抜試験に参加できなかった理由は、パーティメンバーが誰一人現れなかったから。そのはずだ。
でも、ヘルボルトは会場に来ていた?
困惑するわたしにヘルボルトが続ける。
「そもそも、なんでわざわざ脅迫してくるのかって話だ。妨害したけりゃ、オレが盗人だとさっさと公表すればいい」
たしかにその通りだ。
そうすれば、ヘルボルトは選抜試験どころではなくなるだろう。
「それなのに、あえて脅迫という手段をとったのは、実は証拠がないか、もしくは、バラしても大したダメージにならないと見て、それなら脅迫のネタにした方がマシだと思ったか」
「大したダメージにならないなんてことある?」
「何が犯罪で、どう裁くかなんてのは法が決めるもんだろ。その点、シーザオがまともに機能してると思うか」
「あー、そうなるのか」
竜血樹ハタラドゥールが支配するシーザオでは、全てが竜の気分次第。
法治国家にはほど遠い。
「だから、こんなもん無視でいい」
ヘルボルトはそう締めくくった。
それまで静かに聞いていたヒナヤがゆっくりと口を開く。
「でも、脅されて怖くないの? ヒナヤだったら、すごく嫌だよ」
「そりゃ、嫌ではあったぜ。だがよ、探索者を目指すって決めた時からそれくらいは覚悟してる」
わたしたちから目を逸らさずヘルボルトは言い切った。
「盗みをしたってのも一度や二度じゃねえ。生きていくために仕方なくやった時もあれば、憂さ晴らしにやることもあった。それを今さら全部無かったことにして、恥じることのない真っ当な探索者ですってか? そりゃ通らねーだろ。
だいたい、やましい事はどれだけ隠してもいずれ明るみに出る。有名になりゃそれだけ過去も探られる。
だから、探索者を目指す以上、盗みの過去がいずれバレるのはわかってた。まさか、なる前に脅されるとは思わなかったけどな」
ヘルボルトは小さく息を吐くと、一度だけ空を仰いだ。
思いを馳せるようなその姿に、わたしは思わず問いかけた。
「あの日、会場で何があったの」
「何もなかったぜ」
「そんなはずなくない?」
だって、実際、アリーチェの仲間は誰も現れなかったのだから。
もし、あの場にヘルボルトがいたのなら、どうしてアリーチェは一人だったんだ。
「……会場には行ったぜ。誰にも気づかれないようこそこそ姿を隠してな」
「どうして、そんな」
「結局、オレは迷ってたんだ。脅迫なんて無視だとか、バレることくらい覚悟してるとか、そんなこといっても、内心では揺れていた。試験会場に『行く』のと『行かない』の、どっちの方が得か秤にかけて迷っていた」
だから、「来た」とも「来てない」とも、土壇場でどちらも選べるよう、隠れて会場にきたのだと、ヘルボルトは述べた。
「そしたら、驚いたぜ。時間ギリギリになってもリグもキティラも現れねえ。いるのはアリーチェだけ。そこでようやくオレは察したんだ。どうやら、脅迫されたのはオレだけじゃねーみたいだってな。それで――オレは姿を見せないことにした。会場には『来ていない』ことにした」
あの日、縁切り池でみつけたアリーチェの姿が頭の中に蘇る。
今まで見たことないくらい落ち込み、今にも消えてしまいそうなほど小さな背中。
シーフォ・ヘルボルト。彼はきっとその背中を知らない。
「あの日、アリーチェは、誰も来なかったって言ってた」
「……」
「仲間だと思っていたけど、本当は嫌われていたんじゃないかとも言ってた」
「……別に嫌ってはいねーよ」
「だったら! あなただけでも顔を出して、そう言ってあげてたらっ!」
少なくとも、アリーチェが試験会場の中、たった一人で立ち尽くすことはなかったはずだ。
同じ失格だとしても、それはきっと全然違う。
「試験会場に来てたんでしょ! それくらいッ」
「……そうだな。それくらいすりゃ良かった。返す言葉もねーよ。でも、オレにはできなかった」
ヘルボルトの口調には覇気がなかった。
「損だと、思った。ここでオレが出て行ってもパーティメンバーが二人足りない以上、失格は確実。それなら、下手に脅迫犯を刺激せず、従っておいた方が得だと、そう思った」
気づけばヘルボルトの視線は地をなぞっていた。懺悔するようにうつむく顔には光がない。
得を選んだ人の姿とは、とても思えなかった。
「オレはさ。探索者に向いてるのは、いつでも冷静に判断できる奴だと思っていた。合理的に必要だと判断したことは迷わず実行できる。それこそが、優れた探索者の資質だと思っていた。
……けどよ、本当に合理的な奴は、探索者になろうなんて思わねえ。どれだけ非合理的だとしても、心が惹かれるから、心が揺さぶられるから、だから冒険をする。探索者になるんだ。
選抜試験のあの日、オレは保身を選んだ。今回がダメだと決まった以上、次を見据えた方がいい。そう思ってアリーチェを見捨てた。
でもよ、そうやって仲間をあっさり見捨てるような奴が探索者になれるか?
……なれねーよな。なれるはずがねえ。なれたとして、誰がそんな奴に憧れる。少なくともオレは、そんな奴応援したくねーよ」
裁かれたがっているように聞こえた。
もう助からない重症患者が「殺してくれ」と頼むように。
ヘルボルトの言葉はナイフのように鋭い。しかし、その切っ先は、それを発する自分自身に向けられていた。
「……後悔してるの?」
「ちがう。全ッ然、ちげーよ。後悔してるなら、まだよかったって話だ。それならまだマシだ」
ヘルボルトが顔を手で押さえたまま首を横に振る。何度も、何度も。
「どれだけ考えても、あの選択が間違っていたとはオレには思えねえ。あの状況になった時点で負けだった。悔やむなら、それを何とかできなかったことだ。
だから、あの選抜試験の日を何度繰り返しても、きっとオレは同じことをする。アリーチェを切り捨てる。仲間より、自分をとる。
それがどういうことか、オマエにわかるか?」
答えられないわたしに、ヘルボルトはまくし立てる。
「探索者に向いてねーってことだよ。根っこの部分でオレはオレしか大事にできない。それがわかっちまった」
「……」
「オレは探索者になれない」
その言葉を聞いてわたしは思った。
きっと彼は、シーフォ・ヘルボルトは、本当に探索者になりたかったのだ。
アリーチェを理由にするわたしなんかより、よほど強く探索者に夢を見ていた。
沈黙するわたしたちを影が覆った。
空を仰ぐと、シーザオの聖花が揺れるのが見えた。
竜血樹の
あれほど鮮やかだった紅薔薇は寄生植物に侵食され、葉や茎や花弁などいたるところから形容し難い植物が芽吹いていた。
その向かいで竜血樹が首をもたげ、
口から放たれた緑の閃光が、セピア色の薔薇を染め上げていく。
その日、ミューブラン砂漠から聖花が完全に失われた。
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