第14話 わたしはひとりじゃない

 ここはわたしの夢だ。


「やめて! やめてやめてやめてやめてやめて! これ以上、ヒナヤから誰もうばわないで!」


 ここはわたしの夢だ。

 それなのに、どうしてこんなに苦しいのだろう。


「なんで! どうじでっ! こんなにっ、こんなにがんばってるのに! なんで! なんでなんでなんでなんでなんで」


 何もかもが思いどおりにならない。

 何をしても報われない。

 ずっとずっとひたすらがんばって、がんばって、がんばり続けて――それでもまだダメなのか。


 あの日の光景が頭をよぎる。

 あの時、わたしは仲間の背中に弓を引いた。

 事故ではなく、自分の意志で弓を引いた。

 ざまあみろなんて薄暗い喜びは時間と共に消え去り、今では後悔しかない。だというのに、もし時間を巻き戻せたとしても、わたしはきっと同じ失敗を繰り返すのだろう。そんな自分が簡単に想像できて、だからこそなにも考えたくなかった。


 無我夢中で走った。

 嫌な夢から逃げるように。都合の悪いことはすべて忘れるように。

 ただひたすら走り続けた。


『できるまでやればできる』


 いつかどこかで聞いた魔法のコトバ。信じて走り続けたわたしは、気づけば引き返せないところまで来ていた。


 いつになったら合格できるのだろう。いつになったら探索者になれるのだろう。


 みんなと一緒に走っていたはずなのに、気づけば周りには誰もいなかった。誰もがそれぞれの道へ進んでいく。置き去りにされたわたしは今もひとり、ゴールも見えないまま走り続けている。

 本当はだれかに隣にいて欲しかった。

 一緒に走って欲しかった。

 手を引いて欲しかった。


 これは報いなのだろう。

 だって、味方を攻撃するような人と誰が一緒にいたいと思うのか。

 そんなのわたしだってごめんだ。仲間は強くて、頼もしい方がいいに決まっている。裏切るなんてもってのほかだろう。


 子どものまま走り出したわたしの足は、血と泥に塗れていた。


「やだやだやだやだやだやだやだぁ――――あ」


 エイシャちゃんに群がっていた小鳥たちが一斉に飛び立つ。

 お菓子を食べ終わったお皿のように、そこには何も残っていなかった。


 小鳥たちと目が合う。冷たい言葉がわたしの心のやわらかい場所に突き刺さる。

 わたしはテーブルの下に転がりこみ、耳をおさえてダンゴ虫のように丸くなった。

 ひたすら声が聞こえなくなるのを待つけれど、悪口はやまない。

 それどころか、ミシミシ軋む音とともにツリーハウスが揺れ始める。小鳥たちが樹にぶつかっているのだろう。

 たまらずテーブルの脚にしがみついた。


 そうだ。いいことを考えよう。発想を変えるのだ。

 ポジティブ思考でも現実逃避でもなんでもいい。まずは、まずはいいことを考えないと。


 そう思い、頭をひねっても、たくさんの音にじゃまされて何も浮かんでこない。

 小鳥たちのいやな声。樹が軋む音。本が落ちる音。食器が砕ける音。椅子が倒れる音。わたしの夢そのものが最期の悲鳴をあげているみたいだった。


 震える手に何かが当たる。

 おそるおそる片目を開けると、手元にはエイシャちゃんの渡してくれた音楽プレーヤーが転がっていた。


『音楽は魔法だからね』


 エイシャちゃんの言葉を思い出す。

 小さな箱から伸びるイヤホンは見るからに細くて頼りない。だけど。


「……まほう」


 震える手でイヤホンをつかみ、耳を塞いだ。

『落ちこぼれ、ウザい――――人でなし、なんでここにいるの』


 でたらめに音楽を再生すると、どこかピコピコした音が流れ始めた。

『謝れよ、全部お前のせいだ――――へたくそ』


 ボリュームを上げる。曲のリズムに身体がシンクロしていく。

『――――死ねよ――――才能なさすぎ』


 たどたどしくメロディを口ずさむ。見よう見まねでサビのフレーズをくり返す。

『――――――――』


 息苦しい世界とわたしを隔てるように、音楽が鳴り響く。

 やがて、音楽に混じって誰かの声が聞こえてきた。


『ヒナヤ、聞こえる?』


「……エイシャちゃん?」


 ノイズ混じりだけど、たしかに聞こえる。

 粘態スライムの少女の声に安堵すると同時に、小鳥たちが彼女をさらっていった光景が頭の中にくっきりと蘇った。


「だいじょうぶ、なの?」


『それはヒナヤ次第かな』


「どういうこと?」


『ここは夢の中。思いがあればなんだって変えられるってこと』


「……でも、ヒナヤなんかじゃ。さっきだって」


 あの焦茶色の小鳥たちの前では、わたしの思いなんか意味がない。思い知ったばかりだ。幼稚で身勝手でひとりぼっちのわたしでは、きっと何もできない。


『だいじょうぶだよ。ヒナヤは一人じゃないから』


「……そんなわけ」


『わたしが見せてもらった記憶には、ヒナヤのことを応援してくれる人や大切に思っている人がたくさんいたよ』


「それは」


 たしかに「いた」のかもしれない。

 だけど今はいない。みんな遠くへ行ってしまった。

 今のわたしの側にはだれもいない。


『わたしたちがいる。アリーチェもニサも、二人とも外でヒナヤが起きるのを願って待ってる』


「……二人が?」


『そうだよ。それにヒナヤを応援しているのはわたしたちだけじゃない。いっしょに冒険するって約束した友達がいるんでしょ。その友達だってきっとヒナヤを応援してる』


 本当にそうなんだろうか。

 シロンたちはわたしを待っているだろうか。

 まだ、わたしに期待してくれているだろうか。


『楽しかったことを思い出して! 約束したことを信じて! 大切な人たちのことを忘れ――いで――』


「え、エイシャちゃん?」


 ひときわ大きくツリーハウスが揺れた。家の揺れがひどくなるにつれて、イヤホンのノイズも徐々に強くなっていく。

 

『――は――ひとりじゃない――』


 その言葉を最後に、声はザーザーという雑音にかき消された。

 声が途切れると同時に世界が大きく傾いた。

 わたしの身体は木の葉のように吹き飛んで、外へと投げ出される。

 おそるおそる目を開くと、今までわたしを守っていたツリーハウスはバラバラに崩れ、大樹は折れていた。さんざん小鳥たちにつつかれたのだろう。幹が穴だらけになっている。


 空を覆う小鳥の群れ。

 もう逃げ場はどこにもなかった。

 世界にせかされながら、ゆっくりと立ち上がる。


 信じるのだ。

 世界は決して残酷なだけじゃないと。


 ごまかしきれない震えを隠しながら、押し寄せる小鳥の群れをにらみつける。

 わたしは絞り出すようにつぶやいた。


「……ヒナヤはひとりじゃない」


「ええ、そのとおりです!」


 気づけば、隣にだれかがいた。

 見上げるほどの体格、新品の防具、燐血人アグネアの少女。


「ニサちゃん!?」


「アタシもいるわよ」


 振り向いた先では、赤紫の粘態スライムが刀を手に立っていた。


「アリーチェちゃんも!」


「あの小鳥を切ればいいのよね? 任せて、余裕よ」


 アリーチェは刀を抜き放つと、小鳥めがけて走り出した。

 彼女は目にもとまらぬ早業で小鳥の群れを切り捨てた。刀を一振りするごとに十数羽単位で小鳥が地面に転がっていく。


「ヒナヤさんは私の後ろにいてください。全力で守ります」


 ニサは盾を構えてヒナヤの前に立ちふさがった。

 ツリーハウスさえも倒壊させた小鳥たちの攻撃を真正面から受け止め、さばいていく。時折、長い舌がニサの肌をつらぬくも、燐血人アグネア特有の炎の血が燃え移り、逆に小鳥の方が火だるまとなっていった。


 二人の目を見張る戦いぶりに茫然としていると、後ろから懐かしい声がした。


「ヒナヤ殿、よい仲間と巡り会えたようでありますな」

「ルテュル!」


 隻腕のエルフの男が、杖を片手にわたしを見つめていた。

 遥かに年上なのに、わたしとほとんど変わらない背丈。ふてぶてしさの中に子供っぽさの残る顔つき。くせっ毛の髪。最後に会った時と何も変わっていない。

 隣には歩く切り株みたいな見た目の人形が何体も控えている。どれもルテュルお手製のぜんまい仕掛けの絡繰人形だ。

 ルテュルが杖の先を回転させると、渦巻きの形をしたぜんまいの新芽から動力が生み出され人形たちが動き出す。絡繰人形は木の根をぶんぶん振り回して小鳥たちを叩き落としていった。


「どうやら、駆けつけたのは小生だけではないようでありますな。ヒナヤ殿には多くのご友人がおられるとお見受けする」


 微笑みを浮かべるルテュルを受けて、周りを見渡す。

 気づけば、わたしの周りにはたくさんの人々であふれていた。


 故郷の友達。家族。バイト先の同僚。ご近所さん。ネットで知り合った顔も知らない誰か。行きつけのお店の店員さん。それ以外にも今までわたしが出会ってきたいろんな人たちがいた。

 みんながみんな思い思いの姿で小鳥の群れと対峙していた。

 パチンコでドングリを飛ばしたり、槍を振り回したり、フライパンを叩きつけたり、ゲームのアバターで駆け巡ったり。


「……こんなにいたんだ」


 夢も現実も何もかもごちゃまぜにしたようなでたらめな戦いが不思議と心地よかった。

 大乱闘の中、ひときわ目を惹く景色があった。

 槍から雷を放つ背の高いエルフの男と、その隣に立つ銀髪のエルフの女。


「ボグルット! シロン!」


 思わず走り出していた。

 ずっと追いつきたかった。みんなと一緒に探索者になりたかった。そのためにずっと走り続けてきた。


「よう、ヒナヤ。久しぶりだな」

「ボグルット! 行方不明になったって聞いたよ! だいじょうぶなの!? シロンも! ボグルットを追いかけて一人で迷宮に潜るなんてむちゃなことしてるって!」


 反応はない。それはわかっていることだった。

 だって、ここにいる人たちはみんな本物ではないのだから。

 彼らはあくまでわたしの心が呼び出した「思い出」たち。当然、わたしが知らないことは彼らも知らない。答えられない。

 それでもわたしは溢れる声を抑えられなかった。


「ヒナヤね、ずっとがんばってきたんだよ。みんなの横に立ちたくて、いっしょに探索者になりたくて、ほんとうにいっぱいがんばってきたの」

「……」

「ねえ、シロン。ヒナヤがぜったい追いつくって約束、まだ忘れてないよね」

「……」

「それとも、もう百年もたったから……わすれちゃった?」


 当然、シロンの返事はない――はずだった。


「……それはこっちのセリフ」

「シロン?」

「……遅い、長い、だらだらし過ぎ。百年も待たされたらこっちだって疲れる」

「ご、ごめん」

「でも、約束を忘れてなかったことだけは……褒めてあげてもいい」


 懐かしい声だった。

 いつもわたしの手を引き、先を示してくれた、夜明けの光のような眩しくて暖かい声。


「……このままだとまた百年経ちそうだから、今回は少しだけシロンも手を貸してあげる」


 銀髪の少女は一歩、足を踏み出した。


「世界よひざまずけ」


 たった一言。

 それだけで雪風が吹き抜けた。

 焦茶色の小鳥たちが一瞬にして凍りついていく。

 あたり一面が雪原と化した。


 わたしはその凄まじさよりも、あまりの懐かしさに息をのんだ。


 そうだ。わたしはこの景色を見たことがある。

 わたしの故郷では基本的に積もるほどの雪が降ることはない。それでも数年に一度、冬の大精霊の力で大雪が降り、その時はみんなで雪まつりが開かれる。

 ここ百年の間、故郷に帰っていなかったせいで忘れていた雪原の景色が、そこには広がっていた。


「……すごい」


 小鳥の数は減っていた。

 卵の殻を破るように、しぶとく氷像から這い出してくる小鳥もまだまだいるものの、その数は明らかに少ない。

 氷雪から抜け出した小鳥たちはわたしたちに襲い掛かるのではなく、一点へと集まっていった。まるで粘土のように互いの身体を合わせていく。やがて、小鳥たちは一羽の巨大な鳥となった。


「わわっ、合体した!?」


 もはや小鳥とは呼べないサイズの焦茶色の鳥は、長い舌をつき出して汚い鳴き声をあげた。


『お前は合格できない。お前は合格できない。お前は合格できない――』


 響き渡る呪詛。

 しかし、それはすぐに途切れた。

 焦茶色の鳥は苦しげに翼を広げると、クチバシをぱかぱかと開閉した。まるで何かを吐き出そうとするかのように身をよじる。


「な、なに? なにが起きてるの?」


 困惑するわたしの目の前で、巨大な鳥の身体が内側からはじけ飛んだ。

 鳥の身体を引き裂くようにして中から現れたのは、大きなカニだった。

 巨大カニは不揃いなサイズのハサミを器用に動かして、鳥の残骸を払う。完全に鳥の中から抜け出すと、みるみるうちに泡になっていった。

 そして、巨大な泡の塊の中から一人の少女が現れた。


「エイシャちゃん!」

「あー、さすがに死ぬかと思った」


 青緑の粘態スライムの少女が白いナイロンジャケットをなびかせながら、こちらへ歩いてくる。


「無事だったんだね!」

「まーね。あのままヒナヤがあきらめてたらダメだったかもしれないけど。なんとかギリギリ復活できたよ。うん、さすがは夢って感じ」


 エイシャちゃんは服についた泡を払いながら、辺りを見渡した。


「すごいね。これ全員、ヒナヤの知り合い?」

「うん。戦い方も戦う場所もバラバラだけど、みんなヒナヤの仲間だよ。すごいでしょ」

「すごい…………うん、本当にすごいよ。きっと、これがヒナヤの力なんだろうね」

「ヒナヤの力?」


 わたしは首を傾げた。

 これはわたしの力というよりも、わたしが出会ってきたみんなの力だ。

 それとも、ここは「わたし」の夢の中だから、みんなを呼び出した「わたし」の力なんだと、エイシャちゃんはそう言いたいのだろうか。

 なんだか考えているうちによくわからなくなってきたわたしに、エイシャちゃんが声をかけた。


「よし、それじゃあの鳥たちとそろそろ決着をつけようか」

「え、あれだけしてもまだ倒せてないの!?」

「弱ってはいると思うけど、結局は実体のない存在だからね。相当、大きく育っていたし普通のやり方じゃ完全にはなくならないと思う」

「そんな」

「大丈夫、方法はあるから」


 エイシャちゃんは強く言い切った。その手にはいつの間にか刃渡りの長いナイフが握られている。


「ヒナヤはピグナータってわかる?」

「名前は聞いたことあるけど、あんまり知らない」

粘態スライムに伝わる神様でね。悪縁を断ち切ってくれるから、縁切神って呼ばれてるんだ。それを今から呼び出す」

「え、神さまの力を借りるってこと?」

「そういうこと」


 こともなげに言っているけど、いくら夢の中とはいえ神さまを呼ぶなんてことができるのだろうか。


「方法がけっこう奇抜だから驚くと思うけど、あまり焦らないでね。わたし粘態スライムだし、たぶん平気だから」

「う、うん」

「それとわたしの意識は無いだろうから。あとの対応もお願い」

「わかった」


 正直、よくわからないけれどとりあえずうなずく。エイシャちゃん本人ができると言っているのだから、きっとできるのだろう。


 エイシャちゃんは深く息を吐いた。

 自らの首筋にナイフをあてゆっくりと目を閉じる。

 そして、躊躇なく自分の首を切り飛ばした。

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