第2話 日常に刺さる傷
わたしたちの住む町ヴェトーリアは広大な湿地帯の中にあり、周辺には池や泉が数多く存在している。
わたしがアリーチェを見つけたのは、ピグナータの泉――別名、縁切り池と呼ばれる場所だった。
泉のほとりに、黒いナイロンジャケットを着た赤紫の
「アリーチェ、さがしたよ」
わたしは犬の形の端末を元の形状へと戻しながら、アリーチェの側へと歩いていった。鏡のような水面越しに目が合う。アリーチェはそのまま振り向くことなく、気まずそうにつぶやいた。
「……ごめん、エイシャ。アタシ、探索者になれなかった」
消え入りそうな声だった。
「もう、知ってるかもしれないけどね。アタシ、試験に参加すらできなかったの。パーティメンバーが誰も……だれもこなくて」
口調の端々から、悔しさと悲しさが滲み出ている。
「はは、笑っちゃうわよね、戦うことすらできなかったなんて」
どうして、誰もこなかったのか。いったい何があったのか。
会ったら尋ねようと思っていた質問は、こうして顔を合わせてみると、とても口に出せるようなものではなかった。
わたしは代わりの言葉を探した。
「……まだ、終わってないよ。選抜試験はその、ダメだったかもしれないけど、一般募集もあるし、なにより『
だから、また頑張ろう。
すんでのところでその言葉を飲みこんだわたしに、アリーチェは視線を向けることなく、小さくぼやいた。
「無理よ」
「……」
「無理なのよ」
ゆっくりと繰り返す。
それはわたしに向けてというより、自分自身に言い聞かせているようだった。
「だって、試験当日に誰もこなかったのよ。一人じゃなくて全員。アタシ以外のみんな。……そんなことってある? もしもなにか事情があるのなら、それまでに相談するでしょ。わざわざ試験当日、全員そろって顔を見せないなんて、それって内心ではアタシを嫌ってたってことじゃない」
せきを切ったように溢れ出す言葉は、あまりにも切実で痛々しい。
「だから、ムリなのよ。だって、有名探索者になるには強いだけでなく、人から好かれなきゃいけないでしょ? ……あはは、ムリよね、そんなの。パーティの仲間にすら嫌われてるのに」
「そんなことは――」
「エイシャだって、見に来てくれないじゃない」
「っ、それは」
たしかにわたしはスピカのライブを優先してアリーチェの試験を見に行かなかった。そのことをアリーチェが気にしていたなんて思いもよらなかった。
口を開いたまま固まるわたしとアリーチェの間に空白が流れる。
先に声を発したのはアリーチェだった。
「……ごめん、今のは違くて、アタシ、べつにそんなつもりじゃ」
「いいよ、気にしてないから」
アリーチェに余裕がないことくらいわかる。
だから、気にしてないのは本当だ。
それでもアリーチェの指摘は鋭いトゲのように突き刺さっていて、きっとそれが彼女にも伝わったのだろう。アリーチェの背中はさらに丸くなっていた。
「…………八つ当たりしちゃってごめん。アタシ、もう帰るわね」
引き留めるべきかなのか、そのまま見送るべきなのか。
その答えが出ないまま、わたしは意味もなく口を開いた。
「……あの、さ、本当にだいじょうぶ?」
「ええ、平気よ。もう落ち着いたから」
「そう。ならいいけど」
その姿はとても平気なようには見えなかったけど、それを指摘したら小さな背中が消えてしまいそうで、わたしはそれ以上、何も言えなかった。
「それじゃ、また明日、学校で」
アリーチェはそう言って、泉から去っていった。
最後までわたしに顔を向けることはなかった。
◆
次の日、アリーチェの様子は意外なことに、いつもどおりだった。
落ち込んでいる様子を見せることもなく、いつものように学校に通い、いつものようにくだらない話で盛り上がる。
そんないつもと変わらない毎日がしばらく続いた。
ただ、変わってしまったこともあった。
放課後になるといつも訓練をしていたアリーチェが、わたしの家にゲームをしにくることが増えたのだ。一緒にゲームをする時間は間違いなく楽しい。楽しいのだけど、わたしはどこか落ち着かなかった。
そして『
クラスはその話題で持ちきりだった。
とはいえ、さすがに本人の前で選抜試験の話をするようなクラスメイトはおらず、アリーチェのいないところでは試験の話題で盛り上がり、アリーチェの姿が見えると口を閉ざす微妙な空気が生まれていた。
そんな日の放課後のことだ。
「ねえ、エイシャちゃん、ちょっと聞きたいんだけどさ」
クラスの
「ん、なに?」
「エイシャちゃんって、アリーチェさんと仲良いよね」
「……まあ、そうだけど」
教室内にアリーチェはいないようだった。
話の雲行きに怪しさを感じながらも、とりあえず返事をする。
「『
「ん、まあ」
案の定の話題だ。
辟易しながらも、ひかえめにうなずく。
「エイシャちゃん何か知らない? 何があったのかとか、どうしてそうなったのかとか、本人から何か聞いてたりしてない?」
「……さあ、なにも。わざわざ本人にそんな話しないから」
遠回しに皮肉をこめてみたものの、クラスメイトの
「でもさでもさ、普通ありえないと思わない?」
「……ありえないって何が」
「だって全員だよ。こなかったのが一人じゃなくて全員」
その言葉を皮切りに、野次馬騒ぎは広がり始めた。こんなのは前代未聞だとか、いったい何があったんだとか、好き勝手な意見が口々に飛び交う。それからはもうわたしの発言など関係なく、黙っていても話は盛り上がる一方だった。
「これはさすがに突発的な事故とか、そういうんじゃなくね?」
「もともと、ぎくしゃくしてたとかさ」
「まあ、シンプルに嫌われてたんだろ」
「試験直前に全員でバックれるのは、完全にそうだよな」
「つまり、嫌がらせってこと? うわ、最悪、アリーチェさんかわいそ」
見えすいた悪意や害意はどこにもない。
誰もアリーチェを傷つけようなどと考えてはいない。
ただ、それでも、どうしようもない居心地の悪さが、そこには存在していた。
――早く、帰りたいな。
わたしがどうやってここを去ろうかと考えていると、ふと急にクラスメイトたちが水を打ったように静まり返った。
クラスメイトたちの視線は、教室の入り口へと注がれていた。
そこには赤紫の
「…………」
クラスメイトたちも決して本人に聞かせようとは思っていなかったのだろう。
ご本人様の登場に教室の空気は凍りつき、誰もが口を止めていた。
そして、その場の誰が口を開くよりも早く、アリーチェは何も言わずに廊下へと走り去っていった。
それを見て、わたしは思わず席をたった。
「あの、わたし、もう行くから。それじゃ」
わたしはアリーチェを追って駆け出した。
アリーチェはわたしよりも足が速い。力も強いし、動体視力も良いし、持久力もある。たぶん、アリーチェが本気で逃げようと思ったら、わたしでは追いつけないだろう。それでも、今日は追いつくことができた。
学校からひたすら走り続けたわたしがようやく足を止めたのは、通学路の途中だった。
木陰に隠れるようにして、赤紫の
「アリーチェ」
「……バカよね、アタシ。もう、あきらめるって決めたのに」
「あきらめるって、何を?」
「決まってるでしょ。探索者になることよ」
その声があまりにも淡々としているものだから、わたしは思わず聞き返していた。
「ほ、本当にあきらめるつもりなの?」
「そう言ってるでしょ」
「なんで」
「仲間に裏切られるようじゃ、どうせやっていけないからよ。もともと、アタシに人に好かれる才能はないってわかってたし、ちょうどよかったのよ」
「そんなこと」
「ないわけないでしょ。これでも学校でも浮いてることは自覚してるつもりよ」
否定しようにも口が動かない。なぜなら、それは事実だから。
良くいえば孤高、悪くいえばボッチ。
わたしも友達が多い方ではないが、そんなわたしから見ても、学校でのアリーチェは孤立していた。
「それに刀も捨てちゃったから、もう訓練しようにも道具すらないわ」
「捨てたって、まさか」
わたしは、選抜試験の後にアリーチェを見つけた場所を思い出していた。
ピグナータの泉、またの名を――
「――縁切り池に」
「そうよ。捨てるにはちょうどいい場所でしょ?」
縁切り池、ピグナータの泉。
ピグナータとは
一口に悪縁といっても、その内情は人によってさまざまである。
失恋した時、病気を患った時、悪霊に憑かれた時、そして――未練を断ち切りたい時。
「現実を見るいい機会だったのかもね」
「……現実」
「探索者になりたいなんて言ってるの、クラスでもアタシだけでしょ。そろそろそんなくだらないこといってないで、大人になる時がきたってことよ」
「……くだらないこと」
アリーチェは寂しげだが、どこか吹っ切れたような表情を浮かべていた。
これがピグナータの泉に伝わる悪縁切りの効能なのだろうか。だとしたら、これまでのアリーチェの夢は、悪縁だとでもいうのか。
気づけばわたしは声を荒げていた。
「嘘つかないでよ」
「エイシャ?」
「今までの努力が、これまで積み重ねてきたことが、全部、現実を見てなかったバカなことだって、アリーチェは本気でそう思ってるの? 違うよね」
口から出た言葉は、自分でも驚くほどに強い口調で、だけどそれを止めようとは思えなかった。
「だってさ、アリーチェ、本気だったじゃん。がんばってたじゃん。少なくともわたしにはそう見えたよ。どれも、くだらないことには見えなかった。わたしはさ、アリーチェのことがうらやましかったんだ。夢や目標があって、それに向かってひたむきに努力できる。それが心底うらやましくて、憧れてた」
「ねえ、アリーチェ。この前わたしに言ったよね。どうして試験を見に来てくれなかったんだって」
「それは、たしかに言ったけど……謝ったじゃない、ごめんって」
「ううん、謝ってほしいんじゃないんだ。ただ、わたしの方こそ理由を言ってなかったなって」
「スピカのライブでしょ。アタシだってそれくらいわかってるわよ」
アリーチェの言うとおり、わたしにとってスピカのライブは決して見逃せない大切なイベントだった。
でも――
「――それだけじゃない」
「……」
「アリーチェの試験を見に行かなかった理由はそれだけじゃなくって…………恥ずかしい話、嫉妬してたんだよ」
「嫉妬?」
それは本当なら口に出したくない理由だった。
口にすれば、認めなくてはいけないから。向き合わなくてはいけないから。
だけど、だからこそ、今ここで伝えることにはきっと意味がある。
「アリーチェは本気で夢を追いかけてきて、ついにそれを叶えようとしてる。それがうらやましかった。わたしには夢も、何かを積み重ねる力も、何もないから。がんばろうと思える何かをもっているアリーチェに嫉妬した。だから、アリーチェが試験に挑む姿から、理由をつけて目を逸らしたくなった」
「……」
「みんな自分の道を歩いていくのに、わたしだけまだスタート地点にすらたどり着いていないって、そう思い知らされるのが怖かった」
将来の夢。積み重ねた努力。アリーチェの持つどれもが、わたしの目には輝いて見える。
だからこそ、それが全部「くだらない」の一言で切り捨てられてしまうのは、まるで自分の宝物が目の前で壊されていくかのようで、とても受け入れるなんてできなかった。
「ねえ、アリーチェにとって今までの全部は、本当にくだらないことなの?」
「……」
「全部、無駄だっていうの?」
「…………」
「本当に、それでいいの?」
疑問符に込められた思いは、質問でも確認でも、ましてや励ましでもなかった。それは、わたしからアリーチェに向けた精一杯の嘆願であり、期待の押し付け。
それでも、それが隠すことないわたしの本音だ。
「いいわけッ、いいわけないじゃない! でも、そう思わないとやってられないから!」
アリーチェが叫んだ。叩きつけるように、何度も。
「――ッじゃあ、どうすればいいのよ! 仲間に裏切られて、見捨てられて、パーティは解散! そんなひとりぼっちの状態で、どうしろっていうのよ!」
「わたしがパーティに入るよ」
「っ!」
息を呑むアリーチェ。炎よりも赤い瞳を見つめながら、わたしは繰り返した。
「わたしがアリーチェのパーティに入る。わたしも探索者になるよ」
それが、選抜試験の日から一週間、わたしの出した結論だ。
「……なによそれ、昔誘った時は断ったくせに」
「その時は、探索者になりたくなんてなかったから」
本当は今だってそうだ。
探索者が自分の夢だとは思えない。
何かにひたむきに取り組む姿には憧れるけど、実際のわたしは、毎日食べて寝て、好きな音楽を聴いて、それから時々ゲームでもできれば、それだけで満たされる。そういう存在だ。
だから、以前アリーチェに誘われた時は断った。わたしではそこまで頑張れない、アリーチェの足枷になると、そう思ってしまったから。
でも今は、それ以上にアリーチェのあきらめる姿を見たくなかった。
「ど、どうして、今さらそんなこと言うのよ」
「わたしには夢が無いけど、無いなら無いなりに試してみるのもいいかなって」
「で、でも」
「それにさ、友達の夢が叶ってほしいと願うのは、そんなにおかしなことかな」
「…………いいの?」
「わたしはアリーチェみたいに強くないし、たぶん頑張れない。それでも一緒に戦うし、仲間を探すのも手伝うことはできる」
うつむくアリーチェに、わたしは手を差し出した。
「……でも」
ゆっくりと顔をあげるアリーチェ。ためらいながらも、その手はたしかにわたしに向けて伸びていた。
「いっしょに行こう」
わたしはアリーチェの手をつかんだ。
縁切り池の逸話なんかに負けないくらい、引き離されないくらい、強く。
わたしたちの出会いは悪縁なんかじゃない。
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