第11話 蜜の味

 ヒナヤの記憶は失敗の歴史だった。

 一般試験に挑んでは失格するたびに、周囲の人々はヒナヤを「厄病神」「万年不合格」「歩く事故物件」など揶揄するようになっていった。

 よくある話なのかもしれない。

 けれども、記憶の本をめくるたびに、わたしの中には違和感がつもっていった。


 たしかにヒナヤは失敗をくり返すが、そこには成長が見られる。歩みはゆっくりかもしれないが、それでも間違いなく前に進んでいるのだ。

 それになにより仲間を誤射するほどの致命的な失敗は犯していない。

 それらの事実が、わたしが見てきたヒナヤの姿と重ならなかった。


 違和感をぬぐえないまま、わたしは次の本へと手を伸ばした。





 試験に落ち続けて二十年、ヒナヤの悪評はかなり広まっていた。 


「ねえ、その矢、全部ちょうだいよ」


 パーティを組んだにも関わらず、露骨に避けたり、見下してきたり、中にはとんでもない要求を突きつけてくる者もいる。

 この少女もその類だ。


「エルフの矢、使ってみたかったんだよねー」


 白い肌に白い髪。まるで雪人形のようだと称される種族、雪繭マタウタリ。儚い外見に反し、この少女の言葉はずいぶんと傲慢だった。


「えぇ、少しならいいけど……その、全部はムリだよ」

「えー、なんで」

「だって、全部あげたらヒナヤが弓矢つかえなくなっちゃう」

「別によくない? どうせ当たらないでしょ」

「そ、そんなことないよ!」


 ヒナヤは強く言い返すが雪繭マタウタリの少女は特に気にした様子もない。

 ヒリヒリした空気をまといながら歩く二人に、前方から声がかかった。


「おい! 試験の最中なんだから、もっと真面目にやれよ」


 血のように真っ赤な身体に、額から生えた二本の角。鬼の少年がいら立ちを隠すことなく振り返った。


「はいは~い」

「あのなあ、お前はいつもそうやって――」

「ごめんごめん、私が悪かったからさ、ここで説教は勘弁して」


 雪繭マタウタリの少女と鬼の少年が言い合っていると、そのさらに前方から制止する声がかかった。


「敵がくル。総員、戦闘態勢に入レ」


 警鐘を鳴らしたのは、二足歩行する甲虫のような種族、鎧蟲ミュルドンだ。

 鬼の少年はすぐさま前へ振り向くと、刀を抜き放ち油断なく構えた。

 ヒナヤも弓を構えようとしたが、その手は隣の少女によって止められた。


「あー、何もしなくていいよ。弓の援護は私だけでやるから」

「え、でも」

「よく誤射するんでしょ? それなら何もしないでいてくれる方がありがたいんだよね」


 ひどい言いがかりだ。少なくとも今までの記憶でヒナヤの誤射は一度も見られない。

 それに試験の戦闘中に何もしないのは、白紙で解答用紙を提出するようなもの。ヒナヤからすれば到底、受け入れられる話ではないだろう。


「ご、誤射なんてしたことないよ!」

「そうなの? ま、なんでもいいけど、そういうことだから、余計なことはしないでね」


 雪繭マタウタリの少女はヒナヤの抗議にとりあうことなく、自らの弓を構えた。

 行く手からは大鼠が襲来し、鬼の少年と鎧蟲ミュルドンはすでに戦闘を初めている。

 どうすればよいのかわからなくなり立ちつくすヒナヤの前で、雪繭マタウタリの少女は弓を引き絞る。きりきりと弦のきしむ音にあわせて、やじりに白い光が集まっていく。

 少女の放った矢は、鬼の少年と戦っていた大鼠をとらえると、瞬く間に氷像へと変えてしまった。


「ほ~らね、こんなもんよ」


 狙撃の腕、矢の威力、どちらにおいても明らかにヒナヤより上だ。

 何も言えずにいるヒナヤを尻目に、雪繭マタウタリの少女は得意げな表情で次の矢をつがえる。

 しかし、次の瞬間、その表情から余裕が消えた。


「な、なによあれ」


 森の奥から、十匹をゆうに超える数の大鼠が現れたのだ。

 それまでどこか緩んでいた場の空気が一気に張りつめる。

 最初に動いたのは前衛たちだった。

 大鼠が後衛に襲いかからないよう気を引きつけ、力任せに大鼠を切り捨てていく。その合間に雪繭マタウタリの少女が氷の矢を放つ。

 しかし、次第に鬼の少年や鎧蟲ミュルドンの動きは精彩を欠き始め、雪繭マタウタリの少女の矢も一発目に比べて明らかに威力が落ちていた。


「エルフ! 早ク、援護を頼ム!」

「えっ、あ、うん」


 鎧蟲ミュルドンに叱咤され、ようやくヒナヤは弓へと手をのばした。一瞬、雪繭マタウタリの少女の顔色をうかがうが、彼女はそれどころではないとばかりに弓を射つづけている。


「援護ヲ!」


 ヒナヤは鎧蟲ミュルドンを囲む大鼠へと矢を放った。

 だが、結果は大鼠の髭をかすめただけに終わった。


「ちょっと、どこ狙ってんのよ!」

「ご、ごめん」

「ほんっとヘタクソなんだから。だいたい、鎧蟲ミュルドンなんて頑丈な身体してるんだし多少ほっといても死にやしないわよ。援護なら先にこっちでしょ」


 鎧蟲ミュルドンよりも鬼の少年を援護しろと、雪繭マタウタリの少女がまくし立てる。

 それが聞こえたのか鎧蟲ミュルドンが声を荒げた。


「ふざけるナ! いくらなんでモ、この数は限界ダ!」

「それをなんとかするのがそっちの役目でしょ!」


 激高する二人に挟まれ、ヒナヤの弓先が揺らぐ。

 ついに鬼の少年が声をあげた。


「ぐっ、ダメだ、やってられねえ! 逃げるぞ!」


 だが、その判断は遅すぎた。

 ヒナヤたち四人はすでに大鼠に囲まれていた。ここから逃げられるほど、このパーティは優れていないだろう。妥当な結末を想像するわたしの中に、少しずつヒナヤの心象が流れ込んできた。


 試験で命を落とすことにヒナヤは慣れていた。

 だからだろうか。彼女はどこか冷えた頭でこの状況を眺めていた。

 雪繭マタウタリの少女が焦る姿は、ヒナヤの心象を通すとひどく滑稽に映った。


「ど、どうしよう! どうしよう!」

「とにかく突破口を切り開くしかねえだろ! 俺を支援してくれ!」


 鬼の少年が叫び、雪繭マタウタリが弓を構える。気づけば鎧蟲ミュルドンは大鼠に埋もれていた。


「あ、あんたもちゃんと働きなさいよ!」


 ヒステリックな声。弓の音。大鼠の鳴き声。

 ヒナヤは弓を構えた。

 鬼の少年と戦う大鼠へと矢を向ける。

 ある考えがヒナヤの頭をよぎる。


 それは決してやってはいけないことだった。うっかりではすまされない。

 でも、一度芽吹いた考えは瞬く間に茎を伸ばしていく。

 今までとは比較にならないほどの思考と葛藤の渦が、ヒナヤから流れ込んできた。


 このパーティの全滅はもう避けられない。誰が何をしようと同じ。全滅がちょっと早くなるか、遅くなるか。たったそれだけの差。だいたい、今まで大鼠を狙っても散々外してきた。どうせどこを狙っても同じ。外れる。そうに決まってる。

 それなら。


 ――何を狙ってもいい。


「早く! あんたも撃ちなさい!」

「わかってる」


 弓を放つと同時に鬼の少年が振り向いた。

 焦りにまみれた少年と一瞬だけ目が合う。

 その顔のど真ん中に一輪の矢が咲いた。


 ――ざまあみろ。


 裏切りは蜜の味がした。





『ヒナヤは仲間を誤射する』


 噂が真実として世界に記述された瞬間だった。


 初めて誤射をしてからというもの、ヒナヤの調子は目に見えて落ちていった。弓の腕は致命的なまでに悪くなり、誤射を連発するようになった。

 しかも、誤射するたびに半狂乱に陥り、ひたすら謝罪を繰り返す。ひどい時は試験中に食事を戻すことすらあった。

 次第に誤射しても動揺を見せないようにはなっていったが、それらを見ているわたしの中にはヒナヤの激しい後悔と懺悔が否応なしに伝わってきた。


『ヒナヤとパーティを組むと試験に落ちる』


 以前はたちの悪いデマでしかなかった噂は真実となっていた。

 ゆっくりでも間違いなく上達していたヒナヤの姿はもう存在しない。

 そこには皆に避けられる愚かで孤独なエルフがいた。

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