第7話 迷宮の主

 両足は砕かれ、立つことすらままならない。

 槍を杖の代わりにして倒れそうな身体をなんとか支える。


「な、んで……ボクだ、け、生き、てる」


 第七班唯一の生存者シュテリア・ポストロスは、三つの死体に囲まれながら問いかけるようにつぶやいた。

 単眼族ゲイザーの少女の嘆きに返答はない。


 少し前まで、探索は順調だった。

 それが狂ったのはあの怪物――迷宮の主と遭遇してからだ。

 いや、遭遇というには語弊がある。迷宮の主に挑もうと言い出したのは、他でもない自分なのだから。


 名門ポストロス家に名を連ねるならば、そのデビューもまた相応しい形でなければならない。

 選抜試験に参加できなかった以上、シュテリアは自身がポストロスの名を背負うに値すると世に知らせるためにも、飛び抜けた結果を示す必要があった。

 反対する仲間を強引に説き伏せ、迷宮の主に挑んだ。

 その結果がこれだ。

 相手にならなかった。

 最初の不意打ちで、まず一人が眠りに落とされた。駆け寄ろうとしたもう一人が命を落とした。二人でなんとか撤退しようとしたものの、なすすべなく蹂躙され、残ったのは単眼族ゲイザーの少女、シュテリアただ一人だった。


 生き延びようと、足が動く。

 シュテリアの命はもはや風前の灯火。

 もしも今、攻撃されてしまえば、それを乗り切るすべは何もないのに、迷宮の主は手出しをしてこない。


 手を下すまでもないと思われているのだろうか。

 取るに足らない存在だと侮られているのだろうか。


 名家にあるまじき醜態だ。

 こんな姿、ポストロス家の名に相応しくない。

 だがそれ以上に「まだ生き残っているなんて運がいい」と思ってしまった醜さが、「このまま見逃して欲しい」と祈ってしまう浅ましさが、なによりも相応しくない。


 シュテリアの視界に何か、いや、誰かが飛び込んできた。


「あんた大丈夫!?」


 黒い服をまとった赤紫の粘態スライムだった。彼女はシュテリアのそばへ駆け寄ると迷わず肩を差し出した。

 その姿には見覚えがある。

 選抜試験の首席候補、アリーチェ・トスカーニ。

 ハリボテの自分とは違って本当に才能がある少女。


 アリーチェの後方からは、おそらく彼女のパーティメンバーであろう三人が向かってきていた。


「いったい、何があったの?」

「めいきゅうの、ぬしが――」


 迷宮の主と戦い敗れたことをなんとか伝えようとする。

 その時、シュテリアの脳裏に電流が走った。


 迷宮の主は未だに攻撃をしかけてこない。

 てっきり獲物としての興味すら失せてしまったのだと思っていたが、もしもそうではなかったとしたら?

 何か目的があったとしたら?


 そう。例えば、瀕死の獲物を囮にするとか。


「――に、げて」

「ええ、わかってるわ。今すぐ連れてくから」

「ちが、う。もう、みられ」


 大地に影が差す。





 ヒナヤの先導によって進むことしばらく、わたしたちが遭遇したのはモンスターではなく、他のパーティだった。


「ねえ、あ、あれって」


 ヒナヤが言葉に詰まるのも無理はない。

 そのパーティはどこからどうみても壊滅状態だった。四人中三人は地面に倒れ伏しており、唯一立っている単眼族ゲイザーの少女さえも満身創痍で、今にも倒れそうだ。


「助けるわよ」


 最後尾にいたはずのアリーチェが気づけば最前を走っていた。

 慌ててヒナヤとニサがあとを追いかけていく。術師であるわたしは戦闘に備え、水の入った容器を取り出した。口早に百舌鳥モズ擬造ミミクリを唱える。

 アリーチェの移動速度は凄まじく、わたしが容器を手にする頃にはすでに単眼族ゲイザーの少女のそばにたどり着いていた。肩を貸しながら、油断なくあたりを見渡す。


 だが、その注意深さこそが仇となった。


 上空を警戒したアリーチェが空へ目を向けた一瞬、足元から黒色が間欠泉かんけつせんのように噴き出した。


「あぶないっ!」


 その瞬間、飛び出すことができたのは、遠くにいるわたしでも、重装備を身にまとうニサでもなく――ヒナヤただ一人だった。

 アリーチェと単眼族ゲイザーの少女を突き飛ばし、身代わりに黒の奔流に飲み込まれていく。


「ヒナヤッ!?」


 叫ぶアリーチェの目の前で、影のような何かが大地から空へと吹き上がっていく。夜空を切り取ったかのような紺色ネイビーブルー

 紺影は大空へと集まり、形を成していく。

 現れたのは鳥の翼の生えた牡鹿だった。


「――鹿鳥ペリュトン


 それは『幻影の森』の主にして、影に潜む怪鳥、試験に受かりたければ決して手を出してはいけない存在。


「ひ、ヒナヤさん! 大丈夫ですか!?」


 倒れるヒナヤに、ニサが駆け寄る。

 それを見たペリュトンは鋭い鳴き声を放つと、頭部の鹿角を伸長させた。槍のような勢いで鹿角がヒナヤへと迫る。

 すんでのところでニサが盾で弾いた。その一撃は見た目以上に重いようで、ニサの身体がぐらりと揺らぐ。


「ッ、させない!」


 今、ニサが倒れてしまえば、戦線は完全に崩壊する。それだけは絶対に避けなければいけない。

 わたしは百舌鳥モズに突撃の命を下した。百舌鳥モズがペリュトンへと果敢に襲い掛かる。

 しかし、一度も早贄はやにえをしていない状態では力量差は歴然。


「ピイィィィ!!!」


 百舌鳥モズは迷宮の主の角に貫かれ、水飛沫と化した。

 

「……まじか」


 時間稼ぎにすらならなかった事実を前に焦燥感が募る。

 だが、ニサはヒナヤを、アリーチェは単眼族ゲイザーの少女を、どちらも負傷者をかばうので精一杯だ。

 今、この場をどうにかできるのは、わたししかいない。

 わたしは液体の入った容器と粉末を取り出した。容器に粉末を入れ、擬造ミミクリの呪文を唱える。


「オキシドーラ、アイオダイン、サーファクタント、溶けて混ざりて泡沫あぶくの巨人! 汝に告ぐ! 歩く城砦じょうさい、不揃いな処刑台、提琴ていきんの奏者! 汝は潮招シオマネキなり!」


 瞬間、容器から大量の泡が噴き出し始め、入道雲のようにもくもくと膨らんでいく。

 みるみるうちにペリュトンに匹敵する大きさとなった泡は、わたしの言葉に従い、ハサミの大きさが左右でちぐはぐな巨大蟹――潮招シオマネキの姿となった。

 巨大な右手のハサミを振りかざし、ペリュトンの前に立ちはだかる。

 ペリュトンが真正面から勢いよく鹿角で突き上げるが、潮招シオマネキは怯むことなく受け止め、そのまま角を挟み返した。

 蟹は一度挟んだら、爪がもげても放さない。


「よし! これなら逃げる時間くらいは」


 そんな淡い考えを抱けたのは束の間でしかなかった。


 角を挟まれたままペリュトンが潮招シオマネキごと頭を上げる。潮招シオマネキは鹿角を決して放さないが、身体ごと持ち上げられてしまってはどうしようもない。

 ペリュトンは振り子のように頭を揺らすと、潮招シオマネキを樹の幹へと叩きつけた。

 潮招シオマネキの甲羅がひしゃげ、樹が倒れる。その振動はわたしたちの足元まで伝わってきた。


「……だめだ、抑えられる気がしない」


 甲羅が砕けてもなお角を放さない潮招シオマネキ

 しかし、ペリュトンがもう一度叩きつけると、さすがに身体を維持できなくなり、ただの泡の塊へと還っていった。


「次は……どうしよう」


 なんとか次の時間稼ぎをひねり出そうとしていると、ようやくアリーチェたちが戻ってきた。


「エイシャ! コカトリスは!? あれで足止めできないの!?」

「いや、あれだけ角の印象が強いと、どうにも効き目が」

「なによそれ」

「邪視はそういうもんなんだって」


 見るだけで呪いをかける邪視は間違いなく強力だが、その使い勝手の良さゆえに対抗策も多い。鋭く尖ったものや、見るに堪えないものはその一つだ。

 角はまさに鋭く尖ったものの象徴であり、天然の魔除けとしてこれ以上ないほど機能する。

 雄々しい鹿角をもつペリュトン相手に『ウォッチコカトリス』が効くとは思えない。それどころか、呪詛返しで端末の方がダメにされるだろう。


「――や、待って。やっぱいけるかもしんない」


 わたしは『ウォッチコカトリス』を起動した。瞬く間にウーズ型端末が石毒の竜へと姿を変える。

 そして、見たものすべての動きを止める魔眼がペリュトンをにらみつけた。


 本来であればあまりにも無謀な行為。

 だが、今この瞬間だけは違う。


「それだけ泡にまみれてたら、自慢の角も台無しでしょ!」


 潮招シオマネキの奮闘によって、鹿角は泡に隠れていた。せっかくの鹿角も見えなければ効果がない。ペリュトンはぴたりと動きを止めた。


「でかしたわ、エイシャ! みんな死ぬ気で逃げるわよ!」

「ひゃイ!」


 アリーチェが単眼族ゲイザーの少女を背負いながら叫ぶ。ヒナヤをお姫様抱っこしていたニサが声を裏返らせながら後に続いた。

 迷宮の主に遭遇するという最悪の事態にどうなることかと思ったが、これならなんとか逃げられそうだ。

 一筋の光明が差したかに思えた。



 ――だが、事態の悪化は止まらない。



 ふと、強い風が吹いた。


 それはこの試験が始まってから何度も味わった風だ。特にヒナヤが弓を放つ瞬間、彼女の手元が狂うほどの強風が吹くことがあった。まるで狙ったかのようなタイミングで、何度も。

 そんな風が、ここでもまた吹いた。

 直後、ペリュトンのいななきが響き渡る。


「風で泡が飛ばされた!? な、なにそれ! どんな偶然!?」


 わたしは慌てて『ウォッチコカトリス』を停止させようとしたが時すでに遅し。呪詛返しによって端末は完全にフリーズしていた。

 仕方ないので、置物と化した端末を両手で抱え走り出す。


 ――最悪だ!


 負傷者を二人も抱えるわたしたちが、迷宮の主からこのまま逃げ切れるはずがない。

 このままでは追いつかれる。


 ――なにか、なにか考えないと!


 その時、ペリュトンの悲痛な鳴き声が聞こえた。


「ピイィィィ!!!」


 思わず後ろを振り返ると、空中ではペリュトンが悶えていた。

 原因は一本の槍だ。

 一本の槍が、真横からペリュトンの頭部を貫通していた。


「止まるなッ! 走れッ!」


 気づかぬうちに足を止めていたわたしに、叱咤が降りかかる。

 どこか聞き覚えのある声に目を向けると、そこにはかつてアリーチェの仲間であった珊瑚の角を持つ蛙ジヌイーバが立っていた。

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