第8話 遁走の後に

 なんとか迷宮の主から逃げ切ったわたしたちは、大樹の下で一休みしていた。


「どうしてアタシたちを助けたのよ、リグサキサスーバ」


 アリーチェの視線が珊瑚の角を持つ蛙ジヌイーバに突き刺さる。

 わたしたちが生き延びているのは間違いなく彼のおかげなのだが、アリーチェの口調には棘がある。

 まあ、無理もないだろう。

 珊瑚の角を持つ蛙ジヌイーバはかつてのパーティメンバー。アリーチェが選抜試験に挑むことなく落ちたのは、彼らが試験会場に現れなかったからなのだから。


「助けてくれたこと、一応感謝はしておくわ。でも、選抜試験のこと忘れたわけじゃないでしょ。これはどういう風の吹き回しなのよ?」

「こうなると分かっていたから、会わずにいたんだがな」

「じゃあ、無視すればよかったじゃない」

「……ああ、まったく、その通りだ」

「は? なによそれ」


 珊瑚の角を持つ蛙ジヌイーバの淡々とした反応は、むしろアリーチェの怒りに火をつけたようだった。


「――だいたい試験中なのに、なんであんたは一人なわけ。新しい仲間に見捨てられでもした? あー、ごめんなさい。違うわよねー。あんたは見捨てられるんじゃなくて、見捨てる側だったものねー」

「仮にも命の恩人相手によくもそこまで唾を吐けるものだ」

「るっさいわね、選抜で裏切っておいて恩知らずはどっちよ。このバーカ!」

「……」

「アホ、カス、バーカ! バーカ! バーーーカ!」

「……貴様」


 シンプルな罵倒に珊瑚の角を持つ蛙ジヌイーバが語気を荒げた。

 さすがにこれ以上は見ていられない。わたしは二人の間に割って入った。


「二人とも落ち着いて。今は言い争っている場合じゃない」

「……はいはい」

「……ふん」


 二人とも状況の悪さは理解しているのだろう。それ以上、悪態が飛び交うことはなかった。


 状況を整理しよう。

 まだ戦う力が残っているのは四人だが、いずれも万全とはほど遠い。

 わたしは端末がフリーズしているため、ウォッチコカトリスは使えない。奥の手の潮招シオマネキ擬造ミミクリも使ってしまった。通常の擬造ミミクリの材料がまだ残っているとはいえ、心もとない。

 ニサはヒナヤを運びながら全力で逃げたため、体力をかなり消耗しているように見える。

 一方、アリーチェと珊瑚の角を持つ蛙ジヌイーバの二人はまだまだ元気に見えるが、いかんせん雰囲気が険悪すぎる。


 残った二人、単眼族ゲイザーの少女とヒナヤは戦力に数えられない。

 単眼族ゲイザー珊瑚の角を持つ蛙ジヌイーバから治療を受け、回復したものの動きはかなりぎこちない。

 ヒナヤに至っては意識を失ったままだ。


「たしかシュテリアさんだったよね。傷は平気? 立てそう?」

「問題ありません。足も元通りですし、これなら今すぐ戦うことだってでき――ッッ!」


 シュテリアと名乗った単眼族ゲイザーの少女は意気揚々と立ち上がったものの、足に痛みが走ったのだろう。鋭くうめいた。


「あー、ムリしなくていいよ」

「無理してません!」


 それが強がりなのは、単眼からにじむ涙を見れば一目瞭然だ。

 やはり戦うのは無理だろう。


「そうだ。シュテリアさん、気付け薬返すよ」

「効果は、どうでした?」

「残念ながらダメ」

「そうですか……一応これでも睡眠対策は用意してたんですけどね」


 シュテリアが用意していたという気付け薬。ヒナヤに試してみたけれど効果は見られない。

 とりあえずは安静にしておくしかないだろう。


 わたしは気付け薬をシュテリアに渡しながら、横目でニサを見た。


「……ニサは、大丈夫?」


 燐血人アグネアの少女は膝を抱えて座りこんでいた。

 初めは疲労回復のために大人しくしているだけかと思ったが、少し見ていたところどうもそうとは思えない。

 緑色のほのおがにじむ手が明らかに震えていた。


「……エイシャさんは平気なんですか?」

「まあ、わたしはニサと違って戦闘でも後ろにいるからね。それにほら、粘態スライムだから傷とかもないし」

「そういうことじゃなくて――死体を見たじゃないですか」

「……そうだね」


 死。それは探索者になる以上、避けては通れない言葉だ。


「私たちも死ぬかもしれないって考えたら、こ、怖くなってしまって。エイシャさんは平気なんですか」

「まさか、怖いよ。でも、これはあくまで試験だから。試験中に命を落とした場合は蘇生の処置が施される。そういう契約があることはニサも知ってるよね」

「それは、わかってるんですけど……でも、怖いんです」

「まあ、ね」


 ニサの言葉は何も間違っていない。

 怖くないはずがないのだ。いくら蘇生できるとしても、死ぬことは怖いに決まっている。

 わたしたちに保障されているのは、あくまでも蘇生だけ。それは決して安全を意味しない。

 たとえ生き返り身体が元に戻ったとしても、一度死を経験した人は精神を病む確率が高いという。死恐怖症タナトフォビアは探索者が引退する原因として最もありふれている。


 ニサは戦えるだろうか。

 できるなら無理はさせたくないけど、状況がそれを許してくれるかは微妙なところだ。

 せめてヒナヤが起きてくれれば、庇いながら戦わずにすむのだけど。


 わたしはうずくまるニサから目を逸らし、まぶたを閉じたままのヒナヤを見つめた。


「……だから忠告したのだ」


 珊瑚の角を持つ蛙ジヌイーバのため息が聞こえた。


「忠告?」

「試験が始まる前に言っただろう。本気で探索者になりたいのなら、このエルフとは組むなと」

「あー、ね」


 忠告というか、理由も聞かされずただやめるように言われただけだ。いくら本人が忠告のつもりでも、こちらからすればそんなものに耳を貸せるはずがない。


「ヒナヤをそこまで悪く言う理由、聞いてもいい?」

「このエルフとパーティを組んだ者は、そのことごとくがろくな目に遭わない。受験者たちの間では、歩く事故物件と呼ばれている。お前たちも実感しているだろう」


 弓の腕や、ひっきりなしに襲いくるモンスター。思い当たる節は正直かなりある。それらすべてをヒナヤのせいにするのはさすがに強引だが、まったく関係ないと考えるのも違うだろう。


「ヒナヤは不幸誘発症候群レスカミーレ・シンドロームだとでも?」


 不幸を引き寄せる体質。ヒナヤがそうかはともかく、そういう症例は存在する。


「少なくとも俺が知る限り、このエルフとパーティを組んだ者は誰一人として合格していない。それは間違いなく事実だ」


 その話に憤慨したのはアリーチェだった。


「なによそれ。リグサキサスーバ、あんた、そんなくだらない言いがかりで――」

「くだらないかどうかは現実を見てから言え。事実、貴様らは迷宮の主と戦う羽目になったのだろう」

「それもヒナヤのせいだっていうの?」

「可能性は高い」

「現実を見てないのはどっちよ。ヒナヤはその迷宮の主からアタシを庇ってこうなったのよ。アタシたちのパーティに充分貢献してるわ」

「では他の戦闘での働きはどうだ。活躍していたのか?」

「それは――」

「味方を誤射した。違うか?」


 アリーチェが息をのんだ。


「ッ、見てたの?」

「いいや。だが、想像はつく。今まで彼女とパーティを組んだ者もほとんど同じ目に遭っているからな。誤射以外にも、このエルフがいる時はやたらとモンスターと遭遇するという話がある」

「……全部、ヒナヤのせいだって?」

「他のパーティはそこまで極端な目に遭わない。それは事実だ」

「……」


 強く断言する珊瑚の角を持つ蛙ジヌイーバに、それ以上アリーチェが言い返すことはなかった。

 辺りに重い空気が漂う中、わたしはゆっくりと口を開いた。


「ヒナヤのいるパーティは大変な目に遭う。それはわかった。でも、試験はもう始まってるし、今考えるべきはヒナヤが意識を失っているこの状況をどうするかじゃない?」

「簡単な話だ。このまま置いていけばいい」


 アリーチェの表情が変わる。


「ッ、ふざけないで!」

「そ、そうですよ。置いてくなんていくらなんでも、ひどいです!」


 今度ばかりはさすがにニサも声を荒げている。


「ふざけてなどいない。起こす手段がない以上、当然の判断だ」


 アリーチェがこれ以上怒る前にわたしは口を挟んだ。


「シュテリアさんを治療したみたいにどうにかして起こせない?」

珊瑚の角を持つ蛙ジヌイーバの生術は肉体を治癒する術だが、このエルフの場合、肉体にはなんら問題がない。気付け薬も効果なかったのだろう? おそらく物理的なアプローチは無意味だ」

「つまり、精神の問題だと」

「そうだ。他人の夢に侵入し、眠りから覚ます芸当は専門外だ。俺にはできん」

「……そう。じゃあ、仕方ないか」


 理由はわからないが珊瑚の角を持つ蛙ジヌイーバはわたしたちをペリュトンから助けてくれた。シュテリアの治療もしてくれた。

 その彼ができないというのなら、それ以上は頼れない。


「ちょっと、エイシャ!?」

「エイシャさんまで、お、置いていくっていうんですか」

「いや、そうじゃなくて、他にできる人がいないならわたしがするしかないかなって」


 わたしはヒナヤの側に腰をおろした。小さな手を握りしめる。感じる柔らかさは粘態スライムのそれとは少し違う。


「驚いたな。お前、他人の夢に侵入できるのか」

「どうだろ。初めてやることだし」

「初めてだと? 正気か?」

「でも、わたしがやるのが一番マシだろうから」


 自信はない。あるなんて口が裂けてもいえない。

 だからこそできれば他の人にやってほしかったのだが。


「……わからんな。どうしてそこまでしようとする? 元から知り合いというわけでもあるまいに」

「まあ、ね。正直、わたしはどっちかと言うとあなた寄りの意見だし」


 別にヒナヤのことは嫌いではない。

 それでも、出会ってばかりの相手を危険を冒してまで助けたいか聞かれると、あまり気が乗らないというのが本音だ。


「ならば、なぜ」

「アリーチェとニサが助けたいって言ってるから」


 二人がヒナヤを助けたいという。

 それを覆そうと思えるほど、わたしはわたしの意見に価値を感じない。

 人助けなんて気が乗らないという気持ちと、誰かを助けたいと願う気持ち。二つを並べた時、どちらが尊重されるべきかなんて考えるまでもないだろう。


「他人に合わせて意見を変えるのか」

「ええ」

「気に食わんな」

「そう、気が合うね」


 迷宮の主から助けてくれたことに感謝はしている。だけど、それで選抜試験に来なかったことが、アリーチェを傷つけたことが、何もかも帳消しになるわけではない。

 あの日、縁切り池で見たアリーチェの背中をわたしは忘れていない。


 わたしは珊瑚の角を持つ蛙ジヌイーバから目を逸らし、アリーチェとニサを見つめた。


「もう一度確認するけど、わたしがヒナヤの夢に入って無理やり起こす、二人ともそれでいい?」

「当然よ。ヒナヤを見捨てる気はないわ」

「私も、ヒナヤさんに戻って来てほしいです」

「うん、わかった」


 ためらいは要らない。

 後はわたしが成功させられるかどうか、それだけだ。


「じゃあ、行ってくる」


 わたしは目を閉じる。

 ヒナヤの意識に触れた。

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