第二迷宮 砂漠の薔薇城

第18話 猫と竜のゲーム

 猫の襲来は多くの受験者に恐怖を植えつけた。

 探索者をあきらめることを選ぶ者も多く、今回の合格者数は例年より遥かに少ないのだという。


 入団式という場であるため、直接的な表現は避けられていたが、団長の挨拶からは労いの気持ちが伝わってくる。

 盈月えいげつ団長エトラメトラトンは頭部の兎耳をひょこひょこ揺らしながら、しおらしく目を伏せた。ウサギにそっくりな屠兎トトと違い、耳長人ツユネブリの彼女はあくまで真っ白な長い耳を頭頂部から生やしているだけだ。顔や体つきは燐血人アグネアに近い。

 団長の肩書きや『呪姫』の二つ名からは想像できないほど、エトラメトラトンの姿は小柄で若々しかった。赤い実のような瞳に見つめられるだけで、庇護欲を掻き立てられる。


「皆さん、突然ですが『猫と竜のゲーム』というお話は知っていますか」


 愛嬌のある声が響く。

 エトラメトラトンが控えめな胸部の前で、小ぢんまりとした手のひらを合わせた。


「かつて世界がたったひとつしかなかった頃、猫と竜はゲームを始めました。それは命懸けの争いであったとも、ただの暇つぶしの遊びだったともいわれています。内容も勝者も定かではありません。それでもただ一つ、確かなことがあります。それは、そのゲームによって数多の世界と神々が生まれたということです」


 エトラメトラトンは一息つくと、まるで新人たち一人一人と目を合わせるかのように、ゆっくりと周囲を見渡した。


「さて、そんな『猫と竜のゲーム』ですが、実はこの話にはもうひとつの呼び名があるんです。それは」


 ――『偶然チャンス運命フェイトのゲーム』


 囁くような、それでいてはっきりとした声が会場に響き渡る。


「猫とは偶然チャンス、竜とは運命フェイト。あなたたちは探索者としての第一歩に猫と出会いました。それは間違いなく災難だったでしょう。しかし、私は思うのです。その偶然チャンスは捉え方ひとつで希望にも絶望にもなり得る機会チャンスなのではないかと」


 エトラメトラトンは真っ赤な瞳を細めて微笑んだ。


「――あなたたちの未来が光で満たされることを願っています」





 入団式も終わり、晴れて探索者となったわたしとアリーチェとヒナヤの三人は、流れで懇親会へと参加していた。

 立食形式の食事会であり、みんな手に皿やグラスを握っている。集う種族はさまざま。探索者という職業ゆえ服装も堅苦しいものではない。印象を残すために個性的な衣装を身に纏う者も少なくない。

 アリーチェとヒナヤの横で、わたしは海よりも深いため息をついた。


「……はぁ」

「ど、どうしたのエイシャちゃん。体調悪いの?」

「……いや、なんていうか、パーティとかそういうの……苦手というか」


 どうやら入団式の後の懇親会はパーティ結成や人脈づくりの場でもあるらしい。

 一般試験の前に四人パーティを組むとはいえ、その全員がそろって合格できるとは限らない。パーティの人数が足りない探索者はこういう場で人脈を広げ、仲間を集めていくのだろう。

 懇親会には、わたしたち新人以外の探索者たちもそれなりに参加しているらしい。


「……はぁ」


 一般試験前の仲間集めの時は頑張れた。

 あの時は試験直前ということもあり、場に緊張感が満ちていた。絶対にパーティメンバーを集めなければいけない責任感のようなものもあった。嫌でもやらなきゃいけないという覚悟が背中を押してくれた。

 自分の役割や戦術について話せばいいので、会話内容に困ることもない。

 だけど、今回は違う。

 周りから聞こえるのは愉快な笑い声や楽しげな雑談。スポーツ、時事ネタ、ファッション、地元ネタ、趣味。

 どれもわたしにはできない。

 気が乗らない。やりたくない。どうしてみんな気軽に話しかけられるのか、意味がわからない。


 隣にアリーチェとヒナヤの二人がいる。それだけが救いだった。

 もしも、わたし一人だったなら、無言でそそくさと帰っていただろう。


「エイシャのことはアタシが見ておくから、ヒナヤは好きにしてきていいわよ」

「え、でも」

「どっちみち四人目の仲間は集めないといけないわけだし、そういうのに向いてそうなヒナヤが動いてくれる方がありがたい……よね、エイシャ?」

「……あー、ね。適材適所ってことでお願い」

「わかった!」


 こくこくしたうなずきに合わせ、ヒナヤの金髪がふわりと揺れた。緑のケープが翻る。

 顔立ちの幼さはあれど、さすがはエルフ。振り返る姿ひとつとっても絵になるような華やかさがあり、それだけで周囲の目を惹くのがわかった。

 ヒナヤが今にも歩き出そうとした時、わたしたちを呼ぶ声がした。


「みなさん、お久しぶりです」

「あっ、シュテリアちゃんだ!」


 膝丈の淡い寒色のスカートは正装と呼ぶにふさわしい。こなれた着こなしゆえか、その姿には品格が漂う。

 半目でこちらを見つめる橙色の単眼は、黒髪と青いスカートの中でこれ以上ないアクセントを醸し出していた。


 単眼族ゲイザーの少女、シュテリア・ポストロス。彼女のあまりに洗練された姿に、わたしは思わず自分の白いナイロンジャケットを見下ろした。普段着そのものだ。

 隣に立つアリーチェは黒のワンピースにジャケットを羽織っている。頭部には花の髪飾りをあしらい、髪に見立てた体組織をまるで結い上げるような形で固定している。


 わたしはもう一度、自分の服装を見下ろした。普段着のナイロンジャケット一枚。何度見ても変わらない。

 いつもアリーチェが「オシャレに気をつかえ」と言っていた理由が今さらになってわかった気がした。


「……あの、もしかしてボク、邪魔でしたか」

「いや、そんなことないけど、ただなんか自分の服装が少し恥ずかしくって」


 首を横に振るわたしを見つめ、アリーチェが呆れ顔を浮かべた。


「えぇ、今さら? アタシが何回言っても聞かなかったくせに」

「あー、それは……ほんとにごめん。わたしが間違ってた」


 素直に謝ると、赤紫の粘態スライムは「まぁ、いいわよ」と手をひらひら振った。

 シュテリアが安堵の息を吐く。


「ふぅ。それならよかったです。ちょっとお願いしたいことがあったので」


「お願い?」とオウム返しにつぶやくわたしを橙色の単眼がじっと見据える。


「ええ、みなさんは今、パーティメンバーは三人なんですよね? 実はボクのパーティはボク以外全員、不合格だったので、今一人なんです。もしよければ、みなさんのパーティにボクを入れてくれませんか?」


「いいよ!」


 間髪入れずに響いたのはヒナヤの声だった。


「いいよ……ね?」


 口にしてから不安になったのか、わたしとアリーチェの顔を交互に見つめてくる。


「まあ、アタシは文句はないわよ」

「いいんじゃない」


 これから知らない相手に声をかけに行くよりは遥かに気が楽だ。


「持ちかけたボクが言うのもなんですが……そんなにあっさり決めていいんですか」


 シュテリアが半目でおそるおそるつぶやく。

 別に一度パーティを組んだら一生変えられないわけでもない。そこまで構えることもないだろう。リグサキサスーバから散々やめておくよう言われたヒナヤともこうして上手くやっているわけだし。


「みんないいって言ってるんだから、大丈夫だって。それじゃあこれからよろしく、シュテリア」


 わたしは青緑に透きとおった手を単眼族ゲイザーの少女に差し出した。






 パーティメンバーも決まり、わたしたちの会話は次の話題へと移っていた。


「それで、アタシたちの記念すべき探索者デビューはどこにする?」


 ニヤリと笑みを浮かべるアリーチェ。他の二人もそれぞれ楽しそうな表情だ。

 わたしにはいまいちわからないけれど、やはり探索者にとって迷宮選びは心躍るイベントなのだろう。


「はいはいはいっ! ヒナヤは『不気味の谷』がいいと思いますっ!」


 さながら授業のように挙手をしながらヒナヤが声を張る。

 アリーチェとシュテリアが絶句した。

 いや、息をのんだのは二人だけではない。周囲の人々もヒナヤを横目で見つめながら口々に何か囁いている。

 その迷宮の名を始めて耳にするわたしであっても、周りの反応からヒナヤがよほど非常識なことを口にしたらしいことは理解できた。

 アリーチェの脇腹をつんつんとつつく。


「ねえ『不気味の谷』って?」

「未踏圏のひとつ」

「未踏圏」

「……ようするに、まだ誰も踏破していない迷宮ってことよ」

「……うん?」


 迷宮と呼ばれるのだから、誰も踏破していなくて当然のように思えるが、そうではないのだろうか。

 未踏圏。その言葉のもつ意味をどうも正しく理解できていない気がする。


「現存する迷宮の九割はすでに踏破済みなの。今でも踏破されてない迷宮は数えるほどしか存在しないわ」

「それって、相当危険な迷宮ってこと? ……ヤバくない?」

「ヤバいわね。それも、とびっきり」


 ヒナヤの発言が衆目を集めた理由がようやくわかった。


「ちなみにヒナヤさんが『不気味の谷』を推す理由を聞いてもいいですか?」とシュテリアが尋ねた。

「えっとね。理由はシロンとボグルットに会いたいから!」

「誰です、それ」

「二人ともヒナヤの友達だよ! 最後に『不気味の谷』に向かってから、ずーっと帰ってきてないらしくって、それならヒナヤが助けに行けたらなって」

「……最後というのは、いつなのか聞いても?」

「えーっと、ボグルットはたしか十年くらいで、シロンは六年……あれ、七年だっけ。まあ、とにかくそれくらいかな!」


 未踏圏と呼ばれる迷宮で消息を絶ってから、それだけの年月。

 彼女らが無事でないであろうことは、いくら探索に疎いわたしでもわかる。

 それだけにさらりと言ってのけたヒナヤの心中が読めなかった。割り切っているがゆえの言葉なのか、無邪気に二人の無事を信じているのか、信じたいのか。


「……そうですか」

 シュテリアが言葉につまった。


「それじゃあ、未踏圏『不気味の谷』の踏破を大きな目標にする? 最初に挑むとかではなく、最終的に目指すところとして」


 わたしの提案にアリーチェとシュテリアは目を丸くしたが、しばらくしてアリーチェは「いいわね」と微笑んだ。


「目標は大きいほど燃えるわ。わかってるじゃない」

「……いいですよ、高いハードルは望むところです」とシュテリアも続く。


「よう、お前ら。楽しそうな話してんじゃねえか」


 だれかに左肩を叩かれた。

 横を見ると、死人のように蒼い顔の女がいた。


「あなたは……たしか、ジョン・ドウさんでしたよね」

「そそ。いやー、猫の件は災難だったな」

「あの時はありがとうございました」

「いいってことよ。そういや、左手はどうなった。まだ勝手に動くのか?」

「いえ、あれからは何も」


 わたしは左肩に置かれたままの手をなるべくさりげなく払いながら、頭を下げた。

 ジョン・ドウの服装は戦場帰りに寄ったのかと言いたくなるほど傷だらけであった。ところどころ血や泥と思わしき色素も付着しており、とても懇親会という祝宴の場には向いていない。

 山猫ミシカンカスから救ってくれたことには感謝しているが、正直なところ周りに彼女と知り合いだとはあまり思われたくない服装だ。

 これに比べたらわたしの服装なんてたいしたものではないと思える。


 そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、ジョン・ドウはわたしの頭をガシガシと撫でながら話し始めた。


「お前ら未踏圏に挑みたいんだよな。それなら、まずは『砂漠の薔薇城』を攻略するといい」

「はぁ」

「探索者になったからといってどんな迷宮にも入れるわけじゃねえ。特に未踏圏は危険だからな。他の迷宮を踏破し、迷宮の主を討伐できて初めて許可が下りる」


 探索に疎いわたしには初耳の情報だ。

 とはいえ。

「迷宮の主なら、もう――」

 倒している、とわたしが言い終わる前に、ジョン・ドウは首を横に振った。


「だが、普通の迷宮を踏破はしてないだろ。『幻影の森』はあくまで“小”迷宮だ。ちっせえんだよ。小迷宮と迷宮は比べものにならねえ」


 一般試験の会場に選ばれている以上『幻影の森』の脅威度は他より劣る。それは納得できる話だ。

 口を閉じたわたしに代わり、アリーチェが質問を投げかけた。


「それで、アタシたちに勧めるのがどうして『砂漠の薔薇城』なんです」

「それがな。新人にちょうどいいくらいの他の迷宮はどこも今、主が討伐されてんだよ。わざわざ新しい主が定着するまで、ちんたら待ちたくねえだろ」

「それは、まあ」

「『砂漠の薔薇城』はまだ主が討たれてない。しかも、あそこのは復活スパンがやたら早いからな。仮に他の探索者に先を越されても、少し待てばすぐに挑める。未踏圏に挑む許可が欲しいなら、いいことづくめだ。……まあ、ちょっとばかし新人にはキツいかもしれんが、そんくらいの方がお前らにはちょうどいいだろ」


 ジョン・ドウとアリーチェの会話がさらさらと流れていくが、わたしにはいろいろと初耳の情報ばかりだ。

 迷宮の主が復活するというのも初めて知った。『幻影の森』の鹿鳥ペリュトンも蘇ったりするのだろうか。


「……そっか、迷宮の主って復活するのか」

「復活というとわけではないですよ」


 わたしの囁きを聞いていたシュテリアが小さく訂正した。


「そうなの?」

「迷宮はひとつの生態系ですから。その頂点が消えたなら、残った者の中から一番強い存在が迷宮の主と呼ばれるようになる。それだけの話です」


 つまり、別の強者が頂点に取って代わるのだと。


「あぁ、だから“定着する”なんだ。代替わりってこと?」

「そういうことです。まあ、文字どおり復活する場合もあるんですけどね。『砂漠の薔薇城』なんかはまさにそれです」


 シュテリアがいたずらっぽく目を細める。


「……そういう冗談?」

「いえ、本当ですよ。不可解な現象が平気でまかり通る、それもまた迷宮のおもしろいところです」


 単眼族ゲイザーの少女は小さく笑い、グラスをあおった。

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