第22話 はじめての配信

 間近で眺める薔薇城の姿は、息をのむほど壮観だった。

 バラの花弁に似た部分はいずれも滑らかな曲線を描いており、壁と屋根の境目がない。まるで本当に巨大なバラのようだ。

 しかし、近くで見ると薔薇城を形作る材質はどこからどう見ても石だ。


 シュテリアによると『砂漠の薔薇城』は廃墟が迷宮化したものだという。

 つまり、この石とも植物ともつかない薔薇城は遠い昔にだれかが使っていたわけだ。


「はぇー、昔の人ってすっご……」

「エイシャ! 準備できたから、そろそろ行くわよ!」

「わかった、今いく!」


 廃墟の外壁を見上げていたわたしは、アリーチェの元に足を向けた。

 三人は砂漠の薔薇城の入口に集まっていた。


「アリーチェ……それって」


 わたしの目を惹いたのは、玉のように丸いウサギだった。

 三人を中心にくるくると宙を転がり回るウサギ。その姿は、まるでは星のまわりを巡る月のようだ。


「『撮影衛星ボールバニー』よ。ほら、盈月えいげつ所属の探索者なら誰でも使える配信用の仮想生命タルパの」

「あー、ね。これが」


 呪術によって生み出された擬似生命体――仮想生命タルパ。実際には命や感情があるわけではなく、記述に従って生命らしく振る舞っているに過ぎない呪文の一種だ。


 生命のように振る舞う点では、わたしがよく用いる擬造ミミクリと似ているともいえる。

 もっとも擬造ミミクリ既存の存在オリジナルを模倣しているだけなので、苦労は比べものにならないだろうけども。


「そっか、これが撮影衛星ボールバニーか」


 生命体ではないとはいえ、ウサギに似た姿がかわいいことには変わりない。

 わたしはなでるようにウサギの頭へと手を伸ばした。

 撮影衛星ボールバニーの瞳はずいぶんと無機質であり、まるでカメラレンズのようだ。


「ちなみにエイシャ、それもう撮影始まってるわよ」

「はい?」

「絶賛全国配信中」

「それってつまり……全国に配信してるってこと?」

「だから、そう言ってるでしょ」

「あー、ね…………まじか」





 迷宮都市フェゼルバーリにあるおんぼろアパートの、おんぼろな四畳半。

 これまたおんぼろな服を着た燐血人アグネアの姉弟が、型落ちのタブレット型端末の前で寄り添うように座っていた。


「ねえね、なに見るん?」

「ねえねの友達の配信やよ。探索者になって初めての迷宮探索なんだって」


 開いているのは連絡呪術メッセージアプリの画面。

 無数のふきだしの隣には、発言者の名前とアイコンが表示されていた。


『もうすぐ配信するよー! ぜったい見てね!』


 ペンギンのアイコンに、ヒナヤという文字列。

 最近できたばかりの友達の連絡に、燐血人アグネアの少女は画面をフリックして返信した。

 シュポンっと小気味良い音が響く。


『わー、待ちきれないです! はじめての迷宮探索、弟といっしょに楽しみに待ってますよー!!!』


 その発言の横には、パンケーキの写真アイコンと、ニサという名前があった。


「探索ってことはねえねの友達、たたかうんよね?」

「そうやよ」

「つよいん?」

「それはもうすっごく」

「ねえねより?」

「もちろん」

「じゃあ、竜よりも?」

「う、うーん、それは……どうかな……」


 ニサは少し口籠ったが、しばらくして笑みを浮かべながら口を開いた。


「……でも、いつかは竜も倒しちゃうかもね」

「えー、うっそだぁ」

「ふふっ、さぁて、どうでしょうか?」


 ニサはくすりと笑いながら、端末の画面を切り替えた。


「あっ、ほら、始まるよ」





 わたしたち『水菓子の花便りウォーター・クッキー』のはじめての迷宮探索――の前に、自己紹介があった。

 撮影衛星ボールバニーに向け、いつもの会話とは絶妙に違うテンションで話す。そんなアリーチェたちの姿にいいようのないこっぱずかしさを覚えるが、はたから見ればきっとわたしも同じくらいぎこちないのだろう。お互い様というやつだ。

 心の中でひたすらに「帰りたい」と連呼しているうちに、探索の前置き話が終わる。ようやく砂漠の薔薇城へと踏み込むこととなった。


「エイシャちゃん! なんだか思ってたほど暑くないよ!」


 いの一番に飛び込んだヒナヤが、その場で両手を広げながらくるくると回る。


「ほんとだ」


 たしかに、砂漠の薔薇城の内部は想像していたよりも過ごしやすい。単純に日陰に入ったからだろうか。涼しいといえるほどではないけど、砂漠を歩いていたときよりよほど快適だ。

 しかし、快適なのはあくまで気温だけで、内装はまさしく廃墟そのもの。壁や天井はボロボロに剥げ落ち、床の上に砂がざりざりと広がっている。

 わたしは薔薇城の中を見渡しながら、ふと感じた疑問を口にした。


「それにしても、敵が見当たらないね。迷宮なのに」


 アリーチェが声を返す。


「そりゃそうよ。ここ、まだ1Fよ」

「あー、ね。つまり上に行けば行くほどモンスターもたくさん出てくる、と」


 いくら迷宮とはいえ、大勢の探索者が行き交う入口付近はモンスターとしても避けたい場所だろう。もっと上の階や個室を縄張りにしているのは納得できる。

 お決まりといえばお決まりだなんてうなずいていると、シュテリアに「エイシャ、少し違いますよ」と否定された。


「モンスターが出てくるのは上ではなく下。ここの迷宮は地下に広がっているんです」

「え、そうなの」

「地上部分だけならさすがに狭すぎて、ここは迷宮ではなくて小迷宮と呼ばれてますよ」

「はぇー、これで狭いんだ」


 つまり、この砂漠の下には薔薇城の外観を遥かに超える規模の迷宮が広がっているわけだ。

 なんとも気の長くなる話に、再び頭の中に「帰りたい」が湧きあがってきた。


「気が乗らない、ですか?」


 シュテリアがこちらを見つめていた。単眼族ゲイザー特有の大きな一つ目にたじろぎそうになったが、よく見るとその口元は緩んでいる。どうやら、シュテリアなりの軽口らしい。


「あー、ね。やっぱ――」


 ――わたしには向いてなさそう。

 そう口にするギリギリで、わたしの目に撮影衛星ボールバニーの姿がとまった。その瞬間、今は配信中だったと思い出す。


「――あー、や、なんでもない」


 なんとか言葉を飲み込み誤魔化す。

 急に口を濁したわたしに、不思議そうに首を傾げるシュテリア。

 撮影衛星ボールバニーを視線でチラチラ示すと、「あっ」と口を塞ぎ一つ目をしばたたいたのだった。





 地下に踏み込む前に、わたしは照明呪術アプリしあわせのカボチャジャック・オ・ランタン』を起動した。ウーズ型端末がカボチャの形をしたランタンへと変化し、カボチャに浮かんだ顔が暗闇を喰らい尽くす。


 通路の幅は思っていたほど狭くなかったが、問題は足元の不安定さだ。ランタンの灯りで照らしてもなお歩きにくい。土管の内側のように、床、壁、天井が区別なく筒のように滑らかに繋がっており、足元が微妙に湾曲しているからだろう。


 げっそりするわたしとは対照的に、ヒナヤは遊園地にきた子供のようにはしゃいでいる。


「ねね、エイシャちゃん。ここの壁、どれも木の幹みたいなのに、触ると石みたいだよ!」

「え? ……あ、ほんとだ」


 楽しそうな声につられ、壁にぺとりと手をつける。体組織に伝わる質感はたしかに木ではなく、固くて冷たい石のそれだ。

 顔をくっつけたらヒンヤリとして気持ちいいかもしれない。

 そんなことを思っていると、アリーチェの鋭い声が飛んできた。


「はしゃぐのは結構だけど、もう敵がきたわよ」


 通路の奥から虫が這いずり回るような音が聞こえる。

 カサカサカサカサ。カサカサカサカサ。カサカサカサカサ。


「……うぇ」


 暗闇から現れたモンスターは、想像どおり巨大な節足動物たちだった。


 尻尾の先端に花のつぼみをつけ、カニのようなハサミを構えて威嚇する『スコーピオン』。

 トカゲに似た体から昆虫の脚が生えている『ヨーウィー』。

 長い触覚とテカテカ脂ぎった光沢を放つ楕円の体の『カックローチ』。

 いずれも全長はわたしの腕の長さくらいある。それが二匹ずつ、合わせて六匹。巨大な虫が群れをなして迫りくる光景は、人によってはそれだけで卒倒しかねないものだ。


 覚悟していたとはいえ、思わず脚が一歩後ろにさがる。


 虫たちの中で飛び抜けても素早いカックローチが、一気に詰め寄ってきた。


「通しませんよ!」


 槍を構えたシュテリアがカックローチの前に立ち塞がるが、その動きはどこかぎこちない。虫に対するおびえもあるかもしれないが、それ以上に武器と地形の相性の悪さが大きいだろう。

 槍は閉所で振るうには長すぎる。攻撃手段が突きに限られてしまう。


 そんなわたしの懸念を振り払うようにシュテリアの力ある言葉が響いた。


「止まれ」


 単眼族ゲイザーの瞳がカックローチを射抜く。途端、スロー再生されたかのようにカックローチの動きが緩慢になる。

 その隙を逃すことなくシュテリアは槍でカックローチを突き刺した。


「わぁ! やった!?」


 ヒナヤの歓声が響くが、カックローチは想像以上にしぶとかった。背中を貫かれてもなお、もがき続けている。

 槍を引き抜くわけにもいかず立ち往生するシュテリアの横を、もう一匹のカックローチがすり抜けていった。


 しかし、わたしたち『水菓子の花便りウォータークッキー』には前衛はもう一人いる。

 刀が風を切る。


「ま、この程度じゃ相手にならないわね」


 カックローチの頭と体はバラバラに切り離された。


「わわっ! 今度こ――」

「ヒナヤ、見てないでわたしたちも動かないと」

「あ、そうだった!」


 ヒナヤは弓を引き絞り、カックローチの後方のスコーピオンやヨーウィーを狙う。

 放たれた矢は吸い込まれるようにスコーピオンへと見事、直撃した。


「やった! ……あれ?」


 ヒナヤの狙いは精密だった。

 一般試験での誤射を思えば、薄暗さの残る迷宮の中で矢を的中させられる腕は間違いなく素晴らしい。

 ただ、スコーピオンの硬い外骨格を貫くには、単純に威力が足りていない。


「ヒナヤ、狙うならスコーピオンじゃなくて、ヨーウィーをお願い」

「ヨーウィー……ってどれだろ?」

「トカゲっぽいやつ! そっちなら目や口が開いた瞬間を狙えば効くはず!」

「うん、わかった! ヒナヤにドーンとまかせて!」


 そうなると、わたしのするべきことはスコーピオンへの対処だ。

 水入れ容器を取り出し、擬造ミミクリの呪文を思い浮かべる。


 『百舌鳥モズ』はダメだ。ここには木のトゲのような獲物を突き刺す場所がない。それでは早贄はやにえが行えず本領発揮できないだろう。

 『潮招シオマネキ』なら一対一で相手の動きを止めることに特化しているので悪い選択肢ではない。

 でも。


「――試してみよう、かな」


 今、わたしには何よりも擬造ミミクリを試してみたい対象があった。

 せっかくの機会だ。やるだけやってみてもいいだろう。


「水神の涙に告ぐ。魔眼を避けし雄々しき枝角えだつの。夜の翼。揺籃ようらん見つめる影法師。汝は――」


 砂漠の薔薇城に、呦呦ゆうゆうたる鳴き声が響いた。

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