第35話 ピンクの象が見える

 実のところ、竜の居城の門番は暇だ。


 他の城であれば、入城の監視、客への挨拶、備蓄品の点検、貢物の帳簿管理、等々役割も多いが、なにぶんこの城には訪問者がほとんどいない。

 いることにはいるのだが、そのほんとんどが竜の眷属たる竜牙兵スパルトイだ。通貨シナバルを城から街へと送り出すのも、住人からの献上品を徴収するのも、全て竜牙兵スパルトイの役目。

 身の程知らずの旅人が謁見を願い出たり、自信過剰な音楽家が自らを売り込みにくることが時々あるくらいで、基本的に竜と|竜牙兵《ス

パルトイ》以外が城に立ち入ることはない。


 だからこそ、竜が見込んだ者を呼び寄せる日、すなわい演奏会が開かれる今日は、門番の竜牙兵スパルトイにとって唯一といえる活躍の場であった。


「……つっても、さっきのエルフと絲蟲ミュルドンたちで来客は最後かぁ」


 門番を続けるうちに、すっかり口癖となった独り言が詰所に響く。

 竜牙兵スパルトイの門番は、骸骨の体に絡みついたツタを指でいじりながら、一人寂しく窓越しの砂漠を眺めていた。


「……ん? 何だあれ」


 落ち窪んだ眼窩の奥で、半透明の白い瞳がぼわんと瞬く。


 地平線から何かが近づいてくる。


 来客はすでに全員通した。となると、演奏会の開催をどこからか聞きつけたアマチュアミュージシャンだろうか。

 しかし、その姿は想像とは全く違ったもので、門番は「うわぁ」とため息をこぼした。


 人ではなく草花、より正確には草花を模した獣。回遊する花園ダールヤールであった。


「っといけない、いけない。あまり直視したらマズい」


 ダールヤールは見た目と匂いで人を幻惑する。

 門番は慌てて目を逸らした。


 それにしても、珍しいこともあるものだ。

 基本的にミューブラン砂漠の生き物たちは竜を恐れて城に近寄らない。ダールヤールも獣であることには違いなく、普段は見える距離にまで近づくことすらないのだが……などと考えていると、地を揺らすような音が聞こえて来た。


「……地響き?」


 訝しんだ門番が砂漠に目を向ける。

 視界に飛び込んできたのは、接近するダールヤールの姿――ではなく、巨大なピンクの象だった。


「――は?」


 ピンクだ。

 ピンクの象だ。

 合成着色料に飛び込んだようなどぎついショッキングピンクは、見ているだけで目の奥がチカチカしてくる。


 ピンクの象は、ズシンズシンと足を踏み鳴らしながら、四足歩行から二足歩行へと変化していった。それに合わせて足音もどこかリズミカルになっていく。


 鼻は縦笛。

 耳はシンバル。

 揺れる尻尾はドラムを叩くバチ。


 門番が呆然としていると、巨大なピンクの象のお腹から、一回り小さい象がぞろぞろと出てくるではないか。

 気づけば、ピンクの象はその数をどんどん増やしていた。


「「「ボクらはピンク! ピンクの象さ! ピンクの象のお出ましさ! ピンクの象のお出ましさ!」」」


 ズンズンズンチャカ、ズンズンズンチャカ。

 響き渡る軽快なメロディ。


「「「キミにも見える! ピンクの象が! ピンクの象が歌ってる! ピンクの象が踊ってる!」」」


 溢れ出るサイケデリックな色彩。ぐにゃりと歪む世界の中、門番の身体も踊るように揺れ始める。いや、違う。揺れるように踊り始めたのだ。

 その隣にはピンクの象。

 あれ、いつの間に?

 どうして隣にいるのだろう。

 よくわからない。

 わかりません。

 わからないですね。

 初めからいたようなそんな気もします。誰も何も言わないのですからそうかもしれません。もちろんそうではないのかもしれませんが、そんなことは関係ない。些細なことだよね。だいたいとにかく楽しんで踊ることが大事なのはもうだれもが明らかにわかっていることなのでありますけれどもなかなかそう簡単にはいかねえんだよな、これが、難しいもんだ。だからこそ楽しくもあるし、でもでも、もどかしくもあるし、少なくともあなたの邪魔はヤダって気持ちがぐらぐらぺかぺか風船のように膨らんで抑えようもないので閉ざされた道は開くべきなのでしょうと、門番は明瞭な思考の中、ハッキリとそう思いました。


 開門。


 ピンクの象たちは城門をくぐり抜け、遊園地に訪れた子供のように城内へ続々と散らばっていく。


 ズンズンズンチャカ、ズンズンズンチャカ、ズンズンズンチャカ、ズンズンズンチャカ、ズンズンズンチャカ、ズンズンズンチャカ……


「随分、好き勝手してくれたものだな。獣風情が」


 世界が酩酊していく中、巨大なピンクの象の前に現れたのは竜血樹ハタラドゥールであった。


「演奏会を遮った罪は重い。覚悟せよ」


 言葉の端々から漂う隠しきれない憤り。

 竜血樹は枝を伸ばすように白黒の翼を広げ、すぅと息を吸い込んだ。


「『     咲き乱れよ』」


 その言葉は音の羅列ではない。意味そのものだった。真に力のある言葉、すなわち竜の吐息ブレス


 多くの人々は竜の吐息ブレスを破壊の象徴と捉えるが、それは明確な誤りだ。

 もしも、水菓子の花便りウォータークッキー一同がここにいたら即座に理解しただろう。迷宮の主、枯墟の守護者ルインガーディアンが見せた吐息ブレスなど、本当にただの真似事でしかなかったのだと。


 吐息ブレスにおける破壊とはあくまでついでに引き起こされるもの。付随現象でしかない。本質は『不可逆性』にこそある。


 一度吐いた息は戻せないように、竜の吐息ブレスを浴びたものもまた決して元には戻らない。

 幻想が形を成し、死すら交換可能な現代でも覆すことのできない絶対的な力。『改変』をも上回る『確定』。

 言語支配者ミアスカは、竜の吐息ブレスとはアカシックレコードの完全なる上書きを行う確定魔術、すなわち紀術の一種だと述べている。


「ボクらはピンク! ピンクの――」


 ひたすら歌い続ける巨大なピンクの象に、竜血樹ハタラドゥールの吐息ブレスが触れた。


 その瞬間、ピンクの象の身体から草木が芽吹き、急速に成長を始めた。

 コケが体表を覆い、根とツタが血管のように身体を這う。樹木は体内を突き破るほど力強く育ち、花々は生命を吸いながら鮮やかに咲き誇る。


「ピン――クの――っ――」


 歌声すらも飲み込んで、緑が全身を包み込んでいく。


「――ボ――らは――っ――」


 過剰に加速された成長サイクルは、植物たちに自然淘汰を促した。熾烈な生存競争。ピンクの象という大地を奪い合う椅子取りゲーム。多種多様な植物がピンクの象という世界で誕生しては絶滅していく。一つの生態系がそこにあった。


「――――――」


 行進パレードはもう聞こえない。



「……あれ、俺は何を」



 我を取り戻した門番は、城内を見て絶句した。


 かつて聖花として崇められていた黒薔薇は、竜血樹の吐息ブレスによって植物淵しょくぶつえんと化した。

 それを再現するかのように、巨大なピンクの象は森を圧縮したような『何か』になっていた。幸い、植物の繁殖はその場に留まり、外には広がらないようだ。


 また、周囲に散らばっていったピンクの象たちの姿も消えていた。しかし、これに関しては消えたというよりも、本来の姿を現したというべきかもしれない。

 城内にはピンクの象たちに取って代わり、おびただしい数のゴーレムたちがいるのだから。


「ももも申し訳ございません! ハタラドゥール様!」


 門番は状況を全くつかめずにいたが、どうやら自分がとてつもない失態を犯したらしいことは理解していた。

 しかし、かけられたのは随分と寛大な言葉であった。


「よい。先ほどのピンクの象は幻術だ。お前だけではどうにもならなかった」

「し、しかし」

「……では、そうだな。ピンクの象が現れる前に何か変わったことはなかったか?」

「えっと、ダールヤールです。ここから見える距離までダールヤールが近づいてきました」

「幻術の焦点はそれだ。ダールヤールには人を惑わす力がある。そして、ピンクの象とは幻覚症状そのもの。まさにその時に幻術をかけられたのだろう」

「ダールヤールにそこまでの力が……」


 感心する門番に、竜血樹は眉をひそめた。


「違う、そうではない、なぜそうなる。これがただの獣の仕業ならば、このゴーレムたちは何だ? どこから現れた? ダールヤールは所詮は獣だ。人を惑わし誘き寄せるが、それしか能がない。だが奴は大量のゴーレムを放った。しかも、お前は『開門させられた』のだろう?」

「そ、そうです」

「つまり、何者かがダールヤールの幻惑の強度を上げ指向性を持たせたのだ」


 ダールヤールの幻惑効果を利用して幻術を唱え、更には大量のゴーレムを城内へと放つという明らかな敵対行為。

 それを企み実行した誰かがいる。


「竜に槍を向ければどうなるか、教えてやらねばなるまい」


 竜血樹は逃げ遅れたゴーレムを砕きながら、憎々しげにつぶやいた。





 さて、それと全く同じ頃、城内にもまた憎々しげな声が響いていた。


「クソがっ! もう術が解けたのかよ!」


 苛立ちを吐露したのはエントのジッペルだ。


「ジッペルさん、声デカ過ぎ。見つかったら終わりなんスから、もうちょい抑えてくれないスか」


 その場にいるもう一人、ルクナッツのシーフォがたしなめる。

 ジッペルとシーフォの二人は、ピンクの象に紛れて城内への侵入を果たしていた。


「あァー、くっそ、何がダールヤールで幻術をかけろだ、使えねえ。いくらなんでも早すぎンだろが――」

「バレるから黙れつってんスけど」


 ぶつぶつぼやくジッペルに、シーフォの声が鋭さを帯び始める。


「……ハイハイ、わかったよ。黙りゃいいんだろ、黙りゃ」


 ジッペルは舌打ちと共にようやく口を閉じた。


 先ほどからジッペルは文句を垂れているが、シーフォはこの作戦が充分機能していると感じていた。


 大量のゴーレムと共にダールヤールに隠れて竜の居城へ近づく。ダールヤールを焦点に幻術を起動し、城を開門させる。ダールヤールとゴーレムと自分達をピンクの象の姿に見せて敵の目を欺く。

 城に入れた以上、後はゴーレムたちが起こす騒ぎに紛れて動き出すタイミングを見計らうだけだ。


 最初に計画を聞いた時は、生きたダールヤールに隠れるなど正気の沙汰とは思えなかった。ダールヤールを飼い慣らした話など聞いたことがなかったし、仮にそれができたとしても、至近距離でダールヤールの香りを嗅いで花を見ていれば、狂うのは時間の問題だ。

 あまりにも実現性に乏しい計画。

 こんな話を持ちかけてくる奴はどう考えてもイカれている。


 しかし、そう切って捨てなかったのは、その人物がそれに見合う力を持っていたから。


 そう。

 竜に相対するのは猫。

 神出鬼没の猫が入れない場所など、この世のどこにも存在しない。


 ミューブラン砂漠を舞台に『猫と竜のゲーム』が始まろうとしていた。

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