第42話 透明になるから
「なァ、アリーチェさんよー、こんだけ色々と教えてやったんだぜ。少しは俺の頼みも聞いてくれたっていいんじゃねェか」
「あのさ、別に聞かないとは言ってないでしょ。まずはシュテリアを見つけてからって言ってんの」
竜血樹内部でジッペルと出会ってから、このやり取りももう何度目になるかわからない。さすがにアリーチェの口調も険のこもったものになっていた。
ジッペルが語るには、彼とシーフォは斑猫リフテンの協力者だという。
二人は城内に侵入し、リフテンとアラ・ラテラントがハタラドゥール相手に戦っている隙に、囚われの猫を解放するため動いていた。
作戦は順調に進み、囚われの猫を見つけたが、そこで問題が起きた。猫たちはただ囚われているのではなく、オルガンのような装置に組み込まれ、兵器と化していたのだ。
さすがにこれはマズいと二人は尻尾を巻いて逃げ出し(本人曰く戦略的撤退)、その途中でジッペルはシーフォとはぐれ、今に至るという。
ジッペルは「色々教えてやった」と言うが、アリーチェが尋ねたのは猫についてだけだ。むしろ、途中から聞いていないことまでペラペラと喋りだしたのはジッペルの方だ。それを貸しとされるのは、アリーチェとしては甚だ不本意であった。
『
ジッペルは「全て俺が頑張ったんだぜ」と得意げに語ったが、それは「この騒動の原因は自分にある」と言っているに等しいと、理解しているのだろうか。
「しかし、人探しねェ。見かける奴らはどいつもこいつも死体じゃねェか。そのシュテリアとかいうのも、もう死んでんのがオチだろ」
「……だったらなおさら、連れて帰らないとでしょ」
「あァ? ……あー、蘇生か。探索者ってそんなに儲かんのか。良いご身分だな。そりゃ、あいつも探索者になりたがるわけだ」
アリーチェは、別にそこまで儲けてはいないと思ったが、指摘するのも面倒だったので、無言で階段に足をかけた。
「そういや、お前、シーフォの元仲間なんだよな」
「そうだけど。だったら何?」
「あいつが選抜試験に来なかった理由、知ってるか」
「……想像つくわ。何かしら脅されたんでしょ」
「そうそう。『選抜試験を欠席しろ。さもなくばお前の盗みを世間に公表する』ってな感じの手紙が届いたんだよ」
リグサキサスーバが妹を誘拐されたように、シーフォも誰かに弱みを握られていたらしい。
ただ、気になるのは『盗み』という単語だ。
「盗み?」
「俺ら貧乏人はそうでもしねェと生きてけねェんだ。このクソ竜のせいでな」
ジッペルは苛立たしげに竜血樹の壁を蹴った。
「俺らからは金をしぼるだけしぼるくせに、どこから来たともしれねェ音楽かぶればかり優遇しやがる。ふざけやがって」
「……」
「ま、お前からしたら、俺らはただの犯罪者かもな。実際、シーフォはそれを恐れて選抜試験をやめた。ほら、今の探索者ってなァ、イメージが大事だろ」
「まぁ、そうね」
かつての探索者は社会から溢れた者たちの受け皿でもあったが、在り方が整備されていく中、その側面は弱くなっていった。
「だがよ、そもそも貧しくなけりゃ俺もシーフォももっと真っ当に生きれたはずなんだ。元を辿りゃ悪いのは全部このクソ竜だろ。こいつのせいで、水は枯れるし、人は飢える。シーザオに住んでる奴らはみんなわかってる。わかってて何もせず受け入れてんだ」
ミューブラン砂漠も元は大森林だったというアラ・ラテラントの話を思い出していた。
そこに咲いていたという四つの聖花と、それを崇める人々。抵抗するでも逃げ出すでもなく、竜の従属を選んだ紅薔薇の民。
「全部今日までだ。このクソ竜が偉そうにしてられるのも、しょうもない生活も、何もかも今日で終わりだ。猫を解放して、全部ぶっ壊してやる」
不満を吐き捨てるジッペル。
彼の憤りは全て竜血樹に向けられていた。
アリーチェはジッペルから顔を背け、階段を上った。その先で見つけたのは、倒れ伏す人の姿だ。すぐさま駆け寄った。
「お、探し人が見つかったか」
「……違ったわ。でも、これ――」
「なんだ、知り合いか?」
ジッペルの問いかけに、アリーチェは首を横に振った。
「違う。そうじゃなくて、傷が全くないのよ」
「お、んじゃ、ついに生存者ってことか」
「それも違うの。生きてない」
「はァ? 何言ってんだ。意味がわかるように話せよ」
苛立たしげにジッペルがぼやくが、アリーチェとしても目の前の出来事をありのままに伝えるしかなかった。
「だから、死んでるのよ。それなのにこの死体、傷もなければ、服に汚れも何もない」
◆
塔の崩落に巻き込まれ多くの人が命を落とす中、シュテリアは運良く一命を取りとめていた。
本当に運が良かったとしかいいようがない。
幸運にもシュテリアは崩落の直前、咄嗟に日音器を一つかんでいた。
神器とも評されるだけあり、その力は凄まじい。シュテリアの砕けた脚も、折れた腕も、傷口からのぞくはらわたさえ、完全に元に戻っていた。
塔の内部は散々な有り様だった。
ようやく人の姿を見つけたと思っても、すでに事切れたものばかり。
日音器といえど死者を生き返らせることはできないようだ。シュテリアは一度だけ試したが、死体が傷も汚れも何一つない清らかな死体になっただけだった。どうやら『ささらなー』の持つ万物を洗い清める力に、黄泉がえりは含まれないらしい。
シュテリアは陰鬱な気分を払うように顔を振り、キーボード型端末を取り出した。
「……連絡きてたんですね」
気づかないうちにヒナヤから着信があったらしい。
ヒナヤが無事なら、
「……出ない」
状況が状況だ。念話に出られなくても仕方ない。シュテリア自身そうだったように、単に着信に気づいていないこともある。
「そうだ、配信」
ヒナヤが
シュテリアはキーボード型端末を素早く叩き、目を丸くした。
「え、なに、この視聴者数」
今までとは比べ物にならない人数がヒナヤの配信を見ていた。
困惑しながらも、ネットやコメント欄から原因を探る。
どうやらシーザオでは、聖花や『
映像にはヒナヤとエイシャが映っていた。
コンサートホールらしき場所で、
シュテリアの目には圧倒的に不利な状況に見えた。
それは他の視聴者も同じようで、画面は「逃げろ」という文字で溢れている。
しかし、結果は真逆。
エイシャとヒナヤは、アリーチェ抜きで猫を操る
盛り上がるコメント欄。
その熱量は、この前『
喜ばしいことだ。
エイシャとヒナヤが無事なことも、その活躍が大勢の目にとまったことも。
どれも喜ばしい。
この騒動が無事終われば、迷宮の主を圧倒し、猫をも下した新進気鋭の探索者として『
そして、その活躍が語られる時に、シュテリア・ポストロスの名はきっと出てこない。
「…………」
シュテリアは配信画面を静かに閉じた。
これ以上、見ていられなかった。
「……みんなと合流しないと」
一人は嫌だ。耐えられない。
今度こそヒナヤと連絡を。そう思ったシュテリアの耳に、階段の方から音が聞こえてきた。
誰かの足音だ。
反射的に顔を向ける。
そこには、アリーチェがいた。
「アリーチェ! 良かった、無事だったんですね!」
声をかけたが、反応がない。
「……アリーチェ?」
聞こえていないのだろうか。
困惑するシュテリアをよそに、アリーチェは先ほどシュテリアが日音器を使った死体に駆け寄っていった。
「お、探し人が見つかったか」
階段からアリーチェの他にもう一人。見覚えのないエントが姿を現した。
エントもまたシュテリアには目もくれず、アリーチェの方へ向かっていく。
「……違ったわ。でも、これ――」
「なんだ、知り合いか?」
「違う。そうじゃなくて、傷が全くないのよ」
まるでシュテリアがこの場にいないかのように二人は会話を続けていく。
嫌な予感がした。
「あの、アリーチェ? 実はそれボクが日音器を使って――」
「お、んじゃ、ついに生存者ってことか」
「それも違うの。生きてない」
「いや、だからそれはボクが――」
どれだけ話しかけても手応えがない。
アリーチェも、エントも、どちらもシュテリアの存在に気づいていないだけだ。
おそらく、シュテリアのことが見えていないのだ。
「――また、ですか」
震える声が、二人の間を虚しく通り過ぎる。
「はァ? 何言ってんだ。意味がわかるように話せよ」
見知らぬエントの言葉はアリーチェに向けたもので、視線の先にシュテリアはない。
それでも、シュテリアは答えるように口を開いた。
そうしなければ、自分という存在がどんどん希薄になり、やがて消えてしまうような気がした。
「――前にもあったんですよ。こういうことが」
周りから無視される。いないものとして扱われる。そんな毎日が続き、ある日、自分は本当に透明なんじゃないかと錯覚することでそれは起きる。
星見の塔で修学していた頃の、思い出したくもない苦い記憶。
「治ったと思ってたんですけどね」
『よりにもよってこんな時に再発しなくても』と憤る気持ちと『今までよくもった方だ』という冷静な分析が、シュテリアの内側で入り混じる。
塔の崩落前、ハタラドゥールに殺された
『なぁ、君たちは、私の歌を知ってる、か?』
『私は、浮かれていた。竜の演奏会に呼ばれて浮かれていたんだ』
『コロダントという家格や血筋ではない、自分の実力が、私の歌が、コロダント家のマペットではなくただの音楽家のマペットとして、ようやく評価された、認められた、そう思った。でも』
『でも、違ったらしい。竜は、私の歌になど、興味がなかった。興味があるのは、日音器を奏でられるかどうか、それだけだ。結局、オレのことなんて、初めから、誰も』
彼の言葉が呼び水となった。
誰も見てくれない。
誰の一番にもなれない。
居ても居なくても同じ。
あまりに恥ずかしく、直視できなかった自分の気持ちが堰を切って溢れていく。
贅沢な悩みだと、シュテリアは思った。
かつて星見の塔で透明になった時に比べたら、あまりにも些細で贅沢な悩みだ。
それでも、
アリーチェが、エイシャが、ヒナヤが、彼女たちが誰かに必要とされ、誰かの一番であることを目にするたび、シュテリアは消えてしまいたくなる。
取り柄のない自分なんて、この世界から消えてしまえばいいと。
でも、それと同時に、誰かに引き止めて欲しかった。誰かに見つけて欲しかった。あなたは特別なのだと、そう誰かに言い切って欲しかった。
「――救いようがないですよね」
こぼれた言葉に、やはり返事はなかった。
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