第34話 竜の居城

 案の定、竜の居城は木材で出来ているようだった。

 大樹の如き尖塔が円陣を組み連なっている。樹皮や鱗のようにも見える外壁はまさに竜の居城にふさわしい。

 シーザオの家樹いえぎ、送迎の花車はなぐるま砂漠の薔薇城デザート・ローズキャッスル。ミューブラン砂漠に来てからというもの、植物じみた外見のものばかり見てきた。竜の居城もその類だろうと思っていたけれど、やはり間違っていなかったらしい。


 花車はなぐるまが城門をくぐり、わたしたちは竜の居城へと足を踏み入れた。

 眠りこけるヒナヤを叩き起こして車を降りる。すると、わたしたちの目の前で花車はなぐるまが突然萎れ始めた。


「えぇ!? 車が枯れちゃったよ。何が起きてるの」

「うわー、アリーチェ、何かした?」

「アリーチェ、ダメですよ。人の物を壊したら」


「え……いや、アタシは何もしてないわよ!?」


 最後に降りたアリーチェが動揺しながらまくし立てる。その狼狽ぶりはなかなかのもので、ガーデナーとの戦いでもここまで焦ってはいなかった。


「あの、運転手さん、本当にアタシは何も――」


「あぁ、こいつぁこれでいいんです。花車はなぐるまってのは乗ったら枯れるもんですから」と骨の頭をカラカラ揺らして笑う竜牙兵スパルトイの運転手。


「そ、そうなの? ……良かった」


 それを聞いたアリーチェは心底安心したようだ。焦った顔といい、なかなか見ない姿でちょっと面白い。


「なにニヤニヤしてんのよ」

「いやー? 別にそんなことないけど。ちなみに、花車は枯れる時、種を残す性質があるから。こうやって人に使ってもらうことで生息範囲を拡げて来たらしいよ」

「へぇ……」


 感心した様子のアリーチェだが、すぐに何かに気づいたように顔をしかめた。


「……ん? ちょっと待って。それじゃあ、エイシャ、花車が枯れるって知ってたんじゃないの」

「あー、バレた?」

「なにが『アリーチェ、何かした?』よ、白々しい!」

「あはは」


 憤慨するアリーチェを横目に、わたしは口元を手で隠した。



 竜牙兵スパルトイに案内されるがまま歩いていく。外から見た時はわからなかったけれど、城壁の内側には巨大な中庭が広がっていた。

 鮮彩な草花に豊潤な泉。花車もここで育てられているようだ。形成途中の小さな車体がいくつも並ぶ景色を眺めていると、まるで自分が巨人になった気がしてくる。


「こっちです」


 城の中で最も高く細い塔へと入っていく。

 廊下に燭台はない。代わりに壁の上方に太月イルディアンサを模した紋様や呪文がヒカリゴケで描かれている。夜になれば、さながら月のように城内を照らし出してくれるのだろう。


 やがて、わたしたちは荘厳な扉の前にたどり着いた。


「あの、部屋の方から何か聞こえてきません?」


 訝しがるシュテリア。そこで、ようやくわたしも音に気づいた。たしかに歌声混じりの音楽が扉の向こうから微かに聞こえてくる。


「あぁ、こいつぁ他のお客さん方の演奏ですね。邪魔にならないように曲が終わってから入りましょう」

「え、演奏会もう始まってるんですか。……あの、もしかしてボクら……遅刻してます?」


 声に焦燥感を滲ませるシュテリア。

 つられてわたしも端末の時計呪術アプリ を確認する。時刻は指定通り。遅刻はしていない。


「いやいや、遅れてないですよ。おそらく、ハタラドゥール様が演奏を聴きたいとおっしゃられたんでしょうね」

「……ボクらが到着する前に演奏会を始めたということですか」

「そりゃあ、もちろん。ハタラドゥール様をお待たせするわけにはいかないでしょう?」


 当然のことだと言わんばかりに肩をすくめる竜牙兵スパルトイ。それを見たシュテリアは大人しく口をつぐんだ。



 壁越しに聴こえる音が止まった。竜牙兵スパルトイの後に続いて大部屋へと入る。

 扉をくぐった先には、舞台上で佇む四人の音楽家と、眺める観客たち、そしてそれら全てを玉座に腰掛けたままたのしげに見下ろす男がいた。


「うむ、実に素晴らしい歌であった。『セイレーネスの魔女』と言ったか。褒めて遣わす」


 男の背中には翼が広がっていた。全体的に白いが、風切羽だけは黒く染まっている。翼の生えた人型の姿はどこからどう見ても有翼人エスフォークにしか見えない。

 しかし、この場にいる誰よりも尊大なその態度は、彼が何者なのか言葉よりもはっきりと語っていた。


「褒美をやろう」


 竜の居城でそんな台詞を口にできる者は一人しかいない。

 この城の主にして、ミューブラン砂漠の覇者。

 竜血樹ハタラドゥール。


 彼がパチンと指を鳴らすと、どこからともなく紅い石シナバルの入った箱を抱えた竜牙兵スパルトイが現れた。シーザオの通貨シナバル。その真っ赤な輝きは宝石にも負けないほどまばゆい。

 あれだけあれば、数年は遊んで暮らせるんじゃないだろうか。


 財宝を受け取った音楽家たちは感謝の言葉を述べ、舞台を後にした。


「すっ、すごい……ねぇねぇ、エイシャちゃん。もしかしてヒナヤたちもあれくらい貰えるのかな」

「上手くやれば、貰えるかも」

「おおぉ! なんかヒナヤ、やる気がぐんぐん出てきたかも!」


 両拳を握りしめ、瞳を輝かせるヒナヤ。

 期待や頼もしさよりも先に、そこはかとない不安を感じてしまうのはわたしだけだろうか。

 気合いが入り過ぎて空回りしないといいけど。


「……気をつけてね」

「だいじょうぶ、だいじょうぶ! ヒナヤとラテラントくんに任せといて!」

「……ほんと気をつけてね」


 やはり不安だ。



 次の演奏者が舞台に上がった。

 タキシードに身を包んだ有翼人エスフォークの男だ。


「偉大なるハタラドゥール様。お招きにあずかり光栄です。わたくしマペット・コロダントと申します」


 ハタラドゥールと同じ色合いの翼が優雅なお辞儀と共にゆったりと折り畳まれていく。磨き抜かれた所作の一つ一つから品の良さが漂ってくる。

 なんだか自分が場違いに思えてくるが、他の観客の様子からしても彼が例外なのだろう。


「ノテットの子孫だそうだな。日音器を奏でたこともあると耳にした。それはまことか?」

「はい。確かにわたくしはノテットに連なるコロダント家の生まれでございます」


 ノテット。日音器。

 いずれも聞き覚えのない言葉だ。いったいどんな物や人物なのか、少し気になる。

 そんなわたしの気持ちを察したのか、隣でシュテリアが耳打ちしてくれた。


「ノテットは著名な音楽家で、日音器は指輪のようや形をした伝説の九つの奏具です。日音器はノテットしか奏でることができなかったので、彼女は『日音器使い』とも呼ばれています。まぁ、そこそこ古い時代の人物ですね」


 その血族に連なる彼は、いわゆる由緒正しき血統とやらなのかもしれない。

 へぇと感心するわたしの視線の先でマペット・コロダントが演奏準備に入ろうと設置された竪琴に近づいていく。

 しかし、その動きを止める声があった。

 他ならぬ竜血樹ハタラドゥールだ。


「待て、マペット。お前に求める演奏はそれではない」

「……とおっしゃいますと」

「これを使え」


 ハタラドゥールの指が鳴る。

 再びどこからともなくツタが巻きついた蜥蜴の骸骨が現れた。竜牙兵スパルトイだ。

 目を逸らしていないはずなのに、どこから現れたのか全くわからなかった。まるでこの場に突然生えたかのようだ。


 竜牙兵スパルトイが男に近づき、指輪のような何かをいくつか渡した。


「こ、これは」


 男はわたしの目にもわかるほど動揺していた。


「日音器だ。右手の四つしかないがな。さあ、これで音を奏でてみよ」

「で、ですがわたくしめが触れるなど恐れ多くてとてもとて――」

「奏でてみよ」


 瞬きひとつすることなく玉座から見下ろす竜血樹。

 無言で日音器を差し出す竜牙兵スパルトイ

 固唾を飲んで見つめる観客。


 そこには有無を言わさない圧があった。


「……か、かしこまりました」


 有翼人エスフォークの男はか細い声と共に日音器をつかむ。手が震えており、右手の指にはめる手付きが酷くぎこちない。

 緊張というよりも、何かを恐れているような。


 男は悲痛な面持ちで日音器を身につけた右手をかざした。指の周りに蛍にも似た光が現れる。色とりどりの光、されどいずれも太陽のように暖かい色合いをしている。


 男はこの場の誰よりも目を丸くしていた。余程驚いたのか、綺麗に折り畳まれていた翼までもがバサリバサリと忙しなくはためいている。

 日音器を奏でたことがある割には、自分でも成功すると思っていなかったかのような、そんな反応だ。


「ご、ご覧ください! ハタラドゥール様! これが日音器の――」


 隠しきれない興奮。

 しかし、彼に浴びせられたのは賞賛とは程遠い冷ややかな言葉だった。


「御託はいい。早く奏でてみせろ」

「は、はい、ですから、まさに今」

「違う。それでは奏でているとは言わん」


 部屋中が静まり返った。


「我は奏でてみせろと言ったのだ。ただ光を放ったことを誇るなど、槍を握るだけで満足する童のようなもの。せめて槍を振るう力はあると示してみせよ」


 言われてみれば、彼はまだ日音器で光を出しただけだ。光の綺麗さに目を奪われ、成功したかのような気になっていたが、たしかに音は伴っていない。

 日音器が奏具と呼ばれるからには音色があって然るべきで、ハタラドゥールはそれこそを聴かせろと言っている。


「ノテット曰く、日音器は奏具である前に武具。現にこれまでも多くの者が日音器を強大な武器として扱ってきた。しかし、音を紡ぐことができた者はノテットただ一人」


 そう語る竜血樹の瞳には、すでに失望の影が差していた。


「マペット・コロダント、日音器使いの血を受け継ぎし有翼人エスフォークよ。お前は本当に『奏でる』ことができるのか?」

「それは……」


 言い淀む男。それこそ答えだった。


「……無理なようだな」


 パチンと指が鳴った。

 床からツタが飛び出し、有翼人エスフォークの足に絡みついた。ミシミシと軋む音が、遠くにいるわたしたちにまで聞こえてくる。


「い、いったい何を」

「竜に偽りを述べて無傷で済むはずがあるまい?」

「ひっ」


 男が体をよじれどツタは離れない。それどころか全身を飲み込まんとばかりに更に伸び、締めつけていく。

 恐怖に慄きながら手を払うと、右手の光が広がり、ツタを包み込んだ。一瞬にしてツタが燃え上がる。これが日音器の武器としての力なのだろうか。


 辛うじて解放されたマペットはその場で膝から崩れ落ちた。


「ふむ、やはり音は聞こえんな」


 ハタラドゥールは今度こそ完全に落胆したようだ。


「では、朽ちよ」

「う、うあぁあ!」


 竜が宣言し、有翼人エスフォークが右手をかざす。二者のタイミングは全く同時だった。

 槍の如く伸びるツタと、太陽の如く眩い光が正面から激突する。

 日音器から飛び出した陽光は地上太陽に勝るとも劣らない輝きを放っていた。一瞬で炭化し、焼け落ちるツタ。そのままハタラドゥールさえも焼き尽くすかと思われたが、実際に倒れたのは有翼人エスフォークの男であった。

 背後の床から伸びるツタが、彼の胸部を串刺しにしていた。


「う……ア……」


 有翼人エスフォークの全身をツタがじわじわ飲み込んでいく。

 観客はそれをただ眺めていた。

 シュテリアも、ヒナヤも、アリーチェも、アラ・ラテラントも、竜牙兵スパルトイたちも、そしてわたしも、誰もがそれをただ眺めていた。

 見知らぬ有翼人エスフォークを救うため竜に槍を向ける勇気を、無謀を、誰も持ち合わせていなかった。


「……武具を扱うセンスも無かったか。哀れよな…………ん?」


 その言葉を最後に、ハタラドゥールはツタに蝕まれる男から目を逸らし、部屋の扉を見つめ始めた。

 心ここに在らずといった様子だ。

 焦点が定まっていない。

 まるでここではない何処かを見つめているような。


「……敵襲か」


 そこには、ピンクの象がいた。

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