第16話 注文の多い料理長

「マジで倒しやがった」


 死人のように蒼い顔の女のつぶやきが審査室に響く。

 その声を皮切りに、部屋の中を試験官たちのざわめきが埋めつくしていく。


 期待の新人が現れた。


 彼らの賞賛はほとんどがアリーチェ・トスカーニへと向けられていた。

 翼も持たない身でありながら迷宮の主相手に空中戦を挑み、あれほどまで消耗させた赤紫の粘態スライム


「選抜試験の首席候補。その肩書きは伊達じゃなかったってわけだ」


 予定調和のダラダラした探索とは違う。手に汗を握る命のやり取り。それこそが死人のように蒼い顔の女が求めていたものだ。

 いや、彼女だけではない。この部屋にいる者たち全員、内心ではスリリングな展開を望んでいた。

 そうでなければこれほどにまで盛り上がるだろうか。


『見つけてしまった』『出会ってしまった』

 その感覚は人を熱く駆り立てる。


 熱気冷めやらない試験官たちを見渡し、死人のように蒼い顔の女は微かな笑みを浮かべた。

 彼らが熱く語るのはほとんどが粘態スライムのアリーチェ、珊瑚の角を持つ蛙ジヌイーバのリグサキサスーバだ。時折、燐血人アグネアのニサや、エルフのヒナヤの予想外の活躍に触れる声もある。

 だが、死人のように蒼い顔の女がつぶやいたのは、いずれでもなかった。


「エイシャ・クルルティカ」


 『歩く事故物件』と呼ばれていたエルフを目覚めさせた粘態スライムの名をたしかめるように口にした。

 今まで通りであれば、あのエルフはアリーチェを後ろから誤射していたはずだ。しかし、そうはならなかった。ただ目覚めさせるだけでなく、ヒナヤの何かを変えたのだ。

 アリーチェが主役であるなら、エイシャは陰の立役者といえた。


「今年は期待できるかもな」


 ハイライトの無い瞳がディスプレイ越しに青緑の粘態スライムを見つめる。死人のような蒼い顔には似合わない生き生きとした笑みが浮かんでいた。


「き、緊急事態、発生です!」


 ふと、部屋の中に張りつめた声が響く。

 緊迫感に満ちた声に、あれほど熱気満ちていた部屋がゆっくりと静まり返っていく。

 死人のように蒼い顔の女はため息を隠すことなくつぶやいた。


「なんだ? 何があった」

「……そ、それが」

「いいから、早く報告しろ。別に怒ったりしねえから」


 口ごもる試験官を投げやりに急かす。

 試験官はごくりと唾を飲むと、意を決したように口を開いた。


「会場に『猫』が出現しました」


 それは一般試験から安全の保障が消え去ったことを意味していた。





 ヒナヤの夢から抜け出したわたしが最初に感じたのは倦怠感だった。

 縁切神に呪力をほとんど持っていかれたのだろう。上体を起こすだけの動きでさえ辛い。

 ヒナヤはすぐさまアリーチェたちの援護に飛び出していったが、わたしにそこまでの元気はなく、樹にぐったりともたれかかっていた。

 シュテリアが心配そうに眉をひそめる。


「大丈夫ですか。今にも死にそうですけど」

「だいじょばない。だるくて死にそう」


 夢の中で自分の首を切ってからの記憶がない。状況を見るかぎり神降ろしは成功したのだろうけど、その最中わたしがどうなっていたのかは一切思い出せなかった。


「そういえば、一つ聞いてもいいですか」

「なに」

「あなたたち二人が目を覚ました時に、小鳥が飛んでいったんですけど、あれって何なんです?」

「小鳥?」

「ええ。ボクには二人の身体から出てきたように見えました。……あ、ちょうどあれです」


 シュテリアの指さす先では、見覚えのある焦茶色の小鳥が飛んでいた。

 姿はボロボロ、飛び方もどこかぎこちない。知らない人から見ればとても脅威には思えないだろうけど、わたしにはわかる。

 こいつは絶対に逃がすべきじゃない。


 そう思い、無理やりにでも立ち上がろうとしたわたしの目の前に『それ』は現れた。


 頭部で揺れるかわいらしい三角形の耳。しなやかで野性的な体は背中に人が乗れそうなほど大きく、黄褐色の体毛にはところどころ黒い縞模様がある。

 そして、首からは巨大な桐の箱を提げていた。


「……猫」


 竜と並び強大な力を持つ生物、猫がいた。

 今まで目にしたことは一度もないのに、直感的にわかる。この愛くるしさは間違えようがない。


 予想外の遭遇に身動きひとつとれないわたしたちの前で、猫は口を大きく広げると、焦茶色の小鳥アリスイを一口でたいらげた。

 むしゃむしゃ、ばりばり、ごくん。

 たいへんかわいらしい咀嚼音が響く。


「うぅ、これっぽちじゃ全然足りにゃい……うにゃ?」


 猫と目が合った。

 瞳孔がスッと細くなる。

 あまりのかわいさに背筋が凍る。


「おにゃかが空いたニャ」


 それは命令だった。

 かわいいかわいい猫が腹ペコだと言っているのだ。わたしが取るべき行動は一つしかない。

 慌てて鞄をひっくり返し、何か食べられそうなものはないか探す。隣ではシュテリアも持ち物をガサガサと漁っていたが、わたしと同じく目ぼしいものは見つけられないようだった。


「エイシャちゃーん! やったよ! ヒナヤたち、迷宮の主に勝ったよ!」


 必死で食べ物を探すわたしたちの前に現れたのは、ヒナヤたちだった。

 ペリュトン討伐を誇らしげに語るヒナヤを先頭に、アリーチェやニサ、珊瑚の角を持つ蛙ジヌイーバがこちらへ歩いてくる。

 そして、わたしたちの後方に佇む猫を見るや大声をあげた。


「かわいい~~!!」


 ヒナヤの叫びに続き、アリーチェたちも口々に声を上げる。


「え、それ猫よね。どうしてこんなとこに」

「かわいいですね」

「……まさか猫に会うとはな」


 猫は竜に匹敵する力を持つ。しかし、性質は真逆だ。

 竜が領域を守るものならば、猫は境界を侵すもの。

 まさに神出鬼没であり、いついかなる時、どんな場所であっても猫は現れ得る。どんな状況も、どんな理由も猫の欲求を妨げる要因にはならず、何人たりともその行く手を阻むことはできない。


「ご馳走が増えたニャ」


 猫はかわいく舌なめずりすると、首から提げた桐の箱を地面に置いた。箱の天井部がぱかりと開く。

 すると中から、コック帽をかぶった小さな猫のぬいぐるみたちがわらわら出てくるではないか。さながら主人の着替えを手伝う使用人のように、猫ぐるみたちが猫に群がっていく。

 気づけば猫は頭に大きなコック帽をのせ、首に紙ナプキンを巻いた料理長シェフなのか客なのかよくわからない姿で佇んでいた。


「さあ、皆の者! 吾輩においしいおいしい料理をたくさん提供するニャ!」

「「「「にゃー!」」」」


 猫ぐるみの料理団は一斉に敬礼すると、大部分は『幻影の森』に散らばっていった。残った一部の猫ぐるみたちが、わたしたちの元へかわいらしくすり寄ってくる。


「お客様、お客様、たいへんお疲れの様子ですが、どうか武器や荷物はこちらに。それと外套や靴もお取りください」

「服を脱げってこと?」

「はい。昔々、丸のみして喉に服が引っかかってからというもの、料理長は服を着た料理は大嫌いになってしまわれたのです」


 そう嘆願されたら仕方ない。

 わたしは渋々ナイロンジャケットに手をかけた。


「アタシも脱げばいいの?」

「ぬわあ!!」


 背後から聞こえた声に、わたしは飛び上がりそうなほど驚いた。


「どうしたのよエイシャ」

「突然、真後ろから声がしたら誰でも驚くって!」

「ごめんごめん、この子に案内されたのよ。粘態スライムはまとめて同じ場所に居てくれって」


 アリーチェの足元では、コック帽をかぶった猫ぐるみがかわいくふんぞり返っていた。


「料理長は粘態スライムのジェラートがそれはそれはたいへん好物なのです。さあさあ、お客様。はやくお脱ぎください」

「しょうがないわね」


 猫ぐるみに急かされてアリーチェが服をぬいでいく。

 赤紫の体組織がむき出しになり、外気にさらされる。体内の気泡は驚くほどに少ない。生まれ持った透明度の高さもあり、まるでピンクのガラスを覗いているかのようだ。

 胸の中心に浮かぶ銀色のコアガードから慌てて目をそらしながら、わたしは抗議の声を上げた。


「ちょちょちょっとアリーチェ」

「エイシャ?」

「人前で裸になるのは、その、どうかと思いますけども」

「人聞き悪いわね。好きでしてるわけじゃないのよ。だいたいコアガードはつけてるから、裸じゃないわ」


 恥じらいなく言い切ったアリーチェに、猫ぐるみから無茶な注文が飛ぶ。


「それも外してください」

「えぇ、さすがにそれは。食べる直前にとればいいでしょ」

「うにゃにゃ……まあ、それで良しとしましょう」


 猫ぐるみはやむを得ないといった様子でかわいくうなずいた。

 アリーチェはわたしの顔を覗き込んだ。


「エイシャ」

「な、なに」

「いや、エイシャも脱ぎなよ」

「あー、ね」


 わたしはアリーチェを直視できなくなり、思わず顔をそむけた。


「あのね。こういうのは恥ずかしがるほど、あとが辛くなるもんなのよ」

「……そういわれても」

「問答無用。えいっ!」


 アリーチェがわたしのナイロンジャケットをつかむ。


「や、やめっ! わたしは人前で見せれるような体してないから!」

「なにいってんのよ。どうせアタシと言うほど違わないでしょ」

「ほ、ほんとダメだから! わたしはアリーチェみたいに気泡もなくて透きとおった体してないから!」

「え~なになに、照れるな~。目をそらした割にはがっつり見てるじゃないの」

「あ、いや、チラッと見えただけで、そういうわけじゃ――」

「はい、隙あり!」


 たった一枚のわたしの防壁は容易く引きはがされた。

 声にならない悲鳴と共にわたしはその場に座りこんだ。


「なんだ、普通に綺麗じゃない」

「じ、じろじろ見ないでもらえますかね」

「はいはい、ごめんごめん。チラッとしか見てないわよ」

「うぅー」

「まあ、実際そんなに卑屈になるほどじゃないでしょ」

「慰めはいりませんし」


 わたしは膝を抱えるように胸元を隠す。手も足も透けているのでそこまで隠せていないのはわかっているが、気持ちの問題だ。こんなことならもう少しこなれた感じのコアガードをつけてこればよかった。

 いつの間にか足元には氷が敷き詰められた巨大なバットがあった。全身から熱が引いていく。


 冷静になってみれば、いったいこの状況はなんだ?

 さっきまでわたしたちは試験をしていたはずなのに、どうしてこんなことになっている? 原因はなんだ?

 猫に遭遇してからだ。そこから何かがおかしくなっている。

 でも、お腹を空かした猫をそのままにしておくわけにはいかないだろう。猫がわたしたちを食べたいのなら、その気持ちもできるだけ叶えてあげたい。猫かわいいし。


 考えこむわたしの隣にアリーチェも腰を下ろした。


「ね、エイシャ。恥ずかしがってるけど、気にしすぎよ。そもそも誰もアタシたちのことそこまで見てないもの」

「それは……そうだね」


 わたしは周りを見渡しうなずいた。

 シュテリアは下着姿のまま、得体の知れない点眼液を単眼に垂らし続けている。

 ニサはわたし以上に恥ずかしがりながら、身をまとう鎧をゆっくり外している。

 あの全身パン粉塗れではしゃぐモンスターはヒナヤだろうか。下着とか裸とかもはやそういう次元にいない。


 わたしとアリーチェは猫ぐるみから手渡されたフルーツソースを腕に塗りたくりながら、どこか現実離れした景色をぼんやり眺めていた。


「そういえば、あの珊瑚の角を持つ蛙ジヌイーバは?」

「あちらの仕切りの向こうです。オスとメスを一緒に調理しない。我らは配慮の行き届いた料理団なのです」


 猫ぐるみが自慢げにフェルトの髭を揺らした。かわいらしい姿にアリーチェが噴き出す。


「ふふっ気遣いは素晴らしいけど、必要なかったわね」

「にゃんですと!」

「だって、リグサキサスーバは『ジヌイービ』じゃなくて『ジヌイーバ』よ」


 アリーチェがやれやれと言わんばかりの表情でわたしを見てくるが、意味がつかめない。


「うん? わたしもよくわかんないんだけど」

「いや、だから『ジヌイービ』じゃなくて『ジヌイーバ』なのよ」

「それがわかんないんだって」

「へえ、意外。エイシャでも知らないことってあるのね」

「そりゃね」


 わたしがうなずくと、アリーチェは満面の笑みを浮かべた。


「ふふん。それじゃあアタシが教えてあげるわ。『珊瑚の角を持つ蛙』には性別が三種類あるの」


 アリーチェは指を三本立てた。


「精雌、卵雌、それから雄。精雌と卵雌は『ジヌイービ』と呼ばれ子孫を残す役割を持っているの。一方、雄は『ジヌイーバ』と呼ばれ繁殖能力や性欲は皆無。ジヌイービを守るために存在している戦闘に特化した個体らしいわ」

「それで、リグサ……なんとかはジヌイーバだと」

「リグサキサスーバね。そう、だから別にこっちにいても問題ないわけよ。あいつ性欲とかないし」

「……まあ、だとしてもヤだけどね」


 そもそもこんな姿、できることなら誰にも見られたくないのだ。周りに人は少なければ少ない方がいい。猫ぐるみの料理団の配慮には感謝だ。


「お腹が空いたニャ」


 大きな猫が立ち上がった。しびれを切らしたのだろう。

 空気が張り詰める。

 猫ぐるみの料理団が「たいへんニャー」「怒られるニャー」とあたふた駆け回る中を、大きな猫はしなやかな動きでかきわけ歩いていく。やがてたどり着いたのは、ニサの前だった。


「お腹が空いたニャ」

「ひ、ひいいぃぃ、あははは」


 ようやく服を脱ぎ終わったニサに、猫のかわいい顔がずいと迫る。

 ニサは目に涙を浮かべながら、顔をくしゃくしゃにして笑った。

 猫があんぐりと口を開ける。

 そのかわいらしい光景をわたしたちはただただ見ていた。

 見ているだけのはずだった。


「いただきます……ニャ?」


 気づけばわたしは、なぜか猫とニサの間に立っていた。


「お前、どういうつもりニャ」

「え、あ、いや、なんか身体が勝手に」


 正確には左手。わたしの左手が、わたしの意志に反して勝手に動き出したのだ。

 見えない何かに腕を引っ張られるように、わたしは左腕をつき出しながら猫の前に飛び出していた。左手の形もいつの間にか変わり、剣のようになっている。擬造ミミクリもなにも唱えていないのに。

 勝手に動く左手をなんとか右手で抑え込もうとしたが、そんなわたしの力をものともせずに、剣を模した左手は切っ先を猫の額へと向けた。


「……ふぅん? デザートから頂くとするかニャ」


 猫がかわいらしくごろごろと笑った。

 鋭い歯をむき出して笑う顔はたいへんかわいらしい。

 あまりのかわいさに見ていて体が震える。

 きっと今のわたしはニサと同じような顔をしているだろう。


 それでも、相変わらず左手だけは震えることなく猫に向けられていた。


「いただきま――」

「させねえよ」

「うニャ!?」


 突如、落ちてきた白い槍。それは震えるわたしの目の前で、猫の頭を地面に縫いつけた。


「エイシャ・クルルティカ。よくやった。おかげでギリ間に合ったぜ」


 猫の後ろから誰かが現れる。

 彼女は死人のように蒼い顔をしていた。

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