断章/その妄執の果てに


 破裂はれつ音。ほほに痛みが走り、体は倒れせる。おびえたように見上げたその目には、大つぶなみだが満ち満ちていた。


 見上げた先には、父が居る。きびしく、誠実な、あこがれの父だ。


「なんで、なぐったの?」


 震えた声で、そう問いかける。どうして僕はなぐられたのだろう?何も、悪い事なんてしていないのに。


「クリス、お前が軟弱なんじゃくだからだ。今のお前が、騎士に相応ふさわしくない存在だからだ」


 ああ、そうか、そうなのか。軟弱なんじゃくな事は、悪い事なのだ。偉大な父がしかるという事は、僕が悪い事をしたという事なのだ。


 だから僕は僕の軟弱なんじゃくである部分を切り落とさなければ。切り落とさなければ。






 ……






「クリス、お前は立派りっぱな騎士になるのだぞ」


 父の問いかけに、元気良く返事をする。大きく元気な声は、自分を元気付ける。


「はい!」


 僕の父さまは騎士だ。父さまは立派りっぱな人で、だから騎士というやつも、きっと立派りっぱなものなのだろう。


 だから僕は、いつも父さまの言う通りに過ごして来た。


 甘えという物を全て捨て去って、剣術にけた最強の騎士になるのだ。


 刃を垂直に立て、円を描くように全身をしならせる。父さまの辿たど軌道きどうを、寸分すんぶんたりともたがわずに追っていく。


 足で地をつづる。振り下ろされる剣を、薄皮一枚へだてた先でける為に。この身を剣でおかされぬように。


 盾で身を固める。左手の盾だけはどんな力ですらもとおさない。だから全てを受け止める。


 たがわないように。教えにたがわないように。網膜もうまくですらもとらえられぬ先までもたがわないように。


 機械のように。


 機械のように体を操る。天上から見守る瞳のように達観し、あやつり人形の糸を引くように体をあやつる。


 技を追う度に僕は確実に強くなっていった。剣の重なり合うその瞬間の、ぜる火花の一つも見逃さない目と。最強の剣技を辿たどる技と。そして、その両方を生かすための力を付けた。


 それでも父が望む騎士にはほど遠かったらしい。未熟者だったらしい。


 僕には、父の教えが理解できていなかったようだ。全ての民を助けるほどの力を持ってしても、心構えがなっていなければ騎士として失格だ、と父は言った。


 全てを投げ打って自分をきたえたというのに、一体何がいけなかったのだろう。


 強くなる為に己を削いでいって、気づけば僕には何も残っていなかった。いや、騎士になるという目標だけは残っていた。残ってしまっていた。


 周りの子供達は、皆幸せそうだった。他の子供と遊び回って、泥まみれになって親に怒られていて。ごめんなさいと謝りながらも、その顔は暖かいものだった。


 彼らの最後に見たのは笑顔だった。そして僕はその笑顔を守らなければならない。騎士として日々の安寧あんねいを守っていかなければならない。


 そう考えただけで反吐へどが出る。気持ち悪い。どうしてなんだろう。


 思えばその日から、父はますます僕をしかるようになっていた。僕が悪い事を増やしてしまったからなのだろうか?


「騎士の誇りを持て! 民を守る為に勇猛ゆうもうに戦うのだ!」


 父は、いつもたような事ばかりをさけんでいた。僕がまだ不完全だから、完成させる為に何かを削らなければいけないとり返した。


 もう削るものなど残っていない。だから僕は更に身を削いだ。睡眠の時間から削った。食事の時間を削った。考え事をする時間を削った。余計な思考を削った。削った、削った。削った。


 そうやって完璧な騎士を目指す為に努力していたのに、ますます父は怒りを表わにした。

 父は正しいから、僕が間違っているのが許せなかったのだ。しかし、僕には父が何を怒っているのかすらも分からなかった。


 父はただ騎士に成れと叫ぶから、僕はその通りにする為に自分を更に削った。


 それからしばらくの事を何も覚えていないのは、きっとそのせいだろうけど。


 でも、そうやって頑張がんばっていたからなのか。いつの間にか、ようやく僕は騎士に成る事を認められたようだ。


 どうやって認められたかは覚えていない。でも認められた。やっと僕もむくわれる。きっとむくわれる。


 そうした僕の顔を見る父の顔はゆがんでいた。あるいはあわれんでいた。


 僕が騎士と成るのは、一月先の祝典であると告げられた。多分偉い方からだったと思う。僕は感激のあまり涙で顔を濡らそうとしたけど、なみだは出なかった。


「騎士に成れたとはいえ驕らぬように。お前は欠陥けっかん品なのだから」


 父は僕にそう言った。


 僕は、はい、と答えた。






 ……






 そして僕は少女と出会った。


 白く、純白で、神聖しんせいである彼女を初めて見た時に、僕は恐怖きょうふすら感じた。僕は僕自身の不完全さのせいで浄化されてしまうと思ってしまった。


 無垢むく純粋じゅんすいな彼女を見続けていれば、僕はきっと壊れてしまうと直感した。だから遠ざけた。


 それなのに、彼女はどうして僕を気にかけるのだろう。僕はおびえをひた隠しにして、彼女と話し続けた。やがておびえの中に好奇心が生まれた。僕は彼女に興味をいた。


 僕はついに、どうして近づくのかと問いかけた。


「それは、貴方が私と同じだからです。   」


 彼女はそう言って微笑ほほえんだ。その笑顔には、どうしてかあの時のような苛立いらだちを覚えなかった。守りたいとさえ思った。守らなければ。


 ああ、そうか。彼女は僕と同じなのか。そう思った瞬間、ほほゆるんだのを感じた。


 すると途端とたんに不安がき上がってくる。ああ、僕はとんでもなく失礼な事をしてしまったのではないだろうか。僕が、彼女と同じだという事を喜ぶだなんて。


「それで良いんですよ。貴方はそのままで良いんです」


 肯定こうてい。それがただうれしかった。


 彼女は笑顔をやさないまま、僕のほほに手をえた。彼女の手が、僕の顔の表面をつたっていくにつれて、僕がどんな表情をしているかが分かった。


 僕は初めて笑っていた。彼女と同じ表情をしていた。


「貴方には、笑顔が似合いますね」


 だから僕は、僕の笑顔をやさないように決めた。永遠に。






 ……






 僕が騎士と成る前日に、僕の父は捕まった。家は押さえられた。汚職、なのだそうだ。


 僕は、父が正しいと決めつけていたけど、一体どうして正しかったのだろうか。


 僕は父のような騎士になる為に、父の言う事に従い続けていた。はずだ。そうだ、従い続けてきた。


 剣技だって極めてきたし、父の言う、正しい心構えだって身につけたはずだ振りをした


 一体、何がいけなかったのだろうか。考える度に頭が痛くなっていく。しばらくは考え事もしていなかったっけ。視界がゆがむ。痛い。


「私は、ただ、正しい事をしたかった。その結果がこれなのか」


 父は言った。


 どういう事なんだ。父は正しくて、でも捕まっているという事は悪い事をしたという事で、でも父は正しいのだろうか。


 耳鳴りが始まる。


 考えるのを止めてしまいたい。


 ……父は、父はなんなのだろう。


 私はお前をあやつり人形のようにしてやりたかったのだよ。父の体がブレて、二つ目の口はそう言った。


 そうなのか。僕はあやつり人形だったのか。毎日ただ愚直ぐちょくに努力し続けた僕は、あやつり人形だったのか。


「ただ私の言う事を聞く為の駒が欲しかったのだよ。なのにお前は私の考えた道から離れていくばかりだった」


 芝居しばいがかった口調で、父はそうげた。


 僕は空っぽのままだったのだ。自分では何も考えられなかった。父の真似まね事だけをしていれば良いと思っていた。そうしていれば良いとだけ思っていたのに。


 父は、僕に何をして欲しかったのだろう。どうして欲しかったんだ。分からない。


 空っぽのままでたのがいけなかったのか。そうに違いない。真似まね事をしていただけの僕は、ただの偽物のままだったから。


 父は僕に本物に成る事を求めていて、それでも僕は偽物のままだった。結局、最後まで変わらなかった。


 僕は騎士に成る振りをしていただけなんだ。






 ……






 やって来た騎士達は、僕にお家取り潰しだとげた。僕は騎士に成れないそうだ。


 僕には騎士に成る事しか残されていなかったのに、最後の一つまでつぶされてしまった。どうすれば良いのだろうか。そんな事を自分に問いかけたって分からない。


 唖然あぜんとする僕の視界のすみに映ったのは、僕が親しくしていた少女だった。


 それを知覚した瞬間、僕は嘔吐おうとした。ただこの事を知られたくなかった。彼女の顔から微笑ほほえみが消えるのを見たくなかった。


 自分が恐ろしくみにくいものだと感じた。自分がみにくいものだとさとられたくなかった。彼女を遠ざけたかった。離れてしまいたかった。


 いつの間にか、僕の顔に張り付いていたはずの笑顔ががれていった。うそだ。


 僕はげ出した。


 僕は僕である事をめた。


 騎士になりそこなった少年ではなく、騎士として己をさだめた。


 僕はお家取りつぶしを取り下げるほどの名声を得る為に、迷宮都市へとやって来たのだ。騎士であった象徴しょうちょうとして、家宝の剣と盾をたずさえて。


 そして迷宮をもぐった。新しくできた仲間と共に。


 その新たな一党に入ってしばらくった後に、僕は、騎士としてしてはならない決断をせまられていた。仲間を見捨てるという事だ。


 できるわけが無い。今の僕が、騎士としてのほこりを手放してしまったのなら、一体何が残るのだろう。


 残るのは空虚くうきょな穴を残した胸だけだ。元より何も持っていないというのに、これ以上落とす物があるなんて。


 結論として、僕は周りに流されて逃げ出してしまった。一人の仲間を置き去りにして。


 えきれずにきそうになった。腹には何も入っていなかったので、胃酸がのどを焼くだけだった。


 苦しい、苦しい、苦しい。


 僕が僕であるために、彼を助けなければ。







 ……






「彼女達を連れて行ってください」


「そうやって言ってどうするつもりなんだ?一度見捨てていったくせに、助けにいくつもりなのか」


「ええ」


「死ぬかもしれないのに?」


「ええ」


「そうやってお前が無駄死にしていくだけで、そしてあいつも死ぬんだろうな」


「彼だけは何とかしてがして見せますよ」


「馬鹿げてる。頭がおかしいんじゃないか」


「分かっています。それでも行かなければいけないんですよ」


「……何の為にだ」


「僕が僕である為に」


「お前は、あいつを助ける為にとは言わないんだな」


「僕が僕である為に、彼を助けなければいけないんです」


「……お前は、狂ってるよ」


「これ以上の問答は不要でしょう。時間がしい」


「……」


「それではまた、生きて会えたなら」


 そうだ。ただ彼を助ける為にではなく、僕の為に死にに行くのだ。狂っているとしか思えないのだろうけど、いや、狂っているのだろう。それでも彼を助けなければ。


 振り返って、全速力でけ出そうとする。


 すれ違いざまに見た仲間の一人の顔に、かつての少女の面影おもかげを感じた。


 思わずまばたきをする。


「どうか、どうかご無事で居てください。死なないで」


「ッ! 分かりました」


 それを聞いた後に、げるように走り出した。後ろめたさが心をおおった。


 松明たいまつの光はすぐに消え失せて、何も見えない暗闇だけが視界に入った。一本道だから、迷わずけて行ける。


 しばらく走れば、松明たいまつの光がもう一度点っていた。どうやら彼を見つけたのだ。


 彼を助けよう。僕が僕である為に。その為なら、僕が死んだとしても、彼が死んだとしても。必ず彼を助けて見せよう。


 暗闇より暗い、汚泥の騎士が。今まさに長剣を振り下ろそうとしている。


 そこへ向かっていくのは、死ぬほど恐ろしい事だ。だから僕は、父の教えを心に浮かべた。あふれ出す心臓の鼓動こどうを対価にして、恐怖きょうふき消えていく。


 だから一歩、先へと進もう。


 汗のにじんだ長剣で、汚泥の騎士の振り下ろしにかる。


 あまりの力強さに、仕掛しかけたこちらが弾き飛ばされそうになる。それでも刃を密着させ、込めうる限りの膂力りょりょくで持って、黒い刃を押し倒した。


「どうして、来たんだよ……」


 振りしぼったかのような彼のなげきに、僕は心の中で、何度考えたかも分からない言葉を浮かべた。




 ──僕が僕である為に。






 ……






魔錬まれんされたカシミールの直剣』


 準英雄として名をつらねる、とあるカシミール騎士に下賜かしされた最上級の直剣。


 準英雄の力によって振るわれた武器は、業物わざものでさえ一振にて鉄くずしたという。


 孤独こどくに戦い続けた英傑えいけつは、ただ共にり続ける相棒をこそ求めていた。


魔錬まれんされたカシミールの胸甲/鉄盾』


 古きカシミールの準英雄が身に着けた鉄の胸甲、そして盾。


 英傑えいけつは、一兵卒の頃より数多あまたの傷を受け、そしてその度に立ち上がった。


 彼に必要だったのは堅牢けんろうな板金の守りなどではなく、己を支える不屈の闘志とうしだったのだ。

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