六話 腐敗、屍、炎(後)
散乱した赤色の
結局、その怪物は食事を終えていたのだ。
まるで血煙をそのまま吸っているかのように思えてしまうほどの濃密な血の匂い。それが怪物の腐臭を
粘液と呼ぶには余りにも硬質的で肉肉しい、黒い光沢を帯びたその体。そこには、所々赤と白とが際立って見えていた。
しかしそれも少しの間の事である。それらはすぐさま周りの肉と同化するように少しずつ、どす黒く、
腐臭の原因は正しく探索者共の死体であった。一つだけ異なっていた事は、それらが動き、新たな死体を増やしていた事だ。
そして、それらの
「──」
不可聴の奇声。理性の
──ベルモンド隊、ハーミット隊、夜明けの
皆が暗闇より
「行くぞ、目の前の奴らを打ち倒せ!」
ちりつくような
風を
しかしそうはいっても、汚泥の体積はまだかなりの量があって、どれほど散らせば良いのやら。中々簡単に終わるようなものでは無さそうだ。
続いてエイベルが叩き下ろすような大上段の斬撃を放った。
これまでの戦いで刃が
破片がエイベルとケインに飛び散った。
「おいエイベル、もうちょっと
「どうせすぐ消える。
ともあれ、敵が自分達でも倒せる事は分かったのだ。探索者達の士気は目に見てわかるように上がって行った。
「敵は残り三、気を抜くな、よ!?」
……確かに
分からない事だらけだけれども、アレを野放しにしていたら
「シエラ、燃やせ、すぐに!」
「わ、分かってるわよぅ!ええと……」
シエラも早く呪術を使わなければいけない事くらいは理解している。分かっている。でも、上手く呪術が
前の時だって、さっきだって、
「早く!」
「
パチパチと爆竹のように、灰になった
投射された炎の弾は、その光を
肉が、骨が溶けていく。表面から汚液が蒸発していく。混ざりあって伸びていく。
腐敗した液体のような体は、灯油のように炎を
汚泥が、ゆっくりと
ケインは反射的に両腕を前に構える。
衝撃、焼け付く。
革鎧も円盾も、まるで意味を成さない。いとも
軽減すらされていない重厚な一撃は、ケインの両腕を割り
「かはっ……」
肺が押されて、
重力の
それから思い出したように、地面へと
バラバラになった腕の骨が突き出して、ケインは声にならない悲鳴をあげる。
「ケインさん、死なないでください…… もう仲間を死なせたくないから」
アンネは震える体を抑えつけて、【軽癒】の準備を始めだした。それはきっと、怖くて怖くて動けないことよりも、ケインが手遅れになって死ぬ方が何倍も恐ろしいから。
半狂乱になりながら
「クソっ、おいクリス!先にコイツをやるぞ!」
「ええ、分かってます!」
その言葉と同時に放たれた長剣は、汚泥の体を
その傷跡を、エイベルは大剣で
汚泥は溶けて、内部は
残る半身は、クリスに向かって殴打を繰り出した。
「オォッ!!」
炎にあれられてか、心臓がはち切れるように
「騎士の、
熱気で
「
幼い時から教えられてきた騎士の精神。
だが、やるべき事は教えられている。体に深く刻まれている。ならばそれを行うだけだ。
「動け」
左腕に力を加える。
二撃目。
盾を構える、衝突する。耐えきれずに左肩が外れる。涙が流れたけれども、それもすぐに蒸発していった。
「止まるな」
流れるように、三回の風切り音。
ズタズタに切り裂かれた汚泥から、溶けた油が
汚泥の
【軽癒】
アンネの準備していた癒しの光が、ケインの体を包み込む。
ケインは起き上がるなり短槍を掴み取って、立ち上がって辺りを見渡す。
「……ッ、敵は、どうなった?」
「燃えるやつは死んだ。後は二匹だけだ」
「そうか。やれそうか?」
「クリスが肩を
エイベルは首をクリスに向けて振った。
見ると、シエラとアンネが集まってクリスに簡易の
「肩を戻します。クリスさん、じっとしててくださいね。シエラさんは彼を押さえて」
「分かったわ。これでいい?」
「ええ。行きますよ。せぇのっ!」
「〜〜ッ!!」
その痛々しい光景を見届けたケインは、次にすべき事を考える。
「ドナ、前に入れ」
ケインの言葉に、ドナはもちろん
「ウチは、
「俺も、盾を破壊された。鎧もボロボロだ。当たったら死ぬ、お前と同じだ。だから
「そうですか」
……無茶だ、ドナはそう思ったのだと思う。だがそう言っても無意味だろう。
ケインだってボロボロだし、クリスは動けない。シエラとアンネは呪術を切らして戦力外。
自分だけ死にたくないなんて言ったらわがままだ。拒否権なんて無い。だから
「炎が
やがて炎も
先ほどと同じように、
そのまま抜けた槍を
──と同時に、凄まじい速度で埋め尽くされていく。
それから汚泥は
「これは、反則だろっ!」
ただただ速く、そして黒い刺突。
閃光のような突きは、それだけで敵を打ち破りうる。その上この暗い空間では、黒い
ケインはその攻撃を槍で受け流そうとする。それでも受けきれなかったので、ギリギリの所で首を
力強い擦過音。こめかみを伝う液体の感触。
垂れてきた冷や汗は、ケインの皮膚ごと黒き槍に貫かれ、辺りに飛び散る。代わりに流れたのはケインの血液だ。
汚泥の触手は役目を終えて、ケインの
触手が放たれる。
人の身ですら、
ならば人外の──しかも、触手自体もおおよそ筋肉で動いているようなものだ──力で放たれたそれはどうなるのだろうか?
小さな衝撃波が風を切る。
ケインは右腕に衝撃を受けてはね飛ばされた。とは言っても、前のように無理に
ケインは痛む右腕の動きを確かめてから、短槍を左手に持ち替える。
……こういう時に、円盾を鎧に留めてあると動かしやすいな。
「おいケイン、さっきみたいにくたばってる
エイベルは汚泥の攻撃をいなしてはいるものの、しかし攻撃に移れるほど
「分かってるさ。少し待っててくれ!」
「できるだけ早く!ウチはそこまで持ちませんからね!」
ケインが外れている間、汚泥の片方はドナが受け持っている。
触手による刺突を、力のこもった体当たりを、
ドナはその間に何度も冷や汗をかくような思いをして、
……
何度も攻撃が体を
「ケインさん、何やってるんですか!早く!」
「ああ、っ!分かってる」
右手はぶらりと垂れ下がり、重りを付けているかのようにビクともしない。
ズレる肉の感覚を意識の外に追い出そうと試みながら、ケインは槍を構えて突進した。
ドナに夢中の汚泥は、
が、浅かった。慣れない左手で放たれた事もあったが、受け流され、ずらされた。槍は刺さったが、傷は浅い。
だから力いっぱい石突を
汚泥の反撃。
ケインは一瞬考えてから、壊れた右手を前に突き出した。
汚泥がいくら怪力とはいえ、腕がちぎれる事までは無いのだから。ならば動く左よりも使い物にならない右で防ごう、と
……どうせ寝れば治るさ。
振り子のように振り上げられた右腕は、対して障害にはならないものの、衝撃を
ケインはその場でクルリと回転して地面に叩きつけられたが、そこまで胴体に傷を受けてはいない。
その代わり、右腕に味わったことの無いくらいの強い痛みを受けて、ケインは自分の判断を
「おい、ドナ!攻撃を受けてやったんだから後は自分でやれよ!」
「うるさい。ウチが居なければその数倍は攻撃を受けてたはずなのに。……でもまあ、しょうがないですね」
剣鉈で
長剣よりも軽く、短剣よりもしっかりとした刀身は、しつこい草木を
そんなお気に入りの剣鉈は、実際非力なドナが
何度か刃を通してしまえば、その内の幾つかは受け流された。それでも数をこなすと、先ほどのように汚泥もデロリとその身を
ケインは粘液に柄を
「エイベル、生きてるか!?」
「もう死にそうだ。だからとっとと前の敵を片付けてくれ」
そう言い放ったエイベルの顔は、それなりに
けれども、エイベルの大盾は中央が割れていて
もう少し長引いていれば、盾は壊れて、エイベルは大剣で防御しなければいけなかっただろう。
重い攻撃と固い防御、受けた傷を修復する能力。そしてそれらを
しかし次々に攻撃してやれば
とにかく、もう戦わなくて済むようにはなった。
「死ぬかと思いました。もうこんな事の無いようにしてくださいね」
ドナは上気した赤い顔で、しかし黒い眼は冷たいままに、そう言い放つ。
「ああ、そうだな。すまなかったよ」
ケインは少しずつ強くなっていく右腕の痛みから目を
「さぁ、少し休息を取ったら帰ろうか」
一人は
『帰るまでが迷宮探索』
外へと
六人全員
次の探索はどうやって行こうか。ボロボロになった装備をどうにかするのは大変だ。汚泥がこびりついていて、誰が臭う。
彼らは色んな事を話し出した。
一党だったものたちの事も、自分を
今は明日の危機について考える時間ではない。命を対価にして勝ち得たものでその身を
だからケインは、少しだけ現実から目を
迷宮の中は、赤黒い闇に閉ざされている。
……
『
聖戦により炎に包まれたヨートル大森林の
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