第27話 裏目に出てばかり

 部屋を出たわたしは、あてもなくふらふら宿屋をさまよっていた。

 特に目的はない。シュテリアとの気まずさに耐えきれなくなっただけだ。

 せっかくシーザオに来たのだから散策に行くことも考えたけれど、一人で行くのはどうにも気が乗らない。

 寂しいというより怖いのだ。心もとないと言った方が近いかもしれない。見知らぬ街を観光するワクワクよりも、常識の異なる世界へ入っていく恐れの方が大きい。授業が始まった教室の中に一人だけ遅れて入っていくような、そんな嫌さがある。


 結局、あまりにも手持ち無沙汰で意味もなく壁の木目を数え始めた頃。


「エイシャじゃん。やっと起きたの?」

「あー、うん。おはよ、アリーチェ」


 身軽な服装で刀を手にしたアリーチェと会った。


「特訓してた感じ?」

「そうね、いったん休憩で戻ってきたけど、学校の課題もやらなくちゃいけないから、今日はこれで終わりね」

「課題……あー、そういやあったね、そんなの」


 わたしとアリーチェは探索者になるにあたり、それまで通っていた学校から通信制の学校へ転入した。講義はアストラルネット上で受ける。当然、課題も出されるのだが、すっかり忘れていた。

 なぜだかアリーチェが嬉しそうに目を光らせた。


「おやおや? その反応、もしかしてエイシャもまだ終わってない? 珍しいわね」

「いや、その日のうちに片づけちゃったから、終わってはいるよ。存在を忘れてただけ」

「えぇー……ウソよね?」

「大マジ」


 今回の課題はそこそこ楽しかったので、はかどった覚えがある。


「じゃ、じゃあ……みして」

「えぇ、そういわれても」

「おねがいっ、み~して」

「とりあえず、その変な猫なで声やめ」

「……はい」


 媚びを売りつけてくるアリーチェを黙らせる。


「そもそも、あれは自分で設定した誘発現象が誤作動なく発動するよう適切な呪文を組むものだし、丸写しできるタイプの課題じゃないって」

「??? よくわかんないけど、参考程度にっ! ねっ!」


 両手を顔の前で合わせ、さすさすと擦り合わせるアリーチェ。


「……もう、しかたないな」

「さっすが、エイシャね! ありがと!」

「はいはい」


 抱きついてくるアリーチェを片手でぐいと押しのけた。そのまま特に理由もなく二人で小突き合うことしばらく。ようやく部屋へ歩き出したアリーチェは、あとに続かないわたしに怪訝な視線を向けた。


「エイシャ?」

「や、実はヒナヤを探しててさ。課題なら端末に送っとくから」


 本当は部屋に戻りづらいだけだが、それすらも言いづらく、適当に濁す。


「そう。ちなみにヒナヤなら広場にいるわよ。ほら、あの路上ライブが盛んな」

「ん、ありがと」


 じゃあねと手をかざしながら去っていくアリーチェ。

 見送ったわたしは、木の壁にもたれながらウーズ型端末を操作した。エリマキトカゲに変形した端末がアリーチェの元へ課題のデータを送信する。

 その間わたしは、パラボラアンテナのような首周りをぼんやりと見つめていた。


「……広場か」


 見知らぬ店に一人で入るよりはまだ気楽かもしれない。

 そう思いながら、広場へと足を向けた。




 活気あふれる広場には、路上ライブのパフォーマーと観客たちが、ところ狭しと並んでいた。当然、植物に似た外見の種族が多い。まさに音楽の森と呼ぶにふさわしい景色だ。


 行き交う人は、そのほとんどが音楽に気を取られている。粘態スライム一人歩いていても誰も気に留めない点は存外気楽だ。

 ただ、これだけ人がいるとヒナヤを見つけ出すのは難しいだろう。


 ――まあ、これといった用事もないので、別に見つからなくても問題はないのだけど。


 木々ひとびとの隙間をぬって歩いていると、一際クセのある歌が耳に飛び込んできた。

 お世辞にも上手いとはいえない調子はずれの声。しかし、その声質は愛嬌に溢れていた。デタラメな音程にも関わらず聞いていて不快にならない。味があると言えばいいだろうか。独特の中毒性すら感じる。

 どんな人が歌っているのか気になり人混みへ近づいていくと、見覚えのある人物がいた。


「ヒ、ヒナヤ!?」


 人集りの中心で背丈の低いエルフがノリノリで歌っていた。

 歌っているというより朗読しているようなへにょっとした歌声だが、立ち振る舞いだけは大物歌手ばりに堂々としている。


 あまりに予想外の光景。


 茫然と見つめているうちに歌は終わり、集まっていた人もしだいに離れていった。そこでヒナヤもわたしに気づいたようだ。マイクを握った手をぶんぶん振りながら、すぐに近づいてきた。


「わわわーっ、エイシャちゃん! ここで何してるの?」

「それはこっちのセリフなんだけど」

「いや〜、なんかね、気づいたら流れでこうなっちゃったんだよね」


 屈託なく笑うヒナヤの後方から、誰かが近づいてくる。ヒナヤの隣で演奏をしていた人物だ。蜘蛛に似ている姿は、おそらく絲蟲ミュルドンだろう。

 絲蟲ミュルドンはわたしを一瞥いちべつし、ヒナヤに声をかけた。


「君の知り合いかい?」

「うん、エイシャちゃんはね、いっしょに探索者をやってるんだ」

「なるほど、仲間というわけか」


 納得したようにうなずき、わたしへと向き直る。


「私はアラ・ラテラント。ミュージシャンの端くれだ。よろしく」

「よ、よろしく」


 八つの瞳と目が合う。瞳には息をのむわたしの姿がくっきりと映っていた。色鮮やかな瞳は吸い込まれそうなほど美しい。黒い宝石に蜘蛛目石スパイダーアイと名付けた人の気持ちもわかる。


 絲蟲ミュルドンの横にはシュテリアが『テルミン』と呼んでいた楽器が浮かんでいた。


「ねぇ、この人ってわたしたちがシーザオに来た時にここで弾き語りしてた人だよね?」

「そうそう! そうなんだよね! 話してみたら意気投合しちゃって、こうして一緒に歌ってるの。へへ、すごいでしょ!」

「……すごいね、本当に」


 ふふんと胸を張るヒナヤ。

 その行動力には感服だ。わたしには絶対できない。


「あの、ラテラントさん。たしかこの前は自分で歌ってましたよね」

「あぁ、そうだね」

「とても上手だったのに、その……どうして、ヒナヤに?」


 テルミンという見慣れない楽器に、優れた歌唱力。正直なところヒナヤが割って入る余地があるとは思えない。

 いぶかしむわたしの視界にヒナヤの得意げな顔が映り込んだ。


「ふふん、それはヒナヤが歌が上手いからだもんね」

「……本当にそうなんですか?」


 わたしの視線に、アラ・ラテラントは首を横に振った。


「もちろん違う。むしろ彼女、音痴の部類だろう?」

「えぇーっ!! そんなぁ!」と嘆くヒナヤ。


「ですよね」

「エイシャちゃんもひどいよっ!」


 ヒナヤはうなだれた。

 さすがにあんまりだと思ってか、アラ・ラテラントからフォローが入った。


「でも、歌声に惚れたという点は間違いないよ。彼女の音痴は聞いてて不快にならないどころか、何度もリピートしたくなる。これはただ歌が上手いより何百倍も稀有な才能だ」

「そ、そう? えへへ、そういわれると照れちゃうなぁ」


 褒められたと見るや瞬く間に復活するヒナヤ。

 驚くほど単純だ。その性格を少しでもわけてもらいたい。せめてわたしとシュテリアのどちらかに、この切り替えの早さが少しでもあれば――。


「――はぁ」


 気づけばため息をついていた。


「エイシャちゃん、元気なさそうだけど、何かあったの?」

「あー、まぁね……なんていうか、慣れない生活して疲れたのかも」


 咄嗟に誤魔化してしまった。

 それはそれで本音ではあるけれど、ため息の理由にはほど遠い。わかっていながらそう振る舞うことに小さな罪悪感が生まれた。


「なるほどなるほど、それならね、あそこのケーキ屋さんに行ってみるといいよ!」

「へぇ、そんなに美味しいんだ」

「うん。精霊さんたちのウワサだけどね」

「……精霊ってケーキ食べるの?」

「ううん。見た感じ美味しそうだったんだって」

「えぇ、どうなのそれ」


 せめて実際に食べてから言って欲しいものだけど。

 そんなわたしの気持ちが伝わったのか、アラ・ラテラントが口を開いた。


「味なら私も保証しよう。特に『薔薇のタルト』のとろける甘さと優雅な香りは友人も絶賛していたよ。一度食べてみて損はないと思う」

「そんなにですか」


 そこまで言われたら、さすがに食べたくなってくる。

 わたしはまだ見ぬスイーツの味を思い浮かべながら、体内にうずまく消化液を飲みこんだ。見知らぬ店に行く億劫さを、食欲が上回った。





「はい! というわけで、買ってきました薔薇のタルト!」

「これはまた、なかなか凄い見た目ですね」


 ケーキの箱を片手に宿屋へ帰ってきたわたしは、薔薇のタルトを取り出し、テーブルへと置いた。

 相変わらず動画の編集作業を続けているシュテリアが、単眼をぱちくりさせながら覗き込む。

 『薔薇のタルト』の名にふさわしく、上には真紅の食用バラが一輪丸ごとのっている。そのサイズはタルトを飲みこむほどに大きい。


「あぁ、タルトの生地を植木鉢に見立てているんですね。可愛らしいです。バラが大きすぎて植木鉢から溢れそうですけど」

「一応、このバカでかいサイズにも意味があるらしくって、これはシーザオの中心にある巨大な紅バラをイメージしているらしいよ。ほら」


 部屋の窓を指差す。

 森と見間違うほど自然豊かなシーザオの景色。その中心には巨大な紅いバラが咲き誇っていた。


「なるほど、よく考えられているんですね。食べるのがもったいないくらいです」


 軽くうなずくシュテリアの横から、口を出す人物がいた。アリーチェだ。


「そんなこと言ってると、アタシがもらっちゃうわよ」


 ベッドから半分身を乗り出している。今にもテーブルに手が届きそうだ。

 わたしと目が合い、アリーチェは手をひらひらと振った。


「なんてね。冗談よ状態。まさかアタシだけ忘れられてるとは思わなかったけど」

「それは……ほんとごめん、アリーチェ」

「……別にいいけど」


 別によくないやつだ。言い方でわかる。


 薔薇のタルトを食べ、シュテリアにも一個買ってきたはいいものの、同じく部屋にいるはずのアリーチェのことを完全に忘れていた。せめて、自分の分を店で食べず、二つとも持ち帰ってこれば格好はついたが、すべて今さらだ。

 しくじったなあと思っていると、シュテリアが薔薇のタルトをアリーチェへと差し出した。


「アリーチェが食べていいですよ」

「えっ、あ、いや、ごめん。別にそういうつもりで言ったわけじゃ」


 目に見えてしどろもどろになり、口数が減るアリーチェ。

 こう見えてアリーチェには意外とさみしがりやな一面がある。おそらくタルトを食べたかったというより、忘れられていたのがショックだっただけ。シュテリアに催促する意図は特になかったのだろう。

 しかし、わたしならともかく付き合いの浅いシュテリアにそれを察しろというのは無茶な話だ。


 せっかくタルトを買ってきたのに、またまた気まずい空気が漂ってきた。


「いえ、いいですよ。無理して気をつかっているわけではないので。実はボク、甘いもの苦手なんですよね。コーヒーもブラックが好きですし」

「そ、そうなの?」

「ええ、ですから、どうぞ」


 アリーチェが顔色をうかがうようにわたしを見た。

 いや、そんな親戚にオモチャを買ってもらう子どものような顔で見られましても。


 わたしは無言でうなずいた。


「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて……ん〜、美味し〜!」


 アリーチェは薔薇のタルトを一口かじると、美味しそうに頬を抱えた。

 普段なら嬉しい光景だけれど、シュテリアにあげるつもりで買ってきた今日に限っては複雑な気分だ。

 やることなすこと、何もかもが上手くいかない。

 曇った顔のわたしを見て、シュテリアが申し訳なさそうに謝った。


「エイシャ、せっかく買ってきてもらったのにごめんなさい」

「……いいよ、色々とうっかりしてたわたしが悪いんだし。甘さ控えめのチョコレートケーキとかもあったから、そっちにすればよかったかな」


 本当なら謝りたくも、謝られたくもなかった。適当に美味しいものを食べて適当に笑えればよかったのに、ままならないものだ。


「あの、それなら、今度いっしょに食べに行きませんか」

「……いいの?」

「ええ、甘さ控えめならボクも食べれますし」

「ありがと。でも、どうせ行くならケーキ屋さん以外がいいかな」


 今日みたいな失敗はもうこりごりだから、とわたしは小さく苦笑した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る