十二話 『英雄』というものの脆弱さは

 黒い花が咲きほこっている。


 こぼれ落ちそうな花弁を、必死につないでいるはかない花が。


 その中央に、彼女は座っていた。


 彼女は俺に気がつくと、いつものように微笑ほほえみかけてくる。


 俺は彼女の手をつかみ取った。そして体をぐいと引き寄せ、顔をのぞき込む。


 網膜もうまくを伝う血管が、一束一束り重なって、見事な紅石ルビーひとみを作り上げている。


 その赤色をまじまじと見つめていると、途端とたんに頭がえくり返って。


 ……まばたきをして、再び彼女を見つめる。


 こうしていると、彼女が愛おしくて愛おしくて、たまらなくなってきた。


 首にそっと手を当てる。


「……」


 彼女は口ずさんだ。


「分かってる」


 俺は、彼女の首を握りつぶす。そして、重力に引かれて落ちていく首を目で追った。


 彼女が一つの花弁にれた瞬間、花弁は落ちていく。一枚、二枚、三枚と。


 一つの花の花弁が落ちてしまうと、また別の花が花弁を切り離した。


 連鎖れんさ的に黒い花弁の津波つなみが広がっていく。


 俺はずっと、その光景を見続けていたのだった。






 ……






 まどから光が射し込んでくるので、ケインは体を起こして目を開いた。


 軽くなった体に目をやると、左腕は、やはり無くなっている。血まみれの鎧下を着ていたはずなのに、今着ているのはあさ肌着はだぎだ。


 ケインは、れ下がった左のそでに意識を向けないようにする。その方が良いと思った。そうしてケインは、朝の支度したくを終わらせた。


 軽い体とは裏腹うらはらに、しずみきった心にむちを打って、ケインは底知れない飢餓きが感を払うために、食事を取りに行く。


 麦がゆを片手に席に着くと、そこにはシエラが居て、すでに食事を始めていた。


「ようやく起きたのね」 


 あきれたように言い放つシエラに、ケインは思わずたじろいだ。


「ようやくって、まだ朝だろう」


 そんな間の抜けた言葉に、シエラはとがめるようにあきれた声で言った。


「ええ。アンタ達が戻って来てから二日経った後のね」


 道理でこうも腹が減っている訳だ、とケインは思った。あれだけ逃げ回った後に飯も食わず眠りこけていたなら、確かに死にそうな気すら覚えるはずだ。


 ケインは何か口に出そうとしたが、それを引っ込めた。シエラの口は固く結ばれていて、何か下手な事を言ってしまえばひどい目に合わされそうな気配がする。


 いつの間にか、気まづい雰囲気ふんいきただよっていて、益々ますます二人は言葉を出しづらくなった。


 そんな中、シエラは覚悟を決めたように深呼吸して、それから真っ直ぐケインと目を合わせる。


 ケインは目をらしたくなったが、そのままこらえた。


「まずは、アンタが帰ってきた事。アタシはすごうれしいと思ってるわ。だって死んじゃったんだと思ってたんだもの」


 そう言ったシエラは、言葉とは裏腹にまったく持ってうれしそうな顔をしてはいなかった。


「……アンタを置いてげるのならね、アタシが残って死んでいけば良かったのよ。そう思ってる」


 ケインは、シエラの言葉に四肢ししい付けられるかのような罪悪感を覚える。


 自分の行動が、シエラの心に負い目を作ったのだと。それに行動の結果として、ケインは関係の無い探索者を巻き込んで、命をうばってしまっている。


 そんな事なら、あんな軽率けいそつな事をしなければ良かったのに。もう少し上手くやれたはずなのに。


「それはきっと、アンタのせいでもあるし、アタシ達が未熟みじゅくなせいでもあるのね。だから──」


 ケインは、シエラの瞳の奥に暗い炎がともっているのを見た。


「もし次にむちゃするような事があったら、アンタを監禁かんきんしてでも止めてあげるわ」


 シエラは笑う。


 ケインはその笑顔に、底冷えするような何かを感じた。急かされるように、首を大きく縦に振る。


「それで、その腕。もうくっつかないそうなのだけど。アンタはどうするつもりなの?」


『どうする』というのは、探索者を続けるかいなかという事だろう。


 ケインはもちろん、続けるつもりだ。この身が探索者である限り、その目的が金であれ、名誉であれ、他の何であれ、迷宮の奥深くまで潜らなくては。


 だがこのまま隻腕せきわんで探索者をやっていくのならば、きっとそれはつらい道になるのだろう。


 今までなら取れたはずの選択肢が取れなくなっているのだ。円盾で受けていた攻撃は、全てけるか短槍で受けなければならない。それに、松明たいまつなどの補助用具だってもう持てない。


 他にも思いつく、弱くなった点など数え切れないほどだ。それを乗りえていかなければならないので、つらくなるのは当然の事だ。だが、それでも。


「皆に迷惑めいわくをかけるかもしれないけど、続けるよ。ただもし、着いていけずに足を引っ張るっていう事になるのなら。その時はいさぎよめるから」


 シエラは、そう、と半分あきらめたように納得してうなずいた。


「分かったわ。しつこいかもしれないけど、本当に無茶だけはもうしないで」


「……ああ、約束する」


 その言葉に満足したようで、シエラは席をたっていった。そして、付け加えるように口に出す。


「そうそう、アンタ達を連れて来た人。ええと名前は、ヨームだったかしら。その人にお礼言っとくのよ。命を救われたんだから」


 ……そういえば、彼には危うい所を救ってもらった上に、地上までも運んでくれたのだった。


 確かに、あれだけの事をしてくれたのだから、こちらから出向かなければならないだろう。


「ああ、すぐに行くよ」


 それからケインとシエラは互いに別れの挨拶あいさつをした。


 シエラが去っていくのを見届けて、ケインがヨームの所に行かなければと考えた時、お腹が痛むほどうめく。


 視線を下にやると、まだ手の着いていない麦がゆ。シエラの話を聞いている内に、いつの間にか空腹すら忘れていたのか。


 本能に任せてむさぼり食らう。すると、味も分からないのにおいしく思えるのだから人の体とは不思議なものだ。


 空腹は食事をうまくするとは良く言われる。それも極まれば、ほとんど麦とちょっとだけの塩味しかしない安いかゆだろうと何杯でも食えそうだ。


 ケインは二杯、三杯と空の器を重ねていく。


「ふう」


 空腹の後、一気に満腹感を味わうと、その落差がどうにもれない。


 おさえきれずに腹がはち切れんほど食べてしまったが、ケインはそれでもその苦しさが心地よく感じた。


 動けるようになるまでに、もう少しだけ時間が必要だろう。しばらく余韻よいんひたった後で、ケインはようやく席を立った。






 ……






「それで、わざわざ礼を言いに来るためにここまで来たってわけか」


 酒場に着いて挨拶あいさつと要件を告げるなり早々そうそうに、ヨームはそう言い放った。


「そうだ。命を救ってもらったんだから、それくらいはしないといけないだろう」


 ケインの言葉に、ヨームはわざとらしく笑ってみせる。


「ここまで真面目な探索者なんてそうそう見ねぇな! ま、あのけんはこっちの不手際もあったからよ。気にしねぇでも良いんだぜ」


 ヨームが言うには、ここ最近彼の騎士を討伐とうばつしようと何度も捜索そうさくしたそうだ。


 しかし何の成果も得られていない。それどころか、死亡する一層探索者の数は増える一方らしい。


 ……きっとヨームは、その事に対して負い目を持っている。大雑把おおざっぱしゃべり方なのに、案外あんがい律儀りちぎな人なんだな。


「それに、追っ払ったのはサトラ──ええと、【雷霆】をぶっぱなしたアイツの事な? まあ、ソイツなんだ。俺は担いでっただけなんだから良いんだって! そのサトラにも感謝の心は伝えとくからよ」


 ヨームはこちらが気を負わないようにしてくれている、とケインは感じた。


 ケインは何かお礼をしようと思っていた。だが、この様子では遠慮えんりょして貰ってくれないに違いない。


 だから数ある冒険譚サーガの中で使い古された物をおくる。


「そうか、ありがとう。だけど何もしないのは流石さすがに気が引けるよ。だから酒を一杯、おごらせてくれ」


「お、気が利くじゃねぇか」


 ケインは早速、飛び回る給仕を呼びつけ注文した。


 ヨームには、手に握る酒盃の中身と同じものを。ケインは昼間から酒を飲む気にはなれなかったので、果実水を一つ。加えてツマミを少々。


 黄金色の麦酒が、底に当たっては、なみなみと注がれていく。ケインの冷えきった果実水も、同じように注がれた。


 ヨームが何も言わずに杯を差し出してきたので、ケインは自分の杯を押し出した。


 木製の杯は、互いに軽い音を立てる。麦酒はこぼれ落ちそうになりながら、波を立て打ち返った。それは、ヨームと初めて会った時と同じようだった。ぐいと一口飲み込んで、塩のまぶされた木の実をかじる。


「それにしてもだケイン、お前はどうして俺の場所が分かったんだ?」


「最初に会った場所がここだったし、それにヨームは昼間でも飲んでそうだったから。試しに来てみたら、ご覧の通り一発で当たりだったよ」


 それを聞いたヨームは、ついき出してしまった。


「そんなくだらねぇ推測で場所を当てられちまったのか、おもしれぇな。それにしても、俺はそんな感じに思われてたのか。実際合ってんだけどよ」


「すまない、気に触っただろうか」


「いんや、そんな口聞けるようになったんなら、結構気が軽くなったって事だろ? 良い事だよ、そいつは」


 ヨームはニヤニヤと笑う。ケインはそのおかしい笑い方を見て、自分の堅苦しさが落ちたような気がした。


「困った事があったら、また俺を頼れよな。規則での情報はあんま出せねぇけど、手伝えるなら大抵の事はやってやるさ」


 ヨームはただただ優しかった。そしてケインは、それがどうしてなのかまったく分からなかった。


「なあ、ヨーム。なんで俺達みたいな、ありふれた一党にこうも気を使ってくれるんだ?」


 ヨームは少し考えた後、ヘラヘラとした笑顔を作る。しかしその笑いは、今までのように陽気なものではなかった。過去から目をそむける為に行われたように、ケインは感じ取った。


「俺も、五層まで降りて行くまでに色んな事をしたんだよ。ほぼ最前線みたいなもんだったから、同期の死亡率も相当高かったからな。俺の一党の中でだって、何回も親しくなった奴が死んでいって、その度入れ替えた」


「それは……」


 人の死を見守るのは、他人でさえ辛い事だ。ましてや、それが親しい仲だったのなら。心が引きかれるほど辛い。ケインはそう断言できる。


 しかし、ケインはヨームの気持ちに同情する事はできなかった。


 ケインの感情はケインのもので、ヨームの感情はヨームのものだから。


 それに、ケインは人を殺した。迷宮の中での擦り付けは、殺したと言えるに違いない。


 そうやって変質したからケインだからこそ、尚の事、ヨームの気持ちを理解できるとは口に出せなかった。


 ケインの迷いをさとったのか、ヨームはあわてて付け加える。


「ああ、その事は良いんだよ、もう。終わった事だからよ。俺はお前らにできるだけ死んだりせずに降りて来て欲しい。これは、五層探索者ならほとんど全てが思ってる事だからさ」


 まあ、俺達と同じような目には会ってくれるなって俺の感情も入ってるがな。と、ヨームは言う。


 ケインは訳が分からなかった。五層探索者が追加の人員を望んでいるのは何故なぜなのだろう。


 今、探索者のほとんど全て──死んだ者を除いて──は五層まで辿たどり着いている。


 その探索者の内の全員が五層で活動するなんて事はないだろうが、それでも活動域は相当かぶるはずだ。


 そして探索者という生き物は、見知らぬ一党との邂逅かいこうを嫌う傾向にある。


 強盗に会う可能性は否定できないし、大抵たいてい面倒な事になる。そうでなくても怪物や玄室げんしつの取り合いが起こる。そういう訳で共に活動する時など滅多めったに無い。


 そういう訳で、過密状態にあると推測される五層では、新規参入など喜ばしくない事だとケインは思ったのだが。


「お前も来れば分かると思うが、五層の攻略は今、完全に停滞ていたいしている。あきらめられてんだ。教会も、例のお触れを出してから何も口を出してこねぇし、正直進む理由を見いだせないんだろうな。もちろんそれは、俺達の一党もだ」


 探索者は普通、自分の勝ち得た優位性を必死に守り抜こうとする。しかし、どうも先が見えないのならば、そんな気力も起きないらしい。


 むしろ、自分達の道を切り開いてくれる、『英雄』を望んでいるのだと、ヨームは話す。


『英雄』。その言葉の重み。ケインは、自分達に掛けられている期待が、計り知れないものなのだと理解した。


 多くの探索者がその称号を望んでいる。唯一の『英雄』を超える戦果──の『英雄』ですら封印せざるを得なかった魔物を殺すという偉業──を己が成しげようと闘志を燃やしている。


『英雄』を望む。それは五層の突破が魔物の討伐とうばつと同等までに見なされているという事だ。


「今、五層に潜ってる奴なんて、『鮮血姫』。いや、今は『準英雄』アリスティアだったか。そいつくらいしか居ねぇ。そんくらい絶望視されてんだよ、突破は」


『準英雄』アリスティアの名声は、この都市中に広がっている。それは彼女の話を聞けない場所が無い事と、そしてその称号からも分かる。


 そんな彼女でさえ突破できない階層。ああ、確かに絶望的だろう。だからこそ、越えなければ。いつか『英雄』となるために。


「ああ、必ず辿たどり着いてみせる。そしてえるよ。どれだけ困難であろうとも」


 ヨームはこの答えに満足したようで、大きくうなづいた。


「ああ、ああ。それでこそ探索者だ。その調子で早くこちらまで来てくれよ。楽しみに待ってる」


 そう言って、ぐいと残った酒を飲み干す。


「そんじゃ、俺もこれ以上は酒も飲んでられねぇな。仲間を呼んで迷宮を潜るさ!酒精が抜ける頃にはいつもの狩場に着いてるだろうし。ケインも迷宮に潜る時は気をつけろよな。……まだ汚泥の騎士は健在けんざいだ。」


 ケインは軽くなった左肩を見る。くやしい。探索者であろう者が、怪物風情ふぜいもてあそばれ、片腕を持っていかれたなど。


 今にも向かって殺してやりたい。そんな思いも、向き合って刃を合わせた恐怖が引き止めてしまう。


 ヨームの言う通り、今は慎重しんちょうに力を付けるべきだ。騎士の出現するであろう地帯をけ、え忍ぼう。


 そして、あの恐ろしき刃に立ち向かう力を得たならば。もう縮こまる必要は無い。その時は殺してやろう。


「ああ、ありがとう。ヨームも元気で居てくれ」


「じゃあな」


 二人の探索者は酒場をった。いずれ、酒場か、それとも迷宮か。どこかで必ず会おうと告げて。






 ……







『迷宮都市』


 かつては白の都と呼ばれた、教国の王都である。しかし、魔物討伐の令が下され迷宮の噂が広がった為、今ではその名で呼ぶ者は少ない。


 また、白の都と呼ばれる由来となった白の大壁と白のとうこそが、この都市の象徴だろう。


 純白の壁に周囲を囲まれたこの街は、商業区、居住区、探索区、宗教区といったように別れており、探索区の中央に迷宮を。そして宗教区の中央には白のとうを有している。


 大壁の高さからも突き抜けたその尖塔せんとうは、教皇とそのお付の者以外の立ち入りを禁じられている。


 その中に住まう教皇こそが、この迷宮征伐せいばつの切っ掛けとなったのだ。

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