第20話 なんで逃げるのよ
話は懇親会の少し後に戻る。
アリーチェはリグサキサスーバから話があると呼び止められていた。エイシャたちと先に別れ、リグサキサスーバの隣をゆっくりと歩く。
日は沈み、夜空には月が二つ。探索者たちを照らしていた。
「選抜試験の件で伝えておきたいことがあってな」
「……いいの? あの時、何も聞かずに許すって言ったのは本当よ」
「いい、俺が話したいだけだ」
「実は、妹が誘拐された」
「……はい?」
「選抜試験の時の話だ。今はもう解決したがな」
「え、あ……そうなのね」
あの日、リグサキサスーバがそこまで切羽詰まる状況にいたとは。
冗談みたいだと思うと同時に、胸のつかえが取り除かれる。選抜試験の会場に現れなかったことにはそれなりの理由があった。それは仲間に裏切られたと思っていたアリーチェには、間違いなく救いだった。
「……そう。それで選抜試験に来る余裕がなかったわけね」
「いや、少し違う。行かなかったのは、誘拐犯にそう指示されたからだ」
「え?」
「選抜試験には行くな。そうすれば妹は返す。それが誘拐犯の要求だった」
「そんな、それってまるで誰かがアタシたちを――」
「――邪魔だと思っていたのだろうな」
ナイフを突きつけられたかのように背筋が冷たくなった。
「アリーチェ、貴様は強い。そして、俺たちのチームの他の奴らも腕は悪くなかった」
「……」
「あのまま行けば、選抜試験はまず間違いなく受かっていただろう」
「そう、かな」
「とぼけるな。謙虚も過ぎれば傲慢になるぞ」
とはいえ、実際は選抜試験に参加することすらできなかった以上、それを言ったら負け犬に思えてならない。
黙したままのアリーチェに、リグサキサスーバが言葉を続ける。
「選抜試験の合格枠は三つ。そのうち一つが埋まっているようなものだ。他のチームからすれば目障りだったはずだ」
「それで、他の選抜試験受験者が妨害してきたって言いたいの?」
「俺はそう考えている」
リグサキサスーバは断言した。
「怪しいのは当然、選抜試験の合格チーム。そのメンバーと関係者だ」
「っていうと」
東国から来た同郷出身の四人による妖怪パーティ『モノノケノケ』。
人間型
選抜試験をくぐり抜けたのはこの三チームだ。
「特に強い動機があるのは『fra/sco』だな。ここは他よりも腕が劣っている。俺たちがもし選抜試験に参加できていたなら、代わりに落ちたのはこのチームのはずだ」
「……ずいぶんと熱心な推理だけど、それをアタシに聞かせてアンタはどうするつもりなの」
「どうもしない。試験は終わり、妹は無事帰ってきた。今さらこちらが何かしたところで得るものもない。……ただ、最初にも言っただろ。これは俺が話したいだけだと」
その声から、恨みや憎しみは感じられない。どこか淡々とした語り口だった。
「ふぅん。なんていうか、意外ね」
「この話がか? それとも、やり返そうとしないことか」
「いや、そもそも妹がいるってことが」
「…………まあ、話してなかったからな」
アリーチェはかつてパーティを組んでいた他の二人のことを思い出していた。
リグサキサスーバのように会場に訪れず、それから会っていない二人。彼らも同じように追い詰められていたのだろうか。
「だからこそ、俺たちは狙われたのかもしれんな」
「え?」
「俺たちは互いのことを知らなさ過ぎた。いくら個々の力量が優れていたとしてもチームとしては簡単に付け入られるほどスキだらけだったわけだ」
「……」
否定できなかった。
「今のチームにいる貴様は、あの時よりも生き生きしているように見える」
「そう? ……まあ、そうなのかもね」
以前のパーティがつまらなかったり、不満があったわけではない。あの頃だって間違いなく楽しかった。その日々は、溶けきれない雪のようにアリーチェの中に積もっている。
けれども、どれだけ過去を大切に感じていたとしても、その気持ちが伝わっていないのなら、それはきっと――無かったことと同じなのだ。
「そういえば、貴様も試験に合格した以上、チームの名前も決まったのだろう? 教えてくれ」
「『
「……わからんセンスだな」
「ほんっと、正直よね。もう少し言葉を飲み込むってことはできないの?」
そうぼやきながらも、少し懐かしさがあるのも事実だった。
――なんか、シーフォも同じこと言いそうね。
かつてのメンバーの一人を思い浮かべながら、アリーチェは夜空を眺めていた。
◆
「……あいつ」
「シーフォ? シーフォよね!」
子ども程度の背丈。木彫りの人形じみた体。茶色い迷彩模様の体表。葉っぱの髪。熟れた果実の瞳。その姿はルクナッツという種族そのものだ。
彼らは自力で動き回る木の実とも呼ばれており、外見も生態も他に類を見ない。
当然、
一緒に選抜試験を受けるはずだったかつてのパーティメンバー、シーフォ・ヘルボルト。
ルクナッツが振り向き、目が合う。
やはりシーフォだと確信した次の瞬間、ルクナッツは逃げるように走り出した。
「ちょ、なんで逃げるのよ」
体格や歩幅ではアリーチェが上回っているが、土地勘はない。一度見失ってしまえば、おそらく追いつくことは不可能だろう。
公園を抜け出したシーフォは、家樹が密集する地帯へと入っていった。
視界から逃れようと、太い幹に沿って方向転換を繰り返し撒こうとする。
一方、アリーチェは家樹の壁を跳ねるように駆け上がると、家樹の間にかかる蔦の橋をつかんでぶら下がった。さながら盤上を眺める棋士のように、緑の大地を見下ろす。
体をしならせ、走るシーフォ目掛けて飛び降りた。
「うりゃい!」
落下の衝撃に全身がぶるりと震えるが、
「のわっ!」
突然目の前に降ってきたアリーチェに驚き、全速力で駆けていたシーフォが急停止した。再び走り出す前に、腕をつかんで動きを強引に止める。
「仮にも元仲間に対して、顔を見るなり逃げ出すのはあんまりじゃない?」
「……」
「せっかく会ったんだから、少しくらい話に付き合ってよ」
「……話ってなんだよ」
「えーっと、それは」
逃げられたから反射的に追いかけたものの、よくよく考えてみると明確に話したいことがあったわけではない。
「選抜試験のこと、とか」
「それがイヤだから逃げたんだろうが。頭ピーマンかよ」
「……相変わらず口悪いわね、アンタ」
完全に心を閉ざされているが、アリーチェの心は揺らがない。
リグサキサスーバから話を聞いていなければこうはいかなかっただろう。
選抜試験のあの日、リグサキサスーバが妹を誘拐されていたように、他の二人も何かしら脅迫を受けていたのではないか。そんな推察がアリーチェの頭を埋め尽くしていた。
「あのさ。さりげなく聞き出すとか、遠回しに伝えるとか、アタシそういうの苦手だから直接聞くけど……シーフォ、あんたが選抜試験にこなかったのは誰かに脅されたから?」
「ッ!」
「図星みたいね」
「ちげッ! そういうわけじゃ!」
動揺がはっきりと見て取れる。
その反応に満足したアリーチェは、シーフォをつかんでいた手を放した。
どうやら、自分のことを嫌っていたわけではないらしい。それさえわかれば充分だ。
「……まあ、話したくないなら別にいいわ」
アリーチェは手を下ろした。
「じゃあね、元気にしてな……よ……?」
シーフォに別れを告げようとしたが、なぜか呂律が回らない。視界がぐるぐると揺れ動く。平衡感覚が保てない。
シーフォの顔が二つ、いや、三つや四つに見える。
「いったい……なに、を……」
混乱する世界の中、アリーチェの意識は闇に飲まれていった。
「お前がしくじるたァ珍しいな」
昏倒するアリーチェの後方から、長身痩躯のエントが現れた。
その手には一輪の
「しっかし、さすがユグドラ製薬の眠り花だな。そこそこ距離もあったってのにイチコロたァ、いいもん貰ったぜ」
路上で倒れる赤紫の
「ったく、手こずらせやがってよ」
「……あの」
「さァて、いくら持ってるかなっと」
「……そいつ、オレの知り合いなんスけど」
アリーチェのジャケットへと延びようとしていたエントの手が止まった。
遅れて大きなため息が響く。
「シーフォ~、お前なァ~、俺たちゃ盗賊だぜ。ンなお行儀いいこといってられっかよ」
「いや、でも、それでこいつから追われるのオレじゃないスか」
「知るかよ。元はといえば、公園でお前がしくじって追われたのが原因だろ」
「しくじってねーし。こいつが知り合いの顔見つけて勝手に追ってきただけだ」
「ンじゃなんで逃げたんだてめえ、知り合いなら適当に世間話でもしときゃよかっただろうが」
「……それは」
言いよどむシーフォにエントが畳みかける。
「いいか、シーフォ。何も俺だってわざわざお前の知り合いから金を奪いたいわけじゃねェ。だがよ、これは罰だ。仕方ねェことなんだよ」
「罰?」
「そうだ、お前に向けての罰だ。お前が中途半端な対応をしたから、こいつは財布を失う。そういうことだろ? ようするに因果応報てやつをてめえに叩きこむため、俺だってやむにやまれぬ思いでやってンだよ。わかるな?」
「わっかんねぇよ。バカじゃねーの」
「まァまァ、すぐにわかれとは言わねえさ」
エントはシーフォの肩をぽんぽんと叩くと、アリーチェの財布から
「ン、ほら、広場での成果、寄こせ」
シーフォは何も言わずに懐から取り出した巾着袋を手渡した。
「おぉ、さすがだな。えーっと、取り分はまァ、こんなもんか」
エントは
「へへっ、シーフォ、やっぱお前にゃ盗みの才能があるぜ」
「ぜんっぜん、嬉しくねぇ」
「つれねえなぁ。俺とお前でなら盗賊王だって夢じゃねェってのによ」
エントは体格差を埋めるようにかがむと、シーフォの頭をがしがしと撫でた。
「くっ、やめろよ。うぜェ」
「ハハッ、わりィわりィ。ンじゃま、道草食うのもこんぐらいにして迷宮に向かうとすっか」
意識を失ったアリーチェをそのままに、エントとルクナッツはその場を去っていった。
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