第30話 枯墟の守護者

 砂漠の薔薇城デザート・ローズキャッスルの主、枯墟の守護者ルインガーディアン

 かの巨大な像は、侵入者を白バラが咲き誇る幻想領域へと誘う。バラに囲まれて戦う姿から、探索者たちの間ではガーデナーの呼称が定着しているが。


「――これのどこが庭師ガーデナーなんですかね」


 自分の庭を荒らす庭師ガーデナーがいてたまるものか。アリーチェへ放った吐息ブレスといい、花畑への被害をまるで考えていない。

 迷宮の主にとってこの幻想領域は守るべき『庭』ではなく、侵入者を殲滅するための『狩場』なのだろう。


 シュテリアは槍を構えた。


 瞳術、魔眼、邪視、数ある呼び名が示すように、単眼族ゲイザーに伝わる呪術は『見る』行為を起点とする。

 戦女神、透徹せしシャルマキヒュ。古き神話によれば、万能の眼を有する彼女が戦で失った片目こそが単眼族ゲイザーの起源であり、それ故に単眼族ゲイザーは邪視の適性が並外れて高い。


 冷ややかな視線を向ければ時間さえ凍りつき、熱視線を送れば命すらも燃え上がる『青白眼』の呪術をもって、シュテリアはガーデナーを凝視した。


「ダメですか」


 期待していなかったとはいえ、あまりの手応えのなさにさすがに気が滅入る。

 ガーデナーの体の黒化した部分は強力な魔除けの力がある。生半可な邪視では届かないことはシュテリアとて理解していた。


 ガーデナーが、その巨体からは想像できない速度で腕を振りかぶる。圧倒的な質量を誇る腕はそれ自体が凶器だ。

 飛び退いたシュテリアの眼前を死がかすめていった。


「ッ!」


 両足に痛みが走る。

 原因はガーデナーの攻撃ではなく、足元の白バラ、より正確にはバラの棘だ。この異空間に咲くバラは誇張表現が激しく、その棘は刃物のように鋭い。ナイフの中を生身で駆け回れば、傷を負うのは当然のこと。シュテリアの軌跡には点々と真紅のバラが咲いていた。


 ――いつまで逃げ回っていられるだろうか。


 焦燥に駆られるシュテリアの前で、ガーデナーの頭部に矢が突き刺さり盛大に爆ぜた。


「やったあ! 『鳳閃花ホウセンカ』の威力を見たか!」


 視界の端にガッツポーズするヒナヤが映る。だが、迷宮の主はそれだけで倒せるほど易しい相手ではない。至近距離で爆発を受けたにもかかわらず、ガーデナーは揺らぐことなく立っていた。


「えぇ、なんで!? ぜんぜん効いてないよ!」

「当てた場所が悪いです。ガーデナーの頭部は硬いですから。狙うなら体の黒い部分にしてください」


 魔除けを担う部位さえ壊せば、邪視も効くようになる。実際、ガーデナーの一般的な攻略法はそれだ。

 しかし、アリーチェとエイシャを後ろに控えながら、たった二人で実行する自信はシュテリアには無かった。

 それよりはアリーチェの復活を信じて徹底的な時間稼ぎをする方がまだ勝ち目がある。


「爆発する矢ではなく、もっと相手の行動を制限するような矢はないですか?」

「あるよ!」


 色よい返事と共に、ヒナヤは根っこのようにうねる形状の矢をつがえた。


「くらえっ! 『餓樹丸ガジュマル』の絞め殺し!」


 避けられる心配はなかった。真正面から叩き潰さんとばかりにガーデナーが拳を振りかぶったからだ。

 左腕に直撃。瞬間、矢の先端が爆速で膨らみ始める。巨大な植物の根がガーデナーの腕を包み込んだ。


「どうどう! スゴいでしょ!」


 ヒナヤが得意げに胸を張るが、ガーデナーの動きは止まる気配がない。

 『餓樹丸ガジュマル』の根は確かに凄いが、ガーデナーの体格はあまりにも大きい。拳を絞めるだけで精一杯のようだった。


「うわぁー! ダメだ!」

「いえ、まだです!」


 シュテリアは邪視の力を込めて凝視した。ガーデナー本体ではなく、その拳に絡んだ根を。

 虚空で腕をつかまれたかのようにガーデナーの動きが鈍る。


「おぉ! シュテリアちゃん、すごいっ! これなら何とかなるんじゃない!?」

「そう上手くはいきませんよ。今はよくてもこのままだと、いずれ吐息ブレスが飛んできて終わります」


 ガーデナーの頭部は竜を模倣しており、見た目だけでなく竜の吐息ブレスさえも再現する。さすがに本物と比べたら数段劣るとはいえ、その威力は凄まじい。粘態スライムでもない限り、直撃すれば間違いなく命を落とす。

 付け入る隙をあげるとすれば、その強力さゆえに連発はできないことだが、時間稼ぎにも限界がある。


 シュテリアは後方の粘態スライム二人をちらりと見やった。


「……頼みますよ、エイシャ」


 未だ動かないアリーチェと隣で屈んだままのエイシャ。

 動揺、焦燥、憂鬱、自己嫌悪。

 単眼族ゲイザーの単眼を通して見るエイシャの感情は黒くよどんでいた。





 粘態スライムコアが無事な限り死なない。しかしそれはあくまで死なないというだけ。心や体の無事は保障しない。


 わたしはアリーチェのそばに駆け寄り、絶句した。


 焼け焦げた黒のナイロンジャケット。剥き出しになった赤紫の体組織。体のほとんどは蒸発していた。

 命を落とした粘態スライムは形が崩れ、動かないただの泥漿でいしょうと化す。体の大部分を失いながらも人型に戻ろうと蠢いていることから、辛うじてコアは無事だとわかるが……わかるだけだ。この状態ではアリーチェも意識すらないだろう。


「な、なにか体の代わりになるものを」


 意識せずとも心臓が動くように、粘態スライムコアには崩れた体を元の形へ戻す働きがある。だが、どれだけ優秀な大工も建材がなくては家を建てられない。

 わたしは擬造ミミクリ用の水が入った容器を鞄から取り出した。これなら呪力の通りもいい。体組織の代わりになるかもしれない。

 そんな淡い希望はすぐに散った。


「……ダメ、全然ダメ。こんなんじゃ、まったく足りない」


 迷宮の最深部に来るまでに擬造ミミクリを何度も使ってきた。残りの水はたったの一本。アリーチェの体を補うにはあまりにも少なすぎる。


「なにか、なにか他の方法を」


 時間は有限だ。

 悩んでいる間もシュテリアとヒナヤはたった二人で戦っている。今は何とかなっているみたいだが、それもずっとは続かない。


「考え、考えないと」


 焼けた服の裾を握りしめる。

 遠くでシュテリアとヒナヤの戦いが見えた。爆音と怒号に混じって時折悲鳴が聞こえる。それでも迷宮の主をわたしたちへ近づけまいとする二人の姿は――正しく探索者だった。


 どうしてわたしなんかがここにいるのだろう。

 アリーチェに庇われ、シュテリアとヒナヤに守られ、わたしだけは無事でいる。

 この世界はいつだってそうだ。

 夢に本気で向き合う人ほど深く傷つき、挑む勇気を持つ者ほど痛い目に遭う。

 どちらも持ち合わせていないわたしは、この事態の元凶にもかかわらずのうのうとしている。


「……倒れたのが、わたしだったら」


 ――それならどれだけ良かったか。


 そう思わずにはいられなかった。





「シュテリアちゃん、どうしよう! 矢がもうなくなるよ!」


 むしろここまでよく持った方だ。

 探索を切り上げようとした矢先に始まった迷宮の主との戦闘。体力も呪力も道具も何もかもが当たり前に不足していた。

 最初の吐息ブレスから、それなりに時間が経つ。この全てが足りない状況で、今すぐにでも第二波を凌ぐ算段を編み出す必要があった。


 シュテリアは思考を巡らせた。


 セオリー通りなら、誰か一人が吐息ブレスを引きつけ、耐えるか避けるかするべきだ。

 しかし、装備も整えていない状態で耐えられるはずはない。避けようにも吐息ブレスは範囲が広く、見てからの回避は到底間に合わない。

 つまるところ、吐息ブレスを放たれた時点で敗北は確定。それなら残された選択肢は撃たせないことだけだ。


「ヒナヤは下がっててください。あとはボクが何とかします」


 攻撃範囲の広さと火力は吐息ブレスの利点であると同時に欠点でもある。下手に足元を狙えば自分自身も巻き込むことになるからだ。

 つまり、あえてガーデナーの至近距離で戦い狙われ続ければ、吐息ブレスを撃たせずにすむかもしれない。


 もはや策とすら呼べない苦し紛れの足掻き。シュテリアも理解していたが、それでも時間を稼ぐにはやるしかなかった。


 ――目を凝らせ。


 シュテリアは自らを奮い立たせると、いばらに足を裂かれながらガーデナーに急接近した。ガーデナーの一挙手一投足を見つめる。

 単眼族ゲイザーの並外れた動体視力のおかげでガーデナーの攻撃ははっきりと見えていた。だが、見えることと避けられることは別の話だ。


 薙ぎ払い振り下ろされる巨腕を間一髪でかわす。かわす。かわし続ける。

 一瞬たりとも足を止めることが許されない死の舞踏。一つステップを踏むたびに足に棘が突き刺さった。足元が染まる。死ぬまで踊り続けた少女の赤い靴のように。

 いつ終わるのか。それすらも頭から追い出して無心で身体を動かし続ける。極度の集中こそが、シュテリアが不可能と可能の境目で踊ることを許していた。


 それでも限界は訪れる。


「……ぐっ!」


 足に激痛が走り、シュテリアの動きが一瞬止まった。迷宮の主がその隙を逃すはずもなく、叩きつけるように左腕が迫る。

 即座にシュテリアは、拳に絡みつく『餓樹丸ガジュマル』の根を対象に『青白眼』を発動。腕が振り下ろされるまでの時間を強引に伸ばし身をよじった。

 しかし、続けざまに振るわれる右腕まではかわせそうにない。

 相手の動きがはっきり見えるからこそ、シュテリアにはよくわかった。


「うんにゃろー!」


 緊張感に欠ける声と共に飛んできた矢がガーデナーに突き刺さり爆発した。ヒナヤの作り出した隙のおかげで何とか猛攻をかわし切る。

 それが転換点となった。

 ガーデナーの視線が変化した。避けるだけのシュテリアより、後方から攻撃するヒナヤの方がより脅威だと判断したようだった。

 ガーデナーがヒナヤを見据えて顎を開く。


「ッ! ヒナヤっ! 逃げてください!」


 シュテリアはガーデナーに槍を突き立てたが、石のように硬い体は全く揺らがない。

 このままではヒナヤが吐息ブレスで死ぬ。

 避けようのない未来の予感にシュテリアの視界が眩む――その時だった。


「アタシに任せなさい!」


 待ち望んだ声が聞こえた。


「アリーチェ?」


 視界の端をあおい流星が駆け抜ける。アリーチェの赤紫ではなく、エイシャを彷彿とさせる色。纏う服も白い。

 しかし、その声は間違いなくアリーチェであり、手には刀が握られていた。


 吐息ブレスが放たれる瞬間、粘態スライムはガーデナーの口を蹴り上げた。


「GAAAAAA!!!」


 ヒナヤを消し去るはずだった閃光は誰にも当たることなく大空に穴を開けた。

 吐息ブレスに合わせた完璧なタイミング。枯墟の守護者ルインガーディアンを一蹴りで揺るがすほどの脚力。今まで防戦一方だったからこそ、その凄さが理解できる。


「二人ともお待たせ。よく耐えたわね」

「アリーチェ……ですよね?」

「もちろん。まぁ、今は訳あって2Pカラーだけどね」


 顔立ち、声、立ち居振る舞い、全てがアリーチェらしさに溢れる中、青緑の体と白い服だけは紛れもなくエイシャのものだった。

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