人外少女たちの迷宮攻略配信

赤猫柊

出発地 縁切り池

第1話 夢破れて

 わたしの眉間に刀が深々と突き刺さった。

 痛みはない。あるのは異物が侵入してくる不快感だけ。

 額がつばにふれるほどめり込んだ刀を見つめながら、わたしは小さくため息をこぼした。


「ねぇ、アリーチェ。これ、わたし必要だった?」


 傾きはじめた陽を背負いながら、わたしとアリーチェは湖のほとりで向かい合っていた。二人の間には刀が一振り。もれなくわたしの頭に突き刺さっている――いつものことだ。


「もちろんよ。棒立ちの的と実際に動く相手とじゃ、技一つとっても全然違ってくるもの」

「そういうもん?」

「そういうものなの」


 アリーチェがわたしの額から刀をゆっくり引き抜いた。

 わたしたちは粘態スライム、ゲル状の人型種族だ。体の中心にあるコアが無事である限り、手足をもがれようとも、首を切られようとも死ぬことはない。青緑の体組織がぬらりとうごめき、わたしの額に空いた穴は一瞬で塞がった。


「エイシャ、ありがとうね。いつも付き合ってくれて」


 アリーチェは刀を鞘に収め、ちょしちょしと頬をかいた。黒のナイロンジャケットが風に揺れる。赤紫の体組織や気泡ひとつない整った顔によく似合っていた。

 様になるとはきっとこういうことを言うのだろう。


「どうしたのよ、エイシャ。ぼんやりしちゃって」

「あー、いや……明日のことを考えたらさ。こうして一緒にいることも少なくなるんだろうなって」


 明日、アリーチェは探索者になるための試験を受ける。

 探索者とは文字通り、迷宮ダンジョンを探索する職業だ。合格したらアリーチェはこの町を離れることになる。気軽に会うこともできなくなるだろう。


「そうはいっても『盈月えいげつ』の選抜試験よ。受かるとは限らないわ」


 『盈月えいげつ』は多くの有名探索者を輩出してきた事務所だ。支援が手厚いことで有名だが、そのぶん選抜試験の倍率や世間からの注目度も高い。


「アタシのことよりも、エイシャはどうなのよ」

「わたし?」

「そろそろ進路とか決めないとマズいでしょ」

「あー、ね」


 言葉を濁す。


「なんなら、エイシャも探索者にならない?」

「いやー、それはムリでしょ。わたし、アリーチェみたいに強くないし、迷宮探索自体あんまり興味ないし」


「やっぱり、学者とか教授とかそっち系?」

「どうだろ、特に興味のある分野があるかと言われると困るんだよね」


「作曲家とか歌手はどうなのよ。音楽好きでしょ?」

「うーん、好きではあるけど、知ってるのはバーチャルシンガーの曲ばかりだし、音感とか音楽知識は皆無だしなぁ」


「じゃあ、ゲームクリエイターは?」

「ゲームはもっぱらやる方専門」


「プロゲーマー!」

「四六時中していられるほどゲームが好きなわけでも……」


「んー、じゃあ、小説家よ。エイシャ、よく本読んでるでしょ」

「たしかに読みはするけど、読書家ってほどでは……そもそも、書きたいこととか伝えたいこととか何もないし」


「ぬ、ぬぬぬぬ……ダメね、降参よ降参。アタシにはこれ以上、思いつかないわ」


 幼馴染とはいえ、さすがのアリーチェも匙を投げたようだった。


「……ねえ、エイシャ。何でもいいから、何か一つくらいやってみたいこととかないの?」

「それがあったら苦労しないんだけどね」

「それもそうよね」


 せっかくアリーチェが親身になってくれたのに、そっけない返答ばかりの自分に嫌気がさす。大人しく家に帰って音楽でも聴こうと、わたしは荷物を手にした。


「そろそろ帰るけど、アリーチェはどうする?」

「アタシはもう少し特訓してから」

「明日は選抜試験なんだから、こん詰め過ぎない方がいいんじゃない?」


 心配するわたしに、アリーチェは気にしすぎだとひらひら手を振った。


「へーきへーき。もう習慣になってるから、いつもと同じくらい動かないと逆に落ち着かないのよね」

「そっか、それじゃ」


 アリーチェには才能がある。

 目指すべき夢と、ひたむきな努力。それらを合わせ持っている。

 何者にもなれないわたしと、まだ何者でもないアリーチェ。二人が並んでいられるのはきっと今日が最後だ。

 明日が終わる頃には、アリーチェは有名人の仲間入りを果たし、わたしとは違う世界にいるだろう。


 歩き出したわたしの背中にアリーチェの声が投げられた。


「エイシャ、今日はありがとう! ――またね!」


 わたしは何も言わず、ただ手を振り返した。





 選抜試験の当日、スピカのネットライブを観終わったわたしは、自室のウォーターベッドの上でどろどろしていた。

 ナイロンジャケットすら着ていない。体組織の中心にあるコアを守るコアガード(他の種族でいうところの下着)が丸見えだ。とても人前に出られる姿ではない。


 部屋にホーホホッホホーと鳩の鳴き声が響き渡る。

 むくりと起き上がり、鳴き声に目を向けると、鳩の形をした液体がバシャバシャと羽をばたつかせていた。


「……念話か」


 この鳩は、わたしの携帯端末が変形した姿だ。携帯端末にはタブレット型や魔導書型などさまざまな種類があるが、わたしのはウーズ型で用途に応じて形状変化する。

 鳩の姿は念話アプリ。鳴き声は着信の合図。

 頭をひと撫ですると、鳩がくちばしを開いた。


「エイシャちゃん? アリーチェの母です。突然、連絡してごめんなさいね。ちょっとうちの子について聞きたいのだけど、今、大丈夫かしら」

「はい、平気ですけど……アリーチェになにかあったんですか?」


 アリーチェはともかく、彼女の母親から連絡がくることはなかなかないので、少なからず驚く。

 わざわざ連絡してくるくらいだ。試験でなにか事件が起きたのだろうか。

 横目で水時計を見ると『盈月えいげつ』の選抜試験はすでに終わっている時刻だった。


「あの子の姿がどこにも見当たらなくって」

「見当たらない?」

「ええ、実は――あの子、試験に出ていないのよ」


 予想外だ。


「え、どういうことですかそれ」

「あの子のパーティメンバーが会場に集まらなかったの。だから、試験は不参加」


 『盈月えいげつ』の選抜試験はパーティ単位で行われる。「迷宮には四人一組で挑むべし」という探索者のセオリーに従い、人数は四人だ。四人全員がそろわないと試験は受けられない。

 アリーチェのパーティメンバーが会場に来なかったということは。


「そんなことって……」


 いくらアリーチェに探索者の力があっても、披露する機会がなければどうしようもない。


「あの、来なかったメンバーって誰なんですか?」

「全員よ」

「……はい?」

「あの子以外の全員、誰も来なかったの」


 声が出なかった。


「私も会場で見てただけで、細かい事情はわからないわ。ただ、さすがに話題になっているみたい。こんなこと前代未聞だって」


 それはそうだろう。こんなことが普通に起きていいはずがない。


「少し、迷ったのよ。あの子に会いに行くべきか、それともそのまま帰るべきか。でも、あの子けっこう見栄っ張りなところがあるじゃない? 今の姿、私には一番見られたくないでしょうから」

「……そう、ですね」


 頭の中がまとまらない。

 とりあえず口をついた頷きは、なんだか自分の言葉ではないような気がした。


「最初はメッセージだけ送って、そのまま帰ろうかなとも思ったの。でも、あの子には昔から寂しい思いをさせてきたから、せめてこんな時くらい、母親らしくしたくて」

「……」

「あぁ、ごめんなさい。急にこんな話されても困るわよね」

「いえ、そんなことないです」


 気づけば、端末越しに首を横に振っていた。


「……それで、アリーチェはどうでした」

「それがね、まだ会えてないの。きっと、私が悩んでいるうちに会場から出て行っちゃったのね」


 自嘲するようなため息が響く。


「それで、もしかしたらエイシャちゃんと一緒にいるのかと思って連絡したのだけど」

「わたしも会ってないです」

「……そう」

「あ、あの、こっちでも探してみますね」

「助かるわ。……うちの子のことでいつも迷惑かけて、ごめんなさいね」

「いえ――友達、ですから」


 通話を終えたわたしは、白のナイロンジャケットを羽織った。たったそれだけで身支度がすむ粘態スライムの体に感謝しながら、すぐさま家を飛び出す。


 アリーチェは今どこにいるのだろう。

 何をしているのだろう。

 何を思っているのだろう。


 そんなことを考えながら、呪文を唱える。

 ウーズ型端末は、みるみるうちにねじれて歪み、鳩から犬へと姿を変えた。


「アリーチェを探して」


 一目散に駆け出した犬を追って、わたしも走り出した。

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