第39話 猫鳴琴オルニャンローデ

「さあ、オルニャンローデよ! 偉大なる竜血樹の走狗となりて、愚かな叛逆者どもの魂をつんざくのだ!」


 白衣の竜牙兵スパルトイが鍵盤を叩いた。すかさず猫の口枷が緩み、ミャオミャオと鳴き声が空を裂く。

 鋭い悲鳴は文字通り槍や剣の形を成し、二輪の聖花やわたしたちに降り注いだ。


「ちょ、なんでわたしたちまで!」

「うわわわわわわー!」


 逃げ惑うわたしたちを、白衣の竜牙兵スパルトイ演奏台コンソールから見下ろす。


「猫どもの仲間め! ハタラドゥール様に逆らうとは許し難い! 死ね! ただちに死ね!」

「ヒナヤ! 逃げよ!」


 わたしはヒナヤの手を握り、すぐさま踵を返した。


「えぇ!? でも、これってラテラント君が言ってた囚われの猫なんじゃ」

「こんなの相手してたら命がいくつあっても足りないから!」


 アリーチェすらいない状況で仕掛けるのはもはや博打ですらない。ただの自殺だ。


「逃さんぞ!」


 白衣の竜牙兵スパルトイが鍵盤の上に骨の指を走らせると、連動したハンマーがピアノの弦ではなく猫の尻尾を打ち据える。

 響く鳴き声は、鍵盤を叩くたびに音色を変えていく。時に哀しみ、時に怒り、はたまたある時は悦びさえも交えて、猫たちは七色の声を上げる。

 再現性のない旋律。

 猫鳴琴オルニャンローデ幻想曲ファンタジー


 混沌とした迷宮のような旋律が、周囲の空間を、現実を侵食していく。


「……マズい」

「な、なになに!? エイシャちゃん、どこに逃げればいいの!? 何が起きてるの!?」

「ガーデナー戦と同じ! 幻想領域に飲み込まれた!」


 わたしたちを閉じ込めるように四方を囲む壁。そこに天井が加わることで辺りが薄暗がりに包まれていく。周囲の雑音が全て消え去り、静粛な空気で満たされる。

 何も無かったはずの地面には、映画館のような劇場用椅子が段々に現れ、それらは全て同じ方向を向いている。

 せり上がる舞台。照らし出す照明。

 ステージの上には、オルニャンローデと白衣の竜牙兵スパルトイが凛と佇んでいた。


「すごい! コンサートホールみたい!」

「はしゃいでいる場合じゃないから!」


 緊張感に欠けるヒナヤを嗜めながら、水入り容器を取り出した。


 猫で作られた楽器に、それを奏でる敵、そしてコンサートホールという『聴かせる』ことに特化した幻想領域。

 おそらくわたしたちは今、敵の攻撃を回避不能な状況にいる。


「水神の涙に告ぐ。魔眼を避けし雄々しき枝角えだつの。夜の翼。揺籃ようらん見つめる影法師。汝は鹿鳥ペリュトンなり」


 擬造ミミクリで呼び出した鹿鳥ペリュトンを瞬時に影に潜ませる。

 わたしとヒナヤで猫に太刀打ちできるとは思えない。であれば、狙うべきは演奏台に座する竜牙兵スパルトイの方だ。


 白衣を着た竜牙兵スパルトイの足元から鹿鳥ペリュトンが立ち昇る。水の奔流が骨の身体を包み込んだ。

 しかし、強烈な睡魔に襲われるはずの竜牙兵スパルトイは平然としていた。


「ねえ、あの人、骨しかないけど、眠ったりするのかな」

「……あ」


 言われてみれば確かに。

 そんなことさえ気づかないほど動揺していたらしい。わたしが苦笑いを浮かべるより早く、白衣の竜牙兵スパルトイがニッと牙を剥く。白骨が黒鍵に触れた。

 槌が落ちる。

 猫が鳴く。

 そして。


「ヤバ――」


 オルニャンローデの歌が響き渡った。


 その歌がどれほどのものであったか。表現しようとすると、どうしても有体な言葉になってしまう。

 それは今まで耳にしたどんな音よりも美しかった。

 そう、美しいのだ。ただひたすらに心を打つ旋律はどんな比喩で飾り立てたとしても小指の爪ほども伝わらない。真に素晴らしきものを語る時、言葉はあまりにも無力で不自由だ。

 溢れる感動が涙となって頬を伝っていく。


 ああ、わたしはいったい今まで何をしていたのか。

 胸を満たすは、後悔と感謝。

 この歌を知らずに生きてきた哀しみ。

 この歌と今ここで巡り会えた喜び。

 千の言葉でも表せない想いを、万雷の拍手に込める。


「うゔぅ、ずごいっ、ずごいよぉぉ!」


 隣からヒナヤの鼻声が聞こえる。整ったエルフの顔が台無しになるくらい泣いているが、その気持ちはわたしには痛いほどわかる。

 いや、むしろわたしにしか分からないだろう。

 この偉大なるコンサートに居合わせたわたしたち二人だけが、凡ゆる感情の源泉に触れることができるのだから。


「くははははっ! さすがは私ッ! 天才発明家の手にかかれば猫の魅了チャームすらも、指先一つで使わせることが可能なのだぁッ!」


 爬虫類じみた骨をカラカラと響かせて竜牙兵スパルトイが笑う。


「強烈な『感動』を前に人はまともでいられない! さぁさぁ、もう一度あのメロディを聴きたいか?」

「き、聴けるの!?」

「あぁ、望むなら聴かせてやろうとも……しかし、それはお前たちのどちらか一人だけだ」


 あまりにも残酷な宣告にわたしたちは息を呑んだ。


「オルニャンローデの歌を聴く権利が欲しくば、隣の邪魔者を自らの手で排除するがいい!」


 迷う理由はない。

 なぜなら、この世で最も尊いものは猫なのだから。





 シュテリアを見つける。

 そのためだけに竜血樹の中へと戻ってきたアタシを出迎えたのは、むせ返る血の匂いだった。


 塔の内部にはいくつもの落下死体や礫死体が転がっていた。


 少し頭を働かせれば想像できたことだ。


 中庭にもあれだけ被害があったのに、塔の内部だけ無事なはずがない。

 それに加えて竜血樹は今も聖花や猫たちと戦い、激しく揺れ動いている。アタシですら気を抜くと転びそうな場所で、大怪我を負った人たちに何ができるというのか。


 まるで後片付けできない子どものオモチャ箱のような散らかり具合。しかし、ここをオモチャ箱と呼ぶには、転がる人形はどれも壊れて赤く染まっていた。


「……うん、シュテリアじゃない」


 背格好の似た死体を見かけるたびに駆け寄って、確かめて、そして――安堵する。

 死体を見て安堵するなんて、いつかバチが当たりそうだと思いながらも、感情の働きは制御できない。

 せめてもの気持ちに、アタシは左手を体の前にかざすと、斜線の入った円を描き、祈りを捧げた。


「おお! 生き残ってる奴いると思ったら、お前か! 助かった〜!」

「えっと……誰?」


 馴れ馴れしい声と共に近づいてくる誰か。あちらはアタシを知っているようだけど、生憎こちらはその顔に全く見覚えがなかった。


 木肌のようなというか木そのものな外見からして種族はエント。高身長ではあるけれど痩せているせいで、大樹というより枯れ木のようなイメージが先に来てしまう。


 ルクナッツならともかく、エントに知り合いはいない。

 人違いでもしているんじゃないだろうか。


粘態スライムのアリーチェ。アリーチェ・トスカーニだよな」

「そうだけど……そういうアンタは誰なのよ」

「俺はジッペルだ。シーフォの親代わりみてェなもんだよ。ほら、あいつから名前くらい聞いたことあるだろ」

「……いや、ないけど」

「は? マジで?」


 かつて仲間だった時、シーフォは自分のことを進んで話すタイプではなかった。基本的には秘密主義。戦闘でも奥の手を味方にすら隠していたりするほどだ。

 アタシがシーフォについて確信を持って言えることがあるとしたら、口の悪さくらいのものか。

 それを思えば、このジッペルと名乗ったエントが育ての親というのもあながち間違っていない気がする。馴れ馴れしさは似ても似つかないけれど、初対面の相手にもかかわらず口調が乱暴なあたりはそっくりだ。


 しかし、エントか。

 なんだろう。

 どこか引っ掛かる。


『アリーチェちゃんがルクナッツと話して気を失った後、エントが財布からお金を盗んだみたい』


「――あ」


 そうだ。

 シーザオに来てすぐの頃、シーフォと話していたらエントに気絶させられた上に財布をすられたんだった。


「アンタ、この前アタシの財布スったでしょ」

「――はぁ!? いや……ないない! ねェから! あるわけねェだろ!」


 ジッペルは枯れ木のような腕をぶんぶん振って否定した。しかし、腕に刻まれた牙の生えた向日葵の刺青といい、態度といい、見れば見るほどいかにもそういうことをやりそうな風体だ。

 間違いない。

 こいつだ。

 こいつが犯人に違いない。

 アタシの核細胞がそう告げている。


「目撃証言もあるわよ」

「なッ!? ……い、いや、それは人違いだろ! ぜってェ、人違いだな。さっきも言ったけどよォ、俺はシーフォの親代わりなんだよ。それなのに、シーフォの知り合いから盗むわけねェだろ! そもそも、盗んだ相手に自分から、にこやかに話しかけるか? しねェよな? 間違いなく俺じゃねェ」

「……うーん?」


 そう言われると、確かにそんな気もしてくる。

 こういう時、エイシャが居てくれたら楽なんだけど……まぁ、いずれにせよ、今はシュテリアを探すのが優先だ。それどころじゃない。


「……そう。悪かったわね」


 その場を去ろうとするアタシの腕をジッペルが「待て待て!」とつかんだ。


「ここから抜け出すんだろ? 俺も連れてけって!」

「え、いや、でもアタシ、人を探してるし」

「おいおい、薄情な奴だな。こんな場所に一般人を置き去りにする気かよ」

「一般人て」


 改めてジッペルに目を向ける。

 木のような肌は一見しただけではわかりにくいが、おそらく傷はない。声も動作も非常に活気あふれている。


「この状況で五体満足な『一般人』、ね」


 アタシの訝しがる視線に気づいてかジッペルが言い募る。


「いやいや、さっきまではシーフォと一緒にいたんだけどな、はぐれちまったんだよ」

「え、シーフォもここに来てるの?」

「当たり前だろ! 竜の居城だぞ! 俺一人でこんなヤベェ場所くるかよ! 急に塔が崩れてくるわ、せっかく猫を見つけても何か変な装置に組み込まれてて聞いてたより明らかヤバそうだわ、マジで最悪だっつーの。挙句の果てにシーフォの奴、俺が必死で逃げてるうちにいなくなりやがって」


 ぶつぶつボヤくジッペル。

 話を聞く限り、このエントとシーフォ、どうにも今の状況にある程度絡んでいそうだ。


「ねぇ、その明らかにヤバそうな猫って何なの?」


 アタシは手始めに囚われの猫らしき存在について問いかけた。





 オルニャンローデの歌を聴きたければ、仲間を殺せ。

 そう告げられたわたしとヒナヤはしばらく無言で見つめ合っていた。

 仲間を取るか、猫を取るか。

 二者択一。

 天秤は容易く傾いた。


「エイシャちゃん……ごめんね」


 ヒナヤが弓に手をかける。その行動をわたしは責めようとは思わない。仲間と猫のどちらを選ぶと問われたなら、わたしだって迷わず猫を取る。

 しかし、それはあくまで問いが正しい場合だ。


「ヒナヤ、この状況おかしくない?」

「えっと……どうゆうこと?」

「ここでわたしたちが殺し合うのは、本当に猫のためになると思う? 本当にこれは猫が望んでいること?」

「それは――」


 矢をつかもうとしていたヒナヤの手が止まる。そう、ヒナヤだって心のどこかで気づいているのだ。今、わたしたちが本当にするべきことを。


 竜牙兵スパルトイに言われるがまま、仲間同士で殺し合う。

 それは、本当にするべきことなのか?


「違う。そんなはずがない。猫とは本来自由であるべきもの。誰かが独占、支配するなどあってはならない。猫は歌いたい時に歌い、奏でたい時に奏でる」

「うん……うん! そうだよね!」

「演奏者なんてもの、オルニャンローデには必要ない。それなら、わたしたちがするべきことは一つ」


 わたしたちは頷き合うと、白衣の竜牙兵スパルトイを真正面から睨めつけた。

 そう、わたしたちがするべきことは、殺し合うことでなければ、ここから逃げ出すことでもない。オルニャンローデに自由を取り戻す。それこそがわたしたちに与えられた使命だ。

 わたしたちはあの不届き者を成敗しなくてはならない。たとえこの命が尽きたとしても。

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