第23話 迷宮変動

 容器から零れた水が擬造ミミクリによって形を変えていく。

 やがてその場に現れたのは翼の生えた牡鹿――ペリュトンの模造品だった。

 あくまで擬造ミミクリによる模造品のため、体格は中型の鳥程度で、色も無色透明の水そのもの。本物の威圧感とはほど遠い。

 しかし、それでも形状は間違いなくペリュトンそのものだ。


「似ているなら、それは同じってことッ! 飛んで、鹿鳥ペリュトン!」


 鹿鳥ペリュトンはいななきを返すと、空中を駆け出した。

 迎えうつスコーピオンは、蕾のついた尾節を槍のようにつき出す。

 が、影に潜む力をもつ鹿鳥ペリュトンには当たらない。薄暗い『砂漠の薔薇城』の通路は鹿鳥ペリュトンにもってこいの場所だ。

 砂浜に水がしみこむように、鹿鳥ペリュトンは薄暗がりへと潜伏していく。直後、スコーピオンの真下から水の奔流が噴き出した。直撃を受けたスコーピオンは、振り上げていたハサミをおろし、電池の切れた猫のようにピタリと動きを止めた。


「さすがね、エイシャ! お手柄よ!」


 カックローチを切り捨てたアリーチェがヨーウィーとスコーピオンへ襲い掛かり、シュテリアもそれに続く。

 また、ヒナヤの射撃はヨーウィーの急所を貫くことはできずにいたが、充分な牽制になっている。


 一度決した優勢は簡単にはくつがえらない。

 一方的な展開を迎え、わたしたちは無事『砂漠の薔薇城』におけるはじめての戦闘を終えたのだった。





「つ、疲れた」


 初戦闘を終えたわたしは、壁にべたりともたれかかると、そのままずりずりと体を滑らせ、地べたに座った。

 先ほどの戦闘ではわたしが一番動いていないはず。それなのに、どうにも他の三人よりわたしの方が疲れているように見える。

 理由は明白だ。


鹿鳥ペリュトンの影渡り、むちゃくちゃ呪力もってかれる……やるんじゃなかった」


 影の中を移動する力と相手を眠らせる力。

 迷宮の主を再現しただけあり、鹿鳥ペリュトンの能力は非常に強力だ。

 しかし、それを踏まえてもなお呪力の消費が激しすぎる。


「エイシャ、大丈夫?」


 心配そうにのぞき込んでくるアリーチェの手には茶色の小瓶が握られていた。

 ペキキッと蓋を開け一口だけ飲むと、瓶をわたしに差し出す。


「ほら、飲んだら? 元気出るわよ」

「ん、ありがと」


 受け取ろうと伸ばしかけた手を止めた。


「急に固まってどうしたのよ。エイシャ、エナドリ嫌いだったっけ?」

「いや、そういうわけじゃないけど、なんていうかその……アリーチェはさ、世界で一番有名な感染呪術ってなにか知ってる?」


 赤紫の粘態スライムは一瞬、怪訝そうな顔を浮かべたが、すぐに得心がいったようだった。


「あー、ハイハイ、なるほど。アタシが先に口をつけたこと気にしてるわけね」


 声のトーンは次第に下がっていき、最終的にアリーチェは力なく手を下ろした。


「……ま、嫌ならいいわよ」


 その姿にわたしは慌てて首をふった。


「ややや、ちがうちがう! 嫌とかじゃなくて、ただの確認だって! 別にわたしは気にしないけど、潔癖症で気にする人だっているわけじゃん! だからただの確認というか」

「なに言ってんのよ。アタシから差し出してるのに、アタシが気にするわけないじゃない」


 後ずさりながら、もっともな指摘が飛ぶ。


「ぅ、いや、まあ、そうなんだけどさ。ほら、念には念をといいますし、その、一応? 聞いておいた方がいいかなって」

「ハイハイ、わかったわかった。わけわかんないことモゴモゴいってないで、さっさと飲みなさいよ。まだ探索は始まったばかりなんだから」

「……はい」


 アリーチェに突きつけられた瓶をおずおずと受け取る。

 わたしはチラチラとアリーチェの表情をうかがいながら、ぐいとあおった。

 薬の香りと爽快感ある酸味が、体組織内に広がっていく。


「ぷはぁ。あー、生き返る」

「でしょ、グチグチ言わずに飲んどきゃいいのよ」

「おっしゃるとおりで」

「それじゃ、そろそろ探索再開するわよ」


 アリーチェの声を受け、わたしはゆっくりと立ち上がる。そのまま軽く伸びをし、アリーチェの後を追いかけていった。


「ねえねえ、シュテリアちゃん」

「なんですか?」

「エイシャちゃんが言ってた、世界で一番有名な感染呪術って何かわかる? ずーっと考えてたけど、よくわかんないんだよね」

「あぁ、それはおそらくアレですね。間接キスですよ」





 砂漠の薔薇城は迷宮ではあるが、未踏圏ではない。すでに多くの探索者に踏破されている。

 そんな先人たちの知恵の結晶。そのひとつが地図だ。


 アリの巣のように入り組んだ道を歩く中、シュテリアの手元には3Dマップが浮かんでいた。


「ここの別れ道は……右です」

「本当? アタシはなんとなく、左っぽい気がするわよ」

「なら、左にしましょうか? あくまで方角と距離を頼りに妥当な道を選んでるだけなので、ボクはそれでも構いませんけど」

「……いえ、やっぱり右でいいわ」


 地図があるとは思えないシュテリアとアリーチェの会話だ。しかし、それも無理もない。

 3Dマップに描かれているのは大部屋だけで、それらを繋ぐ通路は載っていないのだから。


「それにしても、地図なのに部屋の位置しかないなんて不思議だよね」


 ヒナヤのもっともな疑問にシュテリアが答える。


「砂漠の薔薇城は、不規則に通路の構造が変わりますから、描きたくても描けないんですよ」

「えーっと……そうなんだ」

「本当にわかってます?」

「ぁう、ほんとはあんまり」


 ヒナヤはきまりが悪そうに頭をかいた。


「もう少し詳しく説明するとですね。砂漠の薔薇城では、部屋の位置だけは決まっていて、それ以外の通路は消えたり現れたりするんですよ」

「ゴールまでの道が勝手に変わる迷路ってこと?」

「その認識で合っていると思います」

「でも、それじゃあ、ゴールできないよ」


 抗議の声をあげるヒナヤだが、残念ながら迷宮にはそれを聞き届ける耳がない。(迷宮の精霊でもいるなら別かもしれないが)


「その点は問題ないですよ。どれだけ道が変化しても、各部屋を繋ぐ道は必ずひとつ作られるらしいので。どれだけ複雑でも正解のルートは必ず存在します」

「なんだ、それなら安心だね」


 シュテリアは気にするほどではないと締めくくり、ヒナヤも安堵の表情を浮かべる。

 しかし、わたしとしては変動の起きる頻度や、そもそもの仕組みなど気になることばかりだ。

 特に頻度は確認しておきたい。探索中に迷宮が変化して帰り道がわからなくなったらたまったものではないだろうし。


「道の変化は、具体的にどれくらいの間隔で起きるの?」

「基本的には一日で、長い時には一週間以上も変化がなかったことも。ただ、逆に一時間以内に連続して変化することも稀にあるみたいです」

「ランダムってことか」


 それでは注意しようもない。

 わたしたちの探索中に起きないことを祈るしかなさそうだ。


「できることは、足元が揺れたかなと思ったら気をつけるくらいですね。もっとも、気をつけてどうにかなるものではないですけど」


 シュテリアがそう言った直後、アリーチェが足を止めた。


「ねえ、なんか揺れてない?」

「勘弁してよ。こんな話をした直後に」


 思わず突っ込んだわたしに、アリーチェが首を振る。


「いや、冗談じゃなくて本当に揺れて――」


 世界が波打った。


「え」


 足場がぐにゃりと歪み、踏ん張る暇もなく体が傾く。

 わたしは後ろに倒れると、ガケを転がり落ちる石のように、迷宮の通路をすべり落ちていった。

 何かを考える暇もなく、全身に衝撃が広がる。

 気づけばわたしは地面に投げ出されていた。


「うっ……みんな、だいじょうぶ?」


 粘態スライムという衝撃に強い体に生まれたことを感謝しながら、ゆっくりと立ち上がり周りを見渡す。

 隣にはシュテリアが倒れていたが、他の二人は見当たらない。

 すぐさま単眼族ゲイザーの少女の元へと駆け寄った。


「シュテリア! 大丈夫!?」

「へ、平気です」


 シュテリアが腕を押さえながら、ゆっくりと起き上がる。

 意識はあり、身動きが取れないわけでもない。その状況にひとまず安心する。

 シュテリアはつぶらな単眼をしかめながら、顔を上げた。


「いててっ……ボクのことより、アリーチェとヒナヤはどこですか」

「二人は――」


 どれだけ見渡しても二人の姿は見えない。

 先ほどまで通路だったはずの場所も、すでにただの壁と化している。


「――はぐれたかも」


 地面がせり上がるように変化した時、わたしは後ろへと転がり落ちていった。

 ここにアリーチェとヒナヤがいないということは、順当に考えれば二人はこの壁の向こうにいるのだろう。


 どうしたものか。


 壁の前で立ちつくしていると、シュテリアがぼそりとつぶやいた。


「『砂漠の薔薇城』でよくあるパーティ壊滅の原因、なんだと思います?」

「……今のわたしたちの状況とか」

「正解です。迷宮の変動は天然のトラップですからね」


 笑えない話だ。


「これも迷宮では『よくあること』?」

「道が突然変わったせいで帰るに帰れず、全滅したパーティは少なくないらしいですよ。……分断はさすがに珍しいでしょうけど」


 つまり、今のわたしたちは全滅した人たちよりも遥かにマズい状況にいるわけだ。

 どうしてこんなことに、いや、それを言うならそもそもどうしてここにいるのか。

 ふと名無しの紀人ジョン・ドウの台詞が脳裏をよぎった。


『まあ、ちょっとばかし新人にはキツいかもしれんが、そんくらいの方がお前らにはちょうどいいだろ』


「――ったく、なにがちょうどいいんだか」


 体中にまとわりついた砂粒をぬぐいながらぼやく。どれだけ腕を擦っても、粘態スライムの体についた砂はなかなか取れなかった。

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