第26話 よみびとしらず

 翌日。宿屋のベッドで横になっていたわたしは、おもむろに目を覚ました。左耳から電子の歌声が聞こえる。どうやらイヤホンをしたまま寝落ちしていたらしい。

 片耳だけ挿さったイヤホンを引っ張るように外した。


「…………んんっ」


 上体を起こし、頭を振る。ぼやけた景色を眺めていると、次第に焦点が合い、頭がはっきりしてきた。

 部屋は明るい。窓から見える太陽が目にしみる。


 この宿には『水菓子の花便りウォーター・クッキー』の四人で宿泊しているのだが、部屋にアリーチェとヒナヤの姿はなく、いるのはシュテリアと寝起きのわたしだけだった。

 シュテリアはちょうどわたしに背を向ける形で椅子に腰かけていた。二つ折り型端末のキーボードをカタカタ叩く音が聞こえる。


 そんな後ろ姿を寝ぼけ眼で見つめながら、わたしは昨日の顛末を思い返していた。



 わたしたちにヘルボルトと名乗ったルクナッツは、アリーチェと会うや否やどこかへと逃げていってしまった。なんのことはない。アリーチェの元パーティメンバー、シーフォのフルネームが『シーフォ・ヘルボルト』だったというだけのオチだ。

 偶然、出会えたはいいものの、その時のわたしたちにシーフォを追いかける余力はなかった。その後、なんとか大部屋にたどり着き、転移軸をつうじてシーザオの街へと帰還。モンスターの素材などを換金し、四人で宿屋に泊まり今に至る。


 道中の語るべきことは、換金所での一悶着くらいだ。

 ミューブラン砂漠一帯を支配する竜、ハタラドゥール。かの竜の意向で、シーザオでは迷宮内拾得物の換金に膨大な税や手数料がかけられていた。

 あまりの換金額の低さにアリーチェが不満をあらわにしたことで、竜牙兵スパルトイたちに囲まれ、一触即発の空気となった。

 竜牙兵スパルトイは竜の眷属。彼らに逆らった場合、竜への反意ありとみなされてもおかしくない。なんとか乱闘騒ぎにはならずにすんで本当によかった。


 昨日の出来事を思い返すうちに眠気が覚めてきたわたしは、シュテリアへと声をかけた。


「おはよう、シュテリア」

「……おはようございます。でも、もう昼過ぎですよ」

「わたしは起きた時が朝だからいいの」


 子供じみた言い訳をしながら、ベッドに座り込む。部屋にはコーヒーの香りが漂っていた。


「一口飲みます?」

「いいの?」

「ブラックですけど」

「ぜんぜん平気、むしろそっちのが好き」


 シュテリアの隣に座り、受け取ったカップに口をつけた。

 顔をなでる湯気。

 注いでから、まだあまり時間が経っていないのだろう。体中に広がる珈琲の香りは熱かった。


「ん、おいしい。ありがと」


 カップを返す。その最中、ふとシュテリアの端末の画面が目に入った。


「動画の編集?」

「そうです。昨日の探索実況動画の編集を」

「まるごとアーカイブで残すんじゃダメなの?」

「もちろん、それもしますけど、それとは別に見どころだけ短くまとめた動画もあるとよくないですか」

「大変じゃない?」

「それはそうですけど、無名の新人の何時間もある動画をわざわざ視聴してくれる人なんてほとんどいませんから」


 理屈はわかるけど、実際に編集するとなると手間がかかりそうなものだ。

 画面を覗きこむと、そこにはちょうどアリーチェとヒナヤが映っていた。


「これ、分断されてた時の映像?」


 刀を手にしたアリーチェがゴーレムを踊るように斬り伏せていく。ヒナヤも援護射撃しているようだが、効いているかは怪しいものだ。正直、アリーチェが一人で蹂躙しているようにしか見えない。

 シーフォはコアを抜き取ることでゴーレムを無力化していたが、アリーチェは真正面から石のように硬い首を切り飛ばしているわけで……こうして映像で見せられてもなかなか信じられない。


「アリーチェの強さは知ってたけどさ。ここまで圧倒的だと、もうアリーチェ一人だけでいいってなっちゃうね」

「……ですね」


 シュテリアは自嘲めいた笑みを浮かべると、動画からアリーチェの大立ち回りの前後をバッサリと切り取った。慣れた手つきで黙々と動画を編集していく。

 しばらくして、シュテリアは動画に音楽を挿入した。


「ん?」

「どうしました」

「いや、そこのBGM、なんか聴いたことある気がして」

「……本当ですか?」

「こんな嘘ついてもしかたないでしょ」

「それは、そうですけど」


 シュテリアは半信半疑な様子で動画を戻した。特徴的な歌声と聞き覚えのある旋律が響く。


 間違いない。バーチャルシンガー・スピカの曲だ。


 メロディと歌詞をインプットすることでどんな曲も歌い上げてくれる仮想バーチャルの歌姫スピカ。音声合成ソフトとして生まれた彼女は今ではバーチャルシンガーとして名をあげ、世界中の誰よりも多くの曲を持っている。

 動画サイトにはスピカの曲というジャンルがあるくらいで、そこで曲を聴くのはわたしの数少ない趣味と呼べる行為だ。


「やっぱりそうだ。聴いたことある。スピカの曲だよね、これ」

「……」


 黙り込むシュテリア。


「あー、ちがった?」

「いえ、違わないですけど……」


 シュテリアは小さく息をのむと、意を決したようにつぶやいた。


「実はこれ、ボクが作った曲なんです」

「……え」


 ここ数日で一番の驚きに、胸のコアがどくんと脈打った。


 スピカはバーチャルシンガーである前に音声合成ソフトだ。

 世界中の誰でも、ソフトさえあればスピカを歌わせることができる。だからこそスピカの曲は多く作られ、ここまで有名になった。

 知り合いに作曲経験者がいても何らおかしい話ではない。そもそも、スピカを使ったことがあるというだけなら、三日で挫折したわたしだってそうだ。

 ただ、それなりに再生数のある曲となると話は変わってくる。


「え、え、え、ホントに? す、すごっ!」

「別にそんなに珍しくもないですよ」

「いやいや、曲作れるってすごいよ! それもランキングにも載るようなレベルってことでしょ!」

「この曲だけですよ。それも多少評価されただけ。他は散々でしたし」


 スピカ好きのわたしにとって、作曲者は憧れの存在だ。

 それがこんなに身近にいたという事実に、わたしが興奮しないはずがなかった。


「ちなみにシュテリアはスピカの曲はどんなのを聴いたりするの? やっぱり、自分の作る曲と同じジャンル? それとも意外に全然違うジャンルや、流行りの曲とか――」

「……ええと」


 身を乗り出す勢いのわたしとは対照的に、シュテリアの反応はどこか気まずそうなものだった。


「ご、ごめん。質問攻めにしちゃって」


 饒舌な自分を客観視し、思わず口を閉じる。

 するとシュテリアは首を小さく横に振った。


「いえ、そうではなく、その……最近はもうスピカの曲はあまり聴いてないんです」

「え。あー……そうなんだ」


 そういうこともあるだろう。

 スポーツが好きだからといって、スポーツ観戦を好むとは限らない。

 理屈ではわかっても、盛り上がった分、落胆してしまう。


 しかし、そこから続くシュテリアの言葉は、わたし以上に沈んでいた。


「……エイシャはスピカが好きですか?」

「うん、そうだけど」

「そうですか。ボクはもうずっと聴いてません。曲の投稿もしてないですし」


 そう告げる声のトーンは低い。


「無名の新人でもスピカを使えば、世界中の人に曲を聴いてもらえるチャンスがある。それは間違いなくスピカの良いところです。でも」


 シュテリアは端末の画面を見つめたまま、ボソボソと口を動かす。


「……結局、みんなが聴きたいのはボクの曲じゃなくてスピカの歌なんですよ。少しずつ再生数が増えて『そろそろボクの名前も知られてきたかな』なんていい気になって、試しにスピカ抜きで曲を作ってみたら、手のひらを返したようにそっぽ向かれて……聴いてくれる人が誰もいないとは言いませんよ。でも、自分は思っていたほど注目されていなかったんだなとは思いましたね。バカみたいじゃん、何勘違いしてたんだ、恥ずかしいなって。頑張って作って、頑張って活動して、そうして積み重ねてきたもののほとんどはボクではなく、スピカの財産になっていくんです。ボクの歌なのに。ようするに、ボクが『歌わせてあげてる』と思い込んでいたものは、スピカに『歌ってもらってる』ものだったんですよ。そう思ったら、なんていうか、その……少し嫌気がさしちゃいました」

「……」


 あははと乾いた笑みをこぼすシュテリアに、わたしは何も言えなかった。


 シュテリアの編集動画に流れるBGM、そのメロディには聞き覚えがある。一時期ランキングにあるのを見つけて何度か聴いた歌だ。だけど、この歌の作者名をわたしは知らない。他にどんな歌を作っていたのかも、答えられない。


「ごめんなさい、長々と。スピカのファンに言うようなことじゃなかったですね」

「ううん、こういう話ってあまり聞くことないから、その……新鮮だった」


 行き場のない視線をテーブルに向けながら答える。

 動画を編集中の端末。シュテリアの動かない手元。まだ珈琲が少し残ったカップ。

 ぬるくなった珈琲から湯気はもう消えていた。

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