第12話 からっぽの百年

「ヒナヤ先輩、ちょっといいですか」


 その記憶は今までと場所が違った。

 一般試験の場ではなく、どこかの部屋に見える。

 壁際に立ち並ぶロッカー。ハンガーラックに掛けられた大量の同じ色のエプロン。ボードに貼られたスケジュール表にはさまざまな名前や時間が記されている。いわゆるシフト表というものだろうか。

 バイトの控室のような印象を受ける。わたしはバイトしたことはないので想像になるけれど。


 部屋にいるのは二人だけ。ヒナヤと彼女を先輩と呼ぶ誰かだ。言葉どおり捉えるならヒナヤの後輩だろう。

 その姿は兎に似ていた。

 全身を覆う白い体毛。二の腕くらいの長さのある耳。おそらく屠兎トトと呼ばれる種族の青年だ。


「実は僕、就職決まったんですよ」

「うわぁ、おめでとう、やったね!」

「はい、長かったですけど、ついにやってやりましたよ」

「ちなみにどこに決まったの?」

「『大渡海』っていう言語管理局ですね」

「おぉ、なんかすごく頭よさそう」

「いやそんなことないですよ」


 屠兎トトの青年は苦笑いしながらエプロンを外す。

 一足先に身支度を終えていたヒナヤは、木の椅子を引いて座っていた。だいぶ年季が入っており、ヒナヤが少し重心をずらすだけでガタンと音が響く。


「これでも、僕、先輩には感謝してるんですよ」

「えぇ、なんでなんで? ヒナヤ、なんかしてあげたっけ」

「いや、いろいろしてもらってますよ。先輩けっこう面倒見いいじゃないですか。たぶん先輩がいなかったら、僕とっくにこのバイト辞めてますから」

「そうなの? それじゃあ、ヒナヤは命の恩人だね」

「それはさすがに言い過ぎです」

「ありゃりゃ」


 ヒナヤは机に肘をつき前髪をいじり始めた。椅子がリズミカルに音を刻む。

 どこか照れ隠しじみた動きは見ていて微笑ましい。


「それに、先輩のあきらめない姿勢は勇気がもらえるというか。見てるとこっちも頑張ろうって気持ちになるんですよね」

「えへへ、そ、そうかな……でも、ヒナヤ、そんなにがんばったことあったっけ」

「探索者の試験ですよ。この前なんか『これでもう七十年目だぁ』って嘆いてたじゃないですか。あれだけ落ちてもめげないのは、心から尊敬します」

「うあぁぁぁ、やめてぇ、掘り返さないでぇ」


 これまでのご機嫌な表情から一転、ヒナヤは盛大に机に突っ伏した。気恥ずかしさを追い出そうとするかのように、机をべしべしと叩く。


「あぁぁ、思い出したくないぃ」

「いやいや、だからそれに力をもらったって話ですから」

「……うぅ、どういうこと?」

「あー、いや、なんか仲間意識っていうか。同志っていうか。……まぁ、そんな感じです」


 屠兎トトの青年は壁を見つめながらポリポリと頬をかいた。


「同志かぁ」

「なんか人の口から聞くとその言葉はずかしいですね。やっぱさっきのなしで」

「えぇ、なんで! ヒナヤは同志って好きだよ! なんかかっこいいもん!」

「……そすか」

「同志! 同志かぁ、いいなぁ。いっそのこといっしょに探索者めざしちゃう?」

「それは…………嫌ですよ、せっかく就職決まったんですから」

「やっぱり、ダメかぁ」

「あくまで心の同志ってことにしといてください」

「つれないなぁ」


 ゆっくりと机から顔をあげるヒナヤに、屠兎トトの青年は「でも」とつづけた。


「応援してますよ。僕、探索動画見るのとかけっこう好きなんで……だから、その、試験受かったら教えてくださいね」

「うん、任せて! すぐに受かって、驚かせちゃうから!」


 ヒナヤは意気込んでいたが、次の試験でもやはり合格はできなかった。



 初めの試験から九十年が経った。

 相変わらずヒナヤは合格していない。

 ある日、森で弓の訓練をするヒナヤのもとにある人物が訪れた。


「ヒナヤ殿、こうして顔を合わせるのは何年ぶりでありましょうか」

「うわぁ、久しぶり、ルテュル! もう何十年もあってなかったもんね」


 特徴的で古めかしい口調で話すくせっ毛のエルフの男。彼にはわたしにも見覚えがあった。ヒナヤが初めて試験を受けた時の仲間の一人だ。

 記憶の中で見かけるのはこれで二度目になる。何十年経つにも関わらず身長はヒナヤと同じ程度で、顔つきもあまり変わっていない。さすがエルフといったところだ。

 しかし、そんなエルフの男にも一点、明らかな変化があった。


「ね、ねえ、その右手どうしたの?」


 二の腕から先がなくなっていた。


「いやはや、探索でしくじってしまいまして」

「えぇ! それって、だいじょうぶなの!?」

「日常生活には少し慣れましたが、探索となるとさすがに厳しさは否めず……ゆえに探索者を引退して、故郷へ帰ることに決めた次第であります」

「そっか。そりゃそうだよね」

「今日はそれを言いにきたのでありますが、伝えたいことはそれ以外にもありまして……」


 エルフの男はわずかに口ごもると、意を決したようにヒナヤを正面から見据えた。


「おほん。率直に申しますが、ヒナヤ殿は今もまだ探索者をめざしておりますかな?」

「うん、もちろん!」


 ヒナヤはさも当然であるかのように間髪入れずにうなずいた。

 それを見つめるエルフの男は、安堵と悲哀の入り混じったなんともいえない表情をしていた。


「……小生たちが共に試験を受けたあの日から、九十年もの月日が経とうとしております。いくらエルフとて九十年は短くない時間。ヒナヤ殿の折れない心は素晴らしいですが、新たな道を一考するのも一つの手ではないかと、小生は愚考する次第であります」

「えーっと、それって、もしかして……あきらめろってこと?」


 ヒナヤの震えそうな声に、慌ててエルフの男が首を横にふった。


「そうではありませぬ。ただ『空を飛べど川を下れど、森を出るに代わり無し』。なにも『盈月えいげつ』の試験にこだわらずとも、探索者になる方法はあると言いたかったのであります」

「でも、シロンたちが待ってるし。『盈月えいげつ』に入らないと一緒に活動できないよ」


 ヒナヤが思い浮かべているのは、おそらく最初の試験をともに受けた三人だろう。

 エルフの男は悔しそうに首を横にふった。


「小生が右腕を失った探索で、ボグルット殿は行方不明となりました。シロン殿も『ボグルットを探す』と言って一人で迷宮に潜るような自殺行為を何ヶ月もくり返すばかり。今、ヒナヤ殿は『盈月えいげつ』に入らないと一緒に活動できないと申しましたが、たとえヒナヤ殿が『盈月えいげつ』に所属したとしても、小生たちはもう昔のようなパーティには戻れないと言えましょう」

「そんな」


 ヒナヤの手から弓の落ちる音が響いた。


「もう一度、問います。それでもヒナヤ殿は探索者をめざしますかな」

「……」


 ヒナヤは何も言えずに立ちつくしていた。

 今にも崩れ落ちてしまいそうな姿を前に、エルフの男は言葉を慎重に選びながら、口を開いていく。


「いっそのこと探索者の道を断念するのも手だと、小生は思うのであります。諦めるというと人聞きが悪いかもしれませぬが、それは見方を変えれば新たな道へ足を踏み出すのと同義。未知の経験は人を豊かにする。それは間違いありませぬ」


 ヒナヤは黙って聞いていた。


「何を隠そう、家に籠って研究ばかりしていた小生を探索者の道へ引きずりこんだのは、他でもないヒナヤ殿ですからな。ヒナヤ殿が忘れても、小生は覚えております。そして、深く感謝しているのでありますよ。この数十年間、家に籠っているだけでは得られなかった経験は数えきれないほどあります」


 隻腕の男は朗らかに告げた。


「諦めることも、また一つの勇気ではないですかな」

「……もう。やっぱりあきらめろって言ってる」

「申し訳ありませぬ、小生の言葉では結局そうなってしまいましたな」

「……」


 言葉を噛みしめるように、ヒナヤはゆっくりとかがんで弓を拾った。

 九十年をともに過ごしてきた相棒を眺める。

 そして、何を思ったのか。突然、矢筒から矢を取り出し弓につがえた。


「ヒナヤ殿?」

「見てて」


 キリキリ、ヒュッ――――トン。

 エルフの男が目をみはった。

 だが、ヒナヤの手は止まらない。


「まだまだっ!」


 続けざまに放たれる矢は、どれも吸い込まれるように的へと当たり、周囲にはトンッと乾いた音が響く。

 試験で誤射ばかりのエルフはそこにいなかった。


「……どうかな」

「正直、驚愕であります。これなら探索者になることも」

「ヒナヤもそう思うんだけどね。なんでかな、いつもダメなんだ。やっぱり悪いことしちゃったからかな。試験になるといっつも矢が変な方向に飛んでっちゃうの」


 ヒナヤの声は次第に小さくなっていった。


「でもね、もう少し、もう少しだけがんばってみようと思うんだ。そうすればいつかはきっと――」


 その先の願いはあまりにも小さくて聞き取れなかった。

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