第40話 猫々解放戦線
過ちを認めることは屈辱的だが、より良き未来を掴むためには必要なことだ。
終わりの無い
しかし、猫を思うが故に猫に刃を向けるとは予測できなかった。
オルニャンローデの
「いけっ! 『
エルフが矢を放つ。
一筋の矢は山なりに飛び、3369番に降り注いだ。
そう、降り注いだのだ。『
だが、数が多いだけの攻撃などオルニャンローデの前では何の意味もない。
3369番は
猫たちの口から大音量が響き渡る。
もはや音ではなく衝撃波と呼ぶべきだろう。
音楽のもたらす精神作用よりも、空気の振動という物理的側面を強調した攻撃。猫の声を増幅したものである以上、ただうるさいだけではすまない。
衝撃波を前に『
上空に向けて放ったためか、エルフと
それでも、衝撃は凄まじかったようだ。イヤーマフを外した3369番にエルフの呻き声が聞こえてきた。
「うぅ、み、耳がぁ」
尖った耳を押さえてうずくまるエルフ。五感の優れたエルフにとって爆音はさぞ不快だろう。弓すら放り出して呻く姿は、オルニャンローデの有用性を言葉よりも雄弁に語っている。
「くははっ、いい気味ではないか!」
勝負とは実力が拮抗することで初めて成り立つもの。
ゆえにこれは勝負ではない――オルニャンローデの運用試験だ。
「さて、では次の曲に――」
「――広漠たる純潔の薔薇園。石の巨樹。賊徒退けし偽竜の
先ほどの攻防の間に用意していたのだろう。
「ゴーレムか。つまらんなぁ」
「まぁいい。もう一度、蹴散らしてやろう」
3369番が再び鍵盤を乱暴に叩こうと手をかざす。その時、周囲の空間が歪み始めた。
ゴーレムを起点にして雲一つない青空と白薔薇の花畑がじわりと広がっていく。
「オルニャンローデの幻想領域をかき消すつもりか?」
摂理さえ無視してしまうような超人的な剣士でもなければ、幻想領域の物理的破壊は不可能だ。そのため、幻想領域には同じく幻想領域を展開して打ち破るのがセオリーとされている。
幻想領域とは世界観の具象化。
異なる世界観を重ね合わせれば、それだけイメージは揺らぎ不安定になり、自然と最も安定した世界観の『現実空間』へと引き戻される。
しかし、何事にも例外はある。
その最たるものが竜と猫だ。
竜とは定まるもの。その世界観は人の描く幻想領域程度では揺るがない。竜たちは『現実空間』以上に安定した情景を魂に秘めている。
猫とは揺らぐもの。もとより不確定で曖昧な存在だ。ゆえに、猫の幻想領域はどれだけ不安定で矛盾に満ちていても、最初からそういうものだと言わんばかりに平然と成立する。
なればこそ、オルニャンローデの幻想領域の中で、別の幻想領域を展開したらどうなるかは自明の理であった。
猫鳴琴オルニャンローデの
二つの幻想領域が混ざり『重なり合う』。
天井はプラネタリウムのように青空を映し出し、劇場椅子の周囲には白薔薇が咲き誇る。
ここは屋内であると同時に屋外でもあった。
「幻想領域を破れば逃げられると思ったか。愚かだな。実に見通しが甘い。猫の幻想領域の柔軟性と拡張性を舐めすぎだ!」
人の身で猫に立ち向かう愚か者を嘲る。
しかして、嘲笑に返されたのもまた、嘲笑であった。
「誰が逃げるって?
多頭の猫と真正面から掴み合う。驚くことに、この
「勝てるはずないだろうに」
3369番は再びイヤーマフをつけ、鍵盤を叩いた。
鍵盤の強打に呼応してオルニャンローデが衝撃波を放つ。
周囲の白薔薇が爆ぜるほどの勢いを前に
「ほぅ、多少は頑丈なようだが……では、これはどうだ」
先ほどのような力任せではなく、穏やかな手つきで鍵盤を撫でる。奏でられた音は低音から高音へと単調に移り変わり、メロディと呼べるほど複雑なものではなかったが、それでよかった。
「物には固有振動数が存在する。そこを突き共振させることで、大抵のものはたやすく破壊できる。例えばこのようにな」
無数の猫耳が反響音を聞き分け、
見つけ出した弱点を、3369番は容赦なく突いた。
柔らかな鳴き声が
しかし、
「うぐっ!」
あれほど巨大なゴーレムを召喚した上に、幻想領域の展開まで行ったのだ。呪力切れで動けなくなるのも時間の問題だろう。
そこまでしてもなお、彼女らではオルニャンローデに傷一つ与えることもできない。その事実が痛快だった。
鍵盤を撫でるたびに自分の発明が正しかったことが証明される快感。
オルニャンローデを生み出す苦労を思えば、その喜びもひとしおというもの。
しかし、まだだ。
まだ足りない。
もっと試したい。
魚群の雨を呼ぶ『海猫』の鳴き声が。
虚実操る『長靴を履いた猫』の弁舌が。
『鋼鉄の翼猫』が空に響かせる発砲音が。
太陽を見つめし『金華猫』の獲物を
一つ一つは異なる猫の声が混ざり、重なり合い、モザイクアートのように浮かび上がる架空の猫、それこそがオルニャンローデだ。
これではまだ全容の一端さえも見せていない。
「さぁ、次はどんな手でくる!」
3369番の眼前で、
「――なっ!?」
体を水で構成された鳥たちが弾丸のように迫る。
3369番は発明家であり、戦闘のエキスパートではない。虚を突かれた攻撃に対応できるはずもなく、硬直したまま目の前を呆然と見つめる。
骨を穿つべく突き進む鳥の群れ。
奇襲は成功するかに見えた。
しかし、
「ふ、不意打ちとは驚いたが」
突如発生した壁にぶつかり、鳥たちはあっけなく停止した。
演奏者を守るオルニャンローデの防護障壁が正常に作動した結果だ。
3369番は戦闘のエキスパートではない。ゆえにその対応は全て事前。防護障壁はオルニャンローデの設計時点で組み込まれていた。
「奏者が狙われることなど想定済みなのだよ!」
「だろうね。じゃあ、これは?」
「――何?」
呪力が足りず立っていることもままならない
「
その言葉で3369番はようやく水の鳥たちが握りしめている矢に気づいた。
「絞め殺してっ! 『
エルフが叫ぶ。
途端、矢から植物の根が凄まじい勢いで伸び始めた。3369番を絡め取ろうと迫る。
だが、オルニャンローデの防護障壁を打ち破るほどの力はない。
「フハハ! そんなものでこのオルニャンローデを倒せるとでも?」
3369番はすでに次に奏でる曲のことを考えていた。
植物ならば枯らしてしまえば良い。冬の訪れを告げる『猫の足跡』を奏でるのに良い機会だ。
そう判断し、鍵盤に手を伸ばす3369番の視界が暗闇に包まれた。防護障壁を覆う『
「まさか、視界を奪うのが狙いか? ……ふっ、無駄なことを」
嘲笑を浮かべる3369番の視界に呪力が広がった。四方八方全方位から呪力が湧き上がり、次第に形を成していく。
鳥の翼。鹿の角。小さくはあれど、その姿はまごうことなき
鍵盤と3369番の間に割り込む形で、影の侵入者が出現した。
「くっ! まだそんなものを呼び出す呪力が残っていたか!」
つい反射的に耳を押さえた3369番は、さっきまで首にかけていたはずのイヤーマフが無くなっていることに気づいた。
行方はすぐにわかった。
目の前で
「おい! 返せ!」
影は
僅かな焦りと共に3369番が声を上げる。
しかし、
それを見た3369番の足が思わず止まる。
警戒ではない。
恐れでもない。
変化した姿があまりにも見覚えのあるものだったからだ。
「……『Diva』だと?」
叫ぶ植物マンドラゴラを可愛らしくデフォルメして背中に白黒の翼をつけたデザイン。その特徴的な
音楽編集
それは、日音器使いノテットの曲をもう一度聴きたいというハタラドゥールの願いを叶えるため、3369番が作り上げた
『Diva』のイメージキャラクター、通称ドレイクちゃんが愛らしい瞳で3369番を見つめていた。
閉鎖空間。起動された音楽編集
「待――」
五感が消し飛ぶほどの衝撃波が暗室を満たした。
◆
オルニャンローデの演奏台を飲み込み、もはや巨大な樹の塊となっていた『
『
どうやらわたしの目論見は成ったらしい。
「う、上手くいった……んだよね?」
「そうみたい」
恐る恐る口を開くヒナヤに、わたしは頷いた。
猫を利用する格上の敵。そんな相手にこちらの攻撃では決め手に欠けるとわかっていたので、わたしは初めから相手の攻撃を利用するつもりでいた。
あの衝撃波を選んだ理由は単純で、奏でる時に
後はひたすら隙を作るための攻撃だ。
戦闘開始直後は
いずれにせよ、勝てて良かった。
音楽編集
『
オルニャンローデの展開した
そして、わたしの支払った『代償』。
その全てが上手く噛み合ったことで、今わたしとヒナヤは生きている。
「ねえ、エイシャちゃん……右腕、大丈夫なの?」
「あー、わたしは
「いや、でも、それって普通の傷じゃないから……」
「気にし過ぎ」
正直なところ、ヒナヤの懸念は正しい。
『
それこそが代償だ。
引き換えに求めたのは呪力の回復。
あの時はそうでもしなければウーズ型端末を
おかげで勝つことはできたが、わたしの右腕はもう『わたしのもの』ではない。この左腕と同じように、所有権は縁切神ピグナータの元にある。
それでも、後悔はない。
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