第28話 最下層へ向けて

 あれから四人で砂漠の薔薇城デザート・ローズキャッスルに潜ること数回。迷宮探索はかなり順調に進んでいた。

 立役者となった人物は、薔薇城の警邏兵ローズキャッスル・ゴーレムを一太刀で切り捨てていくアリーチェ――ではなく、意外にもヒナヤだった。


「アッくん! おねがい!」


 ヒナヤは髪に挿していた白い花を手に取った。風車のような見た目そのままにカザグルマと名付けられた花だ。

 迷宮内の分かれ道でカザグルマをかざし、ダウジングの要領で左右の道に交互に向ける。すると、右の通路に向けた時だけ白い花弁がくるくると回った。


「なるほど、右だね! ありがと、アッくん!」


 姿の見えないアッくんとやらに感謝を告げる。

 ヒナヤいわく、アッくんはこの迷宮周辺に住まう風の精霊らしい。


 これまでも聞き込みなど精霊の力を借りることはあったが、これは今までの比ではなかった。

 斥候や偵察はもちろんのこと、戦闘中も風で援護してくれる。特にヒナヤの射撃とは相性抜群で、放った矢を風で動かすことで曲芸じみた攻撃すらも可能にしていた。

 ここまでくるともはや使い魔や眷属の使役に近い。


「最近、その精霊にずっと助けてもらってるけど、なにか契約でもしたの?」

「契約? なにそれ」

「いや、なんとなくイメージというか。契約によって関係性を生み出すのは呪術の定番だし」


 雇用、婚姻、師弟、選挙、などなど。契約から生まれる関係性は無数に存在する。なんならわたしたち『水菓子の花便りウォーター・クッキー』も、共に迷宮を探索するという契約をした関係性だ。


「うーん、手伝ってくれてるだけで、とくに契約とか約束をしたわけじゃないよ。もちろん、ありがとうって思ってるけど」

「友達みたいな感じ?」

「というより、ファン……なんだって」


 ヒナヤはちょしちょしと頬をかいた。


「えっとね、この前、ここで歌ったんだけどね。そしたら、聞いていた精霊さんがファンになってくれて」

「待って待って、え? ここで歌ったって……迷宮で?」

「あっ、さすがに迷宮の中じゃなくて外だからね!」


 それはそうだろう。

 いや、だとしてもおかしいけども。


「どういう経緯があればそんなことになるわけ」

「ラテラントくんが、せっかくシーザオに来たなら、砂漠の薔薇城デザート・ローズキャッスルを見たいって言ってたから、一緒にここまできて……それでなんか流れで一曲歌うことに」


 絲蟲ミュルドンの演奏家、アラ・ラテラント。以前、話した時は普通の人に思えたけど、やはりアーティストという人種はどこか変わっているのかもしれない。


 バーチャルシンガーの曲を作っていたシュテリアにも、意外とそういう一面があったりするのだろうか。


「……なんですか。言っときますけど、ボクは人前で歌ったりは絶対しませんからね」

「いや、何も言ってないけど」

「言ってなくても、そういう気配がダダ漏れです」


 ジトッとした単眼を向けられ、わたしは首をすくめた。

 シュテリアは軽く咳払いをすると「話は変わりますが」と口を開いた。


「あの、実はみなさんに提案があるんですが……今日は迷宮の最下層まで行きませんか?」


 それは驚きの提案だった。

 わたしたち『水菓子の花便りウォーター・クッキー』は、初日に迷宮内で分断される散々な目に遭ったことで、安全第一で探索を進めていた。

 そのおかげでさしたる損害もなくここまで来られたのに、急に最下層まで行こうとはどういうつもりか。無謀とまでは言わないが、だとしてもわざわざ危険を犯す意味があるとは思えない。

 アリーチェもわたしと同じことを考えたようだ。


「シュテリア、急にどうしたのよ」

砂漠の薔薇城デザート・ローズキャッスルの大部屋は、迷宮の主がいる部屋を除いて全部で九つ。今、ボクたちがいるのは七番目で、最下層まであと二つです。前回や前々回の探索ではかなり余裕のある状態で大部屋までたどり着きましたし、すでにこの迷宮で未遭遇のモンスターはいません。ヒナヤが精霊と友好関係を構築できているため、迷ったりトラップにかかる恐れも比較的低いはずです。無理な話ではないと思います」


 まるで事前に考えた文面を読むかのように淡々と主張するシュテリア。彼女の意見がその場限りの思いつきではないことだけは確かだった。


「だとしても、わざわざ今日中に一気に行かなくても……何を焦ってるのよ」


 『焦ってる』その言葉にシュテリアは単眼をふせ、下唇をかんだ。


「……『セイレーネスの魔女』って知ってますか?」

「もちろん。選抜試験の合格チームのひとつよね、アタシたちと同期の」

「そうです。そこがつい昨日、砂漠の薔薇城デザート・ローズキャッスルの攻略を始めました」

「そういえば、そんな話、どこかで見かけたかも。でも、それがどうかしたの」


 小首をかしげるアリーチェ。隣で会話に耳を傾けるわたしと、おそらくヒナヤも、それの何が問題なのかわかっていない。

 緊張感のない空気を、シュテリアの声がひりつかせる。


「みなさん『セイレーネスの魔女』の実況は……見てないんでしょうね。見ていたなら、そんなに悠長に構えていられないですから」

「見てないけど、なによ、そんなに凄かったわけ」

「『セイレーネスの魔女』は攻略初日で最下層に到達しました」


 それはあまりにも信じがたい話だった。

 迷宮探索にあまり興味のないわたしでも、ここまで何度も潜れば迷宮が一筋縄ではいかない場所だと理解できる。

 変化する地形。分断される通路。堅牢なゴーレム。虫の大群。殺人カビ。張り巡らされたトラップ。砂男ザントマン。吸血蝙蝠。

 ここにたどり着くまでに多くの障害があった。

 それをたったの一日で踏破したチームがいる。それも経験豊富な先達ではなく、わたしたちの同期に。


 思わず横に目を向けると、ヒナヤも口をぽかんと開いていた。

 しかし、アリーチェは。


「ふーん、まあ、そういうこともあるんじゃないの」


 さして気にした様子もなく平然としていた。


「よそはよそ、うちはうち。比べるもんじゃないでしょ」

「で、でも、このままだと先に迷宮の主を討伐されてしまいますよ!」

「それでよくない? ここの主は一週間も経てば復活するんでしょ。他の迷宮のいつ定着するかもわからない主の復活を待つのに比べたらぜんぜん気楽じゃない」


 たしかに、わたしたちが砂漠の薔薇城デザート・ローズキャッスルを選んだのは、元はと言えばそれが理由だ。

 未踏圏『不気味の谷』の挑戦に必要不可欠な「迷宮の主の討伐」という実績。それを得るため、倒されても短期間で復活する主がいるこの迷宮を選んだ。先を越されることも折りこみ済みだ。


「それは、そうかもしれませんが」

「焦ってもいいことないわよ」

「……アリーチェは悔しくないんですか」

「『セイレーネスの魔女』は選抜組でアタシたちは一般組、実力に差があるのは当然よ」

「でも、それは…………いえ、なんでもないです」


 シュテリアの飲みこんだ言葉がなんなのか、わたしにはわかるような気がした。

 たしかにわたしたちは一般試験の合格者だ。

 でも、アリーチェは元々、選抜試験の首席候補だ。試験に落ちたのも実力不足ではなく、パーティメンバーが集まらなかったから。

 わたしたちが散々苦戦したゴーレムもアリーチェは事もなげに倒していたし、アリーチェの元仲間のルクナッツ、シーフォ・ヘルボルトも一人で迷宮を歩けるほどの実力者だった。

 選抜組と一般組。そこに横たわる実力差の隔たりは、きっと想像以上に大きい。


 迷宮の主の討伐はともかく、最下層にたどり着くだけなら、アリーチェにだって、いや、アリーチェ一人ならできるのではないか?


 重く広がる沈黙をふりはらうように、アリーチェが柏手を打った。


「ま、とにかくどこまで探索するかは今決めることじゃないでしょ。八番目の大部屋にたどり着いてまだ進めそうなら進む。不安なら帰る。それでいいんじゃない」

「……そう、ですね」

「よし、それじゃ、行くわよ」







「おいおイ、シーフォ~、いつまで動画見てんだよ。お仕事はどうしたんだ、お仕事は」

「ジッペルさんに言われたくないんスけど」


 おんぼろで枯れ死んでいるようにしか見えない家樹いえぎの中、エントとルクナッツの二人がいた。

 床には無数の空き瓶が転がっている。貼られているラベルはアンモニアを示すものばかり。典型的な飲んだくれの樹洞へやだ。


「あいつらと迷宮内でまた鉢合わせたくねェから、こうやって確認してんスよ、しかたなく」


 ぼやくシーフォの手元では、単葉型の端末に『水菓子の花便りウォーター・クッキー』の迷宮探索実況が映し出されていた。


「んなこといって、ホントは好きで見てんだろ」

「はァ? こんなレベル低いのだれが好き好んで見るかよ」


 あからさまに顔をしかめるシーフォに、ジッペルと呼ばれたエントは口角をつりあげた。


「そうかそうか、安心したぜ。お前は探索者なんかより、盗人の方が数百万倍向いてるからな」

つゆほども嬉しくねっスね」


 露骨に顔をそむけられたことも気にせず、ジッペルは「つれないこというなよ」と乱暴に肩を組んだ。枯れ木のような腕に刻まれたタトゥーがシーフォの視界に入りこむ。牙を生やした向日葵が獰猛な笑みを浮かべていた。


「どうせ俺たちゃ日陰者だぜ。日差しも満足に浴びれねェ。なら強い根をもってるに越したことないだろ。それとも、なんだ。まだ、探索者になりたいとでも――」

「またそれスか。マジでしつけぇって」


 腕を強く払う。向日葵の牙が離れた。


「んなキレんなよ、ちょっと聞いただけじゃねェか」

「別にキレてはねえけど、しつこいって言ってんスよ」

「ハイハイ、わかった。わかったから、そうかっかすんな」


 ジッペルはへらへらと薄笑いを浮かべながら、部屋の隅に雑におかれたズタ袋へと手を伸ばした。


「さーて、で、お仕事の方はどうなんだ。そろそろ集めきらねえと間に合わねえぞ」


 ズタ袋をがさりと開く。中には大量の葉っぱが押しこまれていた。その大きさ、形、色はどれをとっても全く同じ。ひとつひとつに刻まれた奇妙な記号と紋様さえ寸分たがわない。


「おーおー、さっすがシーフォ。けっこう集まってんな!」

「あと一回、ゴーレム狩ってくれば足りるんじゃないスか」

「ってなると、あとは俺の仕事か。たりぃ~、シーフォ、代わってくんね?」

「はァ? 散々、オレだけ働かせといて、なにバカなことを」

「冗談だっつーの」


 乱暴に袋を閉じる。


「冗談の才能ねーっスね」


 シーフォは鼻で笑った。

 それから、手元の端末に目を落とし――その目が丸くなるまで時間はかからなかった。


「……おい、マジかよ、こいつら」

「どうした、誰か死んだか? 全滅したか?」

「や、まだしてねえスけど――」

「けど?」


 歯切れの悪い返答に、ジッペルがニヤニヤと笑みを浮かべてにじり寄る。


「――全滅するかも」


 シーフォは『水菓子の花便りウォーター・クッキー』の映った端末を、ジッペルの眼前に突きつけた。

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