第41話 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎

 縁切神ピグナータが断ち切るのは人と人の縁だけに限らない。止められない悪い習慣。治らない病。それらも悪縁の一つだ。

 わたしは『呪力切れ』を『病』の一つと強引に見做し、右腕を捧げて悪縁切りを願った。暴論、暴挙の自覚はある。しかし、それでも縁切り池での一件以来、信仰心ゼロのわたしと縁切神が繋がったままなのだから、神様の考えは本当によくわからない。どうせならもっと信心深い人を選べばいいのに、と思ってしまうのは人の視点に過ぎないのだろうか。


 わたしは竜牙兵スパルトイと『餓樹丸ガジュマル』の残骸に近づいた。その中で小さな水溜まりのようになっているウーズ型端末をつかんで、地面からべろんと引き剥がす。


「あー、やっぱり壊れてるかぁ」


 思えば長い付き合いだった。

 自分自身の体組織の一部を切り取り、加工して作られたウーズ型端末は、いわばわたしの第二のコアだ。探索でも日常でも様々な呪術アプリにお世話になってきた。


 今回使った音楽編集呪術アプリ『Diva』は、バーチャルシンガーの曲にハマり始めた頃にインストールしたものだ。音声合成呪術アプリ『スピカ』と合わせて購入したはいいものの、音楽知識のないわたしは三日と経たずに挫折した。

 使わないならさっさとアンインストールすればいいし、残していても容量を食うだけだとわかりつつも、消すに消せずにいたのだが、まさかそれがこんなところで役に立つとは。


「……ありがとね」


 役目を終えた端末に別れの言葉を告げた。


 一方、オルニャンローデだが、こちらはさすがと言うべきか、激しい戦いの後にもかかわらず傷一つない威容を保っていた。

 それだけのことが、まるで自分のことのように誇らしい。


「ねぇねぇエイシャちゃん。ここからどうするの?」

「何とかしてオルニャンローデの歌を世界中に届けたいね」


 この素晴らしき歌をより多くの人に知ってもらう。それこそがわたしたちのするべきことであり、生まれてきた意味だ。


「そのためにもまずは幻想領域から抜け出したいところだけど」


 庭師ガーデナーで幻想領域を展開しても解除できなかった以上、どうすればここから抜け出せるのか皆目見当がつかない。

 力業で強引に破ろうにも、わたしとヒナヤでは力不足だ。


「エイシャちゃん、こっちでみんなに聞いてみようよ」


 ヒナヤが撮影衛星ボールバニーの前でアヒル座りをしながら手招きしていた。空間上に映し出されたコメント欄が光っている。

 なるほど、悪くない。わたしでは思いつかなくても、視聴者の誰かが良い案を書いてくれるかも。

 そんな期待を胸にヒナヤの隣にしゃがみ込んだ。


『強いじゃん』

『勝っても猫の洗脳解けなくて草』

『マジか』

『いつものみんなに戻って』

『ぬここわ』

『つんでんなー』

『先輩抜きで勝てるんかい!』

『凡ミスのないエルフは解釈違い』

『猫優先なのヤバすぎる』

『ぬっこわ』

『エイたん、もしや先輩並みに強い?』


 コメントは意外とまとまりがない。誰もが思い思いにつぶやいているのだろう。


「……まず、この先輩とか、お嬢って誰? もしかしなくても、エイたんは……わたしでしょ」

「そうそう。『エイたん』がエイシャちゃんで、『先輩』がアリーチェちゃん。ちなみにシュテリアちゃんは『お嬢』で、ヒナヤはよく『ピナ』って呼ばれてるよ」

「なにそれ、初めて聞いた」

「エイたん、コメント全然見ないから」

「あー、ね」


 ヒナヤの口調に責める様子はないけれど、それでも少し気まずくなって目を逸らした。


 しかし、なんとも変な呼び名だ。

 響きの小っ恥ずかしさはさておき、『エイたん』や『ピナ』が名前をもじっていることは理解できる。シュテリアの『お嬢』も、まあ、わからなくはない。基本ずっと敬語だし。育ちも良さそうだし。

 でも、アリーチェの『先輩』に至ってはもはや何なんだ? アリーチェとわたしは完全に同い年だし、年齢を言うなら、エルフのヒナヤがぶっちぎりで最年長だ。


「この呼び名、いつの間にこうなったの」

「うーん、わかんない。知らないうちに決まってたよ」

「ま、そういうもんか」


 このまま、あだ名の話をしていても仕方ないので話を切り上げて口をつぐむ。

 それより今は、幻想領域から抜け出して、オルニャンローデの歌をより多くの人に届けることが大事だ。


 それにしても、届くコメントは猫に対して怯えたり、危険性をあげつらうものばかりだ。わたしとヒナヤが洗脳されていると主張しているものまである。彼らも配信越しにオルニャンローデの歌を聴いたはずなのに、感動は微塵も見えない。

 これはおそらく検閲する神エーラマーンの仕業だろう。星辰間通信網アストラルネットを介したことで、オルニャンローデの歌が歪んで伝えられているに違いない。


 やはり、わたしたち自らの手でオルニャンローデの旋律を世界に広げていかないと。


 決意を新たにコメント欄を見つめていると、突然、コメントの流れが早くなった。


『後ろ!』

『うしろ』

『なんかおる』

『(<●>ω<●>)』

『うしろ見て』

『後ろにいる』


「……うしろ?」


 コメントの指示のままに後ろを振り返ると、そこではなぜか、わたしのウーズ型端末が起動していた。


「え……壊れてたのに」


 完全に壊れて、皿にへばりつく餅みたいになっていたウーズ型端末が、明らかに動いていた。

 しかも、その形状はわたしの使っていたどの呪術アプリにも当てはまらず、全く見覚えがない。

 ポチャンと弾む丸い身体。手も足も胴体もなく頭だけの生物がいるとしたら、まさにこんな姿だろう。

 胴体の代わりにしなやかな尻尾が伸び、シルエットはまるで音符。その全身は無数の瞳に覆われている。

 しかし、わたしの目を惹いたのはそのどれでもなく、頭部にぴょこんと生える二つの三角耳であった。


「猫?」


 呆然とするわたしたちの前で、猫のような何かが数えきれないほどの目を見開いた。


「うゎ」


 集合体恐怖症トライポフォビアは目を背けたくなること間違い無しの光景。

 かつて遭遇してきた猫たち――山猫ミシカンカスとも、斑猫リフテンとも、似ても似つかない姿。

 それでも本能が目の前のこれは間違いなくと猫だと告げている。

 異形であろうと、生命でなかろうと、猫は猫だ。

 猫が、口を開いた。


「⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎」


 ザーザーと雑音が重なり、何を言っているのかまるでわからない。

 撮影衛星ボールバニー越しの視聴者たちもそれは変わらないようで、『何言ってんのかわからん』や『うるさすぎる』といったコメントが流れていく。

 そこに文字化けしたコメントが混ざるまで時間はかからなかった。読めない理解不能の文字列は瞬く間に数を増やし、コメント欄を埋め尽くした。


「⬛︎⬛︎⬛︎」


 慌ててヒナヤの名前を呼んだが、もはや自分の声すらまともに聞こえない。

 やがて、音だけでなく光まで雑音に飲まれ出した。

 チカチカしたモノクロの小さな光が視界広がり、テレビの砂嵐に包まれたかのように世界の解像度が下がっていく。

 雑音が五感を通じて思考すらも汚染していく。何も分からない、何も読み取れない、何も考えられないまま、もどかしさと不快感を示す生体信号だけが機械的に全身を駆け巡る。


 聞こえる音がわからない。

 見える景色がわからない。

 思考がまとまらない。


 猫鳴琴オルニャンローデも、音楽堂コンサートホールも、何も認識できない。

 もはやそこには何もなく、ただノイズだけがあった。





 後世にて、その猫は音の中から生まれたと伝えられている。


 竜血樹と斑猫の争いに巻き込まれた『水菓子の花便りウォータークッキー』の残した貴重な資料映像から、専門家たちが考察した発生経緯は以下のものだ。


 音楽編集呪術アプリ『Diva』が猫鳴琴オルニャンローデの音声、すなわち、猫の声を高精度で録音したことにより、猫性が相似的に発生し、端末内部に保存された。その後、音声再生を要因として猫性が覚醒。暴走した猫性は瞬く間に端末機体と音声編集呪術を侵食し、権限を掌握。肉体ハードウェア精神ソフトウェアを再構築することで、より自身の猫性に適した身体を獲得。

 こうして――世界に新たな猫が誕生した。


 その性質は雑音ノイズ

 あらゆる情報に雑音を合成し、意味を崩壊させる騒々しい猫ノイジーキャット


 名は、つづみ破りのバルカルル。


 生まれたばかりの子猫は、オルニャンローデの幻想領域すらも強引にこじ開け、まだ見ぬ世界へ踏み出した。


 猫はいかなる場所にも現れ、行手を阻むことは誰にもできない。

 この映像は、その証左の一つである。





 あやふやな視界が次第にはっきりしていく。

 遥か頭上には、動く竜の城と二輪の聖花。隣には、「うぅ、頭が痛いよぉ」とこめかみを押さえるエルフ。

 オルニャンローデの幻想領域はいつの間にか消え去り、わたしとヒナヤは元の場所へと戻ってきていた。

 周囲にあるのは、竜牙兵スパルトイの残骸と、演奏台コンソールが空白となったオルニャンローデのみ。撮影衛星ボールバニーは強制終了し、わたしの端末もどこにも見当たらない。


 直前の光景が目の錯覚でなければ、わたしの端末が猫になり、今の状況を引き起こしたことになる。

 あの竜牙兵スパルトイが死ぬ間際に何か手を打ったのか。それとも、特に理由などないのか。

 なんとなく、後者の方が猫っぽいけど。


「あー、まだコアがガンガンする。……気持ちわる」


 思考を嫌がる頭を無理やり働かせる。

 すでに謎の猫の姿はなく、わたしもヒナヤも無事。それならやるべきことは一つだ。

 今はとにかく。


「とにかく、オルニャンローデの歌をみんなに届けないと」


 生憎、わたしにピアノの心得はない。一刻も早くオルニャンローデを弾くに相応しい人物を見つけ、あの素晴らしき旋律を世界中に届けなくては。

 ガンガン響く頭を押さえながら立ち上がると、呆れまじりのため息が聞こえてきた。


「幻想領域は解けても、魅了チャームは解けねえのか。やっぱ猫ってヤベェのな」

「……シーフォ・ヘルボルト」

「よう、久しぶりだな。まさか、こんな場所で会うとは思わなかったけどよ」


 オルニャンローデの演奏台コンソールに、見覚えのあるルクナッツが腰掛けていた。


「あなた、実はピアノ弾けたりとかする?」

「あ?」

「実はオルニャンローデを弾くに相応しい人を探してて……あー、やっぱいいや。今の無しで」


 シーフォ・ヘルボルト。極悪人ではないだろうけど、オルニャンローデに触れさせて良いと断言もできない。というか、判断できるほど彼を知らない。

 アリーチェの元仲間ではあるけど、それは同時に選抜試験で裏切ったことも意味するし。


「……はぁ。どうやら、魅了チャームを解かねーとまともに会話もできなさそうだな。解いてやるからそこで見てろ」


 竜の吐息ブレスと違い、猫の魅了チャームには戻す手段がある。

 吐息ブレスが決して元に戻らない不可逆性なら、魅了チャームとは如何なるものでも揺らがせる不安定性。猫自身が魅了チャームを取り下げるか、もしくは、発信元の猫そのものを消してしまえば、やがて揺らぎは収まる。


 つまり、今シーフォのしようとしている行為は――オルニャンローデの破壊。


「そんなことはさせな――」

「わりーな。もうした後なんだわ。ほら」


 いつの間にかオルニャンローデの演奏台コンソールはこじ開けられ、せせら笑うシーフォの手には、緑の球が握られていた。

 よく見るとそれは歪に凸凹した楕円形で、球と呼ぶには程遠い。どうやらオルニャンローデ内部から取り出したようだが――あれは一体何だ。植物の実にも見えなくないけど。


「エイシャちゃん、あれってマタタビなんじゃない?」


 隣でヒナヤが囁くと同時に、オルニャンローデが膨れ上がる。今まで鍵盤を叩かれない限り微動だにしなかったオルニャンローデが、自ら動き出した。


「猫の言葉なんてどうせ適当ぬかしてるだけと思ってたけどよ。いやぁ、マジであいつの言うとおり『マタタビに釣られてるだけ』とはな。こんなもん燃やしちまうのが一番だぜ」


 ライターの音。

 それが決定的な合図となり、オルニャンローデが文字通り弾けた。

 縛る枷など初めから無かったかのように、オルニャンローデからぞろぞろと猫が飛び出てくる。色も形も千差万別、しかしそれらが全て猫であることは間違いない。

 猫たちは目の色を変えてシーフォの持つマタタビへと殺到していく。

 寄越せだの、返せだの、叫ぶ声はバラバラだ。混沌の中にも秩序を感じたオルニャンローデの音色には程遠い。


「うげ」


 しかし、猫が何匹も集まれば迫力だけは充分だ。

 その圧倒的な勢いに、さすがのシーフォも危険を感じたのだろう。火をつけたマタタビを、遠投の要領で空の彼方に放り投げた。


 猫たちは炎の軌跡を追いかけていく。

 と思われたが、さすがは猫というべきか。

 投げたマタタビへの反応は意外にも十猫十色だった。


 全力でマタタビを追う猫。

 火がついたならもういいやと諦める猫。

 そもそも最初から追いもせずに欠伸あくびをして丸くなる猫。

 その統一性の無さたるや、まさに猫。


「さて、猫オルガンは無事ぶっ壊れたわけだが、これでもまだお前らはオルニャンローデが大事か?」


 もぬけの殻となったオルニャンローデの残骸からシーフォが降りる。


「そりゃ大事に決まって…………あれ?」


 勢いでそう答えたわたしは、自分の中にさっきまでの情熱が残っていないことに気づいた。

 オルニャンローデの歌を聴いた時はあれほど感動に打ち震えたというのに、今はいったいあの鳴き声のどこが良かったのか、どれだけ考えてもさっぱりわからなかった。

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