第19話 ミューブラン砂漠、音楽の森

 わたしとアリーチェが暮らす粘態スライムの町ヴェトーリアの西方には、盈月えいげつ本部が置かれている街、迷宮都市フェゼルバーリがある。先日の入団式もそこで行われた。


 さて、わたしたちが挑む『砂漠の薔薇城』はそこから遥か南に存在するのだが、意外なことにフェゼルバーリの南に広がる景色は乾いた砂漠ではない。大森林と呼ぶべき緑の大地だ。豊かな自然を証明するかのように、大森林にはエルフ、エント、アルラウネ、ドライアド、ルクナッツなど植物と縁のある種族が多く暮らしている。


 そんな森の中になぜ『砂漠の薔薇城』などと呼ばれる迷宮が存在するのか。


 その疑問は大地を空から見下ろせばわかるだろう。

 緑の絨毯にぽっかりと空いた巨大な穴。

 そこには草木も湖も川も無い。ひたすら岩石と砂利だけがつづく砂礫の原。

 まるで別々の大陸をミシンで縫い合わせたかのように、大森林の中に巨大な砂漠が存在している。


 ミューブラン砂漠。

 それが空白地帯の名だ。

 中心にある竜の居城と、その北東に位置する街シーザオ。その二箇所以外に、この砂漠に緑は存在しない。


 わたしたち四人はミューブラン砂漠における唯一の街シーザオへと来ていた。


「……はー、すご」


 砂漠にあるにもかかわらず、シーザオはまるで森のように樹々が生い茂っていた。

 街の中からは、外に砂礫が広がっていることなど微塵も感じとれない。遊園地の中から外の世界が見えないのと似ている。

 さすが砂漠の中で消滅することなく残り続けている街だ。


 シーザオに立ち並ぶ樹々は『家樹いえぎ』と呼ばれ、街路樹であると同時に家でもあるらしい。樹のうろが居住空間になっているのが見て取れた。

 ビルのように複数の洞をもつ樹もあれば、ツリーハウスのように幹の上部に巨大な洞がひとつだけある樹もある。


 道脇には様々な花が咲いている。高さはバラバラながらどれも大きく、腰に届く程度のものもあれば、身の丈をゆうに超えるサイズのものもある。

 そして何より驚くことに、花からは音楽が響いていた。

 清澄な景色。爽やかな香り。穏やかな音楽。シーザオにはそのすべてがあった。


「花が音楽を奏でるなんて、さすがは音楽の森ですね」


 スズランのような花の奏でるやさしい音色に耳をすまし、シュテリアが感心する。


「音楽の森?」

「『世界の音楽家はシーザオに集う』なんて言われるくらいシーザオは音楽家にとって有名な街なんですよ」

「へえ」


 迷宮に近い街には、どうしても探索者ご用達の印象があるが、シーザオはそうではないらしい。

 ミューブラン砂漠の中にあっても豊かな緑を保っていることといい、なんとも不思議な場所だ。

 突然、ヒナヤが声を上げた。


「みんなみんな! あっちで路上ライブやってるんだって! 見に行こうよ!」

「急にどうしたの」

「だって、ここのスズランの精霊さんが教えてくれたから。せっかくだし見てみようよ!」


 自然豊かなこの街は、ヒナヤから見れば精霊たちが生き生きとしているようで、シーザオに来てからというもの、ヒナヤは街のいたるところに宿る精霊たちと交信しつづけている。

 わたしはアリーチェとシュテリアを見た。


「あー、ね。……二人ともどうする?」

「どっちでもいいわよ、アタシは」

「ボクは、少しだけ気になります」

「じゃあ、行くってことで」


 鑑賞しに行く方向で話がまとまるやいなや、ヒナヤはわたしの手を勢いよくつかんだ。


「よーし、それじゃあすぐに行こう!」

「わわっ、ちょ」


 ヒナヤがぐいと手を引いた。

 わたしは引きずられるようにバタバタと走り出し、雑踏の中に飛びこんだ。

 危うくぶつかりそうになった通行人が小さく悲鳴をあげる。


「――キャッ!」

「ご、ごめんなさい!」


 謝罪だけを置き去りに、そのまま駆け抜けていく。

 わたしを引っ張りながらも人混みをためらいなくかき分けるヒナヤは、さながら暴れ馬だ。誰かとぶつかっても勢いは衰えず、わたしは手を引かれるままに走り続けた。


 すれ違う人々の姿は植物を連想させるものが多い。

 綺麗な花弁で緑の体を彩るアルラウネ。

 背が高く樹皮のように乾いた肌のエント。

 木の実のように小柄なルクナッツ。

 植物からはほど遠い外見ながらも、草花を模した装飾で身を包むのはエルフやドライアドだろうか。隣を通りぬけるだけでも森の爽やかな香りがした。


 右も左も粘態スライムしかいないヴェトーリアと違い、シーザオには様々な種族がいる。それだけのことがとても新鮮だった。


「とうちゃーく!」


 わたしたちは自然公園のような場所にたどり着いた。

 とはいえ、シーザオでは家も街灯も草木が役目を果たしているから公園に見えるだけで、実際は違う目的でつくられた場所なのかもしれない。

 息を整えるわたしの後ろで、アリーチェとシュテリアは息一つ荒げることなく人だかりを見つめていた。


「路上ライブっていうと、たぶんあれよね」


 アリーチェが指差す先から、なめらかで不思議な音色と歌声が聞こえてくる。しかし、ここからでは誰が何を演奏しているのか見えない。

 どうにか奏者が見えないものかと、わたしたちは場所を移動した。


 人だかりの中心には八本の手足と八つの目をもった蜘蛛に似た種族、絲蟲ミュルドンが一人立っていた。

 なかなか見かけることのない種族だが、わたしの目を惹いたのは奏者ではなく楽器の方だった。


「……なに、あの楽器」


 絲蟲ミュルドンの正面で宙に浮かぶその楽器は、見たことない形状をしていた。

 空中でピタリと制止しているコッペパンのような形の物体。その両端からはアンテナらしき棒が突き出ていた。右のアンテナは真っすぐに上へと伸び、左のアンテナは真横に広がり楕円を描いている。ギター、キーボード、ドラムといった楽器のどれとも似ていない独特の形状。

 どうやって音を奏でるのか、想像つかない。

 絲蟲ミュルドンは六本の腕を謎の楽器の上でくねくねと器用に動かしながら歌っていた。

 隣でシュテリアがわたしのつぶやきに答えた。


「おそらく、触れずに演奏する電子楽器テルミンですね。ボクも見たのは初めてですけど」

「テルミン……なんだか、不思議な魅力があるかも」


 見えない弦の張られたハープを弾いているようだ。テルミンを奏でる絲蟲ミュルドンの姿から目が離せない。

 音色、奏でる姿、その両方にわたしは惹きつけられていた。

 わたしたちが不可思議な旋律に耳をすませている間にも、音色はさらに多くの人を引き寄せる。人だかりはますます大きくなっていった。


「――ありがとうございました」


 やがて、曲が終わり絲蟲ミュルドンが頭をさげた。万雷の拍手があたりを包みこむ。

 わたしが余韻に浸るうちに拍手はまばらになり、人だかりも次第にばらけていった。


 絲蟲ミュルドンの前に置かれた木箱に、紅色の石が投げ込まれていくのが見えた。

 シーザオの通貨は金貨や銀貨といった貨幣ではない。シナバルという紅い石で、これは砂漠の中心に鎮座する竜が発行しているという。

 つまり木箱にシナバルを投げ込むこの行為は、いわゆるチップや投げ銭にあたるのだろう。

 箱は瞬く間に真っ赤な石で埋め尽くされ、宝石箱もかくやというほどに輝いていた。

 わたしもいくらか払っておこうと慣れないシナバル計算を頭の中で進めていると、アリーチェが声をあげた。


「……あいつ」

「ん、どしたの?」


 わたしは財布からゆっくりと顔をあげた。


 さて、突然だが、わたしがアリーチェを尊敬している点は二つある。

 一つは、一度決めたことは簡単に曲げない意思の強さ。

 そしてもう一つは、決断してから行動に移るまでの異常な素早さ。


 わたしが顔をあげた時、アリーチェはすでに隣におらず、辛うじて遠ざかっていく後ろ姿だけが見えた。


「え、ちょ、アリーチェ……アリーチェ!?」

「アリーチェちゃんどうしちゃったの!?」

「いきなり走り出しましたね」


 驚いたのはわたしだけではないようで、ヒナヤとシュテリアも茫然とつぶやいていた。


「わかんないけど、とりあえず追いかけないと!」


 わたしは木箱に適当な大きさのシナバルをひとつ投げ入れると、財布をしまいながら走り出した。

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