第29話 片腕で開く扉

 最下層のひとつ手前。八番目の大部屋。そこまでたどり着いたわたしたちの歩みは順調のひとことに尽きた。いつもならアリーチェあたりがもう一戦して帰ろうと言い出す頃だが、今回はシュテリアの「最下層まで行きましょう」という提案がある。

 結局、わたしたちは探索継続を選んだ。大きかったのはアリーチェの意見だ。リーダーであり、実力も頭一つ二つ抜けているアリーチェが行けると判断したなら大丈夫なのだろう。言い出しっぺのシュテリアは当然として、ヒナヤも乗り気のようだった。


 戦闘の合間に小休憩をはさみながら、黙々と迷宮に沈んでいく。シュテリアがつぶやいたのはそんな休憩の一幕でのことだ。


「エイシャ……ごめんなさい」


 撮影衛星ボールバニーにも拾えないほど小さな声。アリーチェとヒナヤは少し離れた場所で楽しげに会話しており、おそらく聞こえたのはわたしだけだった。


「急にどうしたの」


 シュテリアに合わせ、わたしも小声でつぶやく。


「いえ、エイシャが帰りたそうに見えたので。……ほら、探索をつづけようと言い出したのはボクですから、申し訳ないなと」

「……よく見てるね」


 一緒にパーティを組んでわかったことだが、シュテリアは周囲の不調にすぐ気がつく。わたしが顔や態度に出やすいだけかもしれないけど。


「でもまあ、別に謝るようなことじゃないと思うよ」

「……ならいいですけど」


 いまいち歯切れが悪い。


「……何か気になることでもあった?」

「そんなことは」


「別に探索のこととかじゃなくてもさ。何か話したいことがあるなら、いつでも聞くよ」

「そう、ですか」


「うん」

「……じゃあ、少しだけ」


 シュテリアはアリーチェたちのいる方をちらりと横目で見た。撮影衛星ボールバニーは二人の近くを周回しているままだ。


「後ろめたいんです」


 少女の口からこぼれたのは、そんな言葉だった。


「実力で探索者の座を勝ち取ったみなさんとは違って、ボクは実家の力と運だけでここにいます。一般試験でも助けられただけで、何もできていません。きっと猫の襲撃がなく、多くの受験者が辞退しなければ、ボクはここにいないでしょう」


 わたしはつい最近知ったことだが、シュテリアの実家、ポストロス家は有名な探索者を何人も排出しており、界隈ではけっこう有名らしい。


「さすがに家の力と運だけってことはないでしょ。こうして普通に戦えてるわけだし」

「そう、普通なんです。恵まれた環境に身を置きながら、それでようやく普通に戦える程度。それこそ才能がない証明じゃないですか」


 シュテリアは槍の柄で地面をがりがりと擦った。


「それではダメなんです。ここにいる以上、普通じゃ足りない。そんなんじゃ…………誰にも見てもらえない」


 最後の囁きには隠し切れない色が渦巻いていた。池の底にたまったヘドロのような劣等感。


「それは、言い過ぎじゃないかな」

「同情はいいです」

「べつに同情ってわけじゃ――」

「見えるんですよ」


 シュテリアが微かに語気を荒げた。


「見えるって、何が」

「エイシャなら知ってるかと思いましたけど、その様子じゃ意外と知らないんですね」

「……どういうこと?」

「この目のことですよ。単眼族ゲイザーの目には人の感情が見えるんです」


 シュテリアは自らの大きな単眼を指さした。細い指を見て、爪がギザギザだ、なんて場違いな感想が一瞬浮かんだ。


「それって心が読めるみたいな話?」

「そういうわけじゃないです。怒ってるなぁとか、喜んでるなぁとか、あくまでそういう漠然とした感情が見えるだけですから。頭の中が覗けたりはしないので安心してください」

「あー、ね」


 種族が異なれば、常識も異なる。シュテリアの口ぶりからするにたいした秘密でもなさそうだ。そもそも単眼族ゲイザーに共通する特徴のようだし、秘密ですらなかったのかもしれない。

 けれどもそれを今ここでわざわざ言うということ。それは本音以外は受け付けないというシュテリアの意思表示に思えた。


「あー、いきなり何言ってんだって思うかもしれないけどさ。わたしは――シュテリアの作った歌、『箒星はなくならない』がすごく好きだよ」

「……はい?」

「メロディが良いし、歌詞も良い。曲全体に漂う雰囲気が特に好き。勝ち目が無いとわかっていながら反旗をひるがえしたり、届かない何かに向かってずっと手を伸ばしつづける感じって言えばいいのかな。そういうところがすごく好き」

「え、本当に何ですか急に。嬉しいですけど……どうして急に曲の話を」

「いや、この前スピカと歌を作ってる話をしたときから、伝えたいとは思ってたんだけどね」

「今ですか」

「うん、今ならいいかなって」


 口ではそう言いつつも、指摘されてから恥ずかしさがこみあげてきた。


「照れてますよね」

「あー、わかる?」

「すごく橙色です」

「言わないで」


 とはいえ、取り繕うことのない本音の中で、シュテリアを元気づけられそうなものはこれしかなかった。


「探索についてなら、わたしなんかよりあっちの二人の方がまだまともなアドバイスできると思う。こちとら槍の持ち方すらわからない戦闘のド素人だからね」


 単眼族ゲイザーが感情を視認できるなら、わたしが探索にさして興味がないことくらい気づいているはずだ。わたしから話を切り出しておいてなんだけど、明らかに聞く相手を間違えている。アリーチェなら戦闘の良し悪しを見抜く目があるだろうし、めげないメンタルや周りの力を借りることに関してはヒナヤもなかなかのものだ。


「そうかもしれないですけど……こんなこと、言えませんよ。だって――」


「おーい、二人とも、そろそろ行くわよ!」


 開きかけた唇は、アリーチェの合図を前に再び扉を閉ざした。






 砂漠の薔薇城デザート・ローズキャッスルの最深部、九番目の大部屋は明らかに異彩を放っていた。

 灯りの要る道中と違い、大部屋には光精霊がシフト制で勤める簡易照明が設置されている。淡い光が照らす部屋には巨大な像が屹立し、まるで真夜中の美術館に迷い込んだかのような感覚に包まれた。


「やったー! ついにたどり着いたー!」


 静粛な空間にヒナヤの歓声が響き渡る。厳かな空気など微塵も気にせずはしゃぐ姿に、張りつめていた肩の力が抜けた。


「ヒナヤ、まずは登録よ」

「そうだった、あぶないあぶない」


 まるでお母さんと娘のようなやり取りだが、アリーチェよりもヒナヤの方が年齢は遥かに高い。

 入り口横に立ち昇るショッキングピンクの光の柱に触れ、転移軸に登録していく。これで街から迷宮の最深部までひとっ飛びできるようになった。今回の探索の目的は無事果たしたと言えるだろう。


 わたしは改めて、倍以上の身の丈を誇る像を見上げた。竜を見立てた獰猛なあぎと。大樹の幹のように太い腕。所々黒く染まった珪化木の身体。ゴーレムを竜に寄せた上で、より厳つく、より巨大にしたような造形をしている。

 この像こそが迷宮の主だ。

 事前に知識を仕入れていたためすぐに理解したが、仮に何も知らなかったとしても、これほど威圧感のある彫刻が迷宮の最深部にあって、ただのインテリアで済むはずがない。そう思わせる凄みがあった。


「ふわぁ~、すごいねぇ」

「ヒナヤ! 近づくのはいいけど、うっかり起こしたら承知しないわよ」

「だいじょうぶ、だいじょうぶ!」


 ヒナヤは緊張感に欠ける返事をしながら主の像へ近づいていく。こちらから攻撃態勢を取ったり、像の手前にある石板に触れない限り何も起きないとわかっていても気が気じゃない。


「迷宮の主でしたら、次回は嫌でも見続けることになるんですから、そろそろ帰りませんか」


 シュテリアも同じ気持ちなのだろう。ヒナヤから目を逸らすことなく槍を握りしめていた。


「う〜ん、それもそうか」


 名残惜しそうに像を見上げながらこちらへと戻ってくるヒナヤ。アリーチェとシュテリアも胸をなでおろすと、同じように転移軸へと向かい始めた。

 そんな中、一人だけ真逆の方向へと足を踏み出す人物がいた。

 わたしだ。

 トン。トトントン。

 歩くというより、つんのめるかのように足を動かす。体が前へと引っ張られていた。より正確には左腕だけが、わたしの意識と関係なく前へ前へと突き出されていた。転びそうになったわたしは、引きずられるように走り出した。


「あっ、え、ちょ」


 自分の身に何が起きたか理解できないまま、それでも何とか止めようと、がむしゃらに右手で左腕をつかむ。が、止まらない。向かう先には名残惜しそうに後ろを見ながら歩くヒナヤがいた。


「ヒナヤ、と、止めてッ!」

「え……え?」

「いいから!」


 前を向いたヒナヤが口をポカンと開ける。それはそうだろう。自分で自分の腕をつかんで叫びながら走ってくる人を見れば誰だって混乱する。それでもヒナヤはなんとか立ちふさがり、わたしの体を受け止めた。


「エイシャちゃん、どうしたの?」


 ようやく体が止まった。そのことに安堵しながら左腕を見る。


「いや、なんか腕が勝手に動き出して――」

「……エイシャちゃん?」

「ヤバい」


 止まったのは体だけ。左腕はまだ止まっていなかった。どれだけ変形しても問題ないという粘態スライムの特性をこれでもかと言わんばかりに活かした変形。左腕は部屋の中心に向かってゴムのように伸びていた。そして、行きつく先は。


「――石板に届く」


 左腕が石板に触れた瞬間、空気が吠えた。

 世界が急速に切り替わる。


 わたしたちは無数の白バラが咲き誇る花畑に立っていた。見渡す限り果てはなく、頭上に広がるは雲一つない青空。


「エイシャちゃん、何が起きてるの!?」

「わからない!」


 何も分からない。なぜ左手が勝手に動いたのか。なぜこんなことになったのか。

 ただ、この異質な花畑には見覚えがあった。迷宮の主との戦闘にそなえて見た動画に映っていた景色。間違いなく、ここは砂漠の薔薇城デザート・ローズキャッスルの主が展開する異空間の中だ。つまり。


「わからないけど、迷宮の主との戦闘が始まったっぽい」


 わたしは元凶である自らの左手を見下ろした。さっきまで好き勝手に暴れていたというのに、今はお役御免とばかりに元に戻っている。

 『幻影の森』での出来事が脳裏によみがえった。山猫ミシカンカスにニサが襲われようとした時も左腕が勝手に動いた、はずだ。あの時は猫に魅了チャームされていた特殊な状況だったこともあり今まで確信を持てずにいたけど、これではっきりした。わたしの左腕は勝手に動く。問題は窮地を救われたあの時と違い、今回はこれが原因で窮地に立たされているということ。いったいどういう理屈でこんなことに――。


「……ィシャ! ヒナヤ! 危ないッ!」


 思考の波をかき分けてアリーチェの声が聞こえた。思わず顔を上げると、必死の形相で走ってくるアリーチェと目が合った。

 それからは全てが一瞬だった。

 わたしとヒナヤはアリーチェに突き飛ばされ、目の前を巨大な腕が通り過ぎていく。わたしたちを庇う形で、アリーチェはまともに打ち据えられた。


「――あぐぁ」


 放たれたラフディボールのようにアリーチェが真横に吹き飛んでいく。それを見下ろす巨大な像の竜を模した顎が開く。

 放たれる閃光。


「アリーチェ!」


 あくまで竜の真似事に過ぎない贋物の吐息ブレス。理解していてもなお、その衝撃は凄まじい。熱風が膨れ上がり、白バラが宙に舞った。


「……アリーチェ?」


 それでもアリーチェなら立ち上がる。アリーチェなら立ち上がってくれる。縋るように見つめるわたしの前で、バラの花弁が雪のように降り積もっていく。


「エイシャ! なにボーッとしてるんですか! 今こそボクたちが動かないと!」

「うぁ……うん」

「迷宮の主はボクとヒナヤで何とか食い止めます! その間にエイシャはアリーチェを回復してください!」

「でも――」

「でもじゃない! 本当にッ、取り返しがつかなくなる!」


 シュテリアに揺さぶられてようやく思考が回り始める。


「ごめん、動揺してた。……二人は、平気?」

「問題ありません」

「ヒナヤもだいじょうぶ!」


 二人の無事は、不幸中の幸いだ。

 だけど、準備もせずにアリーチェ抜きで迷宮の主相手にどこまで耐えられるだろうか。


「任せてください」

「……シュテリア」

「今までアリーチェに頼り切りだったんです。ちょうどいい試練ですよ」


 その笑顔が強がりでしかないことは、単眼族ゲイザーでないわたしにもわかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る