第40話 猫々解放戦線

 過ちを認めることは屈辱的だが、より良き未来を掴むためには必要なことだ。

 終わりの無い試行錯誤トライアル&エラー。それこそが今と未来を繋ぐ螺旋であるというのが白衣の竜牙兵スパルトイ――3369番の自論であった。


 魅了チャームそれ自体は間違いなく効果があった。粘態スライムとエルフはオルニャンローデの虜となり、彼女らの価値観、行動規範は揺らぎを見せている。

 しかし、猫を思うが故に猫に刃を向けるとは予測できなかった。魅了チャームへの認識が甘かったと言わざるを得ない。


 オルニャンローデの魅了チャーム利用にはまだまだ改善の余地がある。それは3369番にとって喜ばしいことだ。


「いけっ! 『過多喰カタバミ』!」


 エルフが矢を放つ。

 一筋の矢は山なりに飛び、3369番に降り注いだ。

 そう、降り注いだのだ。『過多喰カタバミ』と名付けられし矢は、引き絞る段階では一本であったにもかかわらず、放たれるや否や空中で分裂、増殖を繰り返し、無数の矢の雨となった。


 だが、数が多いだけの攻撃などオルニャンローデの前では何の意味もない。


 3369番は耳当てイヤーマフで耳を塞ぐと、今まで以上に力強く鍵盤を叩いた。

 猫たちの口から大音量が響き渡る。


 猫鳴琴オルニャンローデ噪音ノイズ


 もはや音ではなく衝撃波と呼ぶべきだろう。

 音楽のもたらす精神作用よりも、空気の振動という物理的側面を強調した攻撃。猫の声を増幅したものである以上、ただうるさいだけではすまない。

 衝撃波を前に『過多喰カタバミ』はひとつ残らず砕け散った。

 上空に向けて放ったためか、エルフと粘態スライムにまでは破壊は及んでいない。

 それでも、衝撃は凄まじかったようだ。イヤーマフを外した3369番にエルフの呻き声が聞こえてきた。


「うぅ、み、耳がぁ」


 尖った耳を押さえてうずくまるエルフ。五感の優れたエルフにとって爆音はさぞ不快だろう。弓すら放り出して呻く姿は、オルニャンローデの有用性を言葉よりも雄弁に語っている。


「くははっ、いい気味ではないか!」


 勝負とは実力が拮抗することで初めて成り立つもの。

 ゆえにこれは勝負ではない――オルニャンローデの運用試験だ。


「さて、では次の曲に――」

「――広漠たる純潔の薔薇園。石の巨樹。賊徒退けし偽竜のあぎと。汝は庭師ガーデナーなり」


 先ほどの攻防の間に用意していたのだろう。

 粘態スライムが小賢しくも呪文を唱えると、泡で形作られた巨大なゴーレムが姿を現した。見上げるほどの巨体に合わせて音楽堂コンサートホールが更に広がる。


「ゴーレムか。つまらんなぁ」


 魅了チャームが思うように作動しなかったこともあり、次は音楽による精神干渉を試したかったが、試験対象がゴーレムでは効果的とは思えない。


「まぁいい。もう一度、蹴散らしてやろう」


 3369番が再び鍵盤を乱暴に叩こうと手をかざす。その時、周囲の空間が歪み始めた。

 ゴーレムを起点にして雲一つない青空と白薔薇の花畑がじわりと広がっていく。


「オルニャンローデの幻想領域をかき消すつもりか?」


 摂理さえ無視してしまうような超人的な剣士でもなければ、幻想領域の物理的破壊は不可能だ。そのため、幻想領域には同じく幻想領域を展開して打ち破るのがセオリーとされている。

 幻想領域とは世界観の具象化。

 異なる世界観を重ね合わせれば、それだけイメージは揺らぎ不安定になり、自然と最も安定した世界観の『現実空間』へと引き戻される。


 しかし、何事にも例外はある。

 その最たるものが竜と猫だ。


 竜とは定まるもの。その世界観は人の描く幻想領域程度では揺るがない。竜たちは『現実空間』以上に安定した情景を魂に秘めている。


 猫とは揺らぐもの。もとより不確定で曖昧な存在だ。ゆえに、猫の幻想領域はどれだけ不安定で矛盾に満ちていても、最初からそういうものだと言わんばかりに平然と成立する。


 なればこそ、オルニャンローデの幻想領域の中で、別の幻想領域を展開したらどうなるかは自明の理であった。


 猫鳴琴オルニャンローデの音楽堂コンサートホール

 枯墟の守護者ルインガーディアンの白い薔薇園。

 二つの幻想領域が混ざり『重なり合う』。

 天井はプラネタリウムのように青空を映し出し、劇場椅子の周囲には白薔薇が咲き誇る。


 ここは屋内であると同時に屋外でもあった。


「幻想領域を破れば逃げられると思ったか。愚かだな。実に見通しが甘い。猫の幻想領域の柔軟性と拡張性を舐めすぎだ!」


 人の身で猫に立ち向かう愚か者を嘲る。

 しかして、嘲笑に返されたのもまた、嘲笑であった。


「誰が逃げるって? 庭師ガーデナー、ぶっ飛ばせっ!」


 庭師ガーデナーが腕を振りかぶり、オルニャンローデへと叩きつけた。

 多頭の猫と真正面から掴み合う。驚くことに、この粘態スライムは猫に純粋な力勝負を挑むつもりのようだ。


「勝てるはずないだろうに」


 3369番は再びイヤーマフをつけ、鍵盤を叩いた。

 鍵盤の強打に呼応してオルニャンローデが衝撃波を放つ。

 周囲の白薔薇が爆ぜるほどの勢いを前に庭師ガーデナーの巨体が震えた――が、倒れない。


「ほぅ、多少は頑丈なようだが……では、これはどうだ」


 先ほどのような力任せではなく、穏やかな手つきで鍵盤を撫でる。奏でられた音は低音から高音へと単調に移り変わり、メロディと呼べるほど複雑なものではなかったが、それでよかった。


「物には固有振動数が存在する。そこを突き共振させることで、大抵のものはたやすく破壊できる。例えばこのようにな」


 無数の猫耳が反響音を聞き分け、庭師ガーデナーの最も揺れやすい音を捉える。

 見つけ出した弱点を、3369番は容赦なく突いた。


 猫鳴琴オルニャンローデ倍音フラジオレット


 柔らかな鳴き声が庭師ガーデナーを包み込む。噪音ノイズに比べれば明らかに音量では劣る。

 しかし、庭師ガーデナーの体は砂の城でもつついたかのようにあっさりと崩れ始めた。


「うぐっ!」


 粘態スライムの少女が膝をつくのが見えた。おそらく、呪力が底を尽きかけているに違いない。

 あれほど巨大なゴーレムを召喚した上に、幻想領域の展開まで行ったのだ。呪力切れで動けなくなるのも時間の問題だろう。


 そこまでしてもなお、彼女らではオルニャンローデに傷一つ与えることもできない。その事実が痛快だった。

 鍵盤を撫でるたびに自分の発明が正しかったことが証明される快感。

 オルニャンローデを生み出す苦労を思えば、その喜びもひとしおというもの。

 しかし、まだだ。

 まだ足りない。

 もっと試したい。


 魚群の雨を呼ぶ『海猫』の鳴き声が。

 虚実操る『長靴を履いた猫』の弁舌が。

 『鋼鉄の翼猫』が空に響かせる発砲音が。

 太陽を見つめし『金華猫』の獲物をいざなう嬌声が。

 一つ一つは異なる猫の声が混ざり、重なり合い、モザイクアートのように浮かび上がる架空の猫、それこそがオルニャンローデだ。

 これではまだ全容の一端さえも見せていない。


「さぁ、次はどんな手でくる!」


 3369番の眼前で、庭師ガーデナーを構成していた泡が消えていく。その中から、鳥の群れが飛び出した。


「――なっ!?」


 体を水で構成された鳥たちが弾丸のように迫る。

 3369番は発明家であり、戦闘のエキスパートではない。虚を突かれた攻撃に対応できるはずもなく、硬直したまま目の前を呆然と見つめる。

 骨を穿つべく突き進む鳥の群れ。

 奇襲は成功するかに見えた。

 しかし、


「ふ、不意打ちとは驚いたが」


 突如発生した壁にぶつかり、鳥たちはあっけなく停止した。

 演奏者を守るオルニャンローデの防護障壁が正常に作動した結果だ。

 3369番は戦闘のエキスパートではない。ゆえにその対応は全て事前。防護障壁はオルニャンローデの設計時点で組み込まれていた。


「奏者が狙われることなど想定済みなのだよ!」

「だろうね。じゃあ、これは?」

「――何?」


 呪力が足りず立っていることもままならない粘態スライムが劇場席にもたれかかりながら笑みを浮かべた。


百舌鳥モズが何持ってるかよく見たらどう?」


 その言葉で3369番はようやく水の鳥たちが握りしめている矢に気づいた。


「絞め殺してっ! 『餓樹丸ガジュマル』!」


 エルフが叫ぶ。

 途端、矢から植物の根が凄まじい勢いで伸び始めた。3369番を絡め取ろうと迫る。

 だが、オルニャンローデの防護障壁を打ち破るほどの力はない。


「フハハ! そんなものでこのオルニャンローデを倒せるとでも?」


 3369番はすでに次に奏でる曲のことを考えていた。

 植物ならば枯らしてしまえば良い。冬の訪れを告げる『猫の足跡』を奏でるのに良い機会だ。

 そう判断し、鍵盤に手を伸ばす3369番の視界が暗闇に包まれた。防護障壁を覆う『餓樹丸ガジュマル』が壁のようになり、光を遮っていた。


「まさか、視界を奪うのが狙いか? ……ふっ、無駄なことを」


 竜牙兵スパルトイは光だけでなく呪力も感知して世界を見ている。たとえ一切光の差さない暗闇に投げ込まれたとしても竜牙兵スパルトイは困らない。


 嘲笑を浮かべる3369番の視界に呪力が広がった。四方八方全方位から呪力が湧き上がり、次第に形を成していく。

 鳥の翼。鹿の角。小さくはあれど、その姿はまごうことなき鹿鳥ペリュトン

 鍵盤と3369番の間に割り込む形で、影の侵入者が出現した。


「くっ! まだそんなものを呼び出す呪力が残っていたか!」


 鹿鳥ペリュトンに演奏を阻止された3369番は思わず怒声を上げ、反響する自らの声に顔をしかめた。やたらと声が響くのは、『餓樹丸ガジュマル』に包まれ簡易的な密閉空間となっているせいだろう。

 つい反射的に耳を押さえた3369番は、さっきまで首にかけていたはずのイヤーマフが無くなっていることに気づいた。

 行方はすぐにわかった。

 目の前で鹿鳥ペリュトンが咥えていた。


「おい! 返せ!」


 影は鹿鳥ペリュトンの縄張り。

 僅かな焦りと共に3369番が声を上げる。

 しかし、鹿鳥ペリュトンは襲い掛かるわけでもなく、別の姿へと変化を始めた。

 それを見た3369番の足が思わず止まる。

 警戒ではない。

 恐れでもない。

 変化した姿があまりにも見覚えのあるものだったからだ。


「……『Diva』だと?」


 叫ぶ植物マンドラゴラを可愛らしくデフォルメして背中に白黒の翼をつけたデザイン。その特徴的なUI姿を見間違えるはずがない。


 音楽編集呪術アプリ『Diva』。

 それは、日音器使いノテットの曲をもう一度聴きたいというハタラドゥールの願いを叶えるため、3369番が作り上げた呪術アプリだ。結局、日音器の音色は再現出来なかったが、音楽編集呪術アプリとしての出来は良かったため、星辰間通信網アストラルネットで配信し、非常に好評を博している。


 『Diva』のイメージキャラクター、通称ドレイクちゃんが愛らしい瞳で3369番を見つめていた。

 閉鎖空間。起動された音楽編集呪術アプリ。長年の経験が嫌な予感を告げる。慌ててイヤーマフをつけようと首元に手を伸ばして、すでにそれを奪われていたことを思い出した。


「待――」


 五感が消し飛ぶほどの衝撃波が暗室を満たした。





 オルニャンローデの演奏台を飲み込み、もはや巨大な樹の塊となっていた『餓樹丸ガジュマル』が、内側から爆ぜて崩れ落ちた。

 『餓樹丸ガジュマル』の残骸の中に、粉々に砕けた骨が転がっている。


 どうやらわたしの目論見は成ったらしい。


「う、上手くいった……んだよね?」

「そうみたい」


 恐る恐る口を開くヒナヤに、わたしは頷いた。


 庭師ガーデナーで攻撃を仕掛けたあの時、実はウーズ型端末で『Diva』を起動して、衝撃波を録音していた。

 猫を利用する格上の敵。そんな相手にこちらの攻撃では決め手に欠けるとわかっていたので、わたしは初めから相手の攻撃を利用するつもりでいた。


 あの衝撃波を選んだ理由は単純で、奏でる時に竜牙兵スパルトイが耳当てをしたからだ。「演奏者の自分ですら防護策が無ければ危ないほどの攻撃なんだぞ」と丁寧にも行動で教えてくれたのだから、利用しない理由がない。


 後はひたすら隙を作るための攻撃だ。


 百舌鳥モズも『餓樹丸ガジュマル』も見えない壁的な何かに止められてしまったが、良い囮にはなった。特に『餓樹丸ガジュマル』は視界を奪ってくれた上に、鹿鳥ペリュトンが影渡りしやすい場所を作り、音が反響しそうな密閉空間にまでしてくれた。矢を分けてくれたヒナヤには頭が上がらない。


 戦闘開始直後は鹿鳥ペリュトンで無駄な攻撃をしてしまったけど、おかげで『影渡りは見えない壁に防がれない』とわかったので、意外と全くの無意味でもなかったのかもしれない。


 いずれにせよ、勝てて良かった。


 音楽編集呪術アプリ『Diva』の性能。

 『餓樹丸ガジュマル』が生み出した閉鎖空間の反響。

 オルニャンローデの展開した音楽堂コンサートホールのような幻想領域。

 そして、わたしの支払った『代償』。

 その全てが上手く噛み合ったことで、今わたしとヒナヤは生きている。


「ねえ、エイシャちゃん……右腕、大丈夫なの?」

「あー、わたしは粘態スライムだよ。ほら、もう元に戻ってるし、全然平気だって」

「いや、でも、それって普通の傷じゃないから……」

「気にし過ぎ」


 正直なところ、ヒナヤの懸念は正しい。

 『餓樹丸ガジュマル』が竜牙兵スパルトイを包み込んだあの時――わたしは自らの右腕を切り飛ばした。

 それこそが代償だ。

 引き換えに求めたのは呪力の回復。

 あの時はそうでもしなければウーズ型端末を鹿鳥ペリュトンに変化させられなかった。

 おかげで勝つことはできたが、わたしの右腕はもう『わたしのもの』ではない。この左腕と同じように、所有権は縁切神ピグナータの元にある。


 それでも、後悔はない。

 竜牙兵スパルトイの魔の手から、猫を解放することができたのだから。

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