十一話 その身の、最後の一滴まで
風を切り、鉄と鉄とがぶつかり合って火花を散らす。二つの銀の光に対して合わせられた黒い長剣は、どれほど時間が経とうとも
何十、何百と刃を合わせた。それなのに汚泥の騎士は一つも傷を
それに対して、ケインとクリスはどうだろうか。
傷は大小
二人はまだ、
そもそも、だ。どうしてケインが攻撃を受け続けていた時とほとんど変わらない状況になっているのだろう。
二人でかかってギリギリ戦いを保っていられるのなら、ケインだけで戦闘していた時に
恐らく、手加減されているのだろう。遊ばれている。そうでなくては説明が付かない。
何度もトドメを刺されかけているから、ケイン達を
二人は、その事について気付かないまでも、
「イヤァァッ!!!」
それを振り払うかのようにクリスの切り込み。技の掛け合いも無い
胸甲の上に刃が触れるまで押し込んだ後、無理だと
それに合わせてケインが短槍の突きを出す。見切られて、長剣に回されて
ケインは辛うじて身を
しかし、何度も繰り返す中で、クリスの剣は段々と変わりつつあった。記憶の中で思い出した、
それを見たケインは、関心しつつも、その場でクリスの技を吸収していった。歩法、筋肉のしなり、視線、手首の動き、
クリスが記憶の中の技術を引き出していったように、ケインもクリスの剣技から技術を引き抜いていた。
元を辿れば一つの技だ。それをすぐに生かす事など、ケインには
しかし、長い戦いの時間は、もうすぐ
単純な、
その上目の前の騎士には明確な剣の技──そして恐らく、知恵さえも──を持っている。
同じ事を繰り返した所で、ケイン達にガタが出てくるのは知れている事だろう。
心臓は張り
度重なる金属のぶつかり合う悲鳴を受けた耳は、とっくのとうに
頭は過熱でやられた。
腕は
特に、ケインはクリスが
振り始めた頃には、ケインはその動作が
払って斬り殺してくれと言わんばかりの
右腕に強い
ブルリと。上に振り払われていた騎士の長剣が、しなるように。鋭く、素早い一撃が、ケインの体を両断する
しかし、この
だから、ケインはいつも防御するように、円盾を持っていた左手を──左手には円盾ではなく、
身を右に、
……そうだった。円盾は一撃で打ち割られて、捨ててしまったのだった。どうして気が付かなかったのだろう。
少しだけゆっくりと進んでいた時間感覚の中でケインが出したのは、言い訳だけだった。
皮を破り、筋肉を
耳に
何も感じる事は無い。
少しばかり与えられた、感覚に空いた空白の後で。痛みという情報の波が、半分だけの肩と、首とを通って脳へとなだれ込んで来た。
声はもう
流れ出す赤色の川は、元々少なかった体力を
あれほどまでに体が熱かったのに、今では
何度でも、えづく。呼吸ができなくなっても。胃液だけを吐き出して、
このままでは死んでしまう事は分かっている。何か、助かる方法は……。
焼き切れた脳が、ふと、ある事を思い出した。
黒ずんだ視界の中で、何とか
ガタガタと、焼けた
力を振り
吹き出した蒸気の音と共に、肉が
それに留まらず、全身の疲労をほんの少しだけ軽減する。失った血をまやかしの活力で
「ケインさん、大丈夫なんですか!?」
ケインは、立ち直るまでの時間を
「ああ、もう問題無いさ。それより、だ」
「ッッ!!」
視界が
クリスはギリギリまで接近した剣の切っ先が、
ケインも戦列に戻って来た。だが、手も足も出ない。
ほとんど聴覚に頼っている
一度や二度の戦闘では、修正は効かないだろう。ケインは突いた槍が、先ほどまでより大きく払われる度に必死に感覚を
だが、実際は上手くいかずに、歯が割れるほどに歯
先ほどまでできていた事ができない
「ケインさん、一か八かで
クリスは
そもそも、もはやこの戦闘に
だから、
「だけど、どうやってコイツから
この騎士を振り切れない限り、
「何でも良いから
……そうだろうか?そうだろう。俺もクリスも傷だらけだ。俺の左腕が、汚泥に飲み込まれて。クソ、ふざけるな。
今はお前を殺せない。だから、
「次は、必ず殺してやる」
大きな金属の
それにケインが続いて行くのを見ると、汚泥の騎士は、ゆっくりと速度を上げていった。
……
パシャパシャと
実際は、
ほとんど何も見えない暗闇の中、ケインとクリスは迷宮をがむしゃらに走り回っていた。
直進し、左折し、右折し、危うく壁にぶつかりかけながらも方向を変え。足が棒のようになっても
「クリス、次はどっちに曲がる?」
「左にしましょう」
やがて一本道の通路を抜けると、そこが十字路である事が分かった。汚泥の騎士から
その曲がった先の通路を通って行った先には、一つの
「
その
「だからって、もうこっちにしか道は無いだろう?」
大人しく
「GYA!?」
けたたましい音に対して、金属を
「こんな時に小鬼かよ!」
「攻撃力は低いとはいえ、
こんな暗闇の中で、とケインは
「分かった。やるしか無いか」
二人は、音で
クリスは刺突の体勢に長剣を構え、盾で身を
一匹目の小鬼が盾にぶつかった。長剣を突き上げると、小鬼が自重で刀身に
クリスが
盾にぶつかった小鬼が短刀を突き立てようとする寸前に、盾で押し返す。
小鬼は次々とやってくる。
盾にぶつかったものを斬って進み、事前に位置を特定できたものは
続くケインも、撃ち
切り傷を負った小鬼は、うるさい悲鳴を上げるので分かりやすい。
順調に手負いの小鬼を処分していく中で、一体の小鬼が突き出した短槍の刃を
ケインは急いで引き抜こうとしたが、横から
「なぁっ!?」
首を後ろに下げると、
小鬼は振り返って二度目の突撃をかまそうとしている。そして後ろには汚泥の騎士。
時間が無い。
槍を
手を斬り捨てて槍を取り戻し、突撃しかけていた小鬼の頭を
クリスとの遅れを取り戻す為に走り出すと、前方から飛来した液体が、ケインの
「クリス、大丈夫なのか!?」
「ええ、かすり傷みたいなものです。逃げるのに問題はありません」
負傷したのは右肩だった。剣を振るうのにはまだ問題無い。
「それより
クリスが
「おいおいおい、これはまずいぞ」
こちらは
それに、後ろには
そしてあれが、逃げていったケイン達の一党だったとしたら。その可能性を、二人は考えたくもなかった。
「野盗のようだな。──貴様ら止まれ! さもなくば斬り捨てるッ!」
一党の首領と思われる男は、ケイン達に向けて抜刀し、次いでそう宣告した。
ケイン達はそれを無視して
「すまない、逃げてくれ!」
ケイン達が何もせずに抜けていった事へか、
「待て、それはどういう意味だ!?」
「ジーク、前見て。何か来る」
「
「……!? 何なんだよ、これは」
「クソっ、やめろ。近づくなッ!」
悲鳴が上がる。
剣を振り抜いた音が六つ
吹き出す血の音が、通路を
「クリス」
「ケイン、振り向かないで下さい。今は前だけ向いて走りましょう」
「でも、俺達は彼らを
「ここで止まれば、彼らの死も無駄という事になりますよ」
不快感は胃酸と共に口から抜け出していく。今は、生き残る事だけを考えよう。
「それで良いんですよ、ケイン」
「そうか」
少しだけ、目を閉じる。そして目を開ける。視界には、ただ変わらずに暗闇だけが在った。
「ありがとう」
クリスは返事をしなかった。クリスも苦しんでいるのだろう。彼はこんな事をしないはずだから。
……だから、これは俺を助ける
思いを無駄にしてはならない。失わせた命の分、生き
なのに、どうして。
速度が落ちてきている。
なけなしの巻物を破って得た、
それでも、希望を捨てないようにして。歩くような速さで走っていく。
いつの間にか、かけ離れていたはずのクリスが横に立っていた。思わず、足を止める。
「階段。第二層への入り口です」
前を向くと、暗闇が
「ここは行き止まりだ。二層へ行っても帰れる保証も無い」
「でも行くしかないですよ、少しでも可能性が有るのなら。他に道は無いんです」
そう言い放ったクリスの顔は、絶望に満ちていた。それは、
「そう、か。終わりか」
一度止まった二人には、動く気力は無くなっていた。元々希望など無かったのだと
だから、ようやく目を閉じて──
【雷霆】
曲射された雷の矢が、汚泥の騎士に
「やったか!?」
「いーえ、カス当たりみたいですね。完全に逃げられました」
「ハハ、これで取り逃すのは何度目なんだろうな」
焼け
しかし、かさの少なさを見るに、それは切り捨てられた一部だと分かる。
男はそれを確認すると、
「それで、そこの二人組は。おっ、酒場で会ったケインと、もう片方はその仲間か。奇遇だな!」
長剣に鉄の円盾。
いきなりの事で混乱していたケインも、それを見てようやく状況が分かったらしい。
「ああ、ヨーム。助かったよ」
「
ケインは生き
「……そうだな。そうかもしれない」
「通りがかったが何かの
その言葉を聞いた事で、張り詰めていた意識が
ケインは、それに
……
『赤色の手記』
戦役に身を投じる事になった。自分が一人前だと認められたのは、とても心が
国に命を
……
それでも、国を守る
私は後詰に
しかし、今となってはそれが
私は、味方の悲鳴に
ああ、こんな事になるくらいだったのなら。最初に死んでおけば良かったのに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます