第37話 二輪の聖花

 穴から戻ってきた斑猫リフテンは、争いなんて何もなかったかのように毛繕いをしている。

 竜の脅威は去ったと考えて良いのだろうか。

 しかし、竜と猫に決着がつこうとそれで全てが落ち着くわけではない。竜牙兵スパルトイとゴーレムの争いは続いたままだ。


 アリーチェに続いてヒナヤもこちらへと駆け寄ってきた。


「エイシャちゃん! シュテリアちゃん! 二人とも大丈夫だった!?」

「うん。ラテラントさんたちが来てくれたから」

「よかったぁ」


 ヒナヤは弓を下ろしながら安堵のため息を吐いた。


「……でもでも、結局、今は何がどうなってるの? 何でこんなにゴーレムがいるの? ラテラントくんは音楽家じゃなかったってこと? 正直、ヒナヤ何もわかってないよ」

「あー、ね。それ、わたしもだわ。……あの、ラテラントさん。説明をもらえると嬉しいんですが」


 一見すると彼らのおかげで助かったように思えるけど、ハタラドゥールの発言を思い返すとどうにもこの騒動の原因も彼らにありそうだ。


「説明か。あまり詳しく話している余裕はないが……そうだな。私とリフテンはミュージシャンではあるが、ここに来た目的は演奏ではない。囚われの猫たちの解放だ」


 囚われの猫。

 何ともちぐはぐな言葉だ。猫といえば自由気儘で神出鬼没。囚われの身という表現がこれほど似合わない生物もいないだろうに。


「猫を閉じ込めるなんて、いくら竜でもそんなことできるはずが――」

「べつにそんな難しくないニャ。どーせ、マタタビにでも釣られてるニャ」


 お猫様直々に否定されてしまえばただの粘態スライムからは何も言えない。

 口を閉じたわたしにアラ・ラテラントが「さて――」と話を続ける。


「猫の解放計画は今のところ順調だが、ここからはハタラドゥールの妨害も激しくなるだろう。一筋縄でいくとは思っていない。できれば君たちも協力して欲しい」

「……ハタラドゥールの妨害? や、でも竜はさっき倒したんじゃ」

「まさか。先ほど倒したのはあくまで竜血樹の一部分。言うなれば鱗を一枚剥がしたようなものだ。致命傷にはほど遠い。――おっと、そろそろ時間切れのようだ」


 床が激しく揺れ、地鳴りが響き渡る。竜は倒せていないという絲蟲ミュルドンの発言を証明するように、わたしたちの前に見上げるほどの竜が床から生えてきた。

 パイナップルのような鱗。シシトウのような爪。背中から伸びるフラクタル構造の枝は緑の葉を茂らせ、全体で一対の翼を成している。

 有翼人エスフォークじみた姿とは違い、一目で竜だと認識できる造型。爬虫類じみた巨大生物。


「こ、これが、ハタラドゥールの本体」

「いいや、違う。これも竜血樹の一部分だ。先ほどが鱗なら、これは爪や牙くらいの脅威はあるが、それでも本体ではない」

「じゃあ、その本体はいったいどこに」

「この城だよ」

「だからこの城のど――まさか、この城そのものが」

「そういうことだ」


 冗談じゃない。

 もし、それが本当なら今わたしたちは竜の中にいることになる。

 受け入れたくない。

 受け入れられるはずがない。


「ほう、さすが猫よな。そこまで知っておったか」


 眼前の竜は喉をくっくっと震わせた。その姿はどこか笑っているようにも見える。


「して、この場をどう切り抜けるつもりだ」

「迷惑な樹は切り倒すニャ」

「お前にそれができるとでも」

「できニャきゃできる奴に頼む、それが猫ですニャ」


 リフテンは床に伏せると尻尾をピンと張り、ヒゲを丸く繋げた。その姿はまるでテルミンを模していた時のよう。

 横に立ったアラ・ラテラントが手をかざすと、斑猫の口から馴染みのある旋律が大音量で流れ出した。


 真っ先に声を上げたのはエルフの少女。


「あっ! これ、いっつもヒナヤが一緒に歌ってる歌だよ!」


 そうこれは、ヒナヤとアラ・ラテラントが路上ライブで散々演奏し、今日の演奏会でも披露するはずだった歌だ。


「えーっと、歌うべき、なのかな? どどどどうしよう」

「やめときなさい」


 ふらふらと竜と猫に近づこうとするヒナヤを、アリーチェが首根っこをつかんで引き止めた。

 賢明な判断だ。この状況下で奏でる音楽がただの音楽であるはずがない。


 その予想は正しかった。

 猫と絲蟲ミュルドンが演奏を始めてすぐに、かつてないほどの衝撃が部屋を襲った。

 爆発だ。

 突然、ゴーレムたちが爆ぜたのだ。


「やっぱり邪魔なビルは爆発解体に限るニャ」


 荒れ狂う爆風と瓦礫。ゴーレムと争っていた竜牙兵スパルトイたちは瞬く間に消し飛んでいた。

 一方、観客とわたしたちは、いつの間にか張られていた蜘蛛の糸に守られ、強風に煽られはしたものの無事だった。明らかに網目より小さな破片すらも止めてしまうあたり、ただの蜘蛛の巣ではなさそうだ。


 天井と壁に亀裂が走る。

 崩れ落ちはしなかったが、裂け目から滴り落ちる真っ赤な液体は、傷口に滲む血のように赤い。


「貴様アァ!」


 怒号とも絶叫ともつかない竜の咆哮が響き渡り、空気がビリリと震える。

 どす黒い殺意を込めた爪撃が猫へと向かった。あまりの速度ゆえか、腕が途中で分裂したと錯覚するほどの無数の斬撃が襲いかかる。


 ――いや、違う。本当に分裂している。


 まるで幹から枝が伸びるように、爪が、指が、腕が、振り上げて下ろす一挙動の間に成長している。

 さすがのリフテンもこれはかわしきれない。両前足を裂かれ体勢が崩れた。その隙を逃すまいとハタラドゥールが追い討ちをかけるも、アラ・ラテラントが蜘蛛の糸をリフテンに絡めて引き寄せることで強引に回避。


「銃弾より早くさ、鬼の花」


 ハタラドゥールは攻撃方法を呪術へと変えたようだった。

 両前足の傷口から夕焼け色の百合の花が咲き、リフテンが痙攣し始めた。

 アラ・ラテラントがすぐさま百合を引き抜いたが、それでもリフテンは嘔吐を繰り返し、治まる様子がない。


「くっ、ユリ中毒か」

「死に慣れていると言っておったな。しかし、その割には随分苦しそうではないか」


 唐突にハタラドゥールが語り出した。


「いやはや、何ともおかしな話だな。死に慣れている、死を恐れないとは果たして何だったのか? さては、お前たち『実は死んでいなかった』のではないか?」


 人によっては竜が猫の企みを看破したのだと、そう錯覚してしまいそうな真に迫った語り。間違いない。これは誤った推測を正しいと認識させる『詭弁』の呪術。ある種の現実改変だ。

 おそらく、ハタラドゥールはアラ・ラテラントの蘇生能力を存在しないことにしようとしている。


 だいたい、先ほど猫と絲蟲ミュルドンが蘇ったことは、殺したハタラドゥール自身が誰よりもよくわかっているはず。

 にもかかわらず、適当な推測を並べ立てるのは現実を捻じ曲げようとしているからに他ならない。


「応えが無いということは図星か。やはり、死んで蘇ったように見せかけただけで、本当は蘇生の力など持ち合わせておらぬようだな……諸君らよ、これが真実だ」


 竜はわたしたちを見据えて高らかに告げた。

 ふと、視界の端に撮影衛星ボールバニーが何匹か映った。配信用の仮想生命タルパ

 どうやら、何人かがこの状況を配信している。


「……なんていうか、野次馬根性ここに極まれりって感じよね」

「あー、わかる」


 気持ちを代弁してくれたアリーチェに頷いていると、ヒナヤがわたしのナイロンジャケットをちょしちょしと引っ張った。


「ん、何?」

「あ、あのさあのさ。もしかしてだけど、配信したらダメだった?」

「…………ダメではないけど」


 野次馬の一人はまさかのヒナヤだった。

 返事に窮するわたしに、ヒナヤが言葉を重ねる。


「配信したら色んな人がコメントでこういう時はどうしたらいいか教えてくれるかなーって、あと」

「…………あと?」

「あとね、その……竜と猫の戦いって珍しいからたくさんの人が見てくれそうだなって」

「……うん。素直でよろしい」


 まあ、元より迷宮探索などという血生臭いコンテンツを配信できる世の中だ。


 それより問題はこの戦いを見ている人が多ければ多いほど、詭弁による認識の上書きも効果を増すということ。このままではアラ・ラテラントの蘇生能力が封じられるかもしれない。


 助けに入るべきか否か。

 逡巡していると、それまで悠然と語っていたハタラドゥールの動きがピタリと止まった。

 遅れて再び部屋が震える。

 ……何だ?

 城のどこかでまたゴーレムが爆ぜたのだろうか。


「……うっ、ぐぁ、き、貴様!」


 ハタラドゥールが唸る。

 一方、ぐったりしたリフテンを抱え劣勢に立たされているはずのアラ・ラテラントは愉しげに笑っていた。


「竜血樹が城そのものであること、爆破だけではとても倒せないこと、いずれも予想できていたさ。そこでもう一つとっておきを仕込ませてもらった」


 また、部屋が揺れた。

 いや、揺れたなんてものではない。

 壁がうねり、床が傾き、天井が軋み、この部屋この城そのものが身悶えしている。『砂漠の薔薇城デザート・ローズキャッスル』の変動ほどではないが、ともすればそれに匹敵しそうな勢いだ。


「ただ、とっておきはとても持ち込めるような大きさではなくてね。いやあ、貴方の意識を逸らすのは苦労したよ。ダールヤール、ピンクの象、ゴーレム、爆弾、そして私とリフテン。あらゆる手を尽くし、散々城内で暴れ回った甲斐があるというものだ」

「……ぐっ」

「気の利いた返事を考える余裕もないか」


 不安定な足場を気にも留めず絲蟲ミュルドンは語る。

 直後、今までと比にならない衝撃音がまるで落雷のように轟いた。

 視界を覆う土煙に反射的に目を閉じる。

 手で顔を覆いながら恐る恐る瞼を開けるとそこには――青空が広がっていた。


 爆風すら耐え抜いた竜血樹の本体。その一部が崩れ落ちたのだと理解するまでしばらくかかった。

 もはやバルコニーと化した大部屋の中から、わたしは事の元凶と思われる『それ』を見つめていた。

 茨を振り回して暴れる巨大なセピア色の薔薇。

 あの花をわたしたちは知っている。


「……砂漠の薔薇城デザート・ローズキャッスル


 かつて聖花と呼ばれた白薔薇の成れの果て。

 民に見捨てられたデザート薔薇の城ローズキャッスル

 わたしたちが探索してきた迷宮そのものが今、目の前で確かに動いている。


 観客の誰かがつぶやいた。


「お、おい! あっちにあるのはシーザオの聖花じゃないのか!」


 『砂漠の薔薇城デザート・ローズキャッスル』の隣で同じく暴れ回るは、これまた巨大な紅い薔薇。迷宮探索を続けるうちにすっかり見慣れたシーザオのシンボルだ。


「ま、まさか――」


 ――猫の魅了チャームは聖花にさえも効くというのか。


 アラ・ラテラントは高らかに声を上げた。


「水を奪い、富を奪い、緑を奪いし罪深き竜よ! 審判の時は来た! 咲くことすら叶わなかった徒花たちの無念を! 今こそ我々が代弁しよう! 虐げられし人々の怒りをその身をもって知るがいい!」


 二輪の聖花が茨を振るい、城へと叩きつける。圧倒的な質量はそれ自体が強大な力だ。

 直撃を避けるべく竜血樹が動き、部屋が激しく揺れるが、それでも回避はかなわない。悲鳴のように響く衝撃。壁を走る亀裂。

 そしてわたしたちのいる大部屋は、ついに完全に崩れ去った。

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